第4話 時代から取り残されたような━━━
江崎から呼び出しがかかった。
といっても今回のは事件の発生を知らせる緊急連絡の類ではなく、
急ぐ必要はないものの話したいことがあるとの旨だった。
携帯には地図が添付されており指定されたその場所に学校が
終わったら来い、と書いてあった。
地図で見たところ、記された場所は駅前に程近い場所で
しかし、メインストリートに面していない、細い路地の
あまり人通りの多くなさそうな場所だった。
歩くこと十数分。
もうじき夕方に程近い駅前のメインストリートは
これからの帰宅ラッシュを連想させる賑わいを見せていた。
ほんの一ヶ月ほど前に事件現場となったメインストリートは
まだその傷跡を諸所に覗かせてはいるものの、大分復興の
兆しを見せ始めていた。
営業の再開をしている店も少なくはない。
とりあえず道路や信号といった交通機関の整備は優先的に
進められたようで、修理された信号機は遅れた分の働きを
取り戻すかのように明滅を繰り返し、道路のアスファルトも
舗装しなおされてひび割れもなく、もとの路面よりも綺麗に
整備されていた。
あの凄惨な光景はどこへやら。こうしてみると人間というものの
底にある強さというものを見せ付けられるような気がする。
そんなメインストリートを歩いて通りすがり、そこから先は
携帯の画面とにらみ合いながら道を進んでいく。
細い路地裏に目的地は位置しているが行くのにそう労苦は
なかった。
メインストリートの途切れかけ、駅から歩いてきて最後の路地を
右に曲がるだけ。
車一台入るのがやっとという地図の線を忠実に表したかのような
細い路地だった。
通り向こうはまた別の大通り。
賑わいに満ちた2つの通りに存在感を奪われたかのように
ひっそりと路地は存在していた。
そんな道に立地しているのは古書店。
そう。ここが江崎の指定してきた場所だった。
他にも似たような建物はあるものの、それらは全て
シャッターが下りて定番のテナント募集という定型句を
述べた張り紙が飾りのように貼り付けられていた。
この通りで開いて営業しているのはこの古書店一店舗のみ。
お世辞にも繁盛しているとはいえない、寂れて、時代に
取り残されたかのような店だった。
躊躇しつつもそこが目的地と指定された以上中に
入らないわけには行かない。
ノスタルジーを醸し出す引き戸に手をかける。
が、立て付けがどうにも良くないらしく中々動いてはくれない。
グッと力を込めてやっとゆっくりと引き戸が嫌な音を立てて
その頑なな入り口を開き始める。
扉を開く行程までもノスタルジックだ。
ここに行き着くよりも苦労して入り口をようやく人一人
通れる分だけこじ開ける。
できたその隙間に体を横にしてねじ込むようにして中に入った。
体が扉とこすれてガラス戸がガタガタと騒がしい音を立てた。
そうして中に入った瞬間、真っ先に感じたのは鼻をつく古く、
どこか寂寥感の漂う特有の匂いだった。
店内は薄暗く、光量が少ない。
その一因として店内の諸所に設置された蛍光灯が所々切れている
あるいは切れかけていることがあげられる。
ジジッと時折癇癪を起こしたかのように蛍光灯が明滅を繰り返す。
そんな蛍光灯の不明瞭さを補うかのように奥から
暖色のランプの明かりが漏れ出ていた。
古書店、と銘打つだけあって棚が数多く並び、意外にも
それら全ての棚がギッシリと本でギッシリと埋め尽くされている。
見た感じの品揃えだけならとても売り上げの不良を決して匂わせて
いない。
その意外な品揃えの豊富さに驚き、好奇心を刺激された俺は
目の色を変えて品の品評に移る。
数は十分でもその質はどんなものか。
店の寂れ具合もあり、この時点で俺は大して期待をしていなかった。
直後、俺は己の愚かしさをかみ締めて反省することとなった。
「…………お、………おぉ、……おぉう、おう!」
近場の棚から。
上から下まで嘗め回すように品定めしていった俺はただただ間抜けな
オットセイのようなうなり声をあげることしかできなかった。
とりあえず、ハッと気を確かに持って今の己の愚行を戒める。反省。
まさに垂涎、という言葉がピタリと当てはまった。
古く、絶版して久しいタイトルがそこら中に収まっている。
古書店ならではの利点。
瞬時の直感。天啓が雷のごとく頭をピシャンッと打った。
ここは……穴場か!そうなのか!
このときすでに俺の頭からは理性が大分飛びかけていた。
いうまでもなく、ここにきた目的は頭の隅に追いやられて
スンッ、と次第に小さくなりながらかつその透明度を増して
消滅した。
俺はキラリと、いや、ギラリと目を光らせた。
フフフッ。さて、どいつから手をつけてやろうか。
これか、それか、あれか、どれだ?
ともすれば笑い出しそうなところを必死で押さえつける。
そんな光景は想像したくない。
笑い出せば間違いなく変態確定である。
俺はまだ人間でいたい。
ああ、でもこのような思考に至る時点で俺はもう━━━━━━。
「――――――探し物は見つかったかね?」
ビクリッ!と不自然に両肩を震わせて俺は両手に
持った本を思わず取り落とした。
バサバサと紙がかさばるような音を立ててページが開かれたまま
数冊の本が地に落ちる。
それに構わず俺はフッと悪事をはたらく人間が
見つかったときのような速さで後ろを振り向いた。
そこには綺麗に染まった白髪の大分歳を召した老人が立っていた。
格好はシャツの上にジレを羽織り、ネクタイを
キチリと締め、下にはチェックのスラックス。
紳士然とした非常に清潔感の漂う格好をした老人だった。
「あ、すみません、すぐに拾います」
「驚かせてしまったみたいだね」
取り繕うような俺の態度をフォローするかのように老人は
俺よりも早く地に落ちた数冊の本をさっさと拾い上げてしまった。
そのまま老人は一冊、また一冊と俺が本を取り出してできた
スペースに丁寧に本を差し込んでいく。
作業の邪魔をしないように、と俺はさりげなく、控えめに一歩
引いて老人の作業スペースを作った。
その作業をしつつ、老人が背中越しに俺に語りかけてきた。
「君は本が好きなようだね。ぶしつけながらカウンターから
君のことを観察させてもらっていたよ」
「………見苦しいところをお見せして」
ハハハ、と柔らかい調子で老人は笑った。
「気にすることはないよ。ここには私しかいないし、その私も
別段君のそのようなところを見て敬遠しようとは思わない。
だから気にしなくても一向に構わない。それどころか君が
そういう人間でいてくれて私としてはうれしい限りだよ」
横合い、わずかな角度から覗かせた顔には口角のつりあがった
微笑が浮かんでいた。
その笑顔のまま老人はとんでもないことをしかし、
俺にとってはこれ以上ない破格の条件をのたまった。
それを聞いて俺は自分の耳を疑った。
「気に入ったものがあったならば遠慮せずに持って行ってくれて
構わないよ。貸し出し、という形でね」
「えっ!?」
「どうせ棚に収まったままの本達だ。誰かに読まれた方が
よっぽど幸せというものだろう。違うかね?」
「………いや、でもここ、曲がりなりにも店なのでは」
「所詮、売れない前時代の遺物のような古めかしい店だよ」
「………開き直りましたね」
俺がそういうとハッハッハッ、と今度はおかしそうに老人が声を
上げて笑い声を立てた。
「君に一ついいことを教えてあげよう。こうして長く生きて
いるとね、潔く開き直ってしまった方がいいこともあるんだよ。
この際にいってしまうとね、この商売自体いってしまえば道楽だ。
お客も特定の人以外はほとんど来ないしね」
「あー、まあ確かに」
否定する要素は生憎と持ち合わせていなかった。
人の目にもつかないという立地条件もさることながら、店自体も
ひどく寂れてとてもではないが入ろうとは思えないだろう。
店内に至っても購買意欲をそそろうという意識は希薄で整備が
ろくになっていない。
これをフォローするという方に無理がある。
その辺りはしっかりと老人にも自覚はあるようだ。
「だから君にその気があるのならばどうか持っていって読んで欲しい。
本の方もきっと読まれた方がその本懐を果たせて幸せだろうしね。
ええと、少年」
「七音です。角川 七音」
言いよどんだ老人に俺は自ら名乗る。すると老人はわずかな
何かを思案するかのような沈黙の後でニコリと笑って
いい名前だね、とひとこと付け加えた。
そんな会話の最中だった。
店の入り口、引き戸がガタガタと騒々しい音を立てて台風が
吹き荒れたかのごとく激しく揺れた。
その後で苛立ってしびれを切らしたかのようなバンッと壁を
叩くように殊更大きな衝撃音が一つ。
その後で硝子の引き戸が先ほどまでの立て付けの
悪さが嘘であるかのような気持ちのいいすべりを見せた。
そうして騒々しく入ってきたのはそれを人間的に体現したかの
ような中身まで騒々しい男だった。
「よーッス!七音ー、元気してっかー?」
「………あなたの登場で俺の精神状態は著しく下降の一途を辿り
ました」
「ヒューッ!シビレるぜ!」
江崎は目をつぶって全身で感じいるかのように肩をすくめた。
俺のいったことは比喩ではなく。
江崎を見た瞬間、俺の凪いでいた心が途端にかき乱された。
きわめて簡単にひとことで感情を表すならばこれにつきる。
イラッ。
「じゃ、ジーサン。こいつ借りてくぜ。連絡、はしといたよな?」
「ああ、大丈夫だよ。」
そんな俺の様子に一向に構わず江崎は老人に確認をとる。
知り合いなのだろう。騒がしい江崎の扱いも心得ている様子で
老人のゆったりとしたペースが崩れることはなかった。
「急ぐかね?よければコーヒーの一杯でも出すのだが……」
「わぁりぃ、こちとら結構やること溜まってて忙しいんだわ。
ジーサンのコーヒーは飲んでいきてぇけど━━━━」
「ではまたの機会に、かな」
江崎の言葉を先読みして老人が台詞を引き継ぐ。
2人の息が合っているというよりは
老人が江崎のテンポにうまく合わせて会話を進めている印象を
受けた。
「じゃ、行こーぜー。七音」
「分かりましたよ」
俺は自然に江崎に合わせられるほど老人のような大人では
なかった。
その点を鑑みればまだまだ人間としての成熟さが足りていないと
いうことなのだろう。
悔しいことに老人のような大人の態度を目の当たりにすると
自分の未熟さを痛感させられる。
一つため息をついて俺は江崎の後をついていく。
「七音くん」
そんな俺を呼び止める声一つ。
「またのご来店を」
俺はそっけなく、それでも確かな意思を込めて軽く手を振って応える
「ええ、また来ます」