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33. 不信

 

 その夜、久しぶりにまた前世の夢を見た。駅のホームから転落して、ただただ迫り来る電車を見つめる――死に際の夢だ。ひやりと冷たいレールの感触、耳をつんざく警告音、そして死に至る瞬間の罪悪感。夢は、鮮明にあのときの情景を再現する。

 明け方近くに目覚めたとき、リディアの額にはうっすらと汗がにじんでいた。無意識に、手を動かして寝台の上を探る。空の手がぱたぱたとシーツを叩いて、ようやく気付いた。


(ああ、そうか。キラはいないんだった)


 今まで、こんなときはいつもキラを抱きしめて心を落ち着かせていた。キラも主人の不安を察していたのだろう、大人しく側にいて、時にはなぐさめるようにリディアの手や顔を舐めてくれた。けれど今、その優しい魔獣は側にいない。

 リディアは自分の身体を両手で抱きしめた。そうしていないと、心細さで押しつぶされてしまいそうだった。


 夢を見た原因には、心当たりがあった。間違いなく、昨夜の夜会のせいだろう。ギルトラッド王子の言葉と、その後の襲撃事件。お互いに関連のないはずのそれらは、組み合わさって、否応なく前世の死を意識させた。


「…私は、あのときどうしてホームから落ちたんだっけ」


 前世の夢はいつも、線路上に転落した後の情景から始まる。死ぬ前の状況や生前の自分についてなどの細かい部分は(もや)に覆われたようにはっきりしなかった。けれども、自分から飛び降りたわけでないことは確かだ。あのときの自分は、死にたくない、と思っていたのだから。


 時折、この夢はただの夢――空想にすぎないのではないかと考えることがある。本当は前世などなくて、ただそういうふうに思い込んでいるだけなのかもしれない、と。だが、それではリディアが全く異なる世界の乗り物や施設について知識を持っていることや、日本語を読めることの説明がつかない。その上ただの妄想にしては……死ぬ間際の感情がリアルすぎた。その感情は、幼いリディアの行動に影響を与え、今の人格を作り上げている。


 実のところ、リディアは生まれた時から前世の記憶を持っていたわけではない。今ではよく覚えていないが、生まれたばかりの頃は辺境の村にいるごく普通の子供だった。毎日キラや村の子供たちと近所で遊んでいたように思う。父親が不明とされ母一人の手で育てられたが、それはたびたび戦火に巻き込まれる国境地帯ではそこまで珍しいことではない。王都では貴重だと騒がれる黒色の瞳も、ひなびた村ではあまり取りざたされなかった。


 変化があったのは、四歳のときだ。ある夜リディアは高熱を得てうなされた。

 四歳、というのはちょうど子供が魔術を使えるようになる時期と合致する。突然得た新しい力に身体が反発して熱を出すことは、魔術の才能を持つ子供にはよくあることだ。魔力の高い子ほど高熱を出しやすいと言われていたから、始めのうち、その熱は村人たちに好意的に受け取られていた。この時期に死んでしまう子供も多かったため、近所総出で看病されたという。


 けれども、数日間に渡る高熱のあと、リディアにとっての世界は一変した。確かに、魔術を使えるようにはなった。だがそれ以上に大きな変化が意識にもたらされたのだ。――異世界の記憶、である。

 普通の子供だったはずのリディアは、その日から急に大人びた口調で話すようになった。精神的な年齢が違いすぎるせいで、それまで仲の良かった子供たちとも遊ばなくなった。突然自分の中に入り込んできた膨大な知識に対処するのに忙しくて、リディアは気付かなかった。周りの大人たちが、そんな自分を奇妙なものを見る目で眺めていたことを。


 母親が流行病を得て亡くなったのはその後すぐのことだ。近隣に孤児院などなかったから、リディアは村の大人たちの世話になることになった。本当は捨てられても仕方がないところだが、母親の人望のおかげだろう。もっとも、母はリディアのことを「王都の大貴族の娘だ」と言ってはばからなかったから、その謝礼目当ての人間もいなかったとは言えないが。

 今考えると、前世を打ち明ける前に母親が亡くなったのは、自分にとっては逆に救いだったのかもしれない。そのあと起こった出来事に、母が加担するのを見なくても済んだのだから。村で起きた出来事は、リディアの中でそのくらい忌まわしい過去だった。もしもあのとき自分のそばにキラがいなかったら、と考えるとぞっとする。


 ――なぜこの世界に生まれたのかはわからない。ただ、自分がこのイム・ギイナという世界で異質な存在であることはわかる。それは、前世の話をしたときの村人たちの目が雄弁に物語っていた。そして、リディアは悟ったのだ。これは誰にもしてはいけない話なのだと。

 王都で暮らすようになって以来、誰にも前世について打ち明けたことはない。村まで迎えにきた父はもしかしたら何か知っていたのかもしれないが、その事実を誰にも言わないまま他界した。


 リディアは、今の王都での生活をとても大切に思っている。異母兄弟たちやトキワやキラ……自分を包み込む世界は本当に暖かい。

 越してきた最初の頃こそ前世の記憶を隠して用心深く生活していたが、兄弟たちと打ち解けて行くにつれ、ごく普通に笑えるようになった。今では、冗談まじりに前世の言葉を口にすることさえある。村で受けた傷を癒すことができたのは、クライブたち兄弟のおかげに他ならない。前世の最期の記憶と結びつけて、”家族を守りたい”と思うようになったのもそのためだ。


 だが今、ギルトラッドの言葉でその根底が揺るがされている。もしも、彼の言葉どおり家族が自分の異常性に気がついているとしたら……。彼に指摘されたのは、空間への定着が不安定だということだけだったけれど、心に後ろめたいことのあるリディアは、どうしても考えが前世のことに飛躍してしまう。


(私が前世のことを話したら、兄さまたちやフレイは、どんな顔をするだろう……)


 人は、自分と違うものに対して敏感だ。異質なものへの反応は、拒絶か差別かあるいは崇拝か。どんなに親しい人間でも、掌を返すように態度を変えることがあるとリディアは知っている。


(いつまでも、このままではいられないってことかな)


 十六歳になって、外に討伐に出かけるようになって、社交界にも顔を出すようになって。その度に少しずつおかしな変化が累積していっているのには気付いていた。特殊スキルのことだって、いつまでも隠しおおせるとは限らない。

 明日、自分はいつもどおり笑えるだろうか。


 ほの暗い部屋の中、一人で自分の身体を抱えていると、どんどん不安が増殖していく。朝の訪れが怖かった。


「会いたいな……」


 目を閉じると、どんなときも側にいてくれた魔獣の姿がまぶたの裏に浮かぶ。それは、リディアにとって最も信頼できる最愛の存在。――無性にキラに会いたかった。





リディアの独白。

鬱々しくなってしまいましたが、次話からは通常運転に戻ります。

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