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29. 二人の王子(1)

(なんか、変な感じ……)


 踊り始めると、奇妙な高揚感がリディアを襲った。曲目はスローワルツ。ダンスはあまり得意でないはずなのに、アーシュのリードに身を任せてステップを踏むだけで、驚くほど心地いい。兄の腕の中でくるくる回ると、体の動きに合わせてドレスの裾がふわりと舞った。


(もっと緊張するかと思ってたのに)


 リディアは不思議だった。多少はどきどきしているものの、息をするのと同じくらい簡単に踊ることができている。パートナーの力量のおかげだろうか。

 見上げると、兄はとろけそうな笑顔で見つめ返してくる。さすがにその物腰は落ち着いついたものだった。その大きな手に支えられているだけで、安心することができる。きっと彼はこういう場には慣れているのだろう。今まで数えきれないくらいの女性たちとこうやって踊ってきたのだろうから。


(兄さまと踊った他の女の人たちも、みんな今の私みたいな気持ちになったのかな)


 考え出したら、兄の余裕な態度が妙に憎たらしくなる。やはり兄も女の敵だ。リディアは踊りながら、体が密着する瞬間を狙ってアーシュをにらみつけた。しかし、目が合うと彼はおやっという顔をした後、ぱちりと片目をつぶってみせた。おまけに色気たっぷりの流し目付きだ。


「積極的だね、リディ?」

「……兄さまにそういうのは求めてません」


 耳元で見当違いのことをささやかれて、ふいと横を向く。こんな流れはいつものことだ。けれど、続いた兄の言葉には、思わず耳を疑った。


「よそ見しちゃダメだよ、今は踊りに集中して。周りの人間はみんな俺たちを見てる。失敗したくないだろう?」

「えっ?」


 ダンスの動きに合わせながら、ぐるりと周りを見渡してみる。気付くと、二人は薔薇の間の真ん中で注目の的になっていた。寄せられる好奇の目の数は、先ほど入場したときの比ではない。部屋の隅で談笑している人々も、近くで踊っている人々も、皆こちらへ視線を投げ掛けている。


「なんで……?」

「さあ。リディが可愛すぎるからじゃないか?」

「…………。私、なんだか無性に兄さまの足を踏んづけたくなってきたわ」


 おそらく、注目されているのは十中八九アーシュのせいだ。王宮のことはよく知らないが、”魔性の騎士”殿はそれだけ有名だということなのだろう。気のせいか、こちらを見ているのは女性が多いような気がする。親しげにアーシュと踊るリディアに、突き刺さるような視線が向けられていた。これは多分、嫉妬や羨望といった類のものだ。

 こんなことなら無理を言ってでもクライブに同伴を頼むべきだったかもしれない。彼ならば、少なくともアーシュほど目立つことはなかったはずだ。

 うらめしげに見上げても、目の前の兄は無駄に華やかな笑みを浮かべるだけだった。


「さて。そろそろ頃合いかな」


 彼がそう言ったのは、ちょうど曲が終わった頃。踊り終えた二人は、中央のダンスフロアを離れ、その場で少し休憩を取った。周りの貴族たちは、ちらちらと視線を送ってくるものの、遠巻きに見つめてくるだけで話しかけてはこない。


 と、そこに、ぞろぞろと取り巻きを引き連れた人物が近づいてきた。第一王子のエーレンフリートだ。確かリディアより二、三歳年上だったろうか、その割には年齢より幼く見える。彼は驚くほど身なりが派手だった。会場のほとんどの男性が黒を基調とした夜会服に身を包んでいるのに反し、彼の格好は上下ともに白で、全体に金糸の刺繍がなされている。趣味がいいかはともかくとして、非常に高価そうだ。


「アシュヴィル、今日はお前も出席していたのか」

「はっ。このような場で殿下にお会いできるなど、光栄の至りです」


 大股で近づいてきた彼は、横柄な態度でアーシュに声をかけた。応じた兄の態度は、完全に騎士のものだ。作り笑顔を浮かべて、慇懃な言葉を返している。


「うむ、今日も私に会えたことを神に感謝するといい。……ところで、これは誰だ?先ほどからずいぶんと熱心に踊っていたな」


 エーレンフリートに指差され、リディアはぎょっとした。どうやら、踊っていたときから見られていたらしい。まさか王族にまで見られているとは。それだけ、アーシュが近衛騎士として王子に気に入られているということだろうか。


「私の妹で、リデュイエーラと申します。今年から、この夜会に出席させていただいております」

「リデュイエーラ・エル・メネス・ファビウスです。どうぞ、お見知りおきを」


 兄に目で促されて、リディアもドレスの裾を軽く持ち上げて王子に一礼する。別に”お見知りおき”などしてくれなくてもいいのだが、礼を失するわけにはいかない。精一杯、猫をかぶる。


「……妹?では、ファビウスの?ああ、道理で瞳が黒いわけだな。お前も闇の魔術を使うのか」

「はい、多少は。今は魔術学院に通って、魔術の研究に励んでおります」

「ほう、学院の生徒か。さぞ優秀なのだろうな?」

「いえ、とんでもない……」


 学院の話を出した途端、エーレンフリートの目の色が変わった。そういえば、この王子は魔術に並々ならぬ興味を持っているといううわさだった、とリディアは思い出す。異界召喚だかなんだかおかしな方向に走っているらしいが、魔術に興味があること自体はすばらしい。未来の君主が魔術研究の援助をしてくれれば、もっと研究は発展するかもしれないのだから。自分のことは棚上げしつつ、そんなことを考える。


「力のある魔術師ならば、そばに置いてやってもいいぞ。私は私用の魔術兵団を持っているのだ。魔術師ならいくらいても多すぎることはない」


 しかし、王子がそう言い出したところで、やんわりとアーシュが二人の会話を止めに入った。


「殿下、ご冗談を。妹の実力は、殿下の魔術兵団には及びもつきません」


 困ったように微笑みながら、リディアの肩に手を回し、一歩下がらせる。多少驚いたものの、リディアも素直に従った。兄の言うことはもっともだと思ったからだ。それに、もしそんな実力があったとしても、エーレンフリートの魔術兵団に入るなんて願い下げだった。王族の個人付き魔術師になったら、研究する自由も家族と過ごす時間も大幅に失われるのは目に見えている。

 すると王子は興味を失ったのか、あっさりと引き下がった。


「ふむ、そうか。娘、私のもとに来たければ、もっと修練を重ねるのだな」


 最後まで上から目線でそう言いきって、くるりときびすを返す。周りの取り巻きたちも、ぞろぞろと彼について移動していった。波が引くように人が去り、二人の周囲が静かになる。



「あれがうわさの第一王子様かー」

「ああ。見るからに頭が足りなそうだろう?魔術師と見れば誰にでも声をかけるんだ。あれの魔術兵団にはろくな使い手はいないよ。だけど、まあ、顔を合わせておいて損はない。あれでも一応王太子だから」

「兄さま、ぼろくそ言うわね。近衛騎士のくせに」

「俺が騎士になったのは、ただの手段に過ぎないからね。魂まで王家にくれてやったつもりはないよ?」

「……”聖騎士”の名が泣くって」


 周りに聞こえないように、二人はこっそりとそんなことを言い合う。ちょうど今は近くに人がいないため言いたい放題だ。

 しかし、今度はそこに見知らぬ女性がつかつかと近寄ってきた。レースをふんだんに使った深紅のドレスを着た、多少派手な感じの年かさの美女だ。


「アシュヴィル殿!」

「これは、イルメリオ公爵夫人。お久しぶりですね」

「先ほどあちらでお話を聞いたのだけど、この方は貴方の妹君だそうね?」

「ええ、そうですが……」


 彼女はその返事を聞くと、すぐにリディアを押しのけてアーシュの腕を取った。体を寄せて、ぐっと詰め寄る。


「今シーズンの夜会こそ、一番最初に貴方と踊るのは私だと決めていたのに。妹と踊るなど、どういった了見なの?しかも、よりによってワルツなど!貴方だって、シーズン最初に薔薇の間の中央で踊るダンスがどんな意味を持つのか、知らないわけではないでしょう!」


 横にどかされたリディアは、目を丸くしてその成り行きを見守った。なぜ、突然現れた女性が兄に怒鳴っているのかわけがわからない。最初のダンスというのは、さっきのスローワルツのことだろうか。しかしあれが何だったというのか。


「ああ、そのことですか。そういえば、うっかりしていたな。あれは特別なものでしたね」


 兄は、穏やかな作り笑顔を浮かべながら、女性をそれとなく体から引きはがしている。リディアは知っていた。兄のあの顔は、嘘をついているときの顔だ。


「……忘れていたっていうの?」

「ええ。……けれど、問題ありませんよ。妹は、俺にとって誰よりも大切な女性ですから」

「っ!それは、私たちへの牽制かしら?」

「牽制?何のことだかよくわからないな」


 いつの間にか、その場にはたくさんの女性が集まっていた。徐々に輪を狭めながら、アーシュの周りを取り囲んでいく。赤いドレスの公爵夫人とやらを筆頭に、彼女たちは口々にアーシュに話しかけていた。そうでない者は時折ちらちらとリディアに視線を向けながら、「妹だそうよ」「本当に?」などと会話している。

 その輪から完全にはじき出されたリディアは、いたたまれなくてそっと後退した。色とりどりに着飾った女性たちに阻まれて、兄の姿は完全に見えなくなっている。


(なんかよくわかんないけど……とりあえず、戦略的撤退?)


 女は怖い。これ以上ここにいたら兄の痴話騒ぎにもっと巻き込まれる。直感でそう察したリディアは、向きを変えて一人で歩き出した。向かう先は、さきほど教えてもらったファビウス家のテーブル。騒ぎが治まるまで、そこでゆっくりするつもりだった。


 けれど、そう思っていくらか進んだ矢先、見たことのある顔と目が合った。アーシュたちの騒ぎをよそに、遠くからじっとこちらを見つめる視線。


(あれは……)


 その人物は、一人になったリディアにゆっくりと歩み寄ってきた。 





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