30. 二人の王子(2)
「お初にお目にかかる、というべきかな?リデュイエーラ嬢」
「あなたは……」
リディアの前に現れたのは、細身の青年だった。きらきらと輝く白金色の髪に、切れ長の目。いつか黒魔術科で見かけた、禁術の使い手――ギルトラッド王子だ。兄王子のエーレンフリートと違って、ごくシンプルな黒の上下に身を包んでいる。それでも、一目見かけただけで視線を奪う存在感が、彼にはあった。
「ああ、自己紹介がまだだったな。ギルトラッド・ディ・ノワディルドだ。ギルと呼んでくれ」
瞠目するリディアに向かって、彼は気さくに話しかけた。その言葉に、はっと我に返る。
「いえ、そんなおそれ多い……。こちらこそ、自己紹介が遅れまして申し訳ございません。ファビウス家のリデュイエーラと申します」
名乗って、正式な貴族の一礼をする。もちろん、愛称でなど呼ぶ気はなかった。リディアが今日の夜会に出席したのあくまで貴族社会への顔見せのためであり、王族と仲良くなるためではない。軽く面識を持つことは重要だが、必要以上に親しくなってはあとあと面倒だ。
「ああ、知っている。前に学院で顔を合わせたことがあるだろう?フレイライムの姉君だそうだな」
「弟をご存知ですか?」
「同じ黒魔術科にいるからな。私が演習で勝てないのはあいつだけだ。まあ、今に抜いてやるつもりだが」
「……それは、どうも、弟がお世話になっております」
どうやら、この第二王子はフレイをライバル視しているようだ。それでリディアのことも知っていたのかもしれない。
それにしても、なぜ彼が今この場にいるのかわからなかった。普通、学院の男子生徒は社交界には顔を出さないものなのだが。見回しても、夜会の場には学院で見たことのある男子の顔は他に見つからない。王族は特別なのだろうか。
「不思議そうな顔をしているな。フレイライムがいないのに、私がここにいるのがおかしいか?――私は、十歳のときからこの夜会に出ている。王族にとってはこれが仕事だ」
視線に気付いたのか、ギルトラッドは少し表情を歪めた。その顔は年齢よりも大人びているように見えて、リディアは心の底で少しだけ同情した。王族など、気苦労が耐えないのだろう。能天気な兄王子と違って、彼は色々と大変らしい。
「……ところで。せっかくの機会だ、一曲踊らないか?」
言いながら、彼は手を差し出した。口調は疑問系だが、断られるとは思ってもいない様子だ。もちろん、リディアには”断る”という選択肢は許されていなかった。夜会で王子にダンスに誘われるなど、貴族の令嬢にとっては大変な名誉のはずなのである。正直に言えば今すぐ家に帰りたい気分だったが、ファビウス家の一員として、家名に泥を塗るわけにはいかない。
一瞬、馬車の中で兄に言われたことを思い出して、ちらりと後ろを振り向く。けれど、アーシュは相変わらず女性たちに取り囲まれているようだった。
リディアは、心の内が顔に出ないように気をつけながら、王子の手を取った。
「この夜会ははじめてか?」
二人が踊り始めたのは、先ほどの薔薇の間の中央部ではなく、それより少し奥まった所――高位貴族たちが多く集まる場所だ。比較的人が少ないので、踊りながら人にぶつかる心配が少ない。
王子の言葉に無言でうなずいて、リディアはうろおぼえのステップを踏んだ。さっき兄と踊った時と比べると、ずいぶん居心地が悪い気がした。一言で言うと、とても踊りにくい。
「先刻、アシュヴィル・ファビウスと中央フロアで踊っていただろう?」
「ええ、それが何か?」
「その様子だと……シーズンの一番始めに、あの場所で踊ることの意味を知らないようだな」
「?」
「わざわざ最初のダンスをあそこで踊ることは、男性側が今季のパートナーを誇示することを意味するんだ」
「……はい?」
「しかも、あの場でワルツを踊るのは……普通、夫婦か将来を約束し合った者同士だけだ」
「は?」
王子の言葉に、リディアは目を見開いた。驚きで、一瞬足がもつれそうになる。それを、ギルトラッドの手がなんとか支えた。
「やはり知らなかったか。魔性の騎士も人が悪い」
苦笑する王子にしおらしくうなずいて見せながら、リディアは心の中で渋面を作った。どうやらまんまと兄にだまされたようだった。アーシュのことだ、きっと面倒な女性関係にカタをつけるために自分の存在を利用したのだろう。そう思うとふつふつと怒りが湧いてくる。
「……リデュイエーラ嬢は、あまり社交界のことに明るくないようだな」
「え?あ、はい。ご存知の通り、私は学院で学ぶ身です。恥ずかしながら研究のことで手一杯で、こういった場には不慣れで……」
「魔術研究か…。そういえば、フレイライムと共に外に討伐に出かけたりするとか?」
「えっと、まあ、そういうこともありますね」
話題が別の所に飛んで、リディアは改めて目の前の王子に意識を向けた。当たり障りのない会話をしながら、若干警戒し始める。どうもこの人は第一王子と違って一筋縄では行かないようだ。今度は一体何を聞いてくるつもりだろう。
「君も禁術を使うのか?」
「…いいえ?私は、黒魔術科ではなく魔術応用科の生徒ですよ?」
おかしな質問に、リディアは首をかしげた。禁術は、攻撃魔術の最高峰だ。もし扱えるのであれば、研究専門の魔術応用科などではなく、攻撃魔術を修練する黒魔術科に在籍しているはず。暗にそう伝えると、王子は微妙な表情になった。
「それでは……空間魔術の適性が高いのではないか?」
「なぜ、そんなことを聞くんですか」
「質問しているのはこちらだ」
思わず問い返すと、ギルトラッドは意外なほど鋭く切り返してきた。――ただの日常会話にしては、鋭すぎる。
ここは社交と駆け引きの場だ。わざわざ自分の情報をひけらかす義理はない。特に今は、空間魔術関係はまずかった。先日の『次元移動』のことは内密に、とクライブから厳命を受けている。
「先ほどから殿下はご質問ばかりですね。どうしてそんなに私にご興味が?」
リディアはかぶっていた猫を脱いで、目の前の王子を挑戦的にねめつけた。質問をはぐらかすために、さらに問いを重ねる。
「そもそも、なぜ私に声をかけたりしたんですか。フレイの姉だから?それともファビウスの黒目の一人だから?殿下も、エーレンフリート様と同じように私を魔術兵団に誘うおつもりですか」
突然態度を変えたことに驚いたのだろう、王子は一瞬目を瞬かせた。しかしすぐに気を取り直し、口を開く。その口調が先ほどより砕けたものになっていることに、神経が高ぶっていたリディアは気付かなかった。
「俺も見くびられたものだな、兄上と同列に並べられるなど。……こうして誘ったのは、単に興味があったからだ。君のことは、先日学院の演習室で見かけたときから気になっていた」
体を寄せて踊りながら、紡がれる言葉。内容だけ聞けば純朴な愛の告白のようにも聞こえるが、王子の語調には一切そういった甘さはない。ただ、どこまでも鋭利な視線がリディアに向けられていた。
「リデュイエーラ・ファビウス。君は、不思議な気配をしていると言われることはないか?」
「不思議な気配?」
「そう。異常、と言ってもいい。魔術師の目から見て、君の存在はとても不自然だ。どうして、そんなにこの空間に定着していないんだ。こんなに異空間に親しむ人間など、俺は初めて見た」
「私が、異空間に……」
リディアは目を見開いた。王子の言葉の意味を正確に理解できたとは言えないが、心当たりはありすぎるほどあった。それはすべて、自分にとって後ろ暗いこと――他人には話せないことだ。先日魔力が暴走して高位の空間魔術を使ったことだけならまだしも、おかしな特殊スキルを持っていることや、前世の記憶があることは誰にも知られるわけにはいかない。
自分の異常性に気がついていないわけではなかったけれど、人からこんなふうに指摘されると、どうしても動揺してしまう。まさか、よく知りもしない他人に気配だけで伝わってしまうとは。
「高い魔力を持つ者しか、気付いていないことだとは思うが……。おそらく、こう思っているのは俺だけじゃない。フレイライムや君の兄たちもわかっているはずだ。本当に、言われたことがないのか」
その問いには、ただうなずくことしかできなかった。家族も、自分の異常さに気がついているというのだろうか。上手く、隠し仰せていると思っていたのに……。
周りの景色が急に暗く感じられて、足がかたかたと震える。それ以上踊り続けることができなくて、リディアは動きを止めた。気付いたギルトラッドも、同時に足を止める。ちょうど曲が終わる頃だったため、二人はそれほど違和感なく踊りの輪を抜けることができた。手を引かれるままに壁際へ進み、そこで体を休める。
「どうしたんだ、急に。具合でも悪いのか」
自分の言葉でリディアの様子がおかしくなったことを理解していないのだろう、第二王子はいぶかしげにのぞき込んでくる。返す言葉を持たなくて、リディアはただうつむいた。頭がぐるぐる空回りして、気持ちが悪い。これ以上この場所にいたくなかった。
そこに、よく知る声が飛び込んでくる。
「おや、これはギルトラッド殿下に、リディア」
「ごきげんよう……ってリディアあなたどうしましたの!?顔色が真っ青ですわ」
ゆるゆると顔を上げると、目に入ってきたのは、クライブとマリエル。優しい兄と親友の出現に、緊張の糸が少しだけ緩む。しかし次の瞬間、この二人にも隠し事に気付かれてるのかもしれない、と思い至って半恐慌状態に陥る。
青い顔のまま半歩後退したリディアの手を、マリエルが心配そうにぎゅっとつかんだ。その暖かさに、混乱した状態のまま、わけもわからず涙が出そうになる。
「っ、リディア?……少し休みましょう。疲れたんですわね、ここは人が多過ぎますわ。――ギルトラッド殿下、失礼をお許しください。私はこの子を休憩室へ連れて行きます。クライブ様、後のことはよろしくお願いいたしますわ」
「あ、ああ」
「ええ、わかりました」
男性陣が何も言い出せないうちに、マリエルがてきぱきと指示を出した。彼女はそっとリディアの肩に手を置くと、いたわるように支えて歩き出す。その手はやはり暖かい。導かれるまま、リディアは彼女に身を委ねて薔薇の間を後にした。




