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12. 討伐前夜

 

 日も落ちかけた夕刻時、リディアは商業区から帰宅した。


 リディアの住む家——ファビウス伯爵邸は、貴族区の中でも王城に近い位置にある。

 屋敷の門の周りには葉の鋭い針葉樹が多く植えられ、奥へ続くポーチに影を落としていた。小道の先を見上げれば、石造りの古めかしい屋敷が夕空の茜色を背景に黒々とそびえている。立派だが、同時にどこか重々しく謎めいた雰囲気のある建物。まさに、代々続く魔術の名家らしい屋敷だ。


 玄関の扉を開けると、家の中の心地よい暖かさが鼻先に触れた。


「ただいま」


 無人の玄関ホールで、リディアは誰にともなくつぶやいた。夕暮れ時に帰宅すると、なんとなくこう言いたくなってしまう。

 すると、階段の影から大きな金色の獣が現れた。ゆっくりとした足取りでリディアに近づき、その足元に頭をすり寄せる。


「あ、キラ」


 ただいま、ともう一度言ってリディアは満面の笑みを浮かべた。毛並みをなでると、キラは嬉しそうに目を細めて尻尾を振る。どうやら今日は玄関で帰りを待っていてくれたようだ。一通りじゃれ合って帰宅の挨拶を済ませると、リディアはキラとともに自室へ向かった。ホールの奥の曲がり階段を上った先、二階の奥の部屋だ。

 しかし、その足は部屋にたどり着く前に止まった。


「おかえり、リディ」

「アシュ兄さま。それに…メイも?」


 部屋の前にいたのは、兄のアーシュ。リディアに向かってとろけるような笑顔を見せる。そして、その足元にはキラとよく似た一匹の魔獣が座っていた。キラと同じく、大型犬くらいの大きさの狼のような姿。つややかな黒い毛並みの魔獣——メイだ。


「ってメイ、痛いよ〜」


 おかえり!というように勢いよくリディアに飛びついたメイは、甘える様子でリディアの指を軽く噛んだ。とても嬉しそうだ。頭をなでると、なでた指をさらにがじがじと甘噛みされる。可愛いので全然許せるのだが、若干指が痛い。

 そんなメイの様子を、同じ魔獣のキラは床に座ったままじっと見つめている。メイは、キラの母親だ。普段はリディアに近づくものに敏感なキラも、メイに対してはけして攻撃しない。


「こら、メイ、やめなさい」


 代わりにそれを止めたのは、リディアの兄。大きな黒い体をリディアから引きはがし、床に伏せさせる。しゅんと耳を伏せたメイは、アーシュを恨みがましい目で見つめていた。

 苦笑してそれを眺めながら、リディアは兄に尋ねた。


「どうしたの?メイがここにいるなんて。アシュ兄さまが連れてきたの?」

「いや。俺が通ったときには、もうリディアの部屋の前にいたんだよ。気まぐれだから…たまたま気が向いたんじゃないか」

「そう?この子がお父さまの部屋から出るなんて珍しいね」

「父上が亡くなってもう一年以上にもなるからね。そう不思議なことでもないのかもしれないよ」


 リディアは床にしゃがみ込んで黒い魔獣の背をなでる。もふもふの毛が気持ちいい。

 メイは、リディアたちの父、エルレイン・ファビウスと契約した魔獣だった。父が死んでからもずっとファビウス家にとどまっているが、父の書斎から出てくることは少ない。…出てくれば出てきたで、リディアやフレイに会うたびに先ほどのように突撃してくるのだが。どうやら、本能で動物好きの人間を嗅ぎ分けているらしい。


「それはそうと、リディ、そろそろ夕食の時間になる。早く着替えておいで」


 そう言うと、アーシュはすっと優雅な仕草でリディアに手を差し伸べる。こんなときまで淑女扱いされるのに照れくさくなりながらも、リディアはその手を取って立ち上がった。


「うん、先に行ってて。すぐに行く」








 夕食の席に降りると、すでに他の兄弟たちは全員そろっていた。奥に座っているのは、一番上の兄、クライブ。その正面がアーシュで、アーシュの隣は弟のフレイ。リディアの席は、クライブの隣だ。


「遅かったね、リディア」


 クライブに声をかけられて、リディアは席に着いた。前菜が運ばれてくる間に、ちらりと同じテーブルに着く兄弟たちを眺める。

 全員が夕食にそろったのは数日ぶりだ。一堂に会した兄弟たちを眺めていると、今更ながら自分たちが似ていないのを実感してしまう。


 ファビウス家の兄弟たちは、外見が本当にばらばらだ。共通しているのは黒い瞳だけで、あとは髪も顔立ちも体型も似通った部分はあまりない。特に、髪の色の違いは視覚的にかなり大きい。

 長男クライブは長いさらさらとした銀髪。次男アーシュは燃えるような緋色の髪。長女リディアはミルクティー色の淡い茶髪で、三男フレイは真っ黒のくせっ毛だ。

 この世界、イム・ギイナでも、髪の色は親からの遺伝で決まる。同じ両親から生まれた兄弟はこんなふうに色とりどりにはならない。ファビウス家の四兄弟の髪の色が違うのは、それぞれ、母親が異なるためだ。


 リディアたちの父・エルレインは恋多き男性だった。正妻がクライブを生んで亡くなった後、多くの女性と浮き名を流したらしい。アーシュの母はある地方の子爵家の人妻だったというし、リディアの母親は辺境の村娘、フレイの母に至っては旅芸人だったという。エルレインは仕事で地方視察をするたびに情熱的な恋愛をしていたようだ。


 死んだ父のことに思い至って、リディアは前菜のスープを食べる手を止めた。


(お父さまって、女の敵)


 うわさになるほど浮気性な男が自分の父であるのは、少し情けない。しかし、リディアにとってエルレインは穏やかで優しい良い父親だった。それに、父が引き取ってくれたおかげで、辺境の村ではなく王都の伯爵邸で暮らすことができているのだ。


(あそこから抜け出して、今の家族(みんな)に会えたのもお父さまのおかげなんだよね…)


 幼い頃暮らした、辺境の地を思い返す。貧しいところだった。一瞬、嫌なことを思い出しかけて、リディアは顔をしかめた。


「リディア?どうかしたのかい?」


 食事の手を止めていた妹に気づいて、クライブが声をかける。はっと気を取り戻したリディアは、なんでもないの、と微笑んでみせた。


「ちょっと、明日の討伐のこと考えてただけ。フォートベアって強いのかな、なんて」


 適当に言い繕ってごまかす。実際、明日のことも少し不安だった。リディアはフォートベアの実物を見たことがない。しかも、アーシュとフレイと三人で討伐に出るのは初めてだ。


「うーん、まあ強いと言えば強いけど…二人と一緒なら大丈夫だと思うけどね」

 

 いつもの笑顔を崩さずに、クライブが弟たちに顔を向けた。つられて、リディアも二人を見る。メイン料理に取りかかっていた二人は、同時に顔を上げた。


「大丈夫だよ、リディ。なんであろうと俺の槍で串刺しにしてあげる」

「…フォートベアは炎に弱い。『黒き業火(ダークバースト)』で燃やせば一瞬だ」


 自信ありげに答えるアーシュと、淡々と語るフレイ。

 リディアは、アーシュが得意の槍でクマを串刺しにして、それをフレイが禁術で焼く図を思い浮かべてみた。なんだか香ばしい香りがしそうだ。クマ肉の、串焼き…。


「…ってダメだよ。焼いちゃダメ!それじゃ毛皮が取れないから!」


 二人の言葉に一瞬美味しそうな想像をしてしまったリディアは、あわてて口を挟んだ。


「今回の討伐証明は毛皮だから燃やしちゃダメなの。報酬がもらえなくなっちゃう。…それに、毛皮が余ったら新しい魔道具に試してみたいし…」


 最後のほうの本音をごにょごにょとごまかしつつ、なるべく無傷で毛皮を手に入れる重要性を語る。それを聞いてアーシュは楽しそうな表情を浮かべた。


「へえ。じゃあ、明日は俺が槍でいいところ見せないとね。可愛いフレイの見せ場を奪うのはしのびないけど」

「やめろバカ兄」


 言いながら、弟の頭をぐしゃぐしゃとなでるアーシュと、嫌そうにそれを振り払うフレイ。アーシュはシスコンだけでなくブラコンも患っているので、こんなことは日常茶飯事だ。いくら弟に邪険にされても彼はめげない。むしろなおさら楽しそうだ。フレイも、本気で嫌なら黒魔術で反撃してもいいはずなのだが、それをしない辺り兄のことが嫌いというわけでもないらしい。なんだかんだ言って仲のいい二人だ。


 隣のクライブを見てみると、同じことを考えたのだろう、弟たちを眺めてふふっと笑っていた。リディアの足元に寝そべるキラは、我関せずといった様子で前足の間に鼻をうずめている。

 ファビウス家の、いつもどおりの夕餉だ。リディアにとっては、かけがえのないひととき。


 ふと、変わりたくないな、と思う。このままの時間が続けばいいのに、と。


 リディアは、兄弟たちに気付かれないようにそっと左腕の感触を確かめた。そこには真新しい金細工の腕輪。

 …明日の討伐のことで不安に思っているのは、本当は敵の強さなどではなかった。新しいアクセサリを、期待と不安の入り交じった目で見つめる。今はまだ、効果があるのかどうかわからない。けれど。


(なにごともなく、終わるといいな…)



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