7「新任務」
ドミナの話を聞き終えたルノートが考え込む素振りを取った。彼はどう思ったのだろうか。ドミナはそれが不安になった。
ドミナは恐れていた。自分のことを逃げた弱虫だと責めるに違いない。そんな強迫観念のような気持ちが心に溢れてくる。
「ドミナ、君は強いよ」
ルノートの言葉を聞いて戸惑いが生じた。ドミナは耳を疑い、ルノートの顔へ目をやった。彼の顔は真剣だ。つまり本気でそう言ったのだろう。
「わたしのどこが強いんだ・・・」
「少なくとも君が逃げて生きてくれたことを、そのオルタっていう人は間違いなく喜ぶはずだよ」
ドミナは反論しようとした。しかし、声が上手く出ない代わりに震えが。情けなく目元に熱が集まる。
「生きてくれて、ありがとう」
その瞬間、ドミナの視界にオルタが映った。彼の姿とオルタが重なって見えたのだ。
ドミナは我慢の限界に達し、涙を溢れさせてしまった。枕に涙が流れ落ち、濡らしてしまう。しかし、そんな彼女の体をずっと優しく、ルノートが抱きしめてくれた。
「君は誰かを守る力が欲しかった。だから『アルペシア』に入った。その気持ちこそ、君の強さだよ。ぼくはこんなくさいことしか言えないけれど――どれも本気で言ってる」
本当に彼は年下なのだろうか。ドミナは心の中でそう思いながら、涙をひたすら流し続けた。しばらくして泣き止むと、不意に彼女は体を起こした。
「眠気が飛んだ」
ドミナはそう言ってルノートを見る。彼は申し訳なさそうに苦笑を浮かべた。
「そう言えば気になることが幾つかあるんだけど・・・その、『実験体』が『優秀な者』か『劣った者』かどうやって判断していたのかな」
「わたしの場合は理由が分からないけれど、『最高傑作』と呼ばれて『優秀な者』としての扱いを受けた。たぶん、『実験』された体へ上手く適応した子だけが優秀扱いされる」
「でも薬を飲まないと体を制御できないんだよね」
ドミナの心に疑問の種が宿る。
確かに今考えてみれば、一体何が優劣を判別していたのだろうか。白衣の者たちへの従順さだろうか。それだとオルタは『優秀な者』としてずっと留まっていただろう。
「ん~、わたしにも分からん」
ドミナの捻り出した回答はそれだった。
「ちなみにドミナが今飲んでいる薬はどこで入手しているの?」
ドミナがいつも食後に服用している瓶に入った白い錠剤。ルノートはそれの出所について尋ねた。
「レシピはすでに知ってるから『アルペシア』と繋がりのある薬品の製造織の人からもらってる」
ドミナの回答に納得した様子のルノートがこくこくと頷く。
「おまえ」
ドミナが悪戯な笑みを浮かべる。
「どれだけわたしのこと知りたいんだよ」
その言葉を聞いた直後、ルノートの顔がぽっと赤くなった。初めて見た彼の赤面する様子に、ドミナは思わず吹き出して笑った。
「いや・・・その・・・!」
ルノートは言葉がつっかえているようだ。ドミナは堪え切れず腹を抱えて笑い声を上げる。
爆笑するドミナと、照れて顔を真っ赤にしたルノートという二人の絵面はそれからもしばらく続いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
二人は再び任務を受けることになった。シンフォニ王国の中心都市、その第四地区。ホテル街が数多く立ち並ぶその地区に、つい最近破産を宣言した会社の社長が、借金取りから身を隠しているとのこと。
名前はカインド。携帯アプリの開発担当を担う会社を営んでいたが、開発費、社員への給与の未払いを含めた多くの借金を抱えてしまい、破産に至る。何とか社員への給与の支払いは済ませたようだが、それもお金を借りての解決だった。借金取りに追われる日々を送り――このホテル街のどこかのホテルに身を隠しているとの情報が。
暗殺を依頼してきた者はもちろん、この借金取りの者からだ。死体から臓器や体の各部位を切り離しでもして、裏社会へと売り流すのだろう。裏社会での常套手段だ。
以前廃工場で行った任務の後、研究者の死体は『アルペシア』と繋がる業者に引き取られた。彼らは通称『掃除屋』と呼ばれる。その業者の者たちは死体を回収、現場の清掃を行った後、死体から臓器や体の各部位を切り取って売買を行う。尚、あの死体はルノートが頭部を潰してしまったため価値は下がったようだったが。
真昼間の現在、ドミナとルノートは二人してタクシーに乗り込み――このタクシーは前回の任務でも協力してくれたルーズというタクシードライバーの協力によって用意――、第四地区のホテル街へと訪れていた。
後部座席へ二人して座り、窓の外を眺める。彼ら二人のような子供が訪れる場所ではない。瀟洒な建造物ばかりが立ち並び、街歩く者たちも皆スーツに身を包んでいたり、高そうな毛皮のコートに身を包んでいたり――。ブランド品のバッグをこれでもかと見せびらかして歩く者、やけに目立つ艶のある白色の高級車。
他の地区とは明らかに異なる高級感が街全体に漂っていた。タクシーは広い道路を走りながら、とあるホテルの駐車場へと入っていく。
かなりの部屋数を有したホテルだ。空に届きそうなほど大きく、小さなドームであれば丸呑みにしてしまいそうなほど広い。
どうやらここに暗殺対象が身を隠しているようだ。
「凄い・・・こんなところ初めて来た」
ドミナがそう言いながら、きらきらと輝く目をしてホテルを眺める。
「到着しました。帰りの際はホテルの者を通じてご連絡ください」
運転手がそう言って、後部座席のドアを開いた。ドミナとルノートは運転手へ礼をし、外へ。二人は圧倒された。ホテルは車から見た時よりも、聳え立つ遥かな迫力を感じる。
「ルノート、早く行こう!」
ドミナはルノートを見て無垢な笑みを浮かべていた。純粋にこの高級ホテルへ来るのが楽しみだったのだろう。
ドミナはホテルのロビーまで嬉しそうな顔をして走って行った。ルノートは急いで彼女の後を追う。
「凄い・・・」
ルノートもまた圧倒された。ホテルのロビーはあまりにも広い。
どこかの国の金持ちだろう男がキャリーケースを引いて歩いている。
赤いネクタイを身に着け、スーツと丁寧な佇まいの男女。彼らはこのホテルの者だ。
彼らはルノートとドミナに礼をして丁寧に迎え入れる。そんな彼らにドミナが話をする。すると彼らは笑顔のまま二人をどこかへと案内した。ホテルのロビーから離れ、この階最奥にある『関係者以外立ち入り禁止』の文字が扉に刻まれた部屋へ。
二人の案内したホテルの者たちは部屋を去り――ドミナとルノートは中にいた一人のサングラスをかけた男と対面した。
黒いソファの上に座る彼の前には、大量の煙草の吸殻が折れて残る豪華な灰皿と、それを乗せるガラスの机。先ほどまで煙草を吸っていたのだろう、部屋全体に煙草のにおいが充満していた。
サングラスをかけた銀髪の男は二人を見るなり、迎え入れるようにソファから立ち上がった。
「『アルペシア』のお二方、お待ちしておりましたぞ」
彼は歯を見せて大きく笑う。歯に装着した銀色のグリルズがぎらぎらと輝いていた。
「我々『狼虎』はこのホテルの運営――そしてあなた方『アルペシア』との暗殺業務への協力を行っております。今回の暗殺任務は我々の傘下組織である『サイクロン』からの頼みであり、お二方にはそれを行ってもらいます。そのための支援、そして報酬としてこのホテルでの二泊三日の休泊が支給されます。暗殺対象の始末はすぐに終わるでしょうから、どうぞ心行くまでホテルでの時間をお楽しみください」
要約するに、暗殺が終わるまでだけでなく終わった後も含めて、ホテルでの二泊三日の休泊ができるということだ。
ルノートは隣に立つドミナへと視線をやった。彼女は満面の笑みを浮かべていた。視線に気づいてか、彼女もまた同じようにルノートを見つめる。
「ルノート、さっさと任務を終わらせないとな」
ドミナが笑顔のままそう言った。
「今回の暗殺対象はカインドという名の男。彼はしばらく前からこのホテルの十二階、五九八号室に滞在しております。彼はしばらく危険に見舞われていないので、きっと油断していることでしょう。その油断を突いて始末してもらえれば」
「分かりました」
ルノートが落ち着いた声で返事をした。
男との会話はそこで終わった。部屋の去り際、あの男の視線をじりじりと感じたが、ルノートは気に留めなかった。
それより、彼はうきうきと調子よく隣を歩くドミナに意識を向けていた。ドミナはいつになく笑顔で、いつになく機嫌が良い。普段の彼女なら暗殺任務の最中は少し荒っぽい。
「わたしたちの部屋は七階だっけか。鍵は貰ったし、早く見に行かないとな」
ホテルに来るのは本当に初めてなのだろう。ドミナは年齢相応の子供のようにはしゃいでいた。
よく考えてみればドミナはまだ九歳。ルノートは六歳。二人は本当にまだ子供なのだ。
それから二人はエレベーターへ乗り、自分たちの部屋へと向かった。灰色のカーペットが敷き詰められた通路を進み、番号『七〇四』の部屋を探す。目当ての部屋はすぐに見つかった。エレベーターから曲がり角を少し進んだ先にその部屋はあった。
鍵を差し込み、扉を開く。中に入ると共に大きな窓、一つの巨大なダブルベッドがあった。部屋は二人の暮らすアパートの部屋より遥かに広い。
トイレ、風呂、収納スペースはもちろんのこと、テレビを備えた『和室』と呼ばれる間取りまでも存在していた。
『和室』はこの国の先住民族特有の生活様式であり、今再注目されている。まさに文化的側面も取り入れたホテルだった。
ドミナは畳の上に踏み入って、押し入れを開く。そこには布団が入っていた。
「凄い、こんなに揃ってあるなんて・・・」
一方、ルノートはというと彼は相変わらず、持って来た鞄の中から勉強道具を取り出し、和室にあるテーブルの上へと広げていた。
「こんなとこまで来て勉強なんかするなよ!」
「でも、家にいる時この時間はいつも勉強してる」
「そんなのいいって。せっかくここに来たならもっとやることあるでしょ」
「やること・・・?」
するとドミナがテーブルの端に置いてあったパンフレットらしきものを持ってくる。
「ほら、これ」
ドミナがパンフレットを開き、指で差し示したのはプールだった。
「水着はレンタルで借りれるみたいだし・・・暗殺を行うのは深夜だから、それまで遊ぶ時間があるぞ」
「時間があるならいいね」
「それで決まりな!」
ドミナは屈託のない笑みでそう言うと、不意にルノートの手を掴んだ。
「早く行くぞ!」
「そんなに急がなくても・・・」
「駄目だ!遊ぶ時間を一秒たりとも無駄にはできない」
二人は走って部屋を飛び出し、プール目指して進んだ。
一階から外へ出て、駐車場のある場所の反対、小さなドーム状の建物があった。その建物の中、そしてその周りに多種多様なプールがある。すでに多くの人がプールを楽しんでいた。
堪らなくなったドミナが水着売り場へ。レンタルできる水着は地味なものしかなかったが、そんなことドミナは気にしていなかった。ルノートも水着をレンタルして着替える。
二人して小学生が授業で使うような地味な水着を身に着けて、プールへと向かう。遠くにウォータースライダーのようなものが見えた。
ドミナはそれを指差しながらルノートを見る。
「あれに乗ろう!」
「えぇ・・・」
ルノートは乗り気でなかった。しかし、彼女のその明るい笑顔に押され、ウォータースライダーへ。
彼は幼い頃一度だけ家族でプールへ行ったことがある。その時ウォータースライダーへ乗ったのだが、その勢い、その激しさに恐怖を覚えた。だがそれは彼がまだ幼稚園に通っていた頃の話。今はもう違う。
列に並ぶ。大人も子供もどうやら楽しみに順番を待っているようだった。
やがて二人の順番が訪れた。スタッフに案内されて階段を上ると、水流の流れるトンネル前へ来た。ルノートは肩を竦める。昔の恐怖した記憶が蘇って来たのだ。
そんな彼の手をドミナが握った。彼女はやはり笑顔だった。
「行こう」
その一言に覚悟した。先にドミナが入っていった。彼女が流されていく姿を見届けて、ルノートもトンネルへ行く。途端、水流に流され勢いよくトンネルの中を滑り落ちて行った。
水飛沫が全身へ飛び散る。ルノートは目を瞑った。
しばらくして宙に放り出された。ルノートが目を開けると同時にプールの中へと落下する。
慌てて水面から顔を出し、ドミナの姿を探した。
するとすぐ隣にドミナが浮かんでいた。彼女は満面の笑みを浮かべ、こちらへ泳いでくる。
「ドミナ、大丈夫だった・・・?」
その質問にドミナは頷く。
「ルノート」
ドミナはまた笑顔を浮かべた。
「楽しいね」
その言葉を聞いた途端、ルノートの心に温かい感情が起こった。
今振り返ってみれば、ウォータースライダーなど大したものではなかった気がする。
プールに来てよかった。
ルノートはそう思って口を開く。
「ぼくもだよ」
二人は笑顔を浮かべて顔を見合わせる。それからも二人は様々なプールを巡った。




