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40. 上の空の調合

「難しいなあ……」


 キラが戻ってきてからひと月ほど経ったある日。

 リディアはいつもの学院の研究室で一人、大鍋をかき回していた。調合しているのは、一般的な術力回復薬。街の近郊に生えているレンヨン草の葉を煮詰めて、光属性の魔力を注げば完成する。魔術師だらけの学院ではこの薬の需要が多いため、中央棟の窓口に持っていけばわずかばかりだが依頼の経験値が入るのだ。材料さえあれば簡単に作れる上、その材料は学院の販売窓口で買うことができるため、魔術応用科の生徒のあいだでは、基本調合のひとつとされていた。――断じて、難しい作業ではない。


 リディアは、上の空といった様子でぐるぐると大鍋をかき混ぜる。その視線はふらふらと研究室の中をさまよって……ある一点にたどり着いたとき、ぴたりと止まった。見つめる先にあったのは、机。正確には、机の上に開いたまま乗っている魔術書だった。

 【空間魔術大全】。分厚いその魔術書のタイトルを、リディアはもちろん知っている。ついでに言うならば、今開いているページに載っているのは『重力落下フリクション』という空間魔術だ。そこまで考えてから再び、ふうとため息をついた。


 目の前の大鍋を見下ろすと、材料はすっかり煮詰まっていた。手をかざして魔力を落とし込むと、あっという間に術力回復薬ができあがる。あとはこれを小瓶に詰めてしまえば終わりだ。――息抜きに始めた調合だったが、こうもすぐに完成してしまったら気晴らしにもならない。

 うーん、と一つ大きく伸びをして、リディアは研究室の窓を開けた。こもっていた空気が外に流れていく。季節は春の盛り、やわらかい日差しが心地いい。


「ここのところ、その薬ばっかり作ってない?」


 と、誰もいなかったはずの室内から、突然声がかけられた。少しだけ面白がっているような声色だ。リディアは驚きもせずゆっくりと振り返り、研究室の真ん中に立つ少年を見て苦笑した。


「トキワ、またその格好なの?」


 そこにいたのは、緑の髪の密偵の少年。彼は学院の制服であるグレーのローブを身にまとって、いたずらっぽく微笑んでいた。


「うん、だってこれなら堂々と歩けるでしょ。前にリディアも似合うって言ってくれたじゃん」


 確かに、一見すると一般教養課程の生徒にしか見えない。いつぞやの学院見学のときで味をしめたらしく、トキワは密偵として学院に現れるときも、時折この格好をしているのだ。こっそり他の科を見て回っていることもあるらしい。

 あ、それより、と彼は再び口を開いた。


「今日はキラはどこにいるの?」

「……?今日は、ここ。私の影の中だよ」


 きょろきょろと周りを見渡すトキワに、足元の影を指し示す。戻ってからしばらくは、人の姿になったり獣の姿になったりしながら外界で過ごしていたキラだったが、ここ最近は影の中で眠っていることも多かった。どうやら、影の中はリディアが考えていたより居心地がいいらしい。中から外界の様子はよくわからないが、かといって完全に遮断されているわけでもないそうだ。「リディアが呼べば聞こえるから」とふんわり笑っていた。扉はもう開いているから、好きなときに好きな姿で出てこれるのだ、とも。


「ふうん。全然変わってるようには見えないけど」


 床に伸びる影をしげしげと眺めて、トキワは首をかしげた。ごく普通の影の中に魔獣がいることが、今でも不思議で仕方ないらしい。


「キラに何か用事だった?」


 兄から何か伝言でもあったのだろうかと尋ねると、少年は首を振った。


「あ、ううん、おれ今日はたまたま学院に用事があったから寄っただけ。……リディアは今日もこの薬作ってんの?」

「え?……まあね」


 大鍋を示されて、リディアは肩をすくめた。ここ最近、息抜きと称してこの術力回復薬ばかり作っていたせいで、ついにトキワにも覚えられてしまったらしい。

 さすがに、こうも毎回同じ薬を作っていることを不審に思ったのだろう、彼は鍋の中の緑色の液体をのぞき込んで、神妙な顔つきになった。


「もしかして、夜会のせいでストレスたまってるとか?」

「……なんでそういう結論になるかな」


 リディアが口を尖らせると、少年はあっけなく表情を崩してぺろりと舌を出した。ごめんね?と謝られると、簡単に毒気が抜けてしまう。


「夜会好きじゃないって言ってたから、出るのが嫌なのかなーと思ったんだけど」

「まあ、それは確かにそうだけど。そんなにいっぱい出てるわけじゃないから大丈夫だよ」


 社交シーズンが始まってひと月余り。リディアはまだ数回しか夜会には行っていなかった。クライブの言葉をありがたく受け取って、大規模な夜会にしか顔を出していないのだ。

 ただ、大きな夜会は出席者の人数が多く、王族も顔を見せることが多い。そのせいか、リディアは毎回王子たちを見かけていた。薔薇の間の一件以来、特にギルトラッド王子はリディアにとって鬼門である。いつも、なるべく関わらないように物陰に隠れてやり過ごしてた。もちろん毎回憂鬱だったが……ストレスがたまるほどのことではない。

 初めての夜会で受けたような襲撃も、あれ以降ぴたりと止んでいた。クライブの話だと、王位継承権争いをしている過激派が、ここ最近なぜか・・・大人しくなったかららしい。そう言ったときの兄の笑顔が非常に恐ろしかったので、リディアはそれ以上詳しく聞くのをやめた。


「んー、じゃあなんで毎回おんなじ薬作ってるの?これ、こんなにいっぱいあるのに」


 トキワの声に、はっと我に返る。彼が指差していたのは、大鍋の横に乱雑に積まれた小瓶の列だった。とろりとした緑色の液体が入っているそれらは、数えれば三十以上あるだろう。――すべて、リディアがここ数日で作った術力回復薬だった。作る量が多過ぎて、中央棟の窓口まで持っていくスピードが追いつかないのだ。


「えっとー……」


 言いよどんで、リディアは乾いた笑いを浮かべた。いつの間にあんなにいっぱいたまっていたのか、自分でもよく覚えていなかった。無意識でどんどん作ってしまっていたようだ。


「ちょっとね、考え事してたら作りすぎちゃったみたい」

「考え事?」

「うん、うまくいかない術があって」


 話しながら、ちらりと机の上を見やる。相変わらず、そこにはどっかりと【空間魔術大全】が鎮座していた。


「難しいの?」

「まあね。一回使ったことあるみたいだし、難易度的にはぎりぎりってところだと思うんだけど……なかなか制御できなくて」


 ため息をついてみせると、トキワは「ふうん」とわかったようなわからないようなあいづちを打った。そして、ふと気がついたように疑問を口にする。


「……そういえば、リディアってどこで魔術の練習してるの?ここじゃないよね?」

「え?ううん、この研究室で練習してるよ。最近街の外に出てないから、あんまり場所がなくて」


 魔術の修練には広い場所が必要になることが多いのだが、研究をメインとしている応用科には、魔術修練用の大きな演習室はない。その他の選択肢となると街の外ということになってしまう。


「ここじゃ、狭すぎない?街の外のほうがいいんじゃないの?」


 少年は首をかしげたが、リディアは曖昧に笑ってうなずいただけだった。だが、続いた彼の言葉に目を見開く。


「あ。じゃなきゃ、黒魔術科の演習室とかどう?」


 何気ない一言だったが、リディアは虚をつかれた。科ごとに区切られた学院の生徒からしてみれば、なかなかない発想だったのだ。黒魔術科のある西棟に行くことはほとんどないので忘れていたが、確かにあそこには大きな演習室がある。


 「考えておくね」と礼を言うと、トキワは満足げに笑って姿を消した。


 





 一人になったリディアは、がたりと椅子を引いて机の前に座った。目の前にある本の、開いたページを目で追う。

――『重力落下フリクション』。

 非常に複雑な術式だったけれど、リディアは南の森でマンティコアと対峙した際にこれを使っていたらしい。しかも、短縮詠唱で。ならば、今できないはずはないのだ。


 南の森で起きたことを思い出すと、今でも胸の底にじわりと後悔が広がる。キラが無事に戻って本当に嬉しかったけれど、だからといって何もしなければ状況は変わらない。


「今のままじゃ、街の外なんて出られない」


 出れば、何かあったとき必ず周りに守ってもらうことになる。相手が弱ければいい、けれどマンティコアのような強敵に遭遇したらどうなるのか。あのときはなぜか撃退することが出来たけれど、今のリディアでは明らかにお荷物だ。せめて自分の身は自分で守れるようにならなければ、確実に周りの足を引っ張ってしまう。


「とにかく、強くなんなきゃ」


 このひと月余り、ずっと考えていたことだ。街の外だけではない。王宮にいたって刺客が襲撃をしかけてくるのだ。リディアが弱ければ弱いほど、きっと周りは危険にさらされる。――もう、無力なのは嫌だった。



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