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20. 帰還

「…メイ?」


 ファビウス家の広間。フレイは、足元の魔獣の異変に気がついて眉を寄せた。さきほどまで静かに床に伏せていたはずのメイが、急に耳を立てて身を起こしたのだ。その耳は、フレイたちには聞こえない音を拾っているのか、さかんにひくりと動かされている。


「どうしたの?」


 隣にいたトキワも、不思議そうにその様子を眺めた。


 突然、メイが吠えた。警戒するような低い声ではなく、むしろ嬉しくてたまらないといった様子の吠え声。数回吠えると、ちぎれんばかりにしっぽを振って一目散に扉に向かって駆け出す。体当たりで思い切り扉を開け、廊下へ飛び出した。

 そのまま走り去るかと思われたが、魔獣は広間を出たところで唐突に立ち止まった。後ろを振り返ってじっとフレイとトキワを見つめる。まるで、とまどう二人に、早くついてこいと言っているように。


「え…?」


 不思議に思いながらも、二人はメイについて広間を出た。先導するように走り出したメイを追いかけている途中で、何事かと廊下に顔を出していたクライブとアーシュも合流する。全員で黒い魔獣の後を追った。


 行き着いたのは、エルレインの書斎の前。父が生前もっとも長い時間を過ごした部屋で、ここ一年余りはほとんど使われていない。だが…。


「!」

「何だ、この魔力…」


 誰もいないはずの書斎の扉の向こうには、膨大な質量の魔力が渦巻いていた。壁一枚を隔てた廊下にいても感じられるほどの量だ。


「…これは、父上の…?」


 そう呆然とつぶやいたのはクライブ。たしかに、あふれ出る魔力はエルレインのものとよく似ていた。


 困惑する四人をよそに、メイははしゃいだ様子で書斎の扉に前脚をかけた。がりがりと数回引っ掻いて、早く開けろというように人間たちを振り返る。代表して、アーシュが扉に手をかけた。ぎっ、と音を立てて重い戸が開く。


 扉の向こうに広がっていたのは、普段と変わらないごく普通の書斎の風景だった。もちろん、誰もいない。しかし何かがおかしかった。空気がぶれているような、空間の歪んでいるような、不思議な気配があったのだ。


「?」


 奇妙な違和感に、彼らは首をかしげた。部屋をぐるりと観察して…あるものに気付く。よくよく見れば中央のソファの辺りに、人の形をした不思議な陽炎がゆらめいていた。そこだけ空間が歪んで、後ろの景色が不透明に見える。

 メイは迷いなくその人型の陽炎に近づき、嬉しそうに飛びついた。どういう現象なのか、魔獣の足はすり抜けることなくそれに触れていた。


「まさか父上、ですか…?」


 クライブが信じられないような面持ちで、ゆらめく透明な影に問いかけた。この書斎という場所、部屋にあふれる魔力の質、そしてメイがなついていること。推測すると、答えは一つしかなかった。

 問いかけに答えるように、陽炎の輪郭が鮮明になる。一瞬だけはっきりと現れたその姿は、間違いなくエルレイン・ファビウスだった。自分の子供たちが集まっている姿に目を細めて、メイをなでる手を止める。腕をやんわりと持ち上げると、人指し指を口元に当ててにっこりと微笑んだ。”内緒”のポーズだ。

 そのまま、何も言葉を発することなくエルレインの陽炎は消えた。残像だけが残り、周辺の空間がぼやける。―そして。


 入れ替わりとなるように、同じ場所に人影が出現した。今度は生身の人間――少女だ。ソファの上に横たわり、うっすらと目を閉じている。


「っ、これは……!?」


 現れた人物を見て、四人は息を飲んだ。それはまさに、彼らがこの数日間探し続けていた少女だったのだ。

 やわらかく広がる薄茶の髪、投げ出された華奢な手足、少しだけ幼さの残る顔立ち。伏せられたまつげは長く、白い頬はやわらかなラインを描き、どこか見る者の庇護欲をかき立てる。ただ、ところどころ破けたローブとそこからのぞく真新しい傷だけが痛々しい。


 真っ先に動いたのは、フレイだった。はじかれたようにソファに駆け寄ると、眠る少女の肩に触れる。確かめるようにその顔をのぞきこんで、ただ一言、名前を呼んだ。


「リディア……」


 かすかに震える声。そのたった一言に、どれだけの思いが込められていたのか。何度も瞬きながら、フレイはリディアの顔を見つめた。


 彼はこの数日間、ずっと自分のことを責め続けていた。なぜあのとき姉を助けることができなかったのか、どうして自分はこんなにも無力なのか。いくら学院で優秀な成績を修めて、ほとんど使い手のない禁術を使うことができても、大切な人を守ることができなければ何の意味もない、と。

 幼い頃に父に引き取られて以来、ずっと共に育ってきた同い年の異母姉。昔から、(さと)いわりに無茶ばかりする彼女に、フレイはいつも振り回されてきた。けれど、フレイが傷ついたり体調を崩したりしているとき、本気で心配して世話を焼くのもやっぱり彼女だった。誰が気付かなくても、リディアだけはフレイの小さな変化に気が付いて必ず声をかける。のぞき込んでくる黒い瞳はいつもくるくると感情豊かで、誰よりも家族に対して愛情深くて。彼にとってリディアは、誰よりも近しく誰よりも特別な存在だった。


 姉の肩に触れた手に力を込めて、フレイは己の唇をぎゅっと噛んだ。そうしていないと、今にも感情がこらえきれなくなりそうだったのだ。


「ん……」


 そんな弟に反応するかの用に、リディアが小さく声をもらした。同時に、まぶたがゆるゆると開けられていく。ぼんやりと焦点の合わない瞳がフレイを見つめ、ゆっくりと瞬きを繰り返した。周りが息をつめて見守る中、やがてそれは像を結び、リディアは覚醒する――。






◇◇




「リディア……」


 よく知っている声に名前を呼ばれて、リディアは意識を浮上させた。あの薄闇の空間で目を閉じてから、いくらも経っていない気がする。気を失っていたというよりは眠っていたというような心地の良さだった。

 まだ名残惜しくて、リディアは眠りの波の中で浅くまどろみ続けようとした。けれど、そのとたんに肩の辺りを強い力でつかまれて、軽くうめく。


「ん……」


 そういえば、さきほどの呼びかけは妙に切実そうだった。そもそもなぜ今自分は寝ているんだっけ。考え出すと、ゆっくりと眠っているのが難しくなる。まぶたを開けると、まぶしい光が目に入り込んだ。焦点が合わなくて、ゆっくりと数回瞬きをした。そして。


「………あれ、フレイ?おはよう」


 目覚めたリディアの目の前にあったのは、弟の顔だった。なぜかじっと真剣な表情でこちらを見ている。しかも、やたらと至近距離で。不思議に思ってリディアはその顔に手を伸ばした。


「どうしたの?なんか…近いね」


 弟の頬に触れてそう言うと、彼は一瞬声を失ったような様子になった。 


「…!! ば…っ」

「ば?」

「っ馬鹿かよお前は!何そんなのんきなこと言ってんだ!」


 そう怒鳴って、ぱっと体を離される。気のせいか少し目元が赤い。


「…フレイ、その顔…」


 リディアがそれを指摘すると、フレイは無理矢理しかめつらを作るようにしてそっぽを向いた。


「べ、べつに…お前が戻ったのが嬉しくて泣いてるとかそういうんじゃ……」


 語尾をもごもごと濁しながら、一歩後ずさる。

 そんなフレイを押しのけて、今度は緑の影が飛びついてきた。トキワだ。


「リディア、リディア、リディア…!本物、だよね…!」


 トキワは何度も名前を呼んで、無事を確かめるようにリディアの手をぎゅっと握った。


「ずっと探してたんだ。もう見つからなかったらどうしようって、おれ……」


 言いながら、少年はつらそうに眉を寄せる。琥珀色の目には、大粒の涙が浮かんでいた。ぼんやりしていたリディアは、それを見てはっと息を飲んだ。

 ”ずっと探していた”、”見つからなかったら…”。それは、自分のことだろうか。もしかしなくても、リディアが薄闇の空間にいる間、皆は自分のことを探していてくれたのではないか。


「ごめん、トキワ。…そっか。私、みんなに迷惑かけたんだね」


 前半はトキワに、後半は周りを見渡しながら、そう申し訳なさそうにつぶやく。見回せば、目覚めたリディアの側にいるのはフレイ、トキワ、それにアーシュやクライブ。皆、行方不明になった自分を待っていてくれたようだった。だんだんと事態が飲み込めてきて、リディアは自分がやってしまったことの重大さをじわじわと感じ始めた。


「ごめんなさい。私…兄さまたちにも、フレイにも、ほかのみんなにも謝らなくちゃ…」


 ソファを取り囲む兄弟たちに神妙な顔つきで語りかける。しかし、続けようとした謝罪の言葉は、すぐ上の兄の行為によってさえぎられた。ふいに、アーシュが彼女の髪をなでたのだ。


「…お前が生きていれば、それだけで十分だよ」


 アーシュは、そのままかがんで顔を近づけると、リディアの頬にかかる髪をそっと払う。相変わらず洗練された仕草だが、浮かべている笑顔がとても優しいので、今日はあまり艶っぽさを感じさせない。いつもと違う兄の様子に、リディアは逆になんだか動揺してしまった。


「アシュ兄さま、私…」


 何を言ったらいいかわからなくて、リディアは言葉を切った。胸がいっぱいで次の言葉が出てこなくて、兄の黒い瞳を見つめたまま黙り込む。そこに、別の声がかけられた。


「アーシュの言う通りだ。もちろん、何があったか聞きたいけど…それはあとでいい」


 そう言ってアーシュの後ろから姿を現したのは、一歩離れた位置にいたクライブ。その言葉に、リディアはこくりとただうなずいた。


「今、私たちがお前に言いたいことは、ひとつだけだよ」


 四人全員の気持ちを代弁するように、クライブは優しく語りかけてくる。軽く息を吸いこんで、続けられた言葉。


「――おかえり、リディア」


 一瞬目を見開いたリディアは、次の瞬間くしゃりと顔を歪めた。


「ただいま…!」


 泣き笑いの表情で、大切な家族にそう告げたのだった。 




2013.1.5 改稿しました。

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