第4話 五里霧中、されどその意思は強固に
江崎に連れ去られるようにして古書店を後にして通りに
出るとあたりの空気は一変して寂れたような前時代的雰囲気は
一気に霧消し、ごく身近な現実感溢れる活気に包まれた。
細い路地から顔を出した俺たちを出迎えたのは
そんな騒がしい風景を助長するかのような一台の派手な
スポーツカーだった。
白の風を切って走るさまを容易に連想させる流線型を
描いた全身のライン。
空気抵抗を無くすべく機能を追求されたその形状に沿うかのように
サイドミラーや背部に備え付けられたリアウィングが車両を
彩っていた。
一方で環境に対する配慮はなされておらず、車両の後輪の
さらに後ろに取り付けられたマフラーは口径が大きく、
いかにも人体にも環境にも悪影響を与えそうな排気ガスが
大量に排出されていそうだ。
エンジンはかけっぱなしだったようで、その車は
運転手のいない間もその内燃機関を燃やし続けて絶えず
マフラーを震わせていたようだ。
心なしか、運転手が戻ってきて嬉しさを表すようにエンジンが
一つ大きな音を立てて唸りを上げたような気がした。
「ま、乗れよ」
いいつつ江崎は運転席に颯爽と羽織った白衣を翻して乗り込んだ。
後に続くようにして助手席のドアを開けて俺も乗り込む。
バタンと扉を閉める。
乗り込んでまず目に付いたのは山盛りになってすでにキャパシティを
越えかけている車備え付けの灰皿だった。
山の頭頂部には危ういバランスを保って吸殻が突き立てられている。
さらにいうなればこうなってもまだ捨てられていないのは
本人のだらしなさゆえだろう。
「それで、俺を呼び出した用件は何なんですか?」
「若人との交流」
「さようなら」
「ウソウソ、待ってくれよ~」
発進前の車内。
新たなタバコに火をつけつつ応答した江崎の答えに軽い苛立ちを覚えて
車から降りようとすると慌てて江崎が静止を促してきた。
フーッと江崎が至福をかみ締めるかのように紫煙を一つ吐き出す。
「今日お前を呼んだのはな、七音」
そう切り出して江崎はシフトレバーに手をかけて車を発進させた。
外見の印象に違わず、車のエンジンが騒音を上げて動き出す。
「色々と俺らを取り巻く現状ってやつを説明しとこうと思ったんだよ。
つってももしかしたらお前の知ってることばかりかも知んねえけど
ほら、俺らってお互いどこまで情報共有できてるかわかってねぇじゃん
重要なときにそうなったら困んだろ?」
「……………そうですね」
「っつーわけで情報交換開始。とりあえず軒並み重要な質問していく
から分かる問題なら答えろよー。答えらんなかったら江崎さんが解説
しちゃる。じゃあいくぜぇ第1問!」
ハンドルを握り、タバコをふかしながら江崎が忙しなくいつもの
ノリで忙しなく口を動かし始める。
デデン、とクイズの前の効果音を自分の口で表現しているのがさらに
鬱陶しい。
「俺らの所属するゴスペルとはどんな組織でしょーか?」
「能力者に関する事件、懸案を担当する治安維持組織」
つまらなそうにテンプレートともいえる回答を口にする。
江崎がチャララチャッチャラーと正解音を口で模した音を出した。
「じゃあ、そのゴスペルの発足するきっかけになった事件は?」
そこで俺は答えるのに窮して言葉に詰まった。
別に答えを持ち合わせていなかったわけではない。
ただその事件は俺にとっても無関係ではなく、むしろ俺の人生に
影響を与えたといっても過言ではない事件だったからだ。
それも悪い意味での。
「………………8年前の前中央研襲撃事件です」
努めて平静を保ち、俺は声を絞り出すようにして答えた。
現在隣街の安塚市に現中央研究所があるわけだがこの研究所は過去に一度
大規模な襲撃を受けて半壊させられて移設されたという経緯がある。
その半壊させられた事件が8年前の前中央研襲撃事件。
この事件で世間は改めて能力者の犯罪に対する恐怖を実感させられた
といっていい。
もとは警察の一部署が能力者の犯罪を担当していたのだがそれだけでは
どうにも心もとないのではないか。
そのような世論を受けて誕生したのが治安維持組織、ゴスペル。
警察のその担当部署を前身として新たに編成されなおしたという経緯を
経て、8年前、事件のすぐ後にゴスペルは発足した。
長々とした回答を述べると江崎は満足げに唸って大せいか~いとニヒヒ
と笑いながら呟いた。
「ついでに捕捉すんなら今安塚にある中央研のセキュリティ強化されたの
もその時期だな。まあ、あんだけ派手に破られといて何の手も打たねーん
だったら単なる馬鹿だしなぁ。
で、だ。そのセキュリティ強化の一環として設置されたのがアラウンズ
ってわけ」
「前中央研究所に比べて今の安塚は地形的に攻められやすいからという
のが設置の理由でしたね」
「そそ。前の中央研は自然要塞みてーなもんだったからなー。
警備人数だって今の中央研と変わらねー能力者が7人。
一般の警備は今と比べりゃ少なかっただろうけどそれでもそうそう
落ちはしねーと思ってただろうよ。
作ったやつも、中で働いてたやつも」
「それがほぼ壊滅状態に追い込まれたというんですから」
「まったく世話ねーよなぁ」
息が合ったかのようなフレーズ。
なぜか動作までも息が合ってしまい2人そろってため息をついてしまった
信号待ちする傍ら、ハンドルに寄りかかって江崎がニヤリと笑って楽しそ
うに俺に視線を向けてきた。
「………単なる偶然に一々反応しないでください」
「ほーいほいっ」
いわれたとおりに前を向いて視線を反らして信号が青になったのを見計
らい、車を発進させる。
「安塚を囲む周辺4市。桜森、葉仙、秋峰、雪元にそれぞれ一人配置
された能力者。これがアラウンズ。そしてその一人がこの桜森の担当の
小波。ですよね?」
「うーん、流っ石七音。俺らに関する知識はすでに習得済みかー」
「一時期あなた方のことを色々かぎまわっていましたからその名残ですよ
ゴスペルの基本的な情報は大体把握しています」
だがそれでも肝心な情報は手に入れられないままだ。
8年前の兄さんの、角川 華音の死の真相。
兄さんがゴスペルと何らかの関わりがあったところまでは行き着いた。
いや、ゴスペルが発足したのは兄さんの死後になるわけだから正確には
その前身となる組織と、だ。
ゴスペルの前身となる組織は警察の一部署だったといったがそれは正確
ではない。
ゴスペルには現在多くの能力者が所属しているわけだがかつての警察の
その部署には全国展開できるだけの能力者の数は揃っていなかった。
では、出所はどこだったのか。
答えは前中央研に実験協力していた能力者だ。
ゴスペルの前身組織は正確に言うなら警察と前中央研のハイブリットだ。
そうして遡るようにして俺は前中央研の協力者のリストを発見してそこで
兄さんの名前を見つけた。
「そいで、七音はゴスペルが怪しいと踏んで嗅ぎまわってたっつー
こと?」
「ええ、でもご存知の通りゴスペルのセキュリティは甘くないので。
俺自身の持ってる情報収集能力は大したものじゃありません。
ハッキングだとか、そんな器用なことはできません。
だから調査は行き詰っているというわけです」
「にゃーるほどーん」
加えて付け加えるなら━━━━━。
俺は心の内で呟く。
8年前の事件に関してあからさまな情報統制がしかれていることだ。
事件発生のきっかけや犯人グループの明確な目的、背景に何があったのか
などのあらゆる事柄についてどれだけ調べても具体的な回答を得られ
ないのだ。
当時の記事を読み返してもまるで事件の全貌がつかめない。
まるでぼんやりとした具体像しか浮かんでこない。
当時の情報が少なすぎるのだ。
至った結論は当然のごとく。
政府側、あるいはどこかしらの権力者にも隠匿したい事柄がこの事件に
隠されていた。
だからこそ、俺は国家の一機関であるこのゴスペルに協力することを
承諾した。
民間の情報機関では手に入れられない情報。
兄さんの死の真相。
必ず、ゴスペルを通して手に入れてみせる。
少々硬めの助手席のシートに身を預けて、冷めた目で窓の外の流れ行く
景色を眺めながら俺はもう一度、新たに決意した。
着いた先は市役所。さらにいうならゴスペルの本部。
前に来たときと同じようにエレベーターに乗り、3階へ。
途中すれ違ったスーツ姿の人々はやはり年配の人間が多く、学生である
俺の場違いな印象は前に来たときと同様どうしても拭い難かった。
「じゃ、次のしつもーん」
エレベーターに黙って2人で乗っているときに江崎が口を開いた。
チン、と小気味いい音を立てて到着を告げたエレベーターがその重いドア
を開く。
背を向けたまま江崎が俺に問いを差し向けた。
「愚人教って、知ってっか?」
「犯罪者集団」
「ざっつら~い」
歩く江崎の背に差し向けられた問いに対する答えを投げかける。正答。
愚人教。
いくつかあるテロ組織の一部と考えてもらって構わない。
だがその境界はどうにも曖昧で、あるいは暴力団のようなものと捕らえる
人々もいるかもしれない。
ただ構成者の中には一般人の他にも能力者までも含まれる。
江崎から聞いた話だがこの前の桜森で起こった2つの事件を
起こした能力者、そのどちらもその愚人教の会員であったらしい。
そしてこの組織の最大の特徴は組織でありながら組織的な活動をしない
こと。
では組織の存在意義はなんなのかというと犯罪者の互助というのが
一番適切かもしれない。
隠れ家を必要とするものにそれを提供し、人員が必要な場合協力を要請し
それを受け入れたり。
金目の仕事が欲しいといえばその適した仕事を回してもらい。
近い言葉で表すならば自らの利益追求で回るギルドのようなものだろ
うか。
無論、警察や、ゴスペルにも目をつけられているのだがその全貌は謎の
まま。
愚人教の運営者が誰なのか、所属している会員でもさっぱり検討がつかな
いものだから捕まえた会員を尋問してもどうにも情報が得られず。
その噂は犯罪者の間で口コミで出回り、ついにはこうして敵勢勢力である
ゴスペルまで噂が出回るところとなったわけだ。
「それで、その愚人教がどうかしたんですか?」
「ん~、ちょいまっとり」
江崎が白衣のポケットから鍵を取り出して穴に突き刺す。
しかし回らない。
「あ、あいてたわ」
「………随分無用心なことで」
「俺の部屋はいつ何時も来客歓迎なんさ~」
「戯言ですね」
「いやー、慣れねー事はするもんじゃねえな。久しぶりに部屋に鍵かけ
てこうとしたんだけどよ」
「いつも鍵をかけていないんですか」
「いったろ。いつでも来客歓迎だって。フフン」
「威張らないでください」
「中でも七音は超歓迎!」
「はいはい」
冗談を切り捨てて中に入る。
前来たときと同じで、まず俺を出迎えたのは豪奢な来客用の家具。
ただ奥にあるデスクには前と違って書類が山のように積み重なり、
所々に散在している。
適当に座っといてくれや、という江崎の軽い口調の指示。
従って、デスクよりのソファに腰掛ける。
高級感漂うソファーが柔らかに俺の体を受け止めて深く俺の身はソファー
に沈んだ。
そして江崎はといえば机のイスの方に回り込まず逆側、デスクの正面
の方から書類の山をかき分けてその山の向こうから一台のラップトップ
PCを取り出した。
「お前に見て欲しいのはこれなんだよ」
そういって江崎は行儀悪くデスクの空いたスペースに腰掛けて開いた
PCのモニターを俺に見せた。
画面には一枚の紙面を写した画像。
字体は手書きではなくパソコンで打ち込まれたものだ。
そして書かれている内容は━━━━━━。
「7月3日桜森ランドタワーの完成式においてこれを爆破する。
これが愉快犯の類ではないことはこれを開いて30秒後に分かるだろう。
P.S. 犯罪者よもう一度私と勝負しよう。
浅はかにして愚かなるものより、ですか」
ディスプレイに記された簡素な文章。
そしてそれは確かにそれと分かるあからさまな脅迫文。
しかし犯人側の要求は特に書いておらずただ爆破すると声明文が書かれて
いるのみ。
簡潔すぎる文章ゆえにこれだけではどうにも愉快犯の可能性も捨てきれ
ないのだが……。
「30秒後に何があったんです?」
「手紙がボォンッ」
「爆発した、と」
江崎が両手を挙げて万歳のような格好をした。
手紙の信憑性を知らしめるパフォーマンス。
小規模な爆発、か。明らかに何らかの能力者の仕業と見て間違いない。
現物が消失したとすればパソコンに移っているこれはオリジナルを
模して作ったコピーか。
「詳しい話を聞かせてもらってもいいですか?」
「そのつもりでお前を呼んだんだぜい?」
ニカッと江崎は無邪気な顔で笑った。
もはやこの件を引き受けるかどうかの議論は必要ない。
それが俺とこの男の間に交わされた契約だ。
それにしても予告状を送りつける爆弾魔とは随分な目立ちたがりのよう
だ。
治安維持組織たるゴスペルに送りつけられた脅迫状。
果たして犯人は何を考えてこの脅迫状を送ることを考えたのだろうか。
こうして、新たな事件の幕が開く。