36. 大図書館
【お知らせ】2月3日に、前話(35話)に後半部分を加筆しました。
「んー、これにも載ってない……」
禁帯出の分厚い本をぱらぱらとめくりながら、リディアは落胆した声音でつぶやいた。先刻から、何度も同じことを繰り返しては、ため息をついていた。
ここは、魔術学院の敷地内にある”大図書館”と呼ばれる施設だ。リディアがいるのは、吹き抜けになったメインホールの端にある閲覧席。椅子のすぐ隣では、年月を経ても変わらない頑丈な円柱が建物を支えている。見上げれば、一階、中二階、二階……そしてその上の遠い天井まで続く本棚が目に入る。それらはすべて、びっしりと書物で埋め尽くされていた。本を日の光から守るためか、建物には窓が少ない。古い本たちが醸し出す独特の匂いとあいまって、館内には一種荘厳な雰囲気が漂っていた。
大図書館の歴史は古く、その蔵書数はノーヴァの街の中にある王立図書館と比べても引けを取らない。比較すると、魔術に関する専門書が豊富に揃っているのが特長だ。宮廷魔術団の研究者すら足を運ぶほどで、ノワディルド国内で魔術に関する調べ物をするなら、ここ以上に最適な場所はないと言われていた。
だが今、そんな大図書館でも求める文献を見つけ出すことができず、リディアは頭を抱えていた。
(空間魔術関係から調べれば、何かわかるかと思ったのに。なんでこんなに文献が少ないかなあ)
憂鬱な表情のまま、重い本をばたんと閉じて席を立つ。しかし、まだまだあきらめる気はなかった。
リディアは今日、朝一番からこの大図書館に来ていた。夜会のことが一段落ついたため、この数日で気になったことを調べようと思ったのだ。
まず、今一番頭に引っ掛かっているのは、夜会でギルトラッド王子に言われた言葉。リディアの気配が異質だ、という話だ。思い出してみれば、彼はリディアのことを「おかしなほど異空間になじんでいる存在だ」というようなことを言っていた。あのときは一足跳びで前世のことに結びつけてしまったが、落ち着いて考えてみれば少しおかしい。
(異空間になじむ、ってなんだろう)
異空間、と言われて最初に思いつくのは、先日迷い込んだ薄闇の空間――”狭間”だ。あそこでリディアは亡くなったはずの父に会い、瀕死だったキラと契約を結んだ。なじむ、というのはよくわからなかったが、確かにあの空間はとても心地よかった。
(でも……あそこに飛んだのは、魔力が暴走したから、だよね。よく覚えてないけど、無意識で『次元移動』なんていう大技使ったらしいし)
考えてみれば、そこからして異常なのかもしれない。なぜ自分は、そんな高位の術を使うことができたのだろう。『次元移動』は、いくら空間魔術が得意だからといって、そうそう使える術ではない。
(あのときは、特殊スキルと何か関係があるんじゃないかと思ったけど……)
術が発動した瞬間、特殊スキルを制御するための腕輪が壊れたことは記憶に新しかった。特殊スキル――『異界の理』。ステータス・カードに”日本語”という前世の言葉で書かれた奇妙なスキル。そのおかげで、普段使えないような高位の空間魔術が使えたのだろうか。
(だけどそもそも、私の空間魔術の適性が高いのも、不思議な話なんだよなあ)
リディアが魔術師として最も高い適性を持っているのは、空間属性である。次点は闇属性で、その後に水・風・光・地・火……といった順で基本属性が続く。ファビウスの血統から考えて、闇属性が得意なのは当たり前として、空間属性との相性の良さはその上を行く。初めてこの適性の高さを知ったときには正直驚いた。
今では当たり前のように『壁』や『障壁』といった術を使っているが、実は兄弟の中でこんなに空間魔術を扱えるのはリディアだけだった。
(なんとなく……すべてがつながってる気がする)
なぜか適性の高い空間魔術。高位の空間魔術を発動させた特殊スキル。空間魔術で行き着いた心地よい異空間。異空間になじんでいるというリディアの気配。――整理して考えてみると、どうもこれらには何か関連があるように思えた。
(空間魔術、がキーワードだと思うんだけど)
リディアは、もう何冊目になるかわからない本を、どさりと閲覧机の上に置いた。拍子に、本から出たのか、かすかに埃が舞った。相当古い文献なのだろう。
熱心に目で文字を拾いながら、ぱらりぱらりとページをめくっていく。しかし、残念ながら、その指はいつのまにか背表紙までたどり着いてしまった。
「だめだー、これにも載ってない……」
小声で言って、机につっぷす。空間魔術――特に、『次元移動』などの異空間系の術に関わる文献は、驚くほど少なかった。そもそも空間属性に適性を持っている魔術師が少ないため、研究が進んでいない分野ではあるのだが……朝から夕方まで探してもほとんど手がかりが見つからないとは思わなかった。
仕方なしに、またも本を探しに席を立つ。窓の外を見ると、もう日が暮れかかっていた。
「結局、見つかんなかった……」
ほの暗い夜道を、リディアはとぼとぼと歩いていた。あの後、完全に日が落ちてからもしばらく調べていたのだが、求めている情報を得ることはできなかった。わかったのは、異空間の術に関する資料が異様に少ない、ということだけ。他にも調べたいことがあったためぎりぎりまで本を探していたら、結局閉館の時間になってしまった。
一日中、重い本を出したり片付けたりしたため、肩が重い。目の奥では、まだ文字がちかちかしているような気がした。一度立ち止まって、ぎゅっと目を閉じる。途端、夜の静寂がいっそう深く感じられた。
大図書館のある学業区から、ファビウス家のある貴族区までは歩いて半刻ほど。通いなれた道だが、夜になると人気がなくなるため少しだけ物寂しい。
目を開けて見上げると、西の空には月がかかっていた。獣の爪のような細い月が、かすかな光を地上に振りまいている。それを見た瞬間、胸がちくりと痛んだ。前にもこんな場面があったことを思い出したのだ。あのときも、リディアは夜道を一人で歩いていた。月を見上げて、前世のことを考えて、どうしようにもなく不安になって……。
まぶたの裏に、金色の魔獣が浮かぶ。あのときは、キラがいてくれた。帰りの遅くなった自分を心配して、夜道を迎えにきてくれた。けれど、今は。
「キラ……」
ぽつりとこぼしたつぶやきは、人のいない夜道で、誰にも聞かれることなく風に消えた。もちろん、目を凝らしても道の向こうに金の毛並みの魔獣はいない。
リディアは、自分の足元に広がる黒々とした影に目を落とした。おそらく、キラはこの影の中で眠っている。南の森でマンティコアに遭遇してから半月近くが経っていた。そろそろ回復してもいい頃合いだが、それでもなかなか姿を現さないのは、傷が癒えていないからだろうか。リディアのせいで、それだけの深い傷を負ったということなのかもしれない。
ふ、と息を吐いて手に持った本を握りしめる。空間魔術とは別件で探していた文献。閉館間際にようやく見つけ出すことができたそれは、魔獣と主の契約について書かれた本だった。内容はまだ読めていなかったが、きっと何か役立つはずだと踏んでいた。
「ごめんね。すぐに治すからね」
自分の影に語りかけるように言葉を落とす。それが、いつか自分がキラにかけた言葉と同じものだとは気付かないまま、リディアは顔を上げて再び歩き出した。
最近、いつの間にかお気に入り登録数が4桁になっていて、とてもびっくりしました。読んでくださっている皆様のおかげです。本当にありがとうございます><
次話は、キラの話。




