35. 継承権争い
*2月3日に後半部分を加筆しました。
魔術灯に照らされた執務室で、兄と向かい合う。橙色の明かりを受けて、クライブの長い髪はやわらかく輝いていた。その顔に浮かんでいるのは、いつも通りの微笑み。普段と変わらない様子に、リディアは内心ほっと息をついた。
「昨夜の襲撃のこと、びっくりしただろう?」
「え……?あ、うん」
昼間もフレイに訊かれて思ったのだが、実のところリディアはあまり刺客のことを気にしていなかった。すっかり頭から抜け落ちていた、と言ってもいい。確かに、あの場でいきなり攻撃されて驚いたし、死ぬかもしれないと思ったときは動転してしまったけれど、結局は無事だったわけだしそこまでショックは受けなかった。ただ、これからの夜会でもこんなことがあるなら面倒だな、と思っただけだ。
前世も今も、リディアは人と比べると、生きていることへの実感が薄いのかもしれない。しかも、ここのところよく外に出て戦闘していたから、身の危険に対して鈍感になっているところがあった。
(刺客に襲われたことより、薔薇の間で王子に言われたことのほうが気になった……なんて、言えない)
弟のおかげでだいぶ落ち着いたけれど、ギルトラッドに言われたことはまだリディアの心の内にくすぶっていた。自分の生活の根底を揺るがす言葉だったから、疑心暗鬼になってしまうのも仕方がないことだろう。
しかし、幸いなことに、兄たちには特に普段と変わった様子はない。とりあえず、話を最後まで聞いてみることにした。
「怖い思いをさせてすまなかったね。トキワがついていたから、多少のことは問題ないと思っていたのだけど。リディアが無事で良かったよ」
「……無事でなくては意味がないだろう、兄上」
兄の言葉に、アーシュが憮然と口を出す。クライブはにこにこと微笑んだままそれを無視して話を続けた。
「驚いたと思うけど、ああいうことはあまり珍しいことじゃない。特に、ファビウスは敵が多いからね。――昨日は、リディアが社交界に登場したことで、勢力バランスが少し崩れたんだ。それで、小物があわてて動き出した」
「……それが、あの魔術師?」
「そう。正確にはあの刺客を雇った貴族、だね」
ファビウス家は王都ノーヴァでも有数の貴族だ。爵位は伯でありそこまで高くはないが、闇を操ることで高名で、歴代多くの宮廷魔術師を輩出している。この二、三代の間、時の国王は魔術師を重用しているため、必然的に宮廷でのファビウス家の発言権は大きくなっている。敵が多いのも道理だった。
「リディときたら、俺が見ていない間に第二王子と踊ったりしただろう?それが余計に刺激になったようだよ。……おかげで、小うるさい敵の尻尾をつかむことができたけど」
リディアの隣で、アーシュが肩をすくめる。どうやら、ギルトラッドと踊ったことが、ファビウス家の影響力を快く思っていない輩にいらぬ誤解を与えたらしい。リディアが休憩室にいたころ、アーシュは近衛騎士の身分を利用してそれを探っていたようだ。
「最近、第二王子の身辺はきなくさい。接触したことで、ファビウスが王位継承権争いに干渉するのではないかと勘ぐられたみたいだ」
「継承権争い?」
「うん、次期国王は第一王子に確定しているとはいえ……当のエーレンフリート殿下はあれだから。出来のいい第二王子を推す声は結構多い。それこそ、貴族を二分するほどに」
第一王子と第二王子を比較すれば、第二王子のギルトラッドのほうが優秀なのは火を見るより明らかだ。頭脳も、人望も、外見さえもエーレンフリートでは比べ物にならない。おまけに、ギルトラッドは数少ない禁術の使い手だ。
「それに、ギルトラッド王子の母君――第二王妃様が今の国王陛下の寵愛を受けていることも理由の一つだね。第一王妃様は戦々恐々としているようだよ」
現国王には二人の妃がいる。第一王妃のレオノーラと第二王妃のアビゲイルだ。どちらも正妃で、謁見の間には国王の両脇に並ぶ形で彼女たちの椅子が置かれている。第一王妃レオノーラはエーレンフリートの母だが、前国王の姪であるということ以外に取り立てて特長のない凡庸な女性だと言われていた。逆に、ギルトラッドと似た秀麗な面差しの第二王妃アビゲイルは、宮廷魔術師であったという経歴を持ち、宮廷内での影響力も大きいという。
今のところ、ファビウス家はどちらの勢力にもつかず中立の立場を保っているが、今後の展開次第ではどうなるかわからない。慎重さが要求される局面なのだ、とクライブは語った。
「ただ話したり踊ったりしただけで……王位継承権争いなんてそんな面倒なことにかかわっていると思われたの?」
リディアがそう尋ねると、兄二人は一瞬目を見交わしてから苦笑した。
「まあ、そういうことだね。……リディア、覚えておきなさい。夜会でダンスを踊ることには、重要な意味がある。その場にいる他の人間がみんな自分を見ていると思ったほうがいい。ダンスの相手と自分の関係を探っている、と。夜会は駆け引きの場なのだから」
「え、嘘?」
マリエルに聞いたのとすいぶん違うような気がして、リディアは困惑した声を上げた。
「兄上、リディが誤解するだろう。――夜会は恋愛の場でもあるよ。ただ、自分が家の名を背負っているのを忘れなければいいだけだ」
「……家の名?じゃあ、アシュ兄さまが私と薔薇の間の真ん中で踊ったのにも、何か意味があったの?」
そんなことを言っておいて、どうせ女性よけのためのダシに使っただけなのだろう、と兄を睨む。アーシュはとぼけたふうに笑ってみせた。
「おや?言っているだろう、恋愛の場だって。俺はリディアと将来を誓い合うような仲になりたいと思っているけど」
「……あ、そう。よかったね」
相変わらずの兄につっこむ気にもなれなくて、ため息をついた。頭の隅に、異母兄弟でも結婚できるといった友人たちの言葉が蘇ったがすぐに振り払う。兄の冗談には付き合いきれない。「本気なんだけどな」などとのたまうアーシュを、リディアはきっぱり受け流すことにした。
その後もいくつか話を聞いたところ、しばらく大きな夜会はないとのことだった。社交シーズンには、研究や冒険そっちのけで毎日社交界に顔を出さなければいけないかと思っていたが、そんなことはないらしい。連日連夜執り行われるパーティは個人的なものがほとんどで、わざわざリディアが出席するほどのものではないそうだ。「ほどほどに出ておけば問題ないから」とはクライブの言葉だ。どうしても出席しなくてはいけないような会があれば、彼が教えてくれるという。――どうやらリディアが貴族的な駆け引きを苦手としているのは、とっくにばれていたらしい。もしかしたら、そんな妹に下手に動かれると困ることもあるのかもしれない。
兄の思惑は複雑過ぎてよくわからなかったが、とりあえずリディアはありがたく休ませてもらうことにした。
(毎日毎日あんなイベントに出てたら身が持たない。とりあえず王宮の夜会で顔見せは終わったわけだし、後は兄さまたちにまかせよ)
王位継承権争いにも、貴族の勢力争いにも、全く興味が湧かない。きっと自分には研究の方がずっと性に合っているのだ――。そんなことを考えながら、リディアは自室に戻ったのだった。
◇◇
「それで、兄上。どうするつもりだ?」
一方、リディアが去った後の執務室では、アーシュとクライブが変わらず話を続けていた。その表情は、妹が現れる前の険しいものに戻っている。
「さて、どうしたものか」
クライブは思案深げに己の唇に手をやった。
昨夜の刺客は、リディアを殺しにきたわけではないだろう。それならばもっとやりようはあったはずだ。おそらくあれは、彼女が狙われたとき、ファビウスがどう動くかを確かめたのだ。結果的に、妹が自分で自分の身を守り、側にいた”影”が始末をつけたためにことなきを得たが、そうでなければどうなっていたことか。
「最近の過激派の動きには、目に余るものがあるよね」
何の感情も込めない口調で、部屋の隅の暗がりに向かって同意を求める。すると、ざわざわと闇が揺れた。まるで、今しがたまでそこにいた何者かがどこかへ向かって発ったような気配。目を細めてそれを見やってから、クライブは言葉を続けた。
「それに、第二王子の問題もある」
第二王子を問いつめたことで、彼が妹に接触した理由は知れた。単純に、魔術師としての疑問からリディアに興味を持ったようだ。
継承権争いをしているといっても、それはギルトラッド自身ではなく周りが勝手に睨み合いをしているだけなので、王子当人にはあまりそういった意識はない。魔術を使えない第一王子を軽蔑はしていても、自分が王位を継ぐことまでは考えていないだろう。――つまり、彼は自分がリディアを踊りに誘ったことで、周りの貴族がどう反応するのかをまったく理解していないのだ。
「……思慮が足りないという点では同レベルだと思うけれど、なまじ魔術の素養が高い分、第二王子は第一王子よりも厄介かもしれないな」
伏し目がちにふっと息を吐くと、側にいたアーシュは全くだというようにうなずいた。
話し合いは、その後夕食を終えた後も長い間続けられた。




