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耳が聞えなかった少女  作者: 伊藤 孝一
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第一章⑤

 翌日、明音は眠かった。学校の事を考えると不安で寝付けなかったのだ。ようやく眠りに付いたのは夜明け近くになってからだった。こんな事は初めて、頭がぼぅとして言う事を聞いてくれなかった。


 体がだるい中で洗面台に行き冷たい水で顔を洗ってようやく目が覚めた。自分の部屋に戻って服を着替えてダイニングに行く。両親が先に朝食を食べていた。


「おはよう、明音」


 お母さんが声を掛けてきた。


「オハヨウ」


 と明音は言葉を返す。席に座り朝食のパンをかじる。寝不足のせいか、あまり味を感じなかった。


「そろそろ行って来る」


 お父さんが席を立った。


「いってらっしゃい」


 とお母さんが送り出すために廊下まで付いていく。明音は立つ気力が無かったので、その場で送った。


 朝食も終わり、自分も学校へと向かう。何とか気力を振り絞って椅子から立ち上がってドアに向かう。


「明音、カバンを忘れているわよ」


 そう言いながらお母さんがカバンを持ってくる。やはりあまり頭が働いていないようだ。


「アリガトウ、イッテキマス」


「いってらっしゃい、気をつけてね」


 とお母さんが送り出してくれる。ドアを開けると眩しいほどの朝日が入り込んできた。今はその眩しさが忌々しく明音には思えた。明音の心はどんよりと曇っているのに外は何も知らないかのように晴れ渡っていた。




 校門まで行くと足が止まってしまう。こんな事は初めてだった。明音を通り過ぎて生徒が次から次へと入ってくる。どのくらい立ち止まっていたのか分からない。早くしないと遅刻してしまう。


 明音は勇気を出して一歩踏み出す。踏み出してみると意外と足が進む。何とか校門を通り抜けて校舎の中まで入れた。下駄箱に靴を入れて、上履きに履き替える。


 そして二階にある教室に向かう。そこでも足が止まってしまう。でもすぐに気を取り直して教室に入る。クラスの眼が明音に向く。ドキッとするが、すぐにみんな目をそらした。明音はホッとして自分の席に座った。


 相変わらず誰も明音に近づかなかった。腫れ物に触るように扱われているみたいだ。孤独を感じて何だか辛かった。けれども我慢して自分の席に座り続けた。いつかこのクラスに慣れたら友達も出来ると信じているからだ。だから無理をしてでも慣れようとしていた。


 そしてチャイムが鳴る。先生が入ってきてホームルームが始まった。




 授業は順調に進んだ。特に昨日と変わらなかった。先生の話が早過ぎて分からない事もあったが、今までみたいに全部、自分で復習して勉強していた時よりはよっぽど楽だった。


 四時間目が終わる頃になると明音は不安になってきた。そろそろ昼休みの時間だったからだ。一人だけポツンと座って弁当を食べるのは苦しいのだ。何とも言えない孤独感に苛まれて味も分からなくなるのだ。


 そして四時間目の授業が終わって、昼休みになった。




 昼休みは明音一人で食べていた。やっぱり一人で食べると味が分からなかった。早く誰かと食べられるようになりたいと思った。今日もこのまま一人で食べる事になるのだろうと思っていた。だが、昨日とは少し変わったことがあった。


 弁当を食べ終わってしまっていると、一人の女子が明音の前に立っていた。


「宮本さん」


 そう声を掛けてくる。顔を上げてみると、いつも怒っている彼女だった。


 明音は緊張して身を強張らせた。どうしても明音は彼女が苦手なようだ。


「あの、良かったらこれ」


 そう言ってCDを差し出す。


「耳が聞えるようになったって聞いたからお祝いに」


 明音は恐る恐るそのCDを取った。そこにはベートベンと書いてあった。


「あまり音楽聴いた事がないと思ったからクラッシックとかの方が耳に優しいかなと思って選んだの、良かったら聞いてね」


 とそう言うと彼女は去ろうとした。


「マッテ」


 それを明音が止めた。それに彼女は振り向いて


「なに?」


 と立ち止まる。明音は


「ナマエナントイウンデスカ(名前、何と言うんですか)?」


 と聞いた。それを聞いて彼女は


「佐々木 菜々美」


 と照れながら答えた。


「ササキナナミサンアリガトウ」


 明音がそう言うと彼女はニコッと笑って自分の席に座った。


 明音は胸が温かくなるのを感じる。ようやく耳が聞えて楽しい事があったと思った。これなら頑張って学校に通い続けれそうだと自信が持てるようになった。


 そう思っていると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。次の準備をしなければと机に入れてある教科書を出した。


 早く授業が終わって欲しいと明音は思った。早く菜々美から貰ったCDを聞きたかったからだ。音楽をちゃんと聞くのは初めてだった。どんな曲が入っているか楽しみでワクワクしていた。もう、待ちきれない気持ちで一杯だった。


 そんな中、先生が教室に入ってきた。


「はーい、静かにして、授業を始めるよ」


 生徒が騒いでいるのを先生がとめる。五分位してようやく静かになって授業が始まった。


 明音は授業に集中しようとするのだが、全然駄目だった。CDの事が気になって仕方がなくてまったく集中できずにいた。


 結局のその授業はほとんど聞けずに終わってしまった。





 全ての授業が終わりようやくホームルームも終わり、下校の時間になる。明音は勇気を出して菜々美に声を掛けてみようかなとチラリと菜々美さんの席を見たら、もういなくなっていた。仕方無しに今日も一人で帰った。

 

 でも昨日のように惨めな気持ちではなかった。菜々美からもらったCDがあったからだ。早く家に帰って聞きたいと急いで家に向かっていた。途中、急ぎすぎて転びそうになったが、何とか踏みとどまった。それぐらい待ちきれなかったのだ。


 何だか、いつもより自分の家が遠く感じた明音だったがようやく家に着いた。すぐに自分の部屋に入って、耳が聞こえるようになった時にもらった音楽プレイヤーをすぐに起動した。ところが、もらったCDに付いているビニールの包装に中々はがせなかった。


 何でこんなに頑丈に付いているのよ、と明音は歯がゆく思った。ようやくはがせて、CDをプレイヤーに掛ける。数秒の沈黙が流れる。明音の胸は高鳴った。が、


 ジャジャジャジャーン!


と言う、強烈な音に心臓が飛び出しそうになる。慌てて音楽を止めた。


……何これ?


 何ともいえない絶望感を感じさせる音に恐怖すら感じた。例えようのない迫力に圧倒されて、明音はもう一度、再生ボタンを押す気にはなれなかった。


 そこでふと、明音はある考えに思い至る。


 もしかして、驚かせるために、このCDを渡したんじゃないの?


 私をからかう為にこんなCDを渡したんじゃないの?


 そう思うと明音はそうとしか考えられなくなってしまった。考えてみたらあの菜々美と言う女子だけ、特別で私に優しいなんて有り得る訳がない。あの子も私をからかっているだけなんだ。きっと、明日、感想を聞いて笑いものにするに違いない。あの子にも裏切られたんだ。


 そう確信した瞬間、今まで我慢して繋ぎ止めていた何かが明音の中で完全に切れてしまった。そして、もう学校に行こうとは思えなかった。


 どういう事情で菜々美がこのCDを選んだのか分からないが衝撃的な音楽であったには違いない。明音はその題名を知ってはいても聞いたことはなかった。


 その曲は、交響曲第5番ハ短調「運命」の第一楽章だった。それは誰もがしっているあの衝撃的な音で始まる曲であった。

これで第一章おわりですー。

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