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38. 影の中の魔獣(2)

連続投稿、二話目です。


こちらも魔獣視点から。

 ”それ”は、扉の前で地に伏せていた。影の中を行けるところまで走り回り、探せるだけ探したが、どこにも鍵は見つからなかった。というよりも、この扉のほか、影の中には形を持ったものが一つもなかったのだ。

 前脚の上にあごを乗せて、目の前の扉を見つめる。変わらず、頑丈なかんぬきと鍵がそこに付いていた。影の中では、大地の術を自在に操ることもできない。無理矢理に扉を開けることは、諦めた方がよさそうだった。


 と、そのとき。遥か頭上から、雪のように降ってくるものがあった。白銀色をした、光の粒だ。黒々とした影の中を淡く照らしながら、はらはらと舞い落ちてくる。

 ”それ”は体を起こして、光の粒を凝視した。よく知っているもののような気がしたのだ。見ている間に、光の粒の多くは頭上の影の中に溶けていく。影の底でじりじりとしながら、その光景を見上げた。

 そのうち、光の粒がたった一つだけ地面までたどり着いた。かすかな銀の光が、”それ”の近くで静かに明滅する。急いで駆け寄り、顔を寄せると……そこから漂っていたのは、心地よく澄んだ魔力。あるじである少女の魔力だ。


 治癒の術だ、ということはすぐにわかった。今までも傷ついたときには、彼女が必ずこうして『治癒』をかけてくれたから。嬉しくなって、鼻先で光に触れてみる。すると、弱々しかった光が、少しだけ明るくなった。不思議に思ってもう一度触れると、光はさらに強くなる。何度も触れるうち、どんどんその明るさは増していった。やがて、”それ”が触れずとも光は徐々に広がっていき……影の中全てを照らし出すほどのまばゆさとなった。

 あまりの輝きに、まぶしくてとっさに目を閉じる。しばらくすると、すぐ近くで、ことりと小さな音がした。気になって、うっすらと目を開けてみる。すると、影の中は元通りの明るさに戻っていた。代わりに、先ほどまで光の粒があった場所に落ちていたのは、小さな銀色の鍵。


――扉の鍵。


 ”それ”は、隣にある大きな扉を見やった。おそらく、この銀の鍵を使えば、扉を開けて外界の主のもとへ行くことができる。そう確信したのは、鍵と扉がお互いに感応していたからだ。とりあえず、鍵を口でくわえて、扉に向き直る。


 しかし、問題は鍵の他にもう一つあった。高さだ。閂も、錠前も、”それ”にとっては見上げる位置にあるのだ。このままでは届かない。跳躍すれば脚で触れることはできるかもしれないが……その場合、鍵を開けることが問題になる。

 ”それ”は己の前脚を眺めた。あるじの白く細い腕とはまったく違う作りの、太く頑丈な獣の脚。これでは、扉の解錠をすることは叶わない。


――この身に人の子の手足があれば。


 ふと、そんなことを考えた。それはとてもすばらしい考えのように思われた。






◇◇





 学院の外に出ると、辺りはすっかり夜の気配に包まれていた。ずいぶん前に夕刻の鐘が鳴ったのを聞いたような気がするから、今は大体、昨日大図書館から帰ったのと同じくらいの時刻だろう。リディアは、知らず知らずのうちに夜空を見上げていた。西の空、昨日よりも少しだけ高い位置に三日月がかかっている。


(ダメだなあ……)


 ふいに、自嘲がこみ上げる。月を見上げて、またも前世のことを思い出してしまったのだ。この世界の月は、日本で見上げた月と同じように満ち欠けを繰り返し、同じように昇る時間帯を変える。おそらく、この星は地球と同様に自転していて、月を衛星として従えているのだろう。そういえば前世の自分は天体の勉強が好きだった。……そんなことを考えて、すぐに不安に襲われる。きっと、この世界で暮らす者のうち、そんなことを考えているのはリディアだけだ。まわりの人間にしてみれば、それは異常に他ならない。そして、異常なものは排除される。


 耳の内に、ギルトラッド王子の言葉が蘇った。王都で暮らし始めてから、もうずいぶん長いあいだ前世を不安に思うことなどなかったのに、夜会で彼と話して以来、少々過敏になっているようだった。心がざわついて落ち着かない。

 リディアは自分のローブの胸元をぎゅっとつかんだ。こんなときいつだって考えてしまうのは、キラのことだった。どんなことがあっても、周りがどんな態度をとったとしても、絶対にリディアの側にいてくれる存在。触れているだけで、不安なんてどこかに飛んでいく。キラは、リディアにとって心の支えだった。


「キラ……会いたいよ」


 もらしたつぶやきは、心からの本音。しかし、リディアの足元に広がる影は、ただ持ち主の動きに合わせて揺れるだけだった。


「……なんて、都合が良すぎるか」


 胸に広がった失望を、ローブの上から押さえつけてやり過ごす。軽く頭を振って、リディアは歩き出した。






 相変わらず、学業区の夜は静かだった。時折馬車が通るほかには、人通りはほとんどない。そんな中、こつこつと足音を立てて夜道を進んでいく。しかし、道半ばにさしかかったとき、ふいにその足が止まった。前方に、不審な人影があったのだ。

 人影の数は二つ。大きさからして、男性だろう。嫌な予感がして、杖を持つ手に力が入る。きびすを返して他の道に入ろうとした。しかし、後方――さきほど人影を見かけた方向から、足音が追ってくる。リディアが駆け出すと、後ろの足音も速まった。なんとか撒けないものかと、狭い路地に入り込んでみるが、それには……いかんせん、体力が不足していた。たちまち息が上がって、走るのがつらくなる。補助魔術を使おうとしたところで、後ろから肩をつかまれた。強い力で引っ張られて、体勢が崩れる。振り返った視線の先にいたのは、なんとも人相風体の悪い男たちだった。こんなところではなく、下層区にいるほうが似合いそうな、粗末な服を来た男たち。むき出しの太い腕にはたくさんの傷が走り、彼らの生業を如実に物語っている。


(人さらいか……!)


 その見た目に、すぐにぴんと来る。そういえば、近頃、学院の生徒を狙った誘拐が後を絶たないのだと教授の誰かが嘆いていた。まさか、自分がそれに巻き込まれるとは思ってもみなかったけれど。


「大人しくするんだな」


 定石通りの台詞を吐いて、彼らは外卑げびた笑いを浮かべる。それを眺めて、リディアはどうしようかと頭をひねった。


「早く、『ウォール』を」


 そのとき、背後から声がかけられた。え、と思う間もなく、口が『ウォール』と詠唱する。一瞬でできあがった透明な防護壁に、至近距離にいた男たちが吹っ飛んでいった。同時に、リディアの背後の暗闇から新たな人影が躍り出す。狭い路地の中、その人物は一人で人さらいたちに近づくと、何ごとか唱えた。不思議な韻律の、歌のような響きの言葉だ。すると、うめいていた男たちは、あっという間に静かになった。どうやら、意識を手放したようだ。おそるおそる近づいてのぞき込んでみると、眠っているようだった。悪夢でも見ているのか、その顔は苦痛に満ちている。


「えっと……」


 リディアは、新しく現れた人物に向き直った。何はともあれ、見知らぬ人に助けてもらったのだから礼をしなくてはと思ったのだ。しかし、その人物は困ったように首を傾げると、リディアが感謝の言葉を言いかける前に、その手を引いて歩き出した。暗い路地を抜けて、街灯のある大通りに出る。そこまで来てから、やっとつないだ手を離した。


 大通りは、魔術灯と三日月の明かりで比較的明るい。そこで向かい合って初めて、その人物の姿がはっきりとリディアの目に映った。中背の、すらりとした青年だった。肌の色は透き通って白く、暗い金色の髪が月光を受けて淡く輝いている。耳を隠す程度の長さのその髪は、しかし、前髪だけが長く、顔の半分を覆っている。見えるのは、形の良い鼻と薄い唇だけ。その造作は人間とは思えないくらい美しかった。


(知らないひと、だよね)


 既視感に襲われて、リディアは頭に手を当てた。知り合いに、こんなに美しい容姿の人はいないはずだ。しかし、どうしてだろう。初対面のはずなのに、先ほどつないだ手の熱は、とてもなつかしかった。


「リディア」

「……え?」


 呼びかけられて、はっと我に返る。ぼんやりとしてしまっていたようだ。……だが、今彼はなんと言っただろうか。自分の名を呼びはしなかったか。


「リディア。怪我はない?」


 返事がないことに、不安になったのだろう。目の前の青年は、リディアの顔をのぞき込んで、もう一度気遣うように尋ねてきた。その距離の近さに、驚いて一歩後ずさる。すると、彼は、すっと肩を落とした。


「……僕のこと、忘れた?」


 聞いている方が罪悪感に悩まされるような、悲しげな声色。

 青年は、自分のことを知っているのだろうか。リディアには覚えがなかったが、それをはっきりと口にするのはためらわれた。なぜだか、この青年をこれ以上悲しませたくなかったのだ。


「え?えっと、その、顔がよく見えないから……」


 曖昧に言葉を濁す。だが、彼は納得したようにうなずいた。


「そうか。人は顔で相手を識別するんだったっけ。ごめんね、これでわかるかな」


 言いながら、指で暗い金色の前髪をかき上げる。街灯の下、青年の顔があらわになった。下半分と同じように、完璧な造作の目元。眉は優美な曲線を描き、長い睫毛が綺麗なアーモンド型の目を縁取っている。しかし、リディアの目を奪ったのは、そんなものではなかった。こちらを見つめる、彼の瞳。金色のその瞳を、リディアはよく知っていた。

 見間違えるはずがない。それは、生まれたときからずっとそばにいた存在。どんなときも離れずに見守ってくれていた存在。――リディアにとって、最愛の魔獣。その、瞳だった。


「………キ、ラ?」


 おかしなほどに、声が震える。頬に手を伸ばすと、青年はこれ以上ないくらい嬉しそうな微笑みを浮かべた。ゆっくりと、一度だけうなずく。


「うん。会いにきたよ」


 その言葉に、リディアは今度こそ青年の胸に飛び込んだ。ぎゅうっとしがみついて、顔を埋める。そうしないと、涙があふれそうだった。だって、キラが無事に戻ってきたのだ。それだけで、胸がいっぱいになる。人型であろうと獣型であろうと、そんなことは関係がなかった。ぬくもりに触れていると、今までの思い出がどんどんこみ上げてくる。

 西の空の三日月が沈むまでの短い間、リディアはずっとそうしてキラに身を寄せていた。





 そんな主人を、青年――キラは、やんわりと抱きしめていた。主のそばにいると、ただそれだけで心が満たされていく。ふと目を落とすと、足元に広がるリディアの影が視界に入った。そこは、キラが扉を開けて出てきたところ。


――やはり、人の手足があるのはいいことだ。


 人の姿を得て扉の鍵を開けたことを思い返して、そんなことを思う。腕があれば、泣いている主人を包むことも出来るのだから。

 今、自分に手足があることがとても誇らしかった。

 



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