43. 忠告
弟視点です。
天窓の向こうに、中天を少し過ぎた太陽が顔を出している。学院の西棟ホールは春の日射しに照らされてやんわりと暖かかった。敷き詰められた厚い絨毯のせいで、たくさんの生徒が行き交っているにもかかわらず足音は立たない。
早足でそこを通り抜けながら、フレイは頭を抱えていた。
「悩んでるねえ、青少年」
「……ニーノか」
唐突に横から声をかけられて目線を流すと、そこにいたのは友人の一人だった。フレイと同じ、黒魔術科の生徒。学院に入学した時から腐れ縁的に交流が続いている悪友だ。彼はにやにやと笑いながら、フレイに合わせて歩調を早めた。
「今日もこれから演習室か?毎回毎回熱心だよなあ」
「別に、俺が言い出したわけじゃない」
「うんうん。とかいって、ほんとは楽しみなんだろ?リディアちゃん可愛いもんな」
「……殺すぞ」
「まあ、コワい」
大げさに身をよじってみせる友人を冷たい目でにらんで、奥の回廊に足を踏み入れる。まもなく午後の始業時間になるためか、回廊はホールと比べて人がまばらだった。
フレイが今日予約している第五演習室は、ここより少し奥まった位置にある。そこで待ち合わせている人物のことを考えると、再びため息がもれた。――先日氷の禁術を失敗したところを見られて以来、フレイの訓練にはいつもリディアが同席しているのだ。始めのうちはなんとか避けようとしたのだが……強情な彼女は『探知』の術を使ってでも自分を探し出そうとするため、最終的にこちらが折れてしまった。
(どうしてあいつはこう、言い出したら聞かないんだ)
実は何ごとにも割と投げやりなくせに、一度決めてしまうと非常に頑ななのだ。特に、研究や家族のことになるとそれが著しい。なんだかんだ言ってフレイはいつも彼女に流されてしまっていた。今回のこともそうだ。
おそらく、リディアは自分のことを心配しているのだろう。それはわかっているのだが……同じ演習室に彼女がいるとうかつに失敗することができないため、危険な術に挑戦しにくい。――もし術が暴発したら。自分だけならまだしも、リディアまで傷つけては目も当てられない。守るべき対象を傷つけるなど、本末転倒だ。
(心配されるのは……俺の実力が信用されてないからだろ)
弟扱いされるたびに、複雑な気分になる。早くもっと強くならなければいけないのにと、焦りばかりがつのった。こんなことになるのなら、始めから一緒に訓練などしなければよかったのかもしれない。フレイはぐっと歯噛みした。
「フレイくーん、顔が怖いですよー」
「……うるさい、黙れ」
「ひどっ。せっかく親友が忠告してあげようってのに」
「?」
足を止めて振り返ると、ニーノが真面目な顔でこちらを見ていた。彼は回廊を見渡して周りに人がいないのを確認してから、ひそひそと声を落とした。
「何があったのか知らないけど、お前最近すごーく頑張っちゃってるだろ?対人訓練では負けなしだし、こないだは街の西のヘルハウンドの群れ全滅させてくれちゃったし」
「……ああ」
「ギルトラッド王子も同じだって知ってたか?」
「は?」
「お前がやったのとそっくり同じようなこと、あいつもやってるんだよ。なんていうか……対抗意識燃やしてるみたいだな。好敵手だとでも思われてるんじゃないか?同じ禁術使いだし」
意味が分からなくて、フレイは眉をひそめた。ギルトラッドのことはもちろん知っている。この国の第二王子で、半年ほど前に学院に復学した禁術の使い手。何度か演習で戦ったことがあったが、無謀な戦い方をする奴だという感想しか持っていなかった。それほど興味を持ったことはない。――先日、王宮の夜会でリディアと踊ったらしいと聞いて苛立ってはいたけれど。
「それがどうかしたのか?」
「お前、ここ最近いつも午後になると演習室にこもってリディアちゃんと訓練してるだろ?しかも、ご丁寧にギャラリーの窓に目隠しの術かけて」
「……まあ、そうだな」
このところ、フレイとリディアは同じ演習室内で別々に魔術の訓練をしている。フレイは攻撃用の魔術を、リディアは空間魔術や補助魔術を練習しているのだが……始めて数日もすると、ファビウス家の姉弟二人が一緒に訓練しているとうわさになって、冷やかしのギャラリーが来るようになってしまった。業を煮やしたフレイは、『暗闇』の術でさっさと観覧窓を塞いでしまうことにしたのだ。以来、窓に目隠しの術をかけるのは毎回恒例のこととなっている。
「それをさ、王子様はいたく気にしてらっしゃるわけよ。あの二人は何か秘密の訓練をしているに違いないーって」
「は?阿呆じゃないか?」
「いやー、俺もさ、ちゃんと説明したんだよ?あれはフレイが恥ずかしがり屋さんなだけだって。でもさ、あいつ全然聞かないでやんの」
「お前……」
「まあ、まあ。そういうわけでお前王子に目つけられてるみたいだから、気をつけた方がいいぞ。あいつも最近めきめき使える術増やしてるし、王族ってだけあって護衛に連れてる騎士とかめちゃくちゃ強そうだし。喧嘩売られても買うんじゃないぞ」
「……ばかばかしい。俺はそんなことしてるほど暇じゃない」
「まあ、そう言うと思ったけど。お前意外と沸点低いからなあ」
ぼそぼそと言う友人をにらみかけて、フレイは途中でやめた。一応、ニーノは友人として自分のことを心配してくれているのだろう。この上なく失礼な奴だが、悪い人間ではない。
「それよりニーノ、お前午後の授業はいいのか?」
もうすぐ三限が始まる。こんなところにいていいのかと聞くと、彼は肩をすくめてから回廊の奥を指差した。この奥にあるのは、演習室だけだ。
「俺はこれから第七演習室でその王子様と戦闘演習なの。あー、気が滅入る。どうせ瞬殺されるんだぜ」
いやだいやだと言いながらも、奥へ向かって歩き出す。思わず苦笑いして、フレイはそれに並んだのだった。
第五演習室。そう書かれた部屋の前でニーノと別れる。悲壮な表情をして背中を向けた友人の武運を心の中で祈りながら、フレイは予約していた演習室の扉に手をかけた。重い音を立てて、頑丈な扉が内に開く。目に見えない『魔障壁』を通り抜け、室内に足を踏み入れると、そこにあったのは見慣れた少女の姿だった。
「あっ、フレイ。早かったね」
こちらを振り返って微笑む彼女が一瞬きらきらと輝いて見えて、フレイは目を瞬かせた。演習室の中には春の午後の日射しがさんさんと降り注いでいて、少しまぶしい。
杖を手にしたリディアは、なんだかとても嬉しそうだった。魔術好きの彼女のことだから、訓練できるのが楽しみで仕方がないのだろう。言いたいことはたくさんあったはずなのに、その笑顔を前にすると毒気が抜けてしまって、どうしても言葉にならない。いつもの癖で無意識に彼女の気配が揺らいでいないことを確認してから、フレイは「ああ」とだけ答えた。
部屋の奥に足を向けると、リディアも小走りに後をついてくる。ふとその影に目を落として、違和感を覚えた。
「リディア、キラは?」
「え?今日は家にいるよ。クライブ兄さまが用事あるとかって……。ここにいないの、わかるの?」
「ああ、なんとなくな」
足元を指差す彼女に、うなずいてみせる。魔獣がいるときといないときでは、微妙に周りの土精霊の反応が違う。些細な差だが、魔力や精霊の気配に人一倍気を払う禁術使いにとっては、大きな違いだった。
「あれ?今日は窓、隠さないの?」
観覧窓の横を素通りしたとき、彼女は不思議そうに首をかしげた。いつもは訓練を始める前にここで目隠しの術を使うのだ。
「別に……今日は冷やかしの奴らもいないみたいだし、このままでいいだろ」
ニーノの言葉を思い出して、忠告に従うことにする。ギルトラッドのことなどどうでもいいが、おかしなうわさが広まったら面倒だ。誰もいないなら、わざわざ観覧窓を隠す必要もないだろう。言うと、リディアは横で、ふうんと気のないあいづちを打った。
一刻ほど、無心で訓練を続けた。同じ部屋の中にリディアがいるため、あまり大掛かりな術は使えない。うっかり禁術の練習でもしようものなら、先日の二の舞である。仕方なく、フレイは短縮詠唱で使える簡易な術の反復訓練をしていた。――実際、禁術よりこちらのほうが実戦向きではあるので、それはそれで有用だ。
以前はリディアの側にいると空間が乱れるような感覚があって術が上手くいかないことがあったのだが、南の森の討伐以来、そういったことは起こっていなかった。確かな理由はわからなかったが……彼女が空間魔術をきちんと制御できるようになったからだろうか。
一区切りついたところで何気なく顔を上げると、こちらを見ていた彼女と目が合った。先ほどまで障壁系の術を練習をしていたようだが、今は完全に詠唱をやめてたたずんでいる。何か言いたげなその表情に、フレイは息を吐いて構えていた杖を下ろした。
「リディア」
案の定、呼びかけた途端に近づいてくる。今日は訓練中ずっとそわそわしていたようだから、おそらく何か聞きたいことがあるのだろう。十年近く双子のように暮らして身に付いた勘が、そう告げていた。
いつもご愛読ありがとうございます^^
今回は弟の回でした。次回はリディア視点に戻る……はず。




