第4話――ランチタイムのプレデタ―――
その日は母さんがたまたま寝坊をして弁当がなかった日のことだった。
いつものごとく教室を出て行った五反田を追いかけるような形で俺は席を
立ち、購買へ向かった。
無論、昼食の調達のためだ。
とはいえ、混雑が苦手な俺はわざとゆっくりとした足取りで歩く。
学校中が昼時特有のざわめきと食べ物の匂いで満たされていた。
廊下を歩きながら少し教室の中を覗けば机の上に弁当を広げている様が
見受けられ、反対側の窓の外を見遣れば友人同士でベンチに腰掛けて
笑顔で会話を交わしながら昼食をつつくのが視界に入った。
冷めた目でその光景を眺めながら廊下を歩く道すがら、前の方から
うんざりとするほど見覚えのある男子生徒が歩いてくるのが見えた。
両手にはたんまりと戦利品を抱えている。
五反田だ。
「よう、七音。今日はどした?いつもならもう教室で弁当広げてん
じゃん」
「今日はたまたま弁当がないんだよ。だからこれから購買に
買いに行くところだ」
「はー、珍しいな。あ、そうだ。よかったらこれ食わねえ?」
そういって五反田は自分の腕に抱えているビニール包装の食べ物の山を
指し示した。
「これおばちゃんに消費期限近いからって格安で譲ってもらったんだよ。
一人じゃとても食いきれなくてさ」
「食べきれないなら何故買ったんだ」
「安いって聞くとどうしても買いたくなんねーか?」
いや、そこは期限内に買ったものを食べきれるかどうか自分と
相談するのが筋だと思うのだが俺のそんな考え方は少数派なのだろうか。
ひとえに考え方と価値観の違いか。
「っつーわけで、これよかったらやるよ?」
「………………」
器用に袋の一つをつかんで片手を差し出したままニカッと笑って
固まる五反田に俺は閉口する。
まぶしくて思わず目を瞑りたくなってしまう。
そのまっすぐに向けられた善意に。
けれどもそこで目を瞑りたくなるということはひとえに俺が
素直な人間ではないということの証明足りえるわけで。
「…………なぜ」
ゆえに、そんなことはないと思いつつもどこかで疑ってしまうのだ。
その施しや優しさが罠なのではないのかと。
思わず口からこぼれたのは行動の根拠を求める疑問詞だった。
「うーん、何でっていわれてもな。日頃のお礼?」
「……………」
「うまくいえねえけど七音いっつもなんだかんだで俺のこと
色々助けてくれてんじゃん」
「別に助けているつもりなど━━━━━」
「まあ、お前はそういうんだろうけど」
俺の反論を五反田は無理やりに遮る。
俺がどういう反論を繰り出してくるか計算していたらしい。
五反田の癖に。
「だからほら、なんかされているだけってのは気持ち悪いわけよ。
俺からなんかしてやりたいって思うわけ。
なんつうんだっけ、こういうの。あー、出てこねえ!」
「ギブアンドテイクか?」
「そう、それだ!」
得たり、と五反田の苦悶に歪んだ表情がパッと明るくなる。
助け舟はどうやら的を射ていたらしい
慣れない論理を展開して結論を導き出した五反田が
再び手にあるビニールを俺に突き出した。
手先にぶら下がる善意の代替物。あるいは善意そのもの。
「だから、やるよ」
その善意を改めて見遣る。やはり俺にとっては眩しいものだった。
「いらない」
それを受け取ってしまえばその光はきっと霞んでしまう。
だって受け取るのは俺だから。
常に打算的に物事を考える純粋や無垢とは百光年かけ離れた俺だから。
理性が受け取ることを頑なに拒絶した。
本能ではなく、理性。
だから相応の理由付け。
五反田を論理的にはじき出すべく声帯が脳の思考をトレース
して動き出す。
「ギブアンドテイクだというならばなおさら受け取れないな。
お前が俺の行動をどう受け止めようが俺にお前に親切をしてやったという
自覚はない。
そんな俺にとって施しを受ける理由はどこにもないからな。
一つ結論として言葉を述べるならばタダより高いものはない。
これに尽きる」
五反田のように本能や直感で受け取る人間からすればこの場で
親切を拒む理由はついぞ思いつかないだろう。
場合によっては怒ってもおかしくはないが、なにぶん五反田との
付き合いはそこそこに長い。
「ん、そっか。わかった。」
いっていることや行動原理は分からないにしても俺のそんな面倒くさい
人間性は分かっているからか、五反田は大人しく引き下がった。
残念、や浮かばれないといった面持ちは微塵もない。
相手が俺だからこういうことだってあると完全に納得しているような
様子だ。
「じゃ、先に教室に戻ってるぜ。早く戻って来いよ」
「ああ」
そういってすれ違って数歩歩き出したときだった。背中からもう一度
五反田が俺を呼ぶ声が聞こえた。
億劫な面持ちで俺が振り向く。
「お前やっぱ優しいよな」
「………………流行っているのか、それは」
ワハハハハ、とそういったきり五反田はいつものあほ面で笑いながら
教室に駆け込んでいった。
優しい。さきほどのどこにそんな要素があったか皆目見当がつかない。
パンを受け取らないその行為のどこを五反田は優しさと解釈したのか。
馬鹿の考えることは時々分からない。そして馬鹿といえば、だ。
もう一人、五反田の最後に行った台詞と同じことをいったヤツを思い出
す。
「俺が優しい、ね。俺の周囲にいるのはバカばっかか」
昼休みの喧騒に包まれた廊下で俺はひとりごちる。
ばかばっか、ばかばっか。なんとなく響きが気に入ってしまい
毒づくように俺は内心で繰り返し続けながら俺は購買の方へ向かった。
しかし、話はこれで終わりではなかった。
ゆったりと購買部に向かい、あまりものの菓子パン数個と
飲み物を抱えて教室に戻ったときのことだった。
何というか、俺の席が侵略されていた。
「あ、おかえりなさい、角川くん」
「な、七音菓子パン買ってきたろ?俺の勝ちぃ!」
「むぅ…………外れたか」
さらにいうなら侵略者の一人がこっちにこいと
俺を手招きしていると補足するべきか。まるで異次元空間。
これは、なんなんだ………。
げんなりする俺をそれでも脳にインプットされていた自席にもどるという
命令が体を動かす。忌避感はあるもののしかたなしに俺は席についた。
「じゃあ、食べよっか」
「待て」
「んだよ、七音ー。さんざん待ってたんだからもう食おうぜー」
「黙れ。まずなによりお前に説明義務があるだろう。
なぜ帰ってきたらお前が不二家と小波の二人と暢気に談笑しているんだ」
「小波ー、かけは俺の勝ちだからな忘れんなよ」
「アスパラのベーコン巻きでいいだろうか」
「くるしゅうない」
そのまま、五反田と小波は食事にとりかかる。
これではまるで俺が空気を読めていない人間のようではないか。
正論をいった………っ!正論をいったはずなのに………っ!
理解しがたいこの状況に難色を示している俺の心情を
汲み取ってくれたのは不二家だけだった。
「お弁当、たべよう?」
違う!気を使ってくれた点は評価するが俺の求めた答えは
そうじゃない………っ!
一緒にお昼を食べたかったからだよ、と不二家は語った。
「前からそう思っていたんだけど角川くん隙がなくて話しかけ
づらかったんだよね。
だけど今日は角川くんどこかに行っちゃってて五反田くん一人で。
そうしたら小波さんが五反田君に一緒に食べる話を持ちかけてみてって。
よく分からないけど将を射んとするならばまずは馬からだって教えて
くれたの」
………間隙を突かれた、というわけか。
それを突いてきた小波の方をジロリ、と見遣る。
俺が不二家から敬経緯を聞いている横で小波と五反田が会話している。
意外な組み合わせだが相性は悪くないようで、五反田が言うことを
小波がサラリと愚痴るように突っ込みをこぼす。
それに反応して五反田がケタケタと笑っていた。
それにしても、だ。
ま た 小 波 か。
ここ最近俺の周りで続く一連の事件に軒並み小波が関わっている
ことはもはやいうまでもあるまい。
小波が関わるたびに俺に不幸が舞い降りる。正に不幸を呼ぶ黒猫。
さらにいえばその小波の鶴の一声でこの食卓が毎日続くことに
なってしまった。
「あの、やっぱりよくなかったかな………。
角川くん迷惑じゃない?」
「…………別に迷惑じゃないですぅー」
不快さを露骨に表していうと不二家がいつものように控えめな
困ったような笑みを浮かべた。
それでも引き下がるつもりはないようで続く否定の言葉は
口から出なかった。
そのまましばらく黙り込んで五反田と小波の様子を
ボーッと眺めていた。
「違うだろ、そこは悪いことをしてすみませんって謝る場面だろ」
「手本を見せてくれ」
「すみません」
「もうするんじゃないぞ」
「はい………って、なんで俺が謝ってんだよ!」
「すまない」
「手本いらなかったし!謝れんじゃん!俺の謝罪を返せ!」
コントか。そう思わずにはいられないやり取りだった。
横目で不二家を見ればそのやり取りを見てクスクスと
楽しそうに笑っていた。
ほほえましく、平和と表現するにふさわしい空間。
俺には今まであまり縁のなかった昼休みの時間の流れ方。
多幸感に満ち溢れたこの場所はひどく居心地が悪く
感じられた。
…………これがこれから毎日続いていくわけか。
ふぅ、と気づかれないように一つ、俺は短い憂いを帯びた
ため息をついた。