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第1話―人妻喫茶の同級生?―

「ありがとうございましたー」


店員の声を背に自動ドアをくぐって書店を後にする。


腕には書籍の入った茶色い紙袋。


今日は特に買い物をする予定はなかったのだが前から欲しかった本を偶然


見つけたためについ衝動買いしてしまった。


よく本を読む俺にとって書店めぐりは一種の趣味のようなものと


化してしまっている。


一冊手にとっては内容を吟味。


棚に戻しては次の本を手に取り。


時間の流れを忘れることもしばしばある。


今回もその例に漏れなかったらしい。


気づけば太陽は傾きかけ、西の山にその姿を隠しかけている。


街はすっかり朱色に染まり、黄昏という言葉で飾るにふさわしいそんな風景。


それらをバックグラウンドに家路へと急ぐ人々や車が忙しなく道を行き交う。


遠くで苛立ったような甲高いクラクションの音が響き渡っている。


その音も人々の作り出す雑踏にかき消され、やがて溶けていき、そこに


車のエンジン音が混じりあう。


そこにまた種々雑多なサウンド、あるいはノイズが自己主張を始めて音の


奔流が出来上がる。


そして出来上がったのがこの「街」。


……などというのは少し格好つけすぎなのだろうな。


自分の頭に浮かんだポエムじみた目の前の光景の描写を恥とともにきれいさっぱり


切り捨てる。反省。


すぐさま思考を切り替える。


さて、この帰宅ラッシュの流れにもまれて家路に着くというのは正直勘弁


願いたいところだ。


文字通り物理的な意味での社会の荒波。


よほど遅くならなければ帰宅時間に制限があるわけでもないどこかで時間を


つぶすのが得策だろう。


そんな俺の思考に申し合わせたかのように道を歩く俺の目に止まったのは一つの


小さな喫茶店。


とはいえ個人経営ではなさそうで看板に記名されていたのは全国チェーンで


展開している有名店の名であった。


ふむ、当たりというわけではないがまあ無難なところだ。


外れはないだろう。対面の歩道沿いにあるその店に向かうべく信号が赤から青


へと変わるのを待つ。


タイミングがよかったのか、さして時間をおかず、発光ダイオードが鮮や


かな赤から青へとその色を変える。


同時になりだすカッコウの音。


横断歩道前で待機していた人々の足がいっせいに動き出す。


歩道の真ん中当たりで交じり合う2つの集団。


その対面集団の一人の男がなぜか目についた。


集団から頭が少々出張った大き目の身長。明らかに染めているであろう


人工色と一目で分かる短く刈り込んだ金髪。


肌の浅黒さと相まってそれがコントラストを生み出している。


そして何より目がいったのは背中に背負った底の深い半円形取っ手つきの鉄器。


「……中華なべ?」


通り過ぎた後で振り向いて確認する。


はて?今、この時代において中華なべを背負って外出。


料理修行の一環か何かだろうか。


しかし服装は上半身にアロハシャツ1枚。


下半身にだぼついたズボンと、とても料理人には見えない風貌だ。


どうにもぬぐえない違和に首を傾げつつもそれはほんの一瞬のこ


とでそれはすぐに頭の隅へと追いやられた。


人の流れに乗り歩を進めて目的地に到着。


自然な流れで俺はその集団から外れて店の前に立つ。


思わず一つ息をついてしまう。


多くの人に囲まれるというのはそれだけで体力を消耗する。


そんな風にして顔を下に向けると鈍く光るチェーンのついた


プレートが落ちていた。


両面に英文字。それぞれOPEN、CLOSE。それだけで合点がいく。


ああ、これはこの店の開店板か。ドアのところにあるフック部分。


そこから何かの拍子に落ちてしまったのだろう。


俺はそれを拾い、なんでもない風にプレートをOPENの方を外に向けるように


してかけなおす。


そのまま小洒落た細工の施されたドアノブに手をかけて中へと入る。


涼しげな鈴の音がドアの開閉とともに店内に響き渡った。


そして奥のほうから聞こえてくる店員の声。


しかしそれは客を出迎えるには似つかわしくない言葉でーーーーーー。


「あ、おかえりなさい。早かったですね。」


……おかえりなさい?はて?俺は普通の喫茶店に入ったはずだが


実はここは特殊趣味の人間が訪れる特殊空間だったのだろうか。


白黒エプロンドレスにヘッドドレスを頭に載せた件の職種が頭


に浮かぶ。……いや、待てよ。末尾に早かったですね?


繋げて整理し、吟味してみればこの台詞、どこかで聞いたことが


あるような台詞であると引っかかりを覚えた数瞬後。


……ああ、これは仕事に疲れた旦那を迎え入れる妻の台詞だと


いうことに気づく。


ではここはメイド喫茶ではなく……。ーーーーーー結論。


「人妻喫茶」


………………えろくない?



……


………


…………


……………


……………殺せ。あまりにも馬鹿馬鹿しい考えにいたった自分が恥ずかしい。


馬鹿か、俺は。そんなこと!、あるわけが!、ないだろう!。


胸の内で嘆息して自分を戒める。反省。しかし落ち着く暇もなく


驚愕は向こうから小走りでやって来た。


今まで水仕事でもしていたのか首から下げたエプロンの裾で


手を拭きながら店員が奥から出てくる。


「あ、ごめんなさい。今まで洗い物してて手が離せな、く、て……」


「………不二家?」


「………か、角、川くん?」


奥のキッチンらしき場所から出てきた店員は俺の見知った顔でーーーーーーというより


も数時間前まで付き合わせていた顔だった。


俺は当然驚いたが、それは不二家も同じようで、水仕事でぬれた手を首から


下げたエプロンでぬぐう体勢のまま、固まっていた。


……いや、このまま固まっていてもしょうがない。


頭を切り替えろ角川 七音。ものの数瞬でリセット、再起動。


不二家は動かない。


ならば俺から動くしかあるまい。一つ咳払いをしてから俺は会話の


イニシアチブを握る。


「……お客様1名様ご来店なわけだが」


「あ……、は、はい!」


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