27. 夜会準備
国王誕生祭は、王都ノーヴァで開かれる数々の祭りのうちで最大の行事だ。春の始めの七日間に渡って盛大に祝われ、その間王都中が浮かれ騒いで色めき立つ。春祭りをベースとしたこの誕生際は、しかし、貴族にとってはただの祭りとは違う意味を持っていた。
毎年、国王誕生祭の最終日には、王宮で夜会が行われる。それを皮切りに、夏の月祭りまでの間、貴族たちの間で毎日のように舞踏会が開かれるようになるのだ。勝負の時…すなわち社交シーズンの始まりである。
実は、社交シーズンで行われるのは家同士の駆け引きだけではない。特に若い男女にとっては、夜会や舞踏会は格好の”出会い”の場だった。シーズンになるといつもあちこちでロマンスが生まれ、そして消えていく。どこそこの家の令嬢があそこの家の子息といい仲になっただとか、何々夫人が囲いの若い男を増やしただとか…夜会の場ではそんなうわさ話がひきも切らない。
シーズンの開幕を今夜に控えた今、多くの若い貴族たちはこれから始まる夢のような季節に期待を寄せていた。
(…私はまっったく、興味ないけどね!)
ファビウス家、自室にて。リディアはこれ以上ないくらい憂鬱な気分だった。数刻後に迫った王宮の夜会のことを考えると、自然と眉間にしわが寄ってしまう。
見下ろせば、自分が着ているのは淡い水色の豪奢なドレス。襟ぐりが思い切り開いていて、なんだかとても落ち着かない。ゆったり広がった袖はまあ魔術師ローブと同じなので苦にならないが、たっぷりの布を使ったスカートは正直長すぎると思う。少しでも動き回れば引きずってしまうだろう。
今、そのドレスの周りには侍女たちがかしづいて、丁寧に支度を行っていた。これから王宮に向かう主を少しでも美しく仕上げようと、彼女たちの仕事ぶりには余念がない。
(こういうときは、こう、いやなこと全部忘れてぎゅーっとキラのもふもふ抱きしめたくなるよね…)
ドレスを着て突っ立ったまま、遠い目をしてぼんやりそんなことを考える。しかし今この場に、大事な魔獣はいない。主従の契約を結んだため無事なのは感覚的にわかるのだが、薄闇の空間で別れて以来まだ一度も姿を見かけていなかった。代わりに、側に控えているのは――
「ダメだよリディア、そんな顔してちゃー。せっかくのパーティーなんだから楽しまないと損だよ?」
「……トキワ。私、着替え中は部屋に入っちゃいけない、って言わなかったっけ?」
「あれ?そうだったっけ?ごめんごめん、忘れてた」
えへへ、と可愛らしく笑う少年――トキワだ。まったく悪びれた様子がないが、それでも何となく憎めないのが彼の不思議なところだ。
数日前に晴れて専属の密偵となって以来、彼は時折こうしてここを訪れる。専属というくらいなので、彼にとってはリディアが何よりも優先事項だ。他の”影”たちが情報収集に忙しく働くこの時期にも、側を離れない。大体は見えないように近くについていて、気が向くとこうして姿を現す。侍女たちも慣れたもので、もう彼が現れてもとがめる者はいなかった。
そして今も、トキワは当たり前のように部屋の椅子に陣取っていた。小首を傾げて、不思議そうに尋ねる。
「今夜の夜会、そんなに嫌なの?」
「嫌っていうか…憂鬱、かな。私、作法とかあまりちゃんと勉強してないし、失敗しそう」
答える声には、どうしても不安そうな響きが出てしまった。リディアは辺境の生まれだし、王都で暮らすようになってからも貴族同士の交流の場にはあまり顔を出さなかったので、夜会など勝手がよくわからないのだ。
「ふうん。マナーとか難しそうだもんね。あ、でも安全面については安心していいよ。おれも付いていくから。姿は見えなくても近くにいるから、危なくなったらすぐ呼んでね〜」
「何?夜会ってそんな用心しないといけないくらい危険なところなの?」
「さあ、時と場合によるんじゃない?おれはよくわかんないけど、クライブ様がそう言ってたよ」
トキワの言葉に、ただでさえ面倒だと思っていた気持ちがさらに倍増する。しかし、ここまで来てしまっては「行かない」とは言えない。とにかくさっさと上手くやって終わらせよう、とリディアは固く心に誓った。
そうこうしているうちに、侍女たちによるドレスの仕上げが終わったらしい。自分ではさっきと何が変わったのかよくわからないが、彼女たちは満足そうなのでこれで良いのだろう。今度は鏡台の前に連れて行かれ、化粧と髪のセットが始まった。
「あ。そーいえば、今日のエスコートって、アシュ様なんでしょ?」
トキワは主の移動にくっついてきて、なおも会話を続ける。リディアも侍女に髪をいじられながら応答した。
「そうだよ。それがどうかした?」
「クライブ様は、どうしたの?」
「ああ、クライブ兄さまは今日はマリエルの同伴だって。あの二人、仲いいから」
「えっ!マリエルさんって、あの魔術学院で会ったきれいな人だよね?なに、どういうこと?」
「んー、兄さまもマリエルも白魔術大好きだから、話が合うみたい。会うたびに術式の組み立て方とか論議してるんだってさ」
「……なにその面白くない関係」
一瞬好奇心で顔を輝かせたトキワだったが、二人の関係の答えを知るとつまらなさそうに口を尖らせた。どうやら色っぽい話を期待したらしい。
リディアにとっても、クライブとマリエルの関係は不思議だった。本当に仲が良いのだ。一時はトキワのように二人の関係を疑ったこともあるが…それにしては、兄も親友もそんなそぶりを見せたことがない。
(そういえば、マリエル、昨日のお昼は私にクライブ兄さまとの結婚勧めてたっけ…)
冗談とはいえ、マリエルだって好きな相手ならばそんな話題にはのせないだろう。おそらく二人の関係は本当にストイックな白魔術つながりなのだ。友人の潔癖な性格を考え合わせても、そう見て間違いないはず。
(にしても……私が兄さまと結婚とか、ないし!)
一旦考え出すと、昨日の一連の会話が思い出されて、ふうと息をつく。友人たちが言っていたこと――片親の違う兄妹が結婚できるという話には、かなり驚かされた。別にだからといって自分と兄弟たちの関係が変わるわけではないのだが、なんとなく…心情的に落ち着かない。
大体、王都で何年も暮らしてきた自分が知らないような情報だ。かなりマイナーな法律なのではないだろうか。
「ねえ、トキワ。異母兄妹同士が結婚できるって知ってた?」
「…え?」
話題を急に変えたからだろうか。少年は、虚をつかれたように問い返してきた。説明をしようと、リディアはもう少し言葉を重ねる。
「あのね、貴族同士だと、片親が違えば法的には婚姻が成立するらしいの。これって結構有名な話なのかな?」
「…………」
「トキワ?」
「…………そんな話、いつどこで誰から聞いたの?」
「え?昨日、マリエルたちから聞いたんだけど。それがどうかした?」
急に口数が減った少年を不思議に思いながらも、正直に答える。すると、気のせいか彼は舌打ちをしたようだった。
「それで?リディアは、その話を聞いてどう思ったの?」
苛立ったように続けられたのは、いつもの彼らしくない、低く硬質な声。少し怖いくらいのそれに、鏡台に向かっていたリディアは思わず振り返る。密偵の少年は、じっとこちらを見つめていた。
「どうって…。別に特別なことはなにも…。ただ、なんか落ち着かなくて」
とりあえず、思ったことを口に出す。しかし、言葉の途中で目をそらしてしまった。あまりの視線の強さに耐えきれなかったのだ。普段は明るく澄んでいる彼の琥珀の瞳が、今は獣のような鋭さをはらんでいた。
リディアの答えにも少年はただ、「へえ」とつぶやくだけで、視線を外そうとしなかった。微妙に緊張した空気が室内を包む。二人が無言になる中、ただ侍女たちだけが黙々と支度を進めていた。
静かな室内に、どこか遠くから夕刻の鐘の音が響く。気づけば、窓から差し込む光はずいぶんと弱くなってきていた。
「……それ、兄妹で結婚って、あんまり知られてないことだよ」
しばらくして、やっとトキワが口を開いた。ぽつりとつぶやかれたその言葉は、おそらく最初の質問への答えなのだろう。
「今時そんな結婚したら、まわりに変な目で見られるんじゃない?あんまり、そういうこと人前で言わない方がいいと思うな」
「…そうなの?」
「うん、そう。むしろ、今は廃れてる習慣だし、そんなこと忘れちゃってもいいんじゃないかな。…ていうか忘れるべきだよ」
「え?忘れる?」
「……いや、さすがにそれは無理か。でもまあ、あんまり気にしない方がいいよ」
ね?と彼は笑ってみせた。いつの間にか、普段通りのトキワに戻っている。少しいぶかしく思いつつも、リディアはこくりとうなずいた。もともと、そこまで気にしていたわけでもない。マリエルのことがなければ、この場で思い出すこともなかっただろう。―そもそも今は、そんなことよりもこの後の夜会の方がずっと大きな問題だ。
「それじゃ、おれもそろそろ準備しなきゃ。また、あとでね」
言うだけ言って気が済んだのか、少年は来た時と同様に唐突に消えた。後には、誰も座っていない椅子だけが残る。
(なんか、ちょっと様子おかしかったけど…どうかしたのかな)
彼も変わってきているのだろうか。前は何でも話してくれたのに、密偵の件といい、最近のトキワはよく自分に隠し事をしている気がする。少しだけさびしくなって、リディアは自分の手をぎゅっと握りしめた。
――それから少し後。ようやく夜会の身支度は整った。深々と頭を下げる侍女たちに礼を言って、部屋から下がらせる。
一人になったリディアは、もの思いを振り払って姿見の前に立った。鏡に映る自分は、頭の先からつま先まできちんと整えられ、人前に出て恥ずかしくない格好をしていた。侍女たちの腕前のおかげだろう。
息を吸って、呼吸を整える。夜会はこれからだった。




