第1話―異能力―
学生にとってあるいは社会人にとっても憩いとなる昼休み。
午前までの疲れと空腹を食事によって労う時間。
それは俺も例外ではなく机の上に弁当の包みを広げている。
黄色い楕円型の二段になったランチボックスにはそれぞれおかずと白米
が分けてつめられている。
大きさは小さめ。
育ち盛りには厳しいだろうという意見もあるかもしれないが俺は小食なので
これで十分なのだ。
対して俺の対面にいる男は大食らいで売店で買ってきたパンが4つ5つまと
めて机に置かれていた。
見ているだけで小さい自分の胃袋が余計に膨れてしまいそうだ。
「いやー、快眠ってこういうことかぁ?溜まってた疲れが吹っ飛んだぜ。」
「それはなによりだ。睡眠不足は現代人の敵だからな。」
戦利品のひとつ、カツサンドを口いっぱいにほお張りながら正面のやつが
言うことに少々の皮肉を交えて相槌を打つ。
先ほどまで俺のとなりで眠っていたこの男は五反田 亮介という。
授業態度は至って不真面目。
極度の勉強嫌いで元のよくない頭がさらに拍車がかって残念なことに
なっている。
が、それでも人間取り柄のひとつや二つはあるもので、その知能を補
うかのような高い運動能力がその体にそなわっている。
時折行われる体力テストの成績は常にA評価。
通知表でも満点以外をとったことはないらしい。要するに、この男は脳みそまで
筋肉でできているといっても過言ではない典型的な体力馬鹿なのだ。
「それにしてもカツサンドとはなかなか豪勢なものを手に入れたな。
得意の体力にものをいわせたか」
「べつにたいしたことじゃねーよ。あんなモンちょいちょいちょいっ
と人ごみ避けていけば簡単に買えるぜ?」
「普通の人間にはそのちょいちょいちょいが難しいんだ。相変わらずそ
っち方面のスペックは無駄に高いな、お前は」
「ありがとよ。食うか?」
俺の皮肉に気づきすらしていない。礼を言うような場面ではないだろうに。
勘違いの上、差し出されるカツサンド一切れ。
有難く受け取り、無言で五反田の元へ俺の弁当箱から適当なおかずを見繕っ
てひょい、と箸でつまんで開けられたビニールの上に移動させる。
無料でものをもらおうなどと都合のいいことは考えていない。
無料より高いものはないというくらいだ。
等価交換は世の必定。見返りは与えなければならない。
取引を終えて俺はもらったばかりのカツサンドにかぶりつく。
ジューシーな肉汁が俺の口中を満たし、味覚を刺激した。
貰い受けたカツサンドを味わう最中、五反田が俺の貢物に対する抗議の声をあげた。
「おい、七音。なんで野菜なんだよ。俺は肉をやったんだから俺にも
そっちのミートボールくれよ。」
取引材料として俺が渡したのはトマトにレタス、ブロッコリーの色とりどりの野菜。
五反田本人はこの結果にいささか不満が残るらしい。
ふむ、どうやって説き伏せたものか。そこで俺はもう一品追加してやることにした。
それを弁当箱ごと持ち上げてザラザラと箸でビニールの上に移してやる。
「……こいつはどういうことだよ。俺はそのちょうどいい塩梅にとろっとした
あんかけのかかったミートボールを寄越せって行ってんだよ!
それなのに渡されたのは、豆とくらぁ!」
「落ち着け、五反田」
「こいつが落ち着いていられるかってんでぃ!」
宥めるもすっかり興奮しきっているのか口調が江戸っ子じみている。
昼食のおかずでここまで怒るとは、恐ろしきは食い物の恨みということであろうか。
もっともその癇癪玉を爆発寸前まで導いたのは誰であろう俺自身なのだが。
まあここまでは予測済みだ。そしてこれから起こることも。
「いいか、五反田。お前は肉をやったから肉がほしい、そういった。
これは豚だろうと牛だろうと、はたまた多くの人間が忌避反応を示すであ
ろう蛇だか鰐の肉でもいいとそういうことだな?」
「うん、まあな。」
……そうなのか。
「では、その豆が何なのかお前に教えてやろう。それは大豆というものだ。
そもそも肉の定義とはなんだろうか。俺はこう思う。
食感や味も大事かもしれない。だが食事というものは元来栄養を摂取するとい
うためにとられる生き抜くための行為だ。もっとも重視されるのは栄養。
食材に含まれる栄養分。ビタミンという観点から見るだけでも、
Aが足りなければ視力の低下、Bが足りなければ脚気、神経痛、反射神経の低下、
Cであれば壊血病等々。
栄養の不足は多種多様の病を招く原因となる。過剰な摂取ももちろんのことだがな。」
ここまでいったところで五反田の真面目に保っていた顔が崩れ、
目を丸くしてぽかんとした表情に切り替わる。
こいつは何をいっているのだろう、と。
首がかくんと半ば自動的に、恐らく無意識にだろう。45°ほど傾いた。
「肉には、多くのたんぱく質が含まれている。そして大豆にはそれに負けな
いだけのたんぱく質が含まれている。畑の肉というほどの別名で呼ばれるく
らいにな。知っているか、世の中のベジタリアンがそのたんぱく質不足を補
うために食べているのが何であろう豆類だ。ゆえに俺はこう結論づける。」
最後のカツサンドを口にほうり、咀嚼してパックのお茶をズズッといささか
下品な音をたててすすり、口の中のものを胃袋に流し込んでやる。
「大豆も、肉」
「………………肉?」
「そうだ」
「にく」
「ああ」
「にくぅぅぅぅぅーーーーーーーーーー!!!!!」
五反田がもろ手をあげて喜色満面の笑みを浮かべる。椅子が後ろに
傾き前の2つ足が地を離れかろうじてバランスを保っている。
理解の放棄という名の納得。ここに契約は完了した。
バカのコントロールは、ちょろい。顔には出さず内心で含み笑いをする。
しかし俺は思うのだ。こいつはいつか絶対に詐欺師に引っかかる。
目の前で俺の渡した野菜ともども清清しく大豆を食す阿呆をみて確信する。
とは思いつつも何とかしてやろうとは微塵も思わない。
なぜならそういうのは自分で気づいてこそ意味がある。そうだろう?
ガツガツと自分の昼食にがっつく目の前の阿呆を冷めた目で観察しつつ
俺は自分の箸を粛々と動かし昼食の消化に努めた。
校内、中庭近くの玄関に設置された自動販売機前。
昼飯を平らげた俺と五反田は飲み物を買いにきていた。
「しかし、あれだけのタイムロスをしてまで購買の人気商品
を手に入れてくるとはたいしたものだな。化け物か、お前は」
驚いたことに俺たちの通うこの緑翠高校には食堂がない。
必然、弁当を持参していない者は購買へと赴く。
食堂のある高校よりも購買の利用率が高くなることは推して知るべし。
ゆえに開店5分で売切れてしまう競争率の高い人気商品も存在する。
その中のひとつがカツサンド。手に入れただけでも驚きだがこの男。
朝から眠りこけて起きたのが昼休み開始5分後。
体内時計が知らせたのか覚醒した体は食を求めて購買へと駆けた。
そのハンディキャップを背負いつつまともでかつ上等な昼食を手に入れたの
だから素直に感心する。
食後の一杯に何を飲むか悩んだ末に無難に緑茶を選択する。
なにやらわからない新製品も出ているが俺は冒険家ではない。
そういうのはこういう人間の役割だ。
俺の後に続いて硬貨を投入した五反田は寸分の迷いなくその新製品を押した。
「勇者の薬草」。缶にプリントされたラベルにはそう書いてあった。
「……やはり選んだか。」
「おう、だってどんな味か気になんじゃん。」
カシュッと小気味いい音を立ててタブを起こして350ml缶を煽る。
「……どうだ?」
「……まずい。けどなんかもう一杯いきたいような……」
「とんだマゾヒストだな」
黙って俺も購入した緑茶に口をつける。
口の中を洗い流すかのような軽い渋みが口中に広がる。
食後の一杯にはちょうどいい心地のよさ。
「別に俺は全然すごいうちにはいんねぇよ」
先ほどの俺の言葉に対する返答だと気づくのに少々の時間を要した。
「そりゃあ普通の人間と比較すりゃあ俺は結構すごいうちに
入るかもしんねーけどさ、世の中にゃあ俺の運動神経なんか何の自慢
にもなんねぇそれ以上の力持ったやつらがうじゃうじゃいんじゃねえか。」
「……そうだな。」
五反田の言うことは決して謙遜ではない。
第3者的視点から客観的に分析してもそう思う。
今から50年ほど前に話は遡る。
歴史上、人間は多くの艱難辛苦に見舞われ、そのたびに
それらを乗り越え進化を果たしてきた。
訪れる多くの転機。その中の一つとして50年前にもそれは起こった。
世界中で起こった不可思議な現象の数々。
各地で不思議な能力に目覚める人々が現れ始めた。
いわゆる超能力。
マッチやライターを使わず何もない空間から火を
生み出したり、飛行機やパラグライダーも使わず単身飛行をしたり、
自由自在に雨、雪、台風天候を自在に操ったり、etc、etc……。
当然その出来事は多くの人々の困惑と混乱を招いた。
また、軋轢も。一般人とそうでない人間の差別。
力ある人間の力なきものへの迫害。
犯罪の増加。
状況に適応して能力の軍事利用を目論み、自国の利を得んとする
政治的駆け引き。
かくして世界は誰も予想し得なかった変革の時を迎えた。
それぞれがそれぞれに適応、順応しようと変わっていく。
俺たちの住んでる日本もその影響を免れることはできなかった。
能力を使って犯罪を起こす者、それに便乗する者。
逆に力の使い道に苦しみ、自殺する者。
このようなケースは数えればきりがなかったという。
それでも微々たる努力の積み重ねの末徐々にそれらのトラブルは
なくならないまでも減少の一途をたどっていった。
そして50年経った現在。
ある程度政策も整備され能力者のことも加味したものになっていった。
大きなものとしてまず政府が能力者対策のための組織をつくったこと。
独立治安維持組織、ゴスペル。
とはいえその歴史は浅く、できたのは約10年前。
能力者のかかわる事案の解決を目的としている。
毒をもって毒を制すとは少々たとえが悪いかもしれないが、このゴスペルという組織
は多くの能力者を抱えており、主にその能力者たちが事件の解決にあたる。
平たく言ってしまえば警察のようなものだ。
この組織の効果は大きく、犯罪率の減少、検挙率の上昇、
そして何より、怪我人、死者の数が圧倒的に減った。
毒は毒となりえず、薬の役目として正常に社会の歯車の機能を果たしている。
もうひとつ大きな改革として教育機関の改革が挙げられる。
一般的に能力は14~17歳くらいの間に発現することが多い。
思春期真っ盛りの年齢だ。能力者の生まれた初期の種々雑多なトラブルで
何が一番多かったかというと能力の暴走が挙げられる。
自分に突如として発現した能力に戸惑い、制御できず勝手に発動、暴走
というパターンがもっとも多かった。
当時はまだ対策のたの字もなく能力者を止めるためにはやむなく人海戦術
で押し切り、能力者を殺傷というケースもざらにあったらしい。
そのような悲しい事故を防ぐために打ち出されたのが能力者専門学校での教育。
能力が発現および発現の兆候が見られる子供たちはその能力者専門の学校へ
強制的に転校させられる。
そのために俺たちぐらいの年齢の子供には半年に一回能力の有無を調べる
検査が義務付けられている。
対象年齢とされる中学2年生からその検査は始まり、今、高校2年生に至る。
留年することもなくここまで来たので俺は今17歳。
検査は春と秋に行われ、すでに春の分の検査は終えている。
次の秋の検査が最後でそれさえ終われば以降検査はない。
18歳以上の人間に能力が発現した例はないからだ。
それは原則とでもいうべきもので、50年前に最初に覚醒した人々もそうだったという。
能力が発現したのは少年少女ばかり。
さまざまな仮説が今も飛び交っているものの、確実にこれだと
いえる理論は未だ証明に至ってはいない。
ちなみに発現した能力は生涯消えることはなく、
歳を経て弱まりはするものの、決してなくなることはない。
一生折り合いをつけてなんとか付き合っていかなければならないわけだ。
本当に。そう本当に望まずして能力を発現した人間からすれば
はた迷惑な話である。
とはいえ能力の発現する確率はほんの2%に満たないほどなのだという。
100人に二人いるかいないか。
そのうちの一人になることは果たして幸か不幸か。
渇いたのどを渋い緑茶で潤す。ふっと一息。
そんな俺の落ち着いた心境をないがしろするかのように
俺たちのいる前を慌しく、女子の集団が通り過ぎて騒々しくなっていく。
全員漏れなく体操着姿。
見覚えのある顔がちらほら。同じクラスの女子だ。
「あれ、七音。次って俺らも体育じゃね?教室戻って着替えねえと」
心底うきうきといった様子で飲み干した缶をゴミ箱に入れて
教室に向かおうとする五反田。
「違う。朝の話を聞いていなかったのか?武田、午後から
出張でいないから男子は教室で自習だぞ」
「ナ、ナンダッテーッ!!」
だが俺はその背を容赦なくバッサリと言葉の刃で切り捨てる。
飲み干した緑茶の缶をゴミ箱に放り投げる。
放物線を描いて吸い込まれるようにそれはゴミ箱にボッシュート。
教室に向かおうと歩き出す。
五反田を見やれば奴は放心していた。
まあ、運動を生きがいにしているような男だ。
その機会が失われればショックも受けるか。
また一人、一人と俺と放心している五反田の前をキャピキャピと
やかましい女子が通り過ぎていく。
だからなのかもしれない。その女が目に付いたのは。
その女はひどく物静かで誰と一緒に歩くでもなく一人。
それでも一際存在感を示しているように俺には見えた。
もっとも、外見の時点で大分人目につくかもしれない。
そいつは女子らしくなく髪の手入れが一切なっていなかった。
それなのに長髪なものだからいっそうひどい。
枝毛の数は数え切れず冬の庭ではしゃぎ回る犬のように、縦横無尽に跳ね
回っている。
背は女子にしては高めで160センチは超えているだろうか。
表情は至って無表情。
一人でいるときにニヤニヤと笑っていたならばそれはそれで気持ち悪いが
俺がいいたいのはそういうことではなく、それがデフォルトで冷たい鉄のような
印象を受けたとでもいえばいいのか。
それなのに下手に顔立ちは整っているものだからある意味マッチしているといえ
なくもない。
小波 優。
その名前は校内において有名だ。
成績優秀で運動神経も抜群と優等生のような誰もが羨むステータス。
だがその反面で遅刻や早退も多くさらにウワサでは喧嘩を
しているだとかなんとか。
実際偶然だが小波が傷を負っているところを見たことがある。
ふとした拍子にまくれた袖から仰々しく巻かれた包帯とわずかな
切り傷がそこから覗いてた。
だが所詮ウワサはウワサ。
興味もなければ好奇心に駆られることもない。
ただ名前をよく聞く。それだけ。
俺の価値観からすればテレビの中の芸能人となんら変わりない。
周囲がどれだけ騒ごうが俺には関係のない話だ。
その件の人物が通り過ぎるのを横目で流し見してから俺は
固まった五反田をせっつき、進路を教室へと向ける。
ふと、目の前の掲示板が目に付く。
この前行われていたテストの成績順位が貼り出されていた。
上位30名の成績優秀者は総合点数、クラス、名前と供に貼り出されるのだ。
大変困ったプライバシーもへったくれもない制度である。
その最上段、輝かしく見えなくもない1という数字の横に
「今回も、か。まるで出来レースだな」
それがさも当然といわんばかりに小波 優という文字がプリントされていた。