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23. 庭師見習いの告白

 急に真面目な口調になったトキワに、リディアは目を瞬かせた。どうやら”大事な話”を始めるらしいと気付いて、自身も顔を引き締める。

 トキワは覚悟を決めたように息を飲み込むと、少しずつ話を始めた。


「えーっと、どう言ったらいいのか…。リディアは、ファビウス家の”影”って知ってる?」

「…影?うーん、よくは知らないけど…お父さまやクライブ兄さまが雇った人たちのこと、かな?」


 王宮や他家の様子を窺うために秘密裏に雇っている密偵たちがいる、という話は父に聞いたことがあった。実際に目にしたことはないが、非常に役に立つ存在なのだとか。確か、高位の貴族の家には当たり前のように存在するものだ、とも。

 しかしなぜ今いきなりそんな話になるのかわからなくて、リディアは首をひねった。


「そう、それ。よかったー、知ってるなら話が早いかも。あのね…おれがその”影”だって言ったら、びっくりする?」

「え?」

「なんてゆーか…ベイゼル親方が、うちの”影”の親玉なんだ。そんで、おれはその親方の下で修行してんの。つまりー…庭師見習いでもあるけど、”影”の見習いもやってるってこと」

「トキワが…密偵?」

「うん、そーゆうこと」


 目を見開くリディアに、トキワはこともなげに笑ってみせた。しかし、その実テーブルの下で固く握った手は少し震えている。ずっとずっと隠してきたことを打ち明けているのだから、本当は不安なのだ。真実を話すことで、今までの居心地の良い関係が変わってしまうかもしれない。トキワは、リディアの反応をじっと見守った。


「…いつから?」


 感情を窺わせない声で、リディアはそう尋ねた。最初の驚きから冷めると、その顔には何の色も読み取れなかった。


「一年半くらい前…おれが十四歳になったときくらいから」

「そう。お父さまや兄さまは知ってたの?」

「うん、もともとエルレイン様の指示だったんだ。今はクライブ様が引き継いでる。たぶんアシュ様も知ってるし…フレイにも、こないだ言ったから…」

「知らなかったのは私だけ、ってこと?」


 そう訊かれて、トキワはゆるゆるとうなずいた。こんなふうに話を進めるつもりではなかったはずなのだが、完璧にリディアのペースに呑まれてしまっている。


「お父さまの指示だったということは…トキワが自分で望んだことではないのね?」


 続けて、確認を取るように投げかけられた質問。トキワは今度はぶんぶんと手を横に振った。


「違うよ!これはおれ自身もお願いしたことなんだ。親方の下で庭師見習い始めてからしばらく経って、なんか様子が変だっていうのはうすうすわかってた。そんなときにエルレイン様に”影”になってみないかって言われて…おれ、自分でやりたいって言ったんだよ」


 誤解されないように、焦って説明する。自分から”影”になることを希望したのは本当のことだった。そんなトキワに、リディアは相変わらず淡々と質問を続けた。


「だけど…密偵なんて、危険な仕事だよね?他の家に忍び込んだり、偵察に行ったり…。見つかれば、怪我だけじゃすまされないかもしれない」

「それは、そうなんだけど」

「じゃあ、どうしてそんなことを?」


 そう言ってから、リディアは初めて顔を歪めた。自分でも嫌な聞き方をしているのはわかっていた。それでも、口から出てくる言葉を止めることができない。


「私は、そんなことをさせるためにトキワを”買った”んじゃない…」


 ぽつりと落とされたその一言は、静かな部屋の中によく響いた。

 目の前の少年は、答えに迷うように口ごもっている。前よりずいぶんと大人びたその顔を見て、リディアは四年前――トキワと出会った日のことを思い出していた。




 その日、リディアは父とともに街へ買物に出ていた。その頃エルレインはまだ健在で毎日忙しくしていたから、親子二人で出かけられる機会などあまりなかった。珍しいことだったのでよく覚えている。リディアは十二歳になったばかりで、久しぶりに訪れる商業区の街並に浮かれていた。

 用事自体は、大したことではなかったのだと思う。馬車を使っていくつかの店を訪ねて、店主とやり取りをして何か受け取って…ただ、それだけ。そのうち店の人間との話に飽きたリディアは、一人で建物の外に出て街をふらふらと歩いていた。興味を引かれる店を見つけてはのぞいてみたり、細い路地の先に何があるのか確かめたりして――そして、下層区に迷い込んだのだ。

 

 初めて目にした下層区の様子は、簡単に言えば、”貧しくて危なそう”だった。建物の石壁はところどころ崩れており、道のあちこちには何とも知れないごみのようなものが放置されていた。多くの人でひしめきあう街路には活気があったが、商業区と比べると行き交う人々の服は粗末で、明らかに柄がいいとは思えない人種がちらほら混じっていた。たびたび(いさか)いが起こるのか、喧噪が耐えない。幾人かの人々は、場違いな貴族の少女にちらちらと視線を寄せていた。

 まずいなと心の中で舌打ちして、リディアは人目につかない道を選んで商業区に戻ろうとした。けれど下層区の路地は複雑で、進めば進むほど深みにはまり込んでしまう。そうして、もう自分がどこにいるのか全くわからないくらい迷ったころ…彼に会った。


 行き着いた先にあったのは、みすぼらしい木造の小屋だった。かつて塗ってあっただろう塗装ははげ落ち、風雨にさらされた柱は歪んで、壁は隙間だらけで外気を防ぐ用を為していない。けれどリディアの目を引いたのは、そんなものではなかった。

 小屋の前に、一人の少年がぐったりと座り込んでいたのだ。薄汚れた緑の髪に、ぼろぼろの衣服、まだ幼い小さな体。その手足は縄で縛られて、柱につながれている。鞭打たれたのか皮膚は傷だらけで、見るからに痛々しかった。

 奴隷だ、ということは一目で分かった。それも少年奴隷だ。リディアは下層区の事情に明るくはなかったが、ノワディルド国内で奴隷売買が公然と行われていることは知っていた。小屋の屋根からは人の姿を象った看板が下がっている。おそらくあの建物は奴隷商人の持ち物なのだろう―。少し離れた位置に立ち止まったまま、そんなことを考える。

 じっくり見なくても、商人のもとで少年がどんな扱いを受けているのかは一目瞭然だった。見続けていることができなくて、リディアは目を背けそうになった。奴隷の待遇についてはよく知っていたから。一刻も早くここを去らなければ、という思いが胸をつく。

 けれど、そのとき彼と目が合った。体はくずおれ、頭は垂れているというのに、少年の目だけは力を失っていなかった。緑の髪の隙間からのぞく琥珀の目だけが、生気を持ってリディアを見つめていた。世界に絶望している目。それでも、自由を諦めない者の目。一瞬で引き寄せられて、リディアは少年と視線を交わした。そんな目には覚えがあった。まるで、昔の自分を見るような――。


 その瞬間、リディアは決めたのだ。「彼を買おう」と。…善意からではない。そんな慈愛の精神は持ち合わせていなかった。ただ、かつての自分と同じ目をした少年に少しでも自由をあげたかったのだ。自己満足や気まぐれと言われればそれまでかもしれない。それでもかまわないと思った。

 決めてからの行動は早かった。ありったけの術力を使って空気を震わせて、自分がここにいることを家人に知らせる。父かキラがすぐに駆けつけてくれることはわかっていた。そうして自分の身の安全を確保してから、小屋に入って奴隷商人と交渉をした。

 少年の値段は、驚くほど安かった。当時のリディアでもすぐに出せるような額だったのだ。たったそれだけの軽い革袋と引き換えにリディアは彼を買った。

 商人の手で、少年の手足の縄が解かれる。座り込んでいた少年は、信じられないものでも見るかのようにリディアの顔を凝視していた。その手を取ってゆっくりと立ち上がらせて、リディアは彼に言った。


「今日から、あなたの名前は”トキワ”だよ」


 鮮やかな緑の髪にあやかって、そう名付けた。この世界ではリディアだけが知る言葉―異世界の言葉で”永遠の緑”を指す名前。その言葉に、緑の髪の少年は静かにうなずいた。

 ――あのときから、彼はリディアにとって家族の一人になったのだ。けっして無駄に傷ついてほしくない、大切な家族の一人に。





「だって…」


 物思いにふけっていたリディアを現実に引き戻したのは、トキワの声だった。見れば、現実の彼は苦しそうに眉を寄せている。どうして密偵などという危険な仕事を選ぶのか…。彼なりに、その問いに答える言葉を必死に探しているようだった。


「だって…おれ、リディアの役に立ちたかったんだ。買ってもらって、こんないい暮らしさせてもらってるのに、おれは何も恩返しできてない」

「そんなこと、な―」

「―あるよ。だって実際、今のおれって役立たずだもん。庭師見習いだけしてても、リディアのために出来ることはせいぜい嘘の口裏合わせくらいだし。もっと魔力があったら魔術学院とかだって行けたのかもしれないけど…無理だったし」

「学院って…」


 リディアは、先日のトキワとの会話を思い返した。学院に行ってみたいと言った言葉の裏には、そんな思いが隠されていたのか。


「魔術学院、入学できないってわかって落ち込んでたときに、エルレイン様に声かけられたんだ。”影”になってみないかって。”影”になればもっとずっといろんなことができる。リディアのためにできることも絶対増えるって思った」

「それは―」

「―おれね、”トキワ”って名前付けてもらったときに決めたんだ。絶対この人の役に立とう、って。だから、お願い…おれのこと認めて、リディア。おれに、リディアのために働かせて」


 トキワは、ぎゅっと拳をにぎりしめたままリディアを見つめた。――四年前に名前をもらったあの瞬間、彼は自分の主を決めたのだ。それはもう、きっと誰にも覆せない。

 心から吐露される言葉に、リディアは何も言えず押し黙った。目の前の少年は真剣そのものの態度で、ちょっとやそっとの説得で意見を変えるとは思えなかった。しばらく逡巡した後、一言だけ確認する。


「それが、トキワの望みなんだね?」

「もちろん」


 打てば響くように答えが返った。普段ふざけていることが多い少年は、真面目な顔つきで固唾を飲んでリディアの答えを待っている。

 根負けするように、リディアは一つうなずいた。


「…わかった。トキワがそうしたいなら、私が反対する理由はないよね」


 その言葉に、トキワは目を輝かせてにこっと笑った。きらきらとまばゆいくらいの満面の笑みだ。


「ありがとー!すげーうれしい!」


 少年らしい素直な反応に、リディアはちょっと照れてしまう。これだけ自分のためと連呼されれば、嬉しくないはずはない。

 しかし、続くトキワの言葉は結構ちゃっかりしていた。 


「…あっ、言い忘れてたけど、おれ、それで今日からリディアの専属の”影”になるから。よろしくね」

「…え?」

「リディアって危なっかしいんだもん。行方不明になったばっかりじゃん?今はキラもいないしさ。それでおれが抜擢されたの!クライブ様にいっぱいアピールしといてよかった〜」

「えと、あのー」

「大丈夫、四六時中張り付いてるわけじゃないから。でもあれだよ、もう一人で男装して下層区行ったりしちゃだめだよ?次からはおれのこと呼んでね!」

「!!てゆうか、なんでトキワが男装のこと知って…」


 下層区に一人で行ったことは知っていても、男装のことまでは知らないはずだ。あれは、ドリーとフリッカくらいにしかばれていないはずなのに。


「おれは下層区のことならなんでも知ってるの。それに…これからは、リディアのこともね。それじゃ、お茶ごちそーさまでした。ゆっくり休んでね〜」


 ひらひらと手を振って上機嫌に笑うと、少年はそのまま姿を消した。誠に”影”らしい鮮やかな消え方で。


「ちょっ、トキワ!?」


 後に残されたのは、二人分のティーカップとリディアだけ。さらに増えた頭痛の種に頭を抱えて、リディアはもう何回目となるかわからないため息をついたのだった。



庭師見習い(?)のターン。ちょっと長くなってしまいました。



2013年もどうぞよろしくお願いいたします^^

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