49. 王宮の偵察
ノワディルド国の王宮は、王都ノーヴァの中央に位置している。王族の居城であると同時に、国王と宮廷貴族が政治を取りしきり廷臣たちが実務を行う場所だ。まさに文化や政治行政の中心であり、日々様々な機密情報が行き交うところ。――したがって、そこにはいつも多くの密偵が潜み、探りを入れている。
「おっと、あっぶな……」
王宮の奥庭。トキワは、茂みの中に身を潜めて見回りの騎士をやりすごしていた。今回の任務は、第二王子ギルトラッドの様子を探ること。王族が住まうこのエリアは王宮でもかなり奥まった場所にあり、警戒も厳しい。辺りを巡回しているのも、ただの兵士ではなく手練の近衛騎士たちだ。いくらベイゼルにみっちり鍛えられたトキワといえども、注意を怠ることはできない。
(さてさて。王子サマはどこかなー、と)
見回りの足音が遠ざかったのを確認し、音もなく庭を抜ける。回廊に侵入した後は、軽く跳躍して”抜け穴”から天井裏に上がった。大抵の建物には壁と天井をつなぐ空気管があるため、造作ない。こういった建物の構造を頭に叩き込むことも、密偵の修行の一つだった。戦闘演習で焼かれた背中も『治癒』のおかげで完治しており、今は動きの妨げにならない。
(お、いたいた)
目当ての王子は、自室にいた。氷漬けにされた体は元に戻ったようだが、彼もリディアたちと同じく術力の使い過ぎで体調を崩しているのかもしれない。
あちこち探す手間が省けて、トキワはほくそ笑んだ。
「で、殿下。どうぞ、なにか召し上がってください」
「…………」
「このまま何も口にしなければ、お体に障ります」
「…………」
「お、お願いですから……」
天井裏から覗き見た室内では、侍女がしきりに王子になにか頼み込んでいるようだった。対するギルトラッドは、それに応えるでもなく、寝台から半身を起こしたままぼんやりと窓の外を眺めている。放心状態、と言っていいだろう。
予想外の場面に、トキワはぱちぱちと目を瞬かせた。けれどももちろん、しっかりと耳をそばだてることは忘れない。
困りきって眉を寄せた侍女は、食事を乗せたワゴンと王子を交互に見やって泣きそうな表情を作る。王子の相手をするのに、彼女では明らかに役者不足だった。
――そこに、扉を開けて入ってきた人物がいた。
「お前はもう下がりなさい。私から話をします」
それは、丈の長いドレスを身にまとった秀麗な面差しの婦人――第二王妃のアビゲイルだった。切れ長な目元が、ギルトラッドとよく似ている。もともと宮廷魔術師の出身で、その美貌と才能で王妃にまで上り詰めたという。美人だが要注意人物、とクライブに言わしめる女性だ。
母親の姿を認めて、ギルトラッドが初めて顔を動かした。唇が小さく「母上……」とつぶやく。侍女は半ばほっとした様子で退室していった。
アビゲイルは寝台の横に腰掛け、じっと我が子を見つめる。
「ギル。あなた、体調はもう戻っているはずでしょう?一体どうしたと言うの」
「母上、私は……私は……」
第二王子は何かを言いかけ、しかし、それきり黙ってしまった。唇を引き結んだその表情には、葛藤の色が見てとれる。アビゲイルは、ふ、とため息を落とした。
「いいわ。わかっているのです。学院で行った戦闘演習の内容のせい、なのでしょう。相手は、ファビウス家の末の姉弟だったとか?」
「……はい。彼らの術はすさまじかった。二人で……共同詠唱で、禁術を使ったのです。私の炎をいとも簡単に飲み込んで、氷が、氷が攻めてきて……!」
「落ち着きなさい。その件については報告を受けています」
「ですが……私は、勝つことができなかった。あんな、完膚なきまでにやられるなど、なんたる恥辱……」
シーツを握りしめる王子の拳が、わなわなと震える。母親の手のひらが、それをそっと包み込んだ。
「いいえ、ギルトラッド。あなたは負けてなどいません。最後は二対一となったのでしょう?それでは尋常な勝負だったとは言えません。――相手が卑怯だったのです」
「それは……」
「何より、あなたは私の自慢の子。誰よりも優秀で、誰よりも誇り高い。我が実家に伝わる炎の禁術を使いこなせるのがその何よりの証拠です。卑劣なファビウスであろうと、暗愚な第一王子であろうと、誰にも劣っているはずがありません。……違いますか?」
王妃の視線に、ギルトラッドは顔を上げた。親子はしばし見つめ合い、お互いにうなずく。
「いえ、おっしゃるとおりです、母上。私が間違っておりました」
「わかればよいのです。きちんと食事をして、一日も早く元気な顔をお見せなさい」
アビゲイルはドレスの裾を払い、さっと立ち上がる。そのまま出入り口の扉の方へ進みかけ……ふと、思いついたように息子を振り返った。
「時に、ギル。ファビウスの姉弟は二人で禁術を使った、と言いましたね?」
「……?はい」
「それは、どちらかがあなたの炎の禁術を障壁で防いで、もう一方が攻撃をしたということでしょうね?」
「ええ、おそらく。姉の方……リデュイエーラが『魔障壁』を作り、弟のフレイライムが攻撃をしたのだと思います」
「そう。あなたの炎を防ぐくらいですもの、姉の方は相当空間魔術の素養があるのでしょうねえ。――ファビウスなどには、もったいない才能だわ」
ふふ、と笑みを扇で隠して第二王妃は笑った。含みのあるその笑い声に、トキワの背にぞっと悪寒が走る。
(あの王妃サマ、なんかやばいって)
どうやら、うかつに王子と戦ってしまった代償は高くつきそうだった。
◇◇
一方その頃、うわさに上っていたファビウス家の姉弟は、弟の部屋に所在なくたたずんでいた。謹慎を言いつけたアーシュの後ろ姿を見送り、室内には二人だけが残っていた。
リディアは、ふう、と天を仰ぐ。
「しばらく外出はダメ、かあ」
「まあ当然だろ。この国の王子にあれだけのことをしたんだ。警戒しない方がおかしい」
思わずこぼれた愚痴に、フレイが律儀に答える。リディアだって、謹慎の理由はわかっていた。先ほどの兄の言葉はおそらく正しい。
「でもあれ、不可抗力だったじゃん。戦闘演習持ちかけてきたのも、逆上して禁術使ってきたのも王子だったのに」
「王子はああいう奴なんだ、って思うしかないだろ。最初に衝突を避けられなかった時点で、俺たちに非がある」
「それって結構、不条理だよね」
むう、と口を尖らせると、弟がいぶかしげな表情を作った。
「リディアは外に出たいのか?」
「ん、せっかくフレイと共同で魔術使えるようになったのに、家にいたら術の訓練も分析もできないからさ。それがちょっと嫌なだけ」
「お前は本当に魔術馬鹿だな」
「……どうせ私は魔術オタクですよーだ」
結局いつもの姉弟喧嘩のようになってしまって、リディアはふいとそっぽを向く。けれど、視界の端で弟が苦笑しているのを捉えた気がして、もう一度首を戻した。普段は仏頂面の多いフレイなのに、今ばかりはびっくりするほどやわらかい表情をしていた。
「フレイ?」
「それだけ言える元気があれば、もう心配もいらないな」
「え?」
「……どうせしばらく家から出られないんだ。いい機会だ」
弟は、す、と息を吸ってから言葉を紡いだ。
「お前、自分の気配のこと、気にしてたろ。今、答えてやるよ」
王子様、マザコン疑惑の回でした……。
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