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第2話――疑いと好意――

この時期放課後に図書室に居座る人間はそうそういない。


図書室はカウンターに図書委員の生徒がいる以外他生徒は見当たらなかった。


その図書委員も静かなものでおとなしく手元の本に視線を落としたままだ。


その仕草はひどく退屈そうにも見える。室内は静寂に支配されていた。


その図書室のさらに奥まった場所に俺はいる。


放課後に特に予定が無い場合は割とここに立ち寄る事が多い。


本に触れる事は俺にとっての癒しの一つだった。


手当たりしだいに本を取り出しては開いて、戻して目ぼしいものが無いか物色していく。


俺の読書量は普通の高校生を軽く凌駕しているという自負はあるものの、まだその量は図書室の書架を制覇するまでに至っていない。


ここには、まだ未知がいっぱいだ。


そんな期待じみたものを抱きつつ、物色を続ける。そんな折である。


珍しく、放課後の図書室の扉がガラガラと音を立てて開いたのは。


足音は一人分。俺のいる場所からはそれが誰なのか確認する事はできない。


俺と同じく図書を借りに来た生徒だろうか。こんな時間に珍しい。


と、自分の事はすっかり棚に上げて考える。


しかし抱いた興味はごく小さなものですぐに気にしないことにした。


闖入者への興味は次第に薄れていき再び蔵書の方へと戻っていく。


一冊の本を手に取り、パラパラと、ページをめくる。


それは過去に読んだ事のある本であったが何となく見返したくなった。


見覚えのある文章が俺の目に映る。


あらかた流し読みし終わった俺はパタン、と静かに本を閉じてそれを丁寧に書架に戻した。


「ニーチェか」


突然かけられた声に何事かと思い、首をひねって背後にいる人物を見やる。


「随分と高尚なものを読んでいるのだな。角川 七音」


「それは褒めているのか?小波 優」


お互いに牽制し合うかのような言葉を交わす。


「放課後に生徒がこんなところに来るとは珍しいな」


「生徒であるお前に言えた事ではないだろう」


「まあ、そうなんだけどな」


背中を向け気味になっていた体を直して小波に正面から向き合って対峙する。


体重を少し背後の書架に預ける。


小波はこのような図書室の奥深くまで来るのが珍しいからか棚に手をかけ、周囲の様子を物珍しそうに眺めていた。


「それで、単刀直入に聞こうか、小波。何の用だ?」


「大体分かっているのではないか?角川、お前ならば。」


相変わらず表情も口調もおよそ人間らしさを感じさせない無感情。


会話がただの尋問になり下がる


小波の纏った冷たい空気がそうさせていた。


「………………さあな。校内一の有名人に話しかけられる理由など全く思いつかないな」


「容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備といった私の噂の事か?」


「………………まあ、そうなんだが。自分でいうか?普通」


「そう言われているという事実を述べただけだ。私自身は別にそうだと思ってはいない。まあ、確かに客観的に見れば私は有名なのかもしれないな」


「大した謙遜だな。流石優等生だ」


小馬鹿にするようにいうものの小波には一向に応えた様子はないようだ。


俺としても本音で言ったわけではない。


決して自慢をしているというわけではないと思う。


口調に嫌味をが感じられない。


何せあらゆる意味でこいつには感情が感じられない。


こうして会話する時間は数刻に満たないもののそんなくだらない事をする人間ではないと思う。


本人からすればそういう事実がある、と淡々と述べているにすぎないのだろう。


「確かに有名である事は認めよう。だが、それが校内一かどうかということになればいささか疑問が残るな」


引っ掛かりのあるような言い方。


この時点でこいつが何を言いたいのか分かってしまった俺は自分の勘の鋭さを喜ぶべきなのだろうか。


それを自分から認めてしまうのはどこか癪だった。


不本意ながら付いてしまった通り名。


知らない風を装ってとぼけてみせる。


「何のことだろうな」


犯罪者ギルティ角川、悪魔鬼デーモン五反田。いずれもこの学校で有名な名前だな」


「そんな噂があったとは初耳だな。で、そんな噂の真偽を確かめるためにお前はここにきたのか?だとするなら俺に答えられることは一切ないが」


「いや、その件については大体分かっているから聞くまでもない」


「………………すでに俺の個人情報は丸裸、というわけか。流石ゴスペルといったところか」


「そうだ。今日話をしに来たのはその事についてだ。いくつか聞いておきたい事と確認しておきたいことがある」


決して逃がしはしない。そんな冷たい視線が俺へと向けられる。


感情はないものの強い意志を感じさせる、そんな視線だった。


その迫力に俺はピリピリと肌がひりつくようなプレッシャーを感じた。


「まず、一つ。私がゴスペルに所属している事をあまり言いふらさないでもらいたい」


「………………まあ、別段いいふらすつもりはないが一応聞いておこう何故だ。」


「下手な波風は立てたくない。私は能力者だ。それだけいえば分かるだろう?」


「なるほどな」


近くに能力者がいると分かる。それだけで恐怖に駆られる人間がいないとは限らない。


それだけ能力というのは人に恐怖を与えるものなのだ。


一般人と能力者の間にある絶対的な壁。


それは決して越える事が出来ない。


だからこそ能力者は保護、教育という名目のもとで区別されて専門の学校に送られるのだ。


「二つ。京楽の事件でお前自身が戦ったことをいいふらすな。公式の発表では一般人の協力はなかった事になっている。」


「それはゴスペルの面子ってやつか?」


棘のあるような引っ掛かった言い方で返してやる。


まるで相手の神経を逆撫でするかのように。


それでもあくまで小波は冷静に返答する。


「半分はな。だがもう半分はお前自身のためだ、角川。あの戦闘の詳細。知られればお前にとって好ましくない事もあるのではないか?」


「さて、な」


「ちょうどいい、三つ目だ。この際に聞いておいた方がいいだろう」


日が沈みかけ、窓の外は徐々に赤みがかってきている。


そのわずかな朱が図書室を照らし出す。


まるで、図書室が一つの幻想的な空間に早変わりしたようだった。


そこにあるのは非日常。


目の前に立つのはその担い手。


「お前は、能力者なのか?」


「………………この学校のいること、それ自体が答えになると思うが。」


「例外もいる。例えば私のような、な」


「仮にそうだったとして」


冷静に思考回路を回す。小波の強烈な視線に負けじと、まなじりを上げて正面からその視線と向き合う。


若干の間を持たせた勿体ぶった言い方。


「俺が素直に答えると思うか?」


「………………」


「それに答えならもう出ているんじゃないのか?あの、昨日やった検査で」


「バレていたのか」


「いや、カマをかけただけだ。おかげで仮説が確信に変わった。やっぱりお前の差し金だったんだな」


小波の目元がスッと細まり、視線が弱まる。してやられた、といった風だ。


唐突に目を閉じて小波は大きく一つ息をついた。


「………………食えない男だな、お前は」


「それはどうも。俺にとっては褒め言葉だ」


とはいうものの、小波も俺のことをどうこういえた立場ではないと思う。


こいつは言葉の端々に俺にカマをかけるかのような節を見せて俺の反応を窺っていた。


食えないのは小波も同様だ。伊達にゴスペルという特殊な組織に身を置いていないということか


そのまま互いに対峙したまま時間が過ぎていく。


そんな舌戦に終止符を打ったのは図書室の引き戸がスライドする音だった。


「ごめんね、小波さん。先生に頼まれごとされちゃって遅くなっちゃったーーーーーーってあれ?小波さん?帰っちゃったのかな?」


静寂に支配された荘厳な雰囲気を破る女生徒の一声。その声は聞き覚えのある声で目の前にいる小波の名を呼んだ。


長机にドサドサとものを置いて女生徒が図書室を歩きまわる足音がする。


「あ、小波さん。よかったぁ。帰ってなかったんだね。って、あれ、角川くん?どうしてこんなところにいるの?」


奥まった書架の通路の向こう。女生徒が一人。不二家の姿がそこにあった。


相変わらずの校則通りの長さのスカート、タイの長さ。


髪は不衛生さを感じさせないショートカット。


もともとのものなのか、若干の癖が付いている。


そして中身までもが真面目ちゃんといったこちらも多少意味合いが異なるものの優等生である。


「いては悪いか」


「え、ううん!全然そんなことないよ!」


「………………何故そんな強い口調なんだ」


「え、と、その、角川くん気を悪くしちゃったのかなと思って………………」


そんな風に見られていたのか、と内心で若干肩を落とす。良かれ悪かれ勝手に人間性を決め付けられるのは俺にとっていささか不快ではある。


ふうっ、と俺は一つこめかみに親指を当てて大きく息をついた。


「怒ってない。だから安心しろ」


「ほんと?」


「嘘をついてどうする」


「う、うん。ごめんね」


奇妙な沈黙が場を包み込んだ。俺と不二家のやりとりを見ていても小波が動じた様子は全くない。


さらにいうなら何のアクションを起こす様子もない。


不二家はどことなく用件があるものの、俺というイレギュラーがいた為にどう動いていいか分からないといった様子だ。


仕方ない、俺が動くとしよう。


「何か小波に用があったんじゃないのか?」


「え、あ、うん。そうなんだけど。角川くん、小波さんと何かお話があったんじゃないの?」


「もう終わった」


「あ、そうなんだ。じゃあ、小波さん借りてもいいかな?」


「別に俺に聞く必要はないだろう。何をするんだ?」


社交辞令とでもいうのか何となく会話を途切れさせないためにどうでもいいそんなことを聞いてしまう。


どうでもいいことだった、のだが。


「うん、蔵書整理するの。主に今私たちのいるこの辺の書架。


クラス委員の仕事の一環でね。


小波さんはその手伝いをしてくれるんだって」


「………………何?」


不二家の言葉の半分は聞いていなかった。重要なのは聞いていた半分でその事実は俺にとって不都合なものであったからだ。


由々しき事態であった。この辺の書架というのは人がほとんど寄り付かないというのは先に述べたとおりだがそれゆえにこの辺には


俺が勝手にお気に入りとして集めた蔵書が俺の好みの順番に配置されている。


それが壊されるとなると………。


俺としてはそのような事態は避けたい。どうする、俺。


しばしの逡巡の末答えを出す。ボランティアは嫌いだが背に腹は変えられん。と、いうわけで


「不二家」


「?どうしたの?角川くん」


小波と一旦長机の方へ戻ろうとした不二家を呼びとめる。


「俺もやる。いや、俺がやる」


「え?本当?いいの?」


「ああ」


「わぁ、ありがとう!」


不二家の顔が途端に花が咲いたような笑顔になる。その一方で小波は俺の方をどこか疑い深げな目で俺を見つめていた。


何かある、というのは小波にはすっかりバレてしまっているようだ。


そんな俺をまるでどうでもいいと振り切るかのように小波は俺と不二家を置いて早歩きで長机の方へ行ってしまった。仕方なく俺は不二家と並んで歩き出す。


「そういえば、角川くん。この前は大丈夫だった?」


「ああ、幸い怪我もなく、な」


「そっかぁ。それはよかったね」


「不二家もな」


「あの、それでね、角川くん。もしかしてこの前、私の事助けてくれたりした?」


「………………」


「あの、私気を失ってたんだけどそれでもちょっとだけ意識があってね。誰かが私を背負ってくれているような気がしたの。それで、もしかしたらそれって角川くんだったのかなって」


数瞬の迷い。先ほど俺は小波にあの事件について被害者の立場でいること、京楽の逮捕に協力したことは話さないと決めたばかりだ。考えてから俺は嘘をつくことに決める。


「………………さあ、心当たりがないな。俺も気を失っていたからな。大体仮に俺に意識があったとして俺が不二家を助けるようなお人好しに見えるか?」


「どうしてそんなこというの?」


「どうして?」


俺はそんなことも分からないのかといった風にハッ、と一つ短い乾いた笑いを漏らす。


「不二家、お前だって俺が噂でなんて呼ばれているか知らない訳じゃないだろう。聞いたことくらいあるはずだ。自分でいうのもなんだが、俺は有名らしいからな」


不本意ながら小波のいったことは真実だ。陰で犯罪者と呼ばれ、蔑まれている事。


それゆえ俺の周囲には人が寄り付かず、知り合いと呼べる知り合いはほとんどいない。


それでも俺自身が辛いと感じる事はない。喜ぶべきなのだろうか。


こんな境遇に慣れてしまったことは。


俺にとっての現実とはすでにそういうものとして確立されてしまっていた。


「うーん、聞いたことくらいはあるよ。でもね、それって結局本当かどうか分からない噂、だよね?」


そこで不二家は小走りになり俺の進路上にくるりと回り込んで両腕を後ろに組んで俺と正面から向き合った。そしてニコリと笑う。


「私は知ってるよ。角川くんは優しい人だって」


「………………」


それは欠片も悪意のこもっていない善意だけで構成された純粋で純真な言葉。


俺のような捻くれた人間では決して言う事の出来ない言葉だった。


だからなのだろう。


それはとてもまぶしく感じられて、俺はそれを素直に受け止める事が出来なかったのは。


「ふんっ。俺が優しい人間だと?あまりにも馬鹿馬鹿しくて笑えて来るな。俺で優しいならこの世のすべての人間はとっくに優しい人間になってるさ」


その不快さが如実に表に出ていたのだろう。不二家は打って変わって委縮したように小さくなっていた。


それでも不二家は意外と頑固なものでその考えを変えるつもりはどうやらないらしい。


「あ、その、嫌な思いさせたらごめんね。けど私は本当にそう思ってるから。角川くんはいい人だって」


不二家が向けてくれているもの。それは好意と呼ばれるのだろう。


自慢ではないが俺は今まで生きてきて好意というものを向けられる事がほとんどなかった。


向けられていたのは敵意ばかりだったから。それゆえに向けられた好意の受け入れ方を俺はよく知らない。


そんな俺なものだからこう返すので精一杯だった。


「………………そう思いたいなら勝手にそう思っておけばいい。いつか不二家が裏切られたと感じても責任は持たないけどな」


そう言い捨てて俺は不二家の横を通りすぎた。悲しげな顔をしているのか、あるいは悔しそうに歯を食いしばっているのか。


うつむく不二家の表情がどんなものか、俺にはうかがい知ることはできなかった。


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