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51. 花曇り

 翌日は風の強い日だった。花を散らす突風が、屋敷の図書室の窓硝子をかたかたと揺する。それを意識の向こうで聞きながら、リディアは手元の本に目を落としていた。室内は明るいとはいえず、光源は窓から射し込む日の光だけ。薄曇りの空の下では、それすらも弱々しい。書架の間に置かれた読書机がうすぼんやりと照らされていた。

 読んでいるのは、皮表紙の古びた書物だった。流麗な飾り文字がふんだんに使用され、大きな挿絵が目を引く装飾本だ。その内容は、普段好んで読む魔術の研究書とは少しばかり毛色が違っていた。――ノワディルドに伝わる歴史物語、である。


「珍しいね」


 ふいに、机の上に開いた本に影がさした。見上げれば、いつの間にか来たのか、すぐそばに二番目の兄が立ってリディアの手元をのぞいていた。


「リディも、やっと、この国の歴史に興味を持った?」

「ん、まあね。半分は暇つぶしだけど」


 冗談まじりにつぶやきながら、リディアは首をかしげた。


「どうかしたの、アシュ兄さま?こんなところまで」

「いや、ただお前の顔を見に来ただけだよ。今度の王妃の夜会のことで、ふさいでるんじゃないかと思ったから」


 読書机に手をついて身を屈めるようにして、アーシュが顔をのぞき込む。彼特有の甘い香りがふわりと鼻をかすめた。

 明後日に開かれる王妃主催の夜会では、彼が付き添いをすることになっていた。


「どうやら、俺の杞憂だったようだけど」

「うん、そうかもしれない。今は、来るなら来いって気分だから。大丈夫……なるようになるよ、きっと」


 静かに瞬いて、リディアは兄を見つめ返した。戦闘演習であんなことがあった後で王族に呼び出されているというのに、不思議と心は鏡面のように澄んで落ち着いていた。ずっと心の中にあったわだかまりが、溶けたからかもしれない。


「……いい目をするようになったね」


 アーシュは片手を伸ばしてリディアの頬に触れる。目を細めたその表情は、ひどくたのしげだった。


「そう?」

「やはり、お前はいい。その強さももろさも、全て含めて、ね」


 ふいに、顔が近づく。影が落ちる。リディアはとっさに目をつぶった。そのまぶたを、ゆるく何かがかすめる。時間にして一瞬のできごと。

 まぶたに口づけられたのだと気付いたのは、目を開けてからだった。至近距離に見つけた兄の顔はもう笑ってはいなかった。


「アシュ兄さま、」

「誰にも傷つけさせたりしない」


 とがめようとした声は、兄の言葉の前にかき消えた。思わずどきりとするほど、真剣な声色。 


「俺が、お前のつるぎとなろう。この、ファビウスの血にかけて」


 リディアは目を見張った。兄の唇から紡がれるそれは、まるで騎士の誓いの言葉のようで。

 折しも、薄曇りの空が晴れて室内に陽光が射し込む。いっそ厳かと言ってもいいほどの光が、図書室に満ちた。


「お前を害すすべての者からお前を護ってみせる。お前に仇なすすべての者を斬り払ってみせる。……たとえ、王家に逆らうことになっても」


 お互いの息づかいが聞こえるほどの距離で、兄妹は見つめ合う。


「許してくれるね?」


 いつかのように熱を帯びた黒い瞳にのぞきこまれて、リディアは反射的にこくりとうなずいた。それ以外の選択肢を思いつくことができなかった。


 ふ、とアーシュが息を緩める。その瞬間、張りつめていた空気まで緩んだようだった。

 雲が流れ、空がかげる。図書室にうすぼんやりした日常の景色が戻った。あっけにとられたリディアが動けないでいる間に、兄はかがめていた体を起こし、離れていった。その唇の端には、再び笑みが浮かんでいた。


「よかった。いやだと言われたらどうしようかと思った」

「……」


 惚けていたリディアは、思わず赤らんでしまった頬をこすった。一拍遅れて状況が飲み込めて、口を尖らせる。


「兄さま、今のはずるい……」


 あんな言い方をすれば、誰だってうなずくしかないだろう。ひどく芝居がかった言い回しなのに、アーシュが口にすればさまになってしまう。兄は自分の容姿をよく理解していて、それをやっているのだ。


「お前にだけ、だよ。どうしてもリディに誓っておきたかったんだ。王家への偽りの聖騎士の誓いなんかじゃなく、心からの本音でね」


 笑いながら、アーシュは妹の頭をなでる。もしかしたら兄はこれを言うためにここへ来たのかもしれないと、ぼんやりと思った。

 話題を変えるように、そんな妹の手元にアーシュが目を落とす。机の上には、読みかけの本が開いていた。

 

「それにしても、なぜ今さら歴史書なんて読んでるんだい?ノワディルドの歴史なんて、さんざん初等学院で習っただろう?」

「え?ああ、せっかく明後日あさって王家の人に会うんだから、復習しておこうかと思って。知らないことがあったら、マナー違反かもしれないし。――ノワディルドでは、昔大きな戦乱があったんだよね?」

「そう。正確にはこの国がまだノワディルドという名前になる前の話だ。魔術大戦とも呼ばれていて……戦争魔術や従属魔獣を用いた、この上なく凄惨な戦いだったとか」

「戦ったのは、どちらもこの地に住んでた人たち……」

「同じ民族だった、と言われてるね。信じるものの違いから諍いが起きたのだ、と。両者の数はほぼ同数。始めは、力が拮抗していた」

「けど、魔術の技術が高まっていく中で差が生まれた――」


 リディアは、つ、と本の文面を指でなぞる。開いたページに書かれていたのは、ちょうど戦乱の後期の場面だった。この時代、魔術の技術は相当高かったに違いない。何しろ、空を焼くような術が頻繁に用いられていたというのだから。――今、『禁術』と呼ばれる術はその時代に生まれたのだと言われている。そのほとんどが、人を殺傷するための術だ。


「ノワディルドの民の祖先は、一度は負けそうになったんでしょう?」

「ああ。この本で言う『敵』は、とても強かったという。戦乱が長く続く中で、生まれてくる子供の魔力の質にも差が出ていった。どうしてか、『敵』方にばかり魔力の高い子供が生まれる。ノワディルドは、技術でも力でも圧倒的に不利になった」

「でも、負けはしなかった」

「その通り。――この人物が現れたからだ」


 アーシュが、開いた本の挿絵を指差す。そこには宙に浮いて戦乱を空から眺める、不思議な女性の姿が描かれていた。


「導きの乙女、ね」


 リディアもよく知っていた。ノワディルドでは神々の次に崇められている女性だ。挿絵の下の文面を目で追う。


「『彼女が現れるとすぐ、戦況は有利に傾いた。連戦無敗、彼女が立った戦地には敵の骸さえ残らなかった。彼女は神が我々に遣わした戦乙女であった』……って、なにこれ?大雑把だなあ」


 それまでの戦闘の描写は克明にされていたのに、この段に来ると急に書きぶりが曖昧だった。これでは何がなんだかわからない。


「まあ、建国の逸話なんてそんなものだと思うけれど。彼女については、まったく資料が残っていないそうだよ。――とにかく、このおかげでノワディルド側は勝利した」

「それで、導きの乙女と祖先が結ばれて今の王家ができたわけね」

「うん、信憑性は皆無だけれど、建前上はね」


 そう言ってアーシュは微笑う。


「つまり、明後日(あさって)会う王子様はこの伝説の乙女の子孫だというわけだ」

 

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