2. 魔術学院回廊にて
リディアは、魔術学院の回廊を歩いていた。午後からの講義に出席するためだ。いくら研究三昧しているとはいえ、たまには講義にも顔を出さなければ単位が危うい。午後の講義の内容は確か、魔術の成り立ちについて、だったような気がする。
この世界、イム・ギィナには当たり前のように「魔法」が存在する。
とくに、ここ北の王国ノワディルドでは魔術の研究がさかんだ。近年は、近隣国との紛争や魔物対策として、多くの魔術師が必要とされている。
王都にあるこの王立魔術学院は、そういった魔術師を養成するべく作られた施設だ。国中から、魔術師を目指して集まった約五百人程度の少年少女が通っている。
魔術学院は、厳しい入学試験を課すことで有名なのだが、それでも、魔術師が尊ばれるノワディルドでは、魔術学院の人気は高い。特に平民にとっては、実力で成り上がるには、王立魔術学院で学んで宮廷魔術団に入るか、騎士となって騎士団に入り成果を上げるしか方法がない。魔術学院への入学が許される十四歳になると、多くの人々がその門を叩いた。
リディアも、その一人だ。といっても、リディアは貴族の子女が通う初等学院からの持ち上がり組なのだが。もちろん、持ち上がり組にも他の志願者と同様の厳しい試験が行われる。初等学院に通っていた貴族の中で魔術学院に進める者は半数程度だ。めでたくニ年前に試験に合格した彼女は、代々のファビウス家の人々と同じように魔術学院に通っている。
ちょうど昼食の時間ということもあり、回廊は多くの生徒で混み合っていた。食堂に出入りする生徒もいれば、中庭で昼食をとっている生徒もいて、実にさまざまだ。彼らは皆、白や黒のローブを身にまとっている。前世で言うところの、制服のようなものだ。
魔術学院の生徒は、二年ほど魔術の一般教養を学んだ後、それぞれの魔術適性に特化した科に分かれる。例えば、攻撃魔術の修練を目的とした「黒魔術科」は魔術院の花形となっているし、回復や戦闘補助の魔術を学ぶ「白魔術科」は少女たちの憧れだ。リディアの弟のフレイは黒魔術科に在籍中であり、兄二人はそれぞれ白魔術科と黒魔術科の卒業生だ。それぞれの科でローブの色分けがされていて、一般教養課程の生徒はグレー、黒魔術科は黒、白魔術科は白、といったようにわかりやすく判別がつく。
しかし、リディア自身が身につけているローブは、黒でも白でも、ましてや少し前まで身につけていたグレーでもなかった。赤、である。といっても鮮やかな赤ではなく、彩度が低く暗いそのローブは、臙脂色といったほうが正しい。
リディアがこの春から籍を置いているのは、黒魔術科や白魔術科ではなかった。魔術院の中でもかなりマイナーな科。その名を、「魔術応用科」という。名前通り、魔術を応用した技術を研究するところで、他の二つの科が術の修練に重きを置いているのに対して、こちらは新しい魔術の開発研究を主な課題としている。テーマカラーは臙脂色だ。
本当は、彼女は弟のように黒魔術科に行って攻撃系の魔術師になりたかったのだ。しかし適性が薄かったため泣く泣くあきらめた、というのは悲しい思い出である。悲しいついでに、どうせなら新しい魔術を開発して、それで攻撃したらいいんじゃないかと思いついた。回復や補助だって、新技術の開発できっと進歩する。ただ修練するより、どうせなら新しい魔術や魔道具を開発しよう。そう思ってリディアは魔術応用科を希望した。彼女の空間魔術への適性の高さがそれを後押しし、この春から無事に魔術応用科に在籍することになった。
回廊の人ごみをすり抜けて、比較的空いているエリアを歩いていたところで、リディアは弟を見かけた。同じ屋敷に住んでいながら、一日ぶりの再会だ。
「あ、フレイ、おはよー」
「おはよう、ってお前…もう午後だろ。今まで寝てたのかよ」
開口一番、あきれた返事を返される。あいかわらず可愛くない。弟のフレイは、珍しい黒髪に黒目という組み合わせをしている。黒いローブを着た立ち姿は、黙っていれば神秘的な印象なのだが…いかんせん口が悪い。その上、姉を姉と思っていない節がある。腹違いの弟とはいえ、同い年なのだから仕方がないのかもしれないが。
彼は、ちゃんと家で朝食を食べて午前中から学院に来ていたようだ。この様子だと、昼食ももう済ませたのだろう。
「昨日の討伐でちょっと疲れてたの。フレイこそ、昨日術力限界まで使ったのに、もう起きだしたりして大丈夫?」
術力を使い切ることは、かなり体に負担をかける。たとえ術力自体がすぐに回復する弟であっても、体にかかる負担は他の人間と変わらないはずだ。一、二日寝込んでもおかしくはない。そこまで術力を酷使していないリディアだって、昨日帰った後、まる一日も眠っていたのだ。
「……」
しかめつらをして、黙り込む弟。もしや触れられたくない話題だったのだろうか。背伸びしたい年頃なのかもしれない、と姉らしく考えて、リディアは話題を変えた。
「そうそうこれ、ドラゴンの爪一つ渡しとくね。黒魔術科も、これで課題の成果になるんでしょ?」
「…ああ」
袋の中から大きな鋭い爪を取り出して、弟に手渡す。昨日のドラゴン討伐の依頼自体は酒場から受けたものだが、魔物を倒したという事実は、魔術学院の成績にも影響を与える。黒魔術科では、強い魔物を倒してその証拠を提出すれば加点されていく仕組みだったはずだ。
「って、お前…その袋どうやって持って来たんだ」
弟は、目を見張ってリディアの持つ道具袋を指差した。袋の中にはまだ他の爪や牙が収納されていて、見た目はかなり重そうだ。本来ならリディアの細腕で支えられる重量ではない。
「これ?」
ふっふー、と上機嫌に笑ってリディアは道具袋をさらに高く持ち上げた。よくぞ聞いてくれました、という顔だ。
「『反重力』を織り込んだ布で出来てるんだー。試作品だよ!」
勝手に浮くから、力がなくても重いものを持ち運びできるすぐれものだよ、と弟にも道具袋を持たせてみる。ためつすがめつ見て、フレイはうろんな目で姉を見返した。
「なんで昨日の討伐に持って行かなかったんだよ…」
もっともな意見だ。フレイは昨日、わざわざ『腕力向上』まで使ってこの中身の素材を運んだのだから。リディアだってそう思った。しかし。
「重力への反発加減を調整するのが難しくて、中身がどっかに飛んで行っちゃうことがあるんだよね」
風の魔術も一緒に混ぜればいいのかなあ…などと悩ましげに言う彼女に、弟の顔が一瞬引きつった。視線を道具袋のあたりにさまよわせて、深いため息をつく。
「頼むから、街の中でこんな物騒なもの使わないでくれ」
街の中でこの素材が飛んで行って、空から魔物の爪やら牙やらが降って来たとなれば、大騒ぎになることは間違いない。フレイは手の中の”試作品”を姉の手に突き返した。
「大丈夫、戦闘とかなければ、自力で随時調整できるから。便利なんだよ?」
しっかりと袋を受け取って、リディアは言い足した。せっかくの新発明を”物騒なもの”扱いされてはたまらない。不満そうに弟を見上げる。身長の関係で自然と上目遣いになっていたが、本人は気付いていなかった。
「……」
「……」
なぜか弟が目を合わせたまま黙り込んだので、二人は無言で見つめ合った。ここで目をそらしたら負けだ、とリディアはフレイの目をにらみつけた。
「………。えーっと、これも魔術応用科の課題か?」
しばらくして、先に目をそらしたのは弟の方だった。視線を斜めにずらし、さまよわせた後、心なしか居心地悪そうに身じろぎしている。実はリディアはこの手のにらみ合いで弟に負けたことがない。弟と同じ黒の瞳を瞬かせて、彼女は微笑んだ。
「ううん、これは純粋に私用品。今の段階じゃ、私しか調整できないしね。応用科には、昨日のドラゴンの爪を素材として提出するから大丈夫」
リディアが所属する魔術応用科では、魔道具の素材を提供したり、新しい魔道具や術を開発したりすると、成績に加点される。あまり真面目に授業をとらず、研究室にこもったり外に素材狩りにばかり行っていて単位が不足しがちなリディアの身には嬉しい制度だ。
そうか、とうなずいてから弟はひとつ咳払いをし、言葉を続けた。
「討伐の報告にはいつ行くんだ?」
「今日、午後の講義が終わったら行くつもり。アシュ兄さまが酒場まで送ってくれるって」
討伐の報告はすぐに行うのがルールなのだが、どうにも昨日は体がだるすぎて起き上がることができなかったのだ。今日の夕方、酒場が開いてすぐに行けば、まあ大丈夫だろう。
「アーシュが?あいつ、仕事は?」
フレイが眉を吊り上げる。四つ上の兄まで呼び捨てにするのはどうなのだろうか。しかし、この弟が「お兄さま」とか言っていたら逆に気持ち悪いかもしれない。兄は、喜ぶかもしれないけれど。
「午後は非番だって言ってたよ」
「…あいつ、非番多すぎるだろう。真面目に仕事してんのかよ」
リディアは、頭の中に二番目の兄の姿を思い浮かべる。真面目という言葉からはかなりかけ離れた人物だ。想像の中の兄は、彼女に向かって片目をつぶって微笑んでいた。
「まあでも、評判は悪くないみたいだし。仕事はできるんだよ、きっと」
あはは、と笑ってごまかしているうちに予鈴が鳴り響き、午後の講義の時間を知らせる。知らないうちに話し込んでしまったようだ。
「じゃあね、フレイ。帰ったらちゃんと休むんだよ」
別れの言葉を告げて、弟に背を向ける。フレイは、大きなお世話だだとかなんとかぶつぶつ言っていたが、ふと思いついたように顔を上げた。去って行く姉の背中に、小さく声をかける。
「…さっきみたいな顔、アーシュには見せない方がいい」
え、何が?と振り返るリディアを残して、弟はさっさと立ち去ってしまった。
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次回は、お兄ちゃんのターン。の予定。