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9. 治癒の術式

 リディアたち三人が東側の棟の手前に着いたとき、時刻はちょうど正午になったらしい。魔術学院内に鐘の音が響き渡った。正午、つまり二限目の講義の終了を告げる鐘だ。近くの講義室の扉が次々と開き、それまで静かだった回廊にたくさんの学生たちが姿を現した。


「お昼、どうしよっか?どこで食べる?」

「リディアたちはいつもどこで食べてんの?」

「んーと、私のおすすめは…」


 トキワとリディアがのんきに昼食の相談をしていると、目の前の東棟の扉が重い音を立てて開いた。反対側、西棟の黒魔術科と同じ重厚な扉だ。

 たった一人でその分厚い扉を開いて現れたのは、可憐な少女。目の前にいたリディアたちに気付くと、彼女は「まあ」とつぶやいて目を見開いた。回廊へ出て扉を閉めると、白いローブの裾をつまんで優雅に一礼をする。


「ごきげんよう、リディア、フレイライム」

「ごきげんよう、マリエル」


 リディアも微笑んで友人にあいさつを返した。フレイも、ぶっきらぼうに「ああ」とうなずく。

 彼女の名前はマリエル・ラドナ・コートフォール。ファビウス家とのつながりも強い、コートフォール侯爵家の令嬢だ。フレイやリディアの幼なじみにあたる。リディアとは特に仲が良かった。

 くるくるとゆるく巻かれた金髪に、長いまつげに縁取られた青い目。肌は透けるように白く、小さな口には上品な紅が差されている。まさに、一般庶民が思い描く”貴族の令嬢”そのものの容姿だ。ちゃっかり男装して下層区に潜り込むようなどこかの伯爵令嬢とは大違いである。

 

「今講義が終わったところ?」

「ええ。これからお昼休みですわ。三限もお休みですの」


 マリエルは白魔術科の生徒だ。制服の白いローブも、彼女が着るとなぜか上品に見える。


「…ところで、こちらの方はどなた?」


 そう言って、彼女はトキワの方を示す。リディアは、表情を変えることなくしれっと答えた。


「トキワというの。上級科を見学したいんだって。今、一緒に黒魔術科を見てきたところ」


 嘘は一つもついていない。トキワが学院を見学したいと言ったのは本当のことだ。

 マリエルはトキワのグレーのローブを見て、教養課程の生徒が進路希望のために上級科を見て回っていると解釈したようだった。


「トキワ、こちらはマリエルよ。コートフォール家のご令嬢で、白魔術科で治癒魔術を専門にしているの」

「お初にお目にかかります。マリエルと申します。」


 明らかに平民とわかるトキワに対しても、マリエルはふわりと丁寧に会釈した。

 トキワの方と言えば、びっくりして固まってしまっている。あまり、こういった貴族と接したことがなかったのだ。普通、貴族は平民とあまり関わることがなく、関わっても見下した態度で扱うことが多い。ファビウス家の人々は貴族にしてはかなりくだけた口調で話すが、あれは例外中の例外だ。


「トキワさんって珍しいお名前ですわね。異国の言葉のような響き…。出身はどちらですの?」

「えっとー、トキワでいいよ、マリエルさん。おれはノーヴァの出身だよ。トキワって名前は…あだ名みたいなもん、かな?でもいい名前でしょ?」

「そうでしたの。素敵なあだ名ですわね」


 名前の話になって、トキワは金縛りから解けたようだった。いつもの調子を取り戻してマリエルとしゃべっている。もともと物怖じしない性格なのだ。


 二人を眺めていると、いつの間にか横に移動したフレイがそっとリディアの肩をたたいた。


「この後、どうするんだ?」


 このままマリエルと一緒にいたら、いつかボロが出てトキワが生徒ではないのがばれてしまうかもしれない。フレイはそう言いたいのだろう。


 しかし、その瞬間マリエルがリディアたちの方を向いた。


「よろしければ、わたくしも一緒に白魔術科をご案内しますわ。リディアもフレイライムも、この東棟にはあまり詳しくないでしょう」


 親切な提案に、三人は断る理由がなかった。


「マリエルなら、大丈夫だよ」


 弟にこっそり耳打ちをして、リディアは彼女の後をついていった。


 



 

 魔術学院の西棟と東棟は左右対称になっている。それぞれ、西には黒魔術科、東には白魔術科の教室が配置されていて、そこを使用する生徒の数も大体同じくらいの数だ。

 東棟のホールに足を踏み入れると、先ほどの西棟と同じ造りの広々とした空間が広がっていた。ただ、受ける印象はあちらとはだいぶ違う。

 まず、色彩的な明るさが段違いだった。東棟ホールの床には、白地に金糸で植物模様が織り込まれた絨毯が敷き詰められており、天窓から差し込んだ中天の陽光を受けてきらきらと光っている。壁にかけられたタペストリーに描かれているのは、純白のドレスをまとった女性。胸の前で手を組んで祈るようなポーズしている。"慈愛"と"精神"を司る、白の女神セディリアだ。

 そして、その前を行き交う学生たちはみな白いローブに身を包んでいた。黒魔術科と比べて、圧倒的に女子が多いようだった。


 マリエルに案内されて、四人はホールの奥の食堂で昼食を食べた。白魔術科棟の食堂は、女性向けのヘルシーなメニューが多い。リディアが選んだのは、野菜をたっぷり使った体に優しそうなスープ。お気に入りの一品だ。実は彼女はこの食堂目当てに東棟にはちょこちょこ足を運んでいる。友人のドリーやマリエルと一緒にここで食事をすることが結構あるのだ。


 食後の他愛ないおしゃべりをしていると時間はあっという間に過ぎ、再び学院内に鐘の音が鳴り響いた。三限の開始を告げる鐘だ。


「では、そろそろ参りましょう」


 マリエルの先導で四人は一旦ホールへ引き返した。奥に配置された階段を上り、二階へと向かう。


「白魔術科と言えば、治癒魔術。今からその演習室へご案内しますわ」


 二階の中央廊下からは、多くの教室の室内が見渡せるようになっていた。壁面に、先ほどの黒魔術科の戦闘演習室のような観賞窓がたくさん取り付けられているのだ。マリエルは、手前から二つ目の窓の前で止まって、他の三人を振り返った。


「ここが、治癒魔術の演習室です」


 室内では、白ローブの生徒たちが、二人一組で向かい合ってお互いに祈るようなポーズでなにか詠唱していた。体がわずかに発光している。彼らはずっと同じ体勢で、呪文を唱える口以外は微動だにしない。


「…?あれって、何してんの?」

「お互いに治癒魔術をかけあってるんじゃない?」

「ええ、そのとおりですわ」


 トキワの疑問に、リディアとマリエルが答える。トキワはその答えに不思議そうな顔をした。


「なんか、リディアの治癒と違くない?リディアのは、もっとこう、ちょっと唱えるとすぐぱーって光るかんじだよね」


 腕を広げて光り方を説明してみせる。演習室の生徒のようにじわじわと発光するのではなく、一瞬強く輝く感じだと言いたいらしい。 


「リディアのあれは、短縮詠唱だ。本来の治癒魔術は、こうやって行う」

「ええ、治癒魔術の原点は”祈ること”ですもの」


 フレイの説明に、マリエルが補足した。彼女は、言いながらリディアへ呆れた視線を向けた。


「リディア、あなた治癒魔術の短縮詠唱ができるんですわね?どうして教えてくださらなかったの?」

「えーっと、それは〜…」


 まずいなあ、とリディアは視線を泳がせた。半年ほど前に行われた上級科試験のとき、リディアは治癒の短縮ができないことにしていたのだ。治癒の短縮ができると必ず白魔術科に振り分けられてしまう。リディアは、黒魔術科か魔術応用科を希望していたので、それは避けたかったのだ。

 しかし、白魔術科を志望していたマリエルにそれを言うのはためらわれた。そうしているうちにリディアは無事魔術応用科に入ったが、その後は完全に忘れてしまって、今までずっと言いそびれていたのだ。


「…白魔術科に入りたくなかったんですわね?そうならそうと、教えてくれれば良かったのに」

「ごめんって、マリエル〜。言い忘れてただけなの」


 そっぽを向いて、頬を膨らませるマリエル。そうして見ると、最初の印象よりずいぶん幼く見える。しかしリディアはそれどころではなく、完全に平謝りだった。


「まーまー、ケンカはよくないって。それよりさ、白魔術科では黒魔術科みたいに戦ったりしないの?どこ見ても、みんな静かな感じだけど」


 仲裁に入ったトキワは、話を変えるように他の教室の窓を手で示した。確かに、黒魔術科のように戦闘演習を行っている部屋はないようだ。

 マリエルは、こほんと咳払いをする。


「…白魔術科では、あまり戦闘演習は行われません。するときは、黒魔術科と合同で行うことが多いですわね。ここでは治癒と補助を中心に学ぶので、あまり単独で戦うには向かないのです」


 言い切ってから何かに気付いたのか、彼女は「でも」と付け加えた。


「最近は、『逆治癒(アンチヒール)』や『逆解毒(アンチデトクス)』を使って戦おうとする子もいるようですけれど」


 『逆治癒(アンチヒール)』は自分が受けた傷と同じものを敵に負わせて自分を回復する術、『逆解毒(アンチデトクス)』は自分が受けた毒を敵に転化する術だ。いずれも治癒の術式構成で行うことができる。


「ふうん、それすごいの?」

「ええ、今まで治癒の術式で相手を傷つける方法なんてないとされていましたもの。ものすごいことですわ。…クライブ様は優秀ですわね」


 いきなり出てきたよく知る名前に、トキワは「え?」と首をかしげた。


「『逆治癒』を創出したのは、クライブ様—ファビウス伯爵なのです。リディアたちの、お兄様ですわ」


 マリエルの言葉に、トキワは今度こそ目を丸くして驚いていた。


「まあ、クライブ兄さまらしい術よね」

「ああ見えて、やられたことはやり返す人だからな」


 当の妹と弟は、納得したようにうなずいている。クライブはいつも笑顔だが、結構容赦のない性格をしているのだ。闇精霊との相性がいいのもその辺りと関係しているのかもしれない。




 その後も召喚術の演習室や補助魔術の演習室を見学させてもらって、四人はホールへと戻った。


「というわけで、白魔術科ではこういった魔術を学ぶのです。参考になりましたかしら?」

「うん、すっごい楽しかった。ありがとう、マリエルさん」


 トキワは白魔術科を満喫したようだ。普段見ることが出来ない演習風景を見ることができて、リディアにとっても結構興味深い時間だった。これからの研究に何か役立つかもしれない、と密かに頭の中に今日見たことをメモする。


「ありがとね、マリエル。また今度お昼一緒に食べようね」

「…助かった」


 それぞれマリエルに礼を言って、三人は白魔術科のホールを後にした。マリエルは最後までトキワの正体を看破することなく、にこやかに手を振ってくれた。


(頭のいい子だから、もしかしたら気付かれてたのかもしれないけど)


 トキワの魔術の知識のなさは、とても教養課程の生徒とは思えなかっただろう。それにしても。


(気付いたとしても、きっとマリエルは言わないんだろうな)


 いい友達を持ったなあとしみじみとしながら、リディアは手を振り返したのだった。




2012.11.23 登場人物紹介のページを作ってみました。

目次ページの0話の前にありますので、よろしければ見てみてくださいー。


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