41. 魔術の訓練
「は?ここの演習室を使いたい?」
「うん。無理……かな?」
昼休み。黒ローブの生徒たちで混み合う黒魔術科の食堂で、リディアはフレイと向き合っていた。
黒魔術科の演習室で、術の練習をさせてもらおう――。そう思い立ってからのリディアの行動は早かった。黒魔術科の施設を借りるなら弟に頼むのが一番早いはずと、正午の鐘が鳴る前に西棟におもむき、フレイの姿を探したのだ。ちょうど午前の講義を終えて教室から出てきた彼と会えたのは幸運だった。
二人で手近な食堂に移動し、昼食をとる。演習室の話を切り出すと、彼はいぶかしげな表情になった。
「まあ、できないことはないと思うが……なんで急に?」
「うーん、ちょっと、広いとこで練習したくて。『重力落下』も『障壁』も、研究室で使うには派手じゃない?」
「……空間魔術の訓練か」
「うん。……最近、あまり練習できてなかったから」
言いながら、リディアはそっと息をついた。南の森の討伐から帰って以来、城壁の外には一度も出ていなかった。研究室で細々と詠唱訓練はしていたが……それだけでは上達するのは難しい。その上、外に出られず魔道具の材料も底をついてきたため、研究も停滞していた。トキワの言葉で、やっと動くきっかけをつかめたのだ。
興味なさげにあいづちを打つ弟に目をやる。リディアとは逆に、このひと月の間、フレイは目覚ましい功績をあげているらしかった。黒魔術科では演習授業の一環として街からの依頼を受けて魔物を討伐しているのだが、その戦績が学年――否、科全体を通しても群を抜いているのだとか。本人はいつものごとく何も言わなかったが、うわさにうといリディアにさえその話は伝わってきていた。
「フレイは術の方、調子いいみたいだね。こないだの討伐演習のときなんてすごかった、って聞いたよ」
「……別に。普通だし」
ほめると、ふいっと目をそらされる。素直でない弟に苦笑して、リディアは食後の紅茶に手を伸ばした。
先日場外で行われた討伐演習の際、フレイは一人でヘルハウンドと呼ばれる魔物の群れを全滅させたらしい。もともと魔術師として優秀な弟だが、最近ますます磨きがかかっているようだ。
そう思って周りを見れば、遠巻きにフレイを眺めている視線がちらほらとあることに気づく。前にドリーが言っていた、彼は人気があるという話も、もしかしたら本当なのかもしれない。確かに、改めてよく見てみればフレイは整った顔立ちをしている。アーシュのような際立った華やかさはないが、ストイックに術に打ち込む姿には、凛としたみずみずしさがあった。
(きっと、人一倍熱心に訓練してるんだろうなあ……)
紅茶のカップに口を付けながら、目の前の弟を見つめる。数少ない禁術の使い手ともてはやされている弟。確かにファビウス家の血筋の人間は高い魔力を持って生まれてくることが多いが、それだけで扱えるほど禁術は容易なものではない。完璧に扱えるようになるまで、彼が陰で繰り返し繰り返し訓練してきたことをリディアはよく知っていた。失敗するたび怪我をしていた弟を探し出して治療したのはなつかしい思い出だ。
性格のせいか、最近では家族にすらあまりそういった姿を見せないが……おそらく、フレイは今も同じように訓練に打ち込んでいるはず。だからこその戦績だろう。
(嬉しいけど……でもちょっとだけ、さみしいかも。私もがんばらなきゃ)
双子のように育ってきたはずなのに、どんどん追い抜かされていくような気がした。ことりとカップを置いて、リディアは心の中で決意を新たにする。自分だって、守られるだけの無力な存在ではいられない。いつか、逆に家族を守れるくらいの力が欲しいと思った。けれど、それにはまず空間魔術の制御から始めなければ……。
「……ディア。おい、リディア。聞いてるのか?」
「…………えっ?何?」
はっと焦点を合わせると、こちらを見つめるフレイと目が合った。どうやら、少しぼんやりしてしまったらしい。慌てて聞き返すと、彼は呆れたように息を吐いた。
「演習室の話だ。ちょうど今日の午後第弐演習室を予約してるから、使いたければ使えばいい。まあ、あの部屋は広いから構わないだろ」
「フレイと一緒ってこと?」
「……嫌なら別にいい」
「嘘、嫌じゃないよ!一緒に術の練習するのなんて久しぶりだもん、うれしいよ」
「っ、……じゃあ、好きにしろ」
「ありがとう!」
なぜか口ごもった弟を不思議に思いながらも、リディアはわくわくと胸を弾ませた。これで思う存分『重力落下』の練習が出来る。しかも、黒魔術科の演習室と言えば、強固な『魔障壁』が張ってあるはず。きっと術の制御の参考になるはずだ。俄然楽しみになって、自然と微笑みが浮かぶ。
うつむいていたはずのフレイが、いつの間にかこちらを向いてため息をついていたことには気付かなかった。
”第弐演習室”は、西棟のホールを抜けた先にあった。前にトキワを連れて学院を見学していたときに、ギルトラッド王子が戦闘演習で使っていたのと似たような部屋だ。広い造りになっていて、確かに数人が戦闘するのには十分な大きさがある。中に足を踏み入れてみると、その天井の高さに驚いた。外から見るよりもずっと奥行きもあるようだ。
「あれが、ギャラリー用の窓?」
「ああ」
部屋の左右両端にある大きな窓を指差すと、フレイが短くうなずいた。少し渋い顔をしているのは、訓練を見られるのが好きではないからなのだろう。幸いなことに、今は誰もギャラリーがいないようだった。
リディアもほっと胸をなで下ろす。きっと練習中は失敗もするだろうから、他人に見られるのは恥ずかしかった。
壁の方に歩いて行くと、先日も見かけた『魔障壁』に気がついた。目には見えないし、触ることも出来ないが、たしかに存在している。魔術師ならば誰にでもわかる感覚だ。心を落ち着けてじっくりと眺めれば、視覚とは違う感覚で術式を読み取ることができる。
(ああ、これやっぱり全部の属性をカバーしてるんだ。しかも……一人じゃない、複数の人の魔力が絡み合ってる。すごいなあ……)
演習室の『魔障壁』は、おそらく教師たちが力を合わせて作った物なのだろう、すべての属性魔術を防ぐ仕様になっていた。前にリディアもとっさのときに同じ術を使ったことがあるが、あのときは風属性を防ぐ障壁を作るのでせいいっぱいだったから、この『魔障壁』には及びもつかない。
見れば見るほど、緻密で念入りに編み込まれた術だった。むー、とうなりながらさらに術式を読み取る。同じような障壁が作れれば、戦闘で身を守るのにかなり役立つはずだ。
「……訓練、しないのかよ」
「あ、うん、今からする」
しばらく壁際でためつすがめつしていたら、結構時間が経ってしまったようだ。せっかくの時間がもったいない。リディアはあわてて演習室の中央に戻った。
「『重力落下』をやるのか?」
「うん。一回やったことあるみたいだし、やればできると思うんだけど。……って、フレイは見てたんだよね?私がマンティコアに術使ったとこ」
「……ああ」
尋ねると、弟は顔をしかめながらうなずいた。南の森での出来事は彼にとっては暗澹たる記憶らしく、この話になるといつも少し声のトーンが落ちる。
「杖も使わないで、短縮詠唱で使ってたな。指一本であの化け物の全重量を操ってた」
「……うーん、そっか。さすがに今、杖なしでやるのは無理だと思うけど……重力制御して持ち上げて、逆の勢いつけて落とせばいいだけのはずだから、理論上は難しくはないんだよね」
言って、ためしに軽く詠唱して目の前の戦闘用のバリケードを持ち上げてみる。一抱えほどの大きさのそれは、ふわりと容易に浮かび上がった。床からわずかの距離で静止する。
「出来てるじゃないか」
「うーん、ここまではね、簡単なんだけど」
さらに高く持ち上げようと、リディアは杖に込める思念を強める。けれど、いくらもしないうちにがたがたとバリケードは揺れ始め、やがて目の前でぼたりと落ちてしまった。
「高く持ち上げるのがね、難しいんだ。重い物だともっとやりにくいし」
へえ、と弟は興味深そうにうなずいた。
「じゃあまあ、この辺でやっててくれ。俺は向こうで訓練してるから……近づくなよ」
念を押して、背を向ける。攻撃魔術を近くで練習したら危険なので、距離をとってくれるらしい。当たり前のことなのだが、最近あまり一緒に訓練していなかったせいか、リディアにはそれが妙に新鮮だった。小さい頃はわあわあ言いながら一緒に術を唱えたこともあったのになあ、と感慨に浸る。弟も大人になっているのだ。
(って、脱線してる場合じゃなかった)
よし、ともう一度杖を構える。精神を集中して、再び詠唱を始めた。なんとしても空間魔術を上達させるつもりだった。




