第3話――とある五反田のアイデンティティ――
50年前。俺たちの生きるこの世界に不思議な能力を持つ人間が突然変異の
ように生まれ始めた。
それは道具を使わずに空を飛ぶ能力だったり、何もない空間から炎を
生み出したりと多岐の範囲に渡る。
その出来事は人々の間に戸惑いと混沌とを生み出した。
世界単位で勃発した多くの事件。それは恒久の不戦の誓いを掲げる争いの
ない日本も例外ではなかった。
力あるものの力なき人間への迫害。犯罪の増加。
変化する情勢を利用しようと影で暗躍する者。
個人から国家単位までの多くの思惑が交錯した50年前の事件。
かくして世界は誰も予想し得なかった形で変革の時を迎えた。
多くの国が自国の改革を迫られ、受け入れて変わっていった。
中にはそれを受け入れられず滅びた国家もあるが逆にその変化を
利用して誕生した国家もまた存在する。
大規模、とはいかないまでも世界地図と歴史は時代に流されるようにして
書き換えられた。
そして50年が経った現在。
当初あらゆる無法が目立った日本も法や制度の改革によって平穏を
取り戻した。
少なくとも表面上は。
異能の存在が当たり前のように認知されている。
俺が生きているのはそんな世界だ。
そして、俺もまたそんな特殊な能力者の一人である。
「七音ー!、昨日は大丈夫だったか!?」
「………それはむしろ俺の台詞だ。直接の被害者はお前だろう」
ザワザワと教室が人で満たされていく朝の教室。
自分の机でいつものように本を読んでいた。
俺は挨拶も無視して話しかけてくる騒がしいその声に気だるげに応じた。
ガラガラと椅子を引いて机にドカッと乱暴にカバンを置くなり
五反田が俺の隣にある自分の席に腰を落ち着ける。
「まあ……、その様子だと元気そうだな」
「おう!ピンピンしてるぜい!」
ダーッ!と両手を振り上げる五反田。昨日バスの土砂崩れという
大事件に巻き込まれたというのにそんなことはどうもこの男にとって
関係なかったらしい。
今日も今日とて五反田は平常運行だ。
四肢の隅々まで力が漲っており、落ち着きがない。
そのくせ授業が始まれば途端に調教された猛獣のように大人しくなり、
催眠にかかったかのように眠りにつくのだろう。
典型的な劣等性だ。
それはともかく。
昨日の事件は結構な話題を呼んでいるらしい。
ここ最近頻発していた土砂崩れは実は能力者によって
引き起こされたもので、その能力者は昨日無事に捕まった
というニュースはすぐに全国放送で報道された。
その犯人の逮捕された現場がこの桜森で、さらにいえば緑水高校の
近辺であったことから
教室はいつもの3割増しくらいで騒がしい。
どこから情報が漏れたのか、その直接の被害者ということで五反田は
すっかり注目されている
チラリ、チラリ、と。本人は話題にされていることに気づいていない
だろうがそこここで五反田に向く視線が見受けられる。
それが見るに留まり、本人どころかその近くにいる俺にすら話題
が振られたりしないのは日頃の人望の賜物だろう。
自らを皮肉るように内心で一人ごちる。
噂が噂を呼び、畏怖の対象となっているのが
俺と五反田を取り巻く現状だ。
ゆえに、クラスどころか学年単位で俺たちの存在は浮きに浮き、
他人と会話することなどまったくない。
はずだったのだが━━━━━━。
「あ、おはよう、五反田くん、角川くん」
「お?」
「は?」
俺たちの席の近くに一人の女子が立っていた。
奇妙な縁で関わりを持ち、最近になって見覚えになりつつなってきた
不良と対極に位置する校則遵守の優等生。
両手に紙の束を抱えた不二家がそこにいた。
今、声をかけられた、の、か?俺たちが?
俺は耳の調子を確認するように片手を耳の辺りに持っていき、五反田も
耳穴を指でほじって似たような反応をしていた。
それぞれ学校という社会において人との関わりをほぼまったくと
いっていいほど持っていない。
そんな共通点を持つ俺たちが似たような反応をしたのは至極当然の反応
だったと思う。
「どしたよ、七音?選ばれた勇者にしか聞こえないナレーションボイス
を聞くかのような反応をして」
「お前こそどうした、五反田?プールから上がって違和感を感じて
ようやく耳に水が入っていることに気づいたときのような仕草だな」
「ああ、いや、何か声をかけられたような気がしたんだけど。
ウッチーとお前以外で久しぶりに」
「奇遇だな。俺も声をかけられたような気がする」
「あ、えと、気のせいじゃないんだけど」
互いに事の真偽を議論する俺と五反田の間に不二家の声が割り入った。
それが本当であったことに俺たちはそろって驚きを隠しえなかった。
「なん………」
「だと………」
「そ、そんなに驚くことかな……?」
それはもう。不二家のいったことに心のうちで多大な賛同を示す。この驚きの度合いを
例えるなら原始人が初めて火を見つけたレベルだ。
俺と五反田がまじまじと信じられないものを見るようなレベルで目の前
に立つ不二家を凝視する。
あまりの圧迫感に耐えられなかったのか、不二家が控えめな
動作で思わず、といったように一歩後ろにたじろいだ。
「…………最後に学校で事務作業以外でクラスメイトの方から話しかけられた
のは3年くらい前だったっけなぁ」
「なめるなよ、五反田。俺は5年前だ」
「キ━━━━━ッッ!!」
「それは負けて悔しがることなのかな………」
両手で頭をかきむしって悔しがる五反田が地団太を踏む。
不二家が俺たちのやり取りににさりげなく困ったような顔で笑いながら
ツッコミを入れる。
それにしても、だ。負けて悔しがること=友達いない暦が長い。
不二家のいったことを吟味すればこのような結論に至るわけだが。
「何気にグサリと痛いところをついてくるな……」
「え?……あ、ああ!そ、その、ごめんなさいっ!」
遅れて自分のいったことの意味に気づいた不二家が途端に平身低頭に
なって、とはいえ両手にものを抱えているのであくまで気持ちだけ。
それでもどうにか態度で示そうとしてバランスを崩しかけてくるり、と
その体が回って
「っと、とと、きゃっ」
転びかけた不二家の襟首を反射的に引っつかむ。危ういところで転倒の
危機は免れた。
俺の伸ばした腕にグッと重さが加わって引っ張られた。その抵抗に
さらに逆らうようにして不二家の身体を元通りに戻してやる。
「あ、ありがとう。角川くん」
「ああ」
「ふっ、いいってことよ。ただ助けた分のお礼ってヤツはきっちり
してもらわねえとな。何?持ち合わせがない?それなら仕方がねえ。
直接体で奉仕してもらおうか。グヘヘヘヘ、ジュルリ」
「………………」
「か、体で………」
名誉のために一応訂正しておこう。無論、いったのは俺ではない。
不二家がいわれた言葉からよからぬ想像を得たのか俯いてその顔を
朱に染める。
打って変わって場に嫌な空気と沈黙が流れた。
「………………五反田」
「………………はい」
クイッと親指で近場の換気のために開け放たれた窓を示した。
入ってくる風を受けてカーテンがパタパタと揺れている。
カラリと晴れた外。抜けるような青空。
「今日はいい天気だぞ」
「不肖、この五反田 亮介。場の空気を重くした責任は取る所存。
しかし腹を切るわけにもいかぬゆえ」
五反田は駆け出して窓までの距離を一気につめる。
勢いのまま窓の桟に足をかけてそのまま外へと飛び出した。
「アーイキャーンフラーイ!!!」
「えーーーーーっっっ!?ご、五反田くーん!?」
俺は両手で正方形を作り、写真を撮るような仕草で五反田の生き様を
目に焼き付ける。
題名はそうだな、自由への跳躍。
「いい画だ」
「か、角川くん!いいの!?」
動揺した不二家が俺に詰め寄る。何故止めなかったのか、と。
俺はため息を一つついて不二家に落ち着くように促した。
「下を見てみろ、不二家」
「う、うん……」
不二家が窓際に駆け寄って下を覗き込む。
「ここは3階だ」
「知ってるよお!」
不二家が珍しく強い口調で反論してきた。俺も窓際に駆け寄り、
地球の重力に逆らわず自由落下していく五反田を観察する。
「まあ、大丈夫だ。そう心配することじゃない」
「え?」
無造作に宙に投げ出された身体がクルクルときりもみ状に回転し始める。
それは水泳の飛び込みのように美しく、優雅に、しなやかに。
芸術点、加点1。
そのまま校舎の2階部を通り過ぎる。
後を追うように下の階が騒がしくなり、俺たちと同じ野次馬が窓から
顔を出し始めた。
きりもみが止み、縦回転に移行する。それは計算に裏打ちされた
動作なのだろう。
寸分違わず、五反田は両足で地面に接地する。両足、膝、腰、肘、肩。
体は柔らかい動作でそれらの部位を順に地面につけつつ転がっていく。
五点着地。
軍隊のパラシュート部隊でも使われている技術だ。
一階の生徒も騒ぎに気づいたのだろう。
五反田の落下した教室から波紋が広がるようにして窓から次々に生徒が
顔を覗かせた。
もはや、ことは学校単位の騒ぎである。
五反田はといえば怪我一つなく着地することに成功したらしい。
受身をとってしゃがんだ姿勢からゆっくりとした動作で立ち上がって
新体操の競技を終えた選手のように両手を広げてY字を作り、
目を閉じ、陶酔したように呟いた。
「マーベラス……!」
ふっ、と口元に笑みが浮かんだのを俺は見逃さなかった。
まぁ、嬉しいのは分からんでもないが………。
そんな細かいところまで目がいくほど冷静になっていたのは俺くらいの
ものだろう。
五反田の奇行は様々な意味で波紋を呼び、ちょっとしたパニックを
生み出していた。
純粋にその技術に歓声を上げる生徒。
事情を知り、その人物を見て何事かと怯える生徒。
興奮のあまりさらにパニックを煽ろうとする生徒。
指笛や歓声が入り混じってちょっとしたお祭り騒ぎである。
当の五反田はといえば何を勘違いしたのかいやいや、
どうもどうもーとにこやかに笑顔を振りまいていた。
だが、そんな幸せも長くは続かない。
手を振りながら後ろに数歩下がった五反田の身体がドン、と体格のいい
身体にぶつかる。
瞬間、振り向いた五反田の表情が今までの笑顔から一転して凍りついた。
「朝から随分楽しそうだな、五反田?えぇ?」
「ウ、ウッチー………」
「宇都宮先生と呼べ。で、この騒ぎはなんだ。先生も見ていたが
あれは自殺未遂か?突然3階から飛び降りたりして」
宇都宮のこめかみに浮かんだ青筋が怒り心頭といわんばかりに
ピクピクと痙攣している。
正直宇都宮をここまで怒らせる生徒は珍しい。
宇都宮は怒りはするものの、その怒りはごく小さなもので、青筋を
浮かべるに至ることはまずない。
はっきりいって五反田くらいのものだ。
「………………せ、青春の猛り、とか?」
「こんの、馬鹿もんがぁぁぁぁぁ!!!」
「ひいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
襟首をつかまれた五反田の身体が地面に叩きつけられる。
大胆かつダイナミックな大外刈り。
実はこの宇都宮教諭、柔道の有段者で、若いころは将来を有望視された
選手であったらしい。
その証拠に宇都宮教諭の耳はすっかり変形して滅茶苦茶な形に
なってしまっている。
本人はそれをさほど気にしておらず、自分の勲章だと語っているが
時折それを見た生徒の中には宇都宮が過去にやくざだったのではないか
と勘違いするものもいるそうだ。
確かに顔だけ見てみれば宇都宮の人相はいうほどよいものではない。
サングラスでもかければ完全にジョブチェンジできるだろう。
話は戻るが昔とった杵柄というか、柔道に打ち込んでいたというその
名残は今もあり、時折こうして懲罰に使用されることもある。
………まあ、これも五反田限定なわけだが。
こうして考えてみると愛されているな、五反田。
「若さゆえの過ちだって!見逃してくれよ!」
「ならばその過ちは大人である俺が正さねばなるまい。
覚悟しろ、五反田。先生がお前を立派な生徒に更正させてやるからな」
「た、助けて!七音ーーーーーー!!」
グルリ、と宇都宮の目が俺のいる教室を向いた。
サッと視線を反らして俺は窓際から一歩下がる。
かくいう俺も宇都宮教諭の世話になったことが何度かあるが、どうにも
あの手の教師は苦手である。恐らく向こうもそれは同じだと思う。
好き嫌い以前に根本的な相性がよくない。
ゆえに敵意をむき出せばいいものでもなく若干もてあましている部分も
あるのだ。
「いいの、角川くん?五反田くん連れてかれちゃったよ?
助けを求めてたみたいだけど?」
「………まあ、なんとかなるだろう。相手は宇都宮だし、な」
そこで、不二家がクスクスとさきほど五反田が飛び降りたときの
焦りようが嘘のように笑い出した。
何故、笑うのかと思うと同時に俺は内心で不快感を露にした。
不快感というと少々語弊があるかもしれない。
正確に言うならばそこまで負に偏ったもの
ではなくどことなく居心地の悪い感情に包まれた、か。
「さっきの飛び降りといい、角川くん五反田くんのこと信頼してるん
だね」
「客観的な評価だ。信頼など微塵も存在しない」
五反田と一緒にいることの多い俺にとってあの程度の奇行には
慣れているという経験値。
五反田の身体能力ならばその程度はやってのけるという俺自身の分析に
よる前情報。
照らし合わせれば今更驚くようなことではなかった。
「いうなれば、そうだな。商品に対する信用といったところか。
感情ではなくて、理性による判断だな」
「だけど、それも一つの信用の形だよ?」
「………………」
そういわれれば閉口せざるをえない。
不二家に何も言い返せず俺は二の句を次げなかった。
自分で言うのもなんだが理詰めが得意な俺はそれゆえに口論が強い。
口論で必要なのは冷静さを保つ精神力と論理の組み立てだ。
その点において勝っているはずの不二家に俺はなぜか言い返すことが
できなかった。
目の前では不二家がふふふっと柔らかい笑みを浮かべている。
俺は完敗を悟った。
が、このまま引き下がるのをよしとしなかったのは俺のプライドゆえか。
「………………調子に乗るんじゃない」
目の前の不二家の俺の目線よりちょっと低い位置にある不二家の額を
軽く小突いてやった。
不二家の身体がわずかに後方に傾いだ。
それを受けて不二家はえへへ、と小さく笑った。
本人にとってそれはどうやら心地のいいものだったらしい。
小突いた俺のほうがどことなく気まずくなってふいっと視線を
不二家から反らした。
そして話題を反らすように何気なく浮かんできた疑問を口走る。
「そういえば結局何の用だったんだ。俺たちに用もなく話しかけた
わけじゃないだろう」
クラスのアンケートの回収か。行事の役割分担の伝言か。
五反田はともかく俺は学校の提出物の提出を怠ることはない。
周囲からあまり好ましくないレッテルを貼られているとはいえそれに
合わせて不真面目に振舞うつもりは毛頭なかった。
だが、学校の行事に関しては別だ。
周囲とのコミュニケーションが必須となる学校行事というものが俺は
大嫌いで、それに関する話し合いだとかクラスの活動だとか。
類するものは全てサボり続けている。
それも噂に拍車をかけている原因かもしれない。
まあ、分かってはいても今更どうにかしようという気も起きないのだが。
話は若干逸れたがようするに、俺に話しかけてくる輩など
そんなものだということ。
ここに至るまでの何年間か、俺にそれ以外で話しかけてくる物好きな
クラスメイトは五反田以外にいなかった。の、だが
「え、ないよ?」
物好き第2号。口には出さず、心の中で不二家にそう毒づいた。
若干の不快を露にして眉をしかめる。
そんな俺の様子を鋭敏に感じ取った不二家だがどうしたことか不二家は
恐れる様子もなく一歩も退かなかった。
「ただね、角川くんとか五反田くんとお話してみたいなぁっておもった
だけだよ。二人ともきっと優しい人だと思ったから」
その言葉に俺はむずがゆさを覚える。またそれか。
それは俺という人間を大して知りもしないからいえることだ。
妄言、妄想。明確な嫌悪が俺の中で募る。
偽善だ、そんなもの。苛立ちを覚えてギリリと歯噛みする。不二家のいった言葉が俺の
中をかき乱していた。
普段通りの俺ならばこの程度で苛立ちを露にすることはなかっただろう。
苛立ったなら苛立ったなりに適当な理詰めで極力穏便に不二家をあしらっていた。
だがヤツが現れたのはそんな間の悪いときだった。
「不二家、頼まれたものは教卓の上に置いておいたが構わないか?」
「あ、ありがとう、小波さん。ごめんね。手伝ってもらっちゃって」
「いや、構わない」
小波…………。教室の前方から小波 優がこちらにむかって歩いてきた。その小波と
視線がかち合う。俺の視線はさぞ憎しみのこもったものだっただろう。
小波の方は相変わらず涼しい表情だったが。
カチリ、と俺の中のスイッチが無意識に切り替わり思考が途端に冷めたものに変質していく。。
「不二家」
「何、角川くん?」
「用はないんだろう?どっかいけ」
普段理性的に動くことを心がけている俺だがとうとう感情的になるのを抑えきれなかった。
言葉に棘が混じる。そのつもりがなくとも不二家へと発する言葉がきついものになってしまっ
た。熱くなる頭と反比例して言葉の温度が冷たくなっていく。
不二家は悪くない。それは分かっているのだが自分を抑えることができない。
「で、でも……」
「消えろ、といっているんだ」
「不二家」
小波がその華奢な肩に手を置いた。未だ何かいいたそうな不二家にここから立ち退くように
促す。俺の一気に剣呑になった雰囲気を鋭敏に感じ取りつつも諦めきれない。
そんな様子だった不二家が渋々といった様子で俺のそばから立ち去った。
代わりに残ったのは小波 優。対峙する。
一気に日常との境界線が曖昧になっていく。昨日の一件。もはや言い逃れはできない。
怪我やら後処理やらで昨日は結局何も聞かれずに返された。
気づいたら俺は自室のベッドに寝かされていた。母さんによればゴスペルの人間が意識を
失った俺を家まで運んできたらしい。
事件に巻き込まれた経緯も聞いたのだとか。その辺りはどうやら配慮してくれたようで
今回も俺は単なる被害者ということになっていた。
そして、今日。
どこかで接触してくるだろうとは思っていたがどうやらその時は存外早くやってきたらしい。
二度助けられておいて何をいうと思うかもしれないが正直なところ俺にとってこいつは敵に
等しい。あれだけのことをされて笑って許せというのも無理のある話ではないだろうか。
ズキズキと昨日殴られた鳩尾が痛みを訴える。日常の繰り広げられる学校の一教室。
しかし、俺と小波の周囲だけは隔絶されたように非日常の空間が展開されていた。
怨嗟を込めてにらみ付けるも小波は微動だにしない。
もっとも俺のほうも凶悪な犯罪者と数多く対峙している小波をこの程度で動揺を誘えるとは
思っていなかったが。
「授業が終わったら学校から一番近くの空き地に来い」
時間にすればにらみ合いは一瞬だっただろう。その締めくくりに小波は手短に時間と指定場所
を告げた。何をするのか内容の方はいうまでもない。
用が済むと小波は俺の返事を待たず、相変わらず手入れのなっていないその長髪を翻して
さっさと自分の席に戻った。
自分のしたことが間違っていたとは思わない。俺は俺の信じるもののために行動した。
その行動を後悔してしまえばそれは自己の否定に他ならない。
自分が自分を信じてやらずしてどうするというのだ。
それでも、今のこの状況はやりきれなかった。俺は頬杖をついて自分の
机で不貞腐れる。
空いた手をさりげなく眺める。そこに宿った能力。
これがあったから人を救えた。
これがあったからこのようなトラブルに巻き込まれた。
2つの事実が相反してジレンマを生み出す。
能力があったほうがいいのか、ないほうがいいのか。
これは能力者になる前からずっと考えていたことだった。
能力は大きい。
常人を軽く凌駕するチカラは自分の可能性を広げてくれる。
だがそれゆえに常人との間に壁を作り、差別化される。
力は人を孤独にするとはよくいったものだ。
メリットがある。
デメリットがある。
コインの表と裏。決して溶け合うことはないこの世の真理。
先の疑問の答え。それは未だに俺の中で解決していない。
いや、答えを求めること自体が愚問なのかもしれない。
そんなことを考えて仮に答えが出たとしても能力者なり一般人なり。
与えられた立場で精一杯あがいてもがいて生きていくしかできないの
だから。