プロローグ「七年後」
七年の月日が経った。ドミナは十六、ルノートは十三の歳。
『狼虎』のホテルで起こった爆発の一件。『狼虎』と『サイクロン』が警備隊に知られたようで、摘発され、壊滅。幸運なことに『アルペシア』の情報は警備隊の手元には渡っていないようだ。しかしながら、『アルペシア』周辺組織の摘発が進められて行き――彼ら警備隊は『アルペシア』の元へ、徐々に徐々に近付いている。
「おい」
窓を遮光カーテンで閉め切った薄暗い部屋の中、髪を下ろしているドミナが起き上がる。
彼女の赤い長髪、美しい獅子のような金色の瞳。それから彼女の体。白く透き通るような肌、膨らんだ乳房、その細く美しい脚。裸の彼女は隣で寝転ぶルノートをじっと見つめている。
「おやすみのちゅーは?」
圧をかけるように、ドミナはルノートへ顔を近付ける。互いの吐息がかかりそうなほどの至近距離。眠るふりをしていたのか、ルノートが渋々と目を開いた。
「ほら、早く。ちゅー」
「分かったよ」
ルノートは体を起こし、咄嗟にドミナの唇を奪う。その瞬間、ドミナは体に電流が走ったかのように震え、目を閉じて彼の口付けを堪能した。長いようで短いキスを終えた二人。ドミナは熱の籠る視線で彼を見つめる。
「もう寝るよ。流石に時間が」
「もう一回したい」
「駄目。僕たちは明日仕事があるんだから」
性知識を中途半端に覚えた二人は、箍が外れたかのように互いの体を求め合っていた。しかし、いつの間にかドミナの方が、より彼のことを求めるようになった。
ドミナが渋々寝転ぶと、彼もまた寝転んだ。
「けち」
「なにそれ」
「何でもない」
沈黙。布団を体に被せた二人の息遣いだけが、部屋に響く。
「おやすみ」
ドミナが小さくそう言うと、ルノートが微笑んだ。
「おやすみ、ドミナ」
彼は目を瞑り、それから何も喋らなくなった。
ドミナは体を起こす。それから音を立てないようゆっくりとベッドから降りると、洗面所の方へと向かった。洗面台の照明を点けて鏡を見やる。
ドミナは一つ、確認したいことがあったのだ。
いつもと変わらない彼女の姿がそこにはあった。しかし――。
『その血を寄越せ』
突然声がした。男の声だ。この幻聴は最近になって現れるようになった。やはり、いつも一人の時に聞こえてくる。
自分の中に、自分の知らない何かが潜んでいる。それが怖くて仕方ない。
ドミナはだからこそ、ルノートに縋った。ルノートの体温を感じて、恐怖を忘れようとした。
『勇者の末裔よ。その血肉を我に――』
意味の分からない発言を繰り返す幻聴。
ドミナの呼吸は無意識の内に荒くなる。心臓の鼓動がうるさい。耳を劈きそうなほどうるさく、頭を、全身を苦しめていく。
ドミナは思わず嘔吐した。蛇口を捻って吐瀉物を流す。嘔吐感が落ち着くと共に、蛇口を閉めて、その場に膝から崩れ落ちた。
「一体何なんだよ・・・」
ドミナが力なく呟く。
『貴方のせいよ』
彼女が昔施設にいた時の友人だった、オルタの声。これも幻聴だ。
『貴方のせいで私は死んだの』
「やめろ・・・!!」
ドミナは頭を押さえる。酷い頭痛がした。
『貴方のせいで・・・!!!!』
「やめろ!!!」
大声を出した途端にドミナははっとした。ルノートが部屋で寝ていると言うのに、声を荒げてしまった。
「ドミナ・・・?」
やはり起こしてしまった。下着姿のルノートが洗面所までやってきて、眠たげな顔でドミナを見ている。ドミナは安堵する。ルノートがいる。それだけで心の中の不安が薄らいでいく気がした。
「ドミナ、ちょっ――」
ドミナは思い切り彼の体に抱き着く。それから無理やりに唇を奪った。彼は困惑した様子だったが、それでもドミナは気に留めなかった。
無茶な口付けを終えた後、怪訝な目をしたルノートがドミナを見つめる。
「どうしたの、一体。急に大声を出したと思ったら、キスしてきて」
「声がするんだ」
「声?」
「怖い・・・怖いんだ・・・」
ドミナよりも低い身長の彼。筋肉質なその体、温かな体温、柔らかい肌。全てがドミナの精神の安定剤を成していた。
彼さえいれば何も怖くない。そう思えるのだが、どうしても彼女は過去の後悔を忘れることはできなかった。
オルタ。彼女の存在と、謎の声。
幻聴が聞こえ始めてからというもの、ドミナは不安定な状態にあった。ルノートが側を離れた途端、強い不安を、途轍もない恐怖を、冷めやらぬ孤独を、耐えがたい寂しさを感じるのだ。
「助けて・・・」
ドミナは弱々しく彼に言った。
すると、ルノートがドミナの体を優しく抱き返す。ドミナは目を瞑り、彼の優しさを感じる。
「僕がいるから、大丈夫」
そう言ってくれるだけで救われた気分になる。やはり、ドミナには彼しかいない。彼さえいれば――。
ドミナは暗い優越感のようなものを覚えて、口元を綻ばせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「どうした、急に黙り込んで」
レストラン。共に食事をしていた銀髪の男が目の前でそう言った。
「別に何でもないわ」
「そうかよ。あれか、思春期特有の憂鬱的な」
「うるさい。とっくに成人済みよ」
もう一人、紫色の髪の少女。ショートボブ。彼女の年齢は十八歳。
優雅にも男はタキシード、少女はドレスを身に纏っている。ここは只のレストランではない。
エリヴェック家と呼ばれる貴族――上級国民とも呼ばれる――が経営する高級レストランだ。今日はここで彼らの当主、ローズライナ・エリヴェックという男の誕生日会が開かれるとのこと。その会場に、偽造した招待状を持って忍び込んだ二人。
二人は今日、ローズライナを始末する必要がある。
「まあそんなつんつんするなよ。今の内に楽しんどけよ」
退屈そうな顔をする少女を眺めながら、男は目尻に皺をくしゃっと寄せて笑う。
「これはこれは、とてもお綺麗なドレスですわね」
突然席に寄って来た女がそう言った。彼女はニヤリとした卑しい笑みを浮かべる小太りの女。年齢は中年くらいだろう。少女は小さく舌打ちをした。妙に艶のある肌が気に食わない。
少女は皿の上に乗っていたパスタを口に入れ、歯軋りのように力を込めてガリガリと咀嚼する。
「いえいえ、とんでもないことでございます。この子は私の娘で、ドレスはセレナーデ精霊王国のとある山にしか生えていない貴重な――」
長々と作り話を口にする男。男と女の会話を横目に、少女はパスタを味わい続ける。
主催及び本日の主役である、ローズライナ男爵が姿を現した。彼は派手な格好をしている。黒いスーツの上に、目障りに煌めく宝石のアクセサリー類。サングラスに白いハット。両手には侍女であろう者どもを連れてレストランへ。
レストランにいた他の招待客が歓声を上げた。彼らは主役が現れたことを酷く喜んでいるようだ。
「ローズライナちゅわぁん!!」
唾を飛ばして主役の名前を叫ぶ小太りの女。
「分かっているな」
男が少女に耳打ちする。
「ええ」
少女は赤の瞳をした左目、金色の瞳をした右目を細め、妖艶に笑った。
彼らが待ち望んでいたタイミングがやって来る。主役のローズライナ男爵が、マイクを手にごたごたと話をしている。彼の話は中身がない。そうだと言うのに、彼に媚び諂う下級貴族たちの笑い声がレストラン中に響いていた。
「行くぞ」
男が少女へ言う。
少女はその合図を受け取ると同時に、突如として背中から黒い触手を出現させた。その触手の先端は鋭利であり、誰も触手に気が付かないほどの凄まじい速度で、男爵の心臓を貫いた。
自由自在に伸縮できる触手は彼女の体へと戻っていく。
事態に気が付いた下級貴族共が悲鳴を上げ始めた。レストラン内はパニック状態。しかし、外へ出ることはできない。
男の右手の指先から青白い光の糸が伸びていた。糸はレストランの出入り口となる扉に絡み付いている。
「騒がしいわ」
少女がそう言葉にした途端、彼女の周囲から大量の触手が飛び出し、他の招待客の体を次々と貫いて行った。
結果、二人以外誰も生存者はいない。血塗れの会場。天井を彩る豪華なシャンデリアも、白く美しいテーブルクロスも、床に敷き詰められた黄金の絨毯も、全てが血溜まりに沈んだ。
「ミッション達成だな。死体の回収はしなくていいぞ。こいつらが死んだ痕跡を残しておけと、ボスから言われているしな」
男が右手から伸ばした光の糸を消失させる。少女もまた、触手たちを消した。
「さあ、さっさとボスに報告しに帰るぞ。オルタ」
「ええ」
少女――オルタは再びあの妖艶な笑みを浮かべていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「エリヴェック家の誕生日会、惨殺・・・」
青色の髪の男が、パソコンの画面と睨み競をしながらぼつりと零した。彼は白い隊服を纏い、左腕に『特殊警備隊』と書かれた腕章を付けている。
時刻は深夜。誰もいないオフィスの中、彼は一人で事件の詳細を調べていた。
「こういう事件こそ、僕たち特殊警備隊が活躍した方がいいと思うんだけどな」
彼が所属する特殊警備隊。それはこの国の治安維持組織である『シンフォニ警備隊』が抱える秘密組織であり、主に特殊な犯罪――凶悪犯罪者や組織犯罪などの大規模な事案――を取り扱う部署でもある。
「まあその内回って来るかな」
普通の警備隊はこういった不可解な事件では力になれない。まず、現場に殺人犯と思しき人物の証拠が一切残されていない。殺害方法も不明。普通の警備隊では、必ず調査が難航する。
男が気にかかるのは現場の死体の状態だ。会場にいた者たちに皆共通して、心臓を貫くように胸元へ円状の穴が開いている。それはおそらく魔法で生み出した特殊な武器によるものだろう。
完璧な円状の穴を開けられる武器を、男は知らない。
現場近くで怪しい人物を見たとの通報はなし。あのレストランへ招待された者は皆殺し。そのことから、犯人はただならぬ隠密能力を有した外部からの侵入者。やはり魔法を扱うような特殊な人物で間違いないだろう。
考えられるのは、裏社会の者――。
「こんな遅くに何をしているかと思えば、ブルース。貴方でしたか」
「マリさんこそ、こんな遅くまで何していたんですか」
突如としてオフィスにやって来た女性。巻いた橙色の、雲のようなふわりとしたその髪。知性をはっきりと感じさせる鋭い目。極めつけはその気品あふれる美貌とスタイル。彼女の側を通りかかった者は皆、目を奪われるだろう。
彼女もまた、男――ブルースと同じ隊服に身を包んでいた。
「ランに付き合っていたらこんな時間になりました。ええ・・・それで、先ほど忘れ物を思い出してここへ」
「はぁ、そうですか」
ブルースは溜め息交じりにそう言った。彼は座っていたチェアの背もたれに寄りかかる。マリは彼のパソコンの画面に映った資料へ目を通す。
「この間の事件ね。それを調べていたの?」
「どうしても気になって。さっさとこっちに仕事が回ってこないかなと思っていたところです」
「貴方は本当にこういう事件が好きですね。全く。仕事が回ってこない方が楽だと言うのに」
「マリさんには分からないですよ。僕がどれほどこういう難解な事件が好きか」
「悪趣味」
「ひど」
軽口を交わしていると、マリがポケットから缶コーヒーを取り出した。
「くれるんですか?」
「まあ、頑張っているようなので」
「ありがとうございます・・・っよ」
ブルースは彼女の手から缶コーヒーを受け取る。秋の今、優しい温かなコーヒーだった。彼はぐいっと一気にコーヒーを飲み干す。
「そういや、『A』の調査は進んでます?」
「『サイクロン』、『狼虎』に続き、幾つかの企業、組織を摘発。もう一つ、彼ら『A』が参加に置いている『掃除屋』と呼ばれる組織の者たちを突き留めましたよ」
「そうですか、ご苦労様でした」
「何様ですか」
マリがブルースを睨み付ける。しかし、ブルースは大して気にしていないようだった。
「で、その『掃除屋』の解体はいつですか?」
「明後日ですよ。いい加減覚えなさい」
「へーい」
捜査線上に上がった『A』と仮名を付けられた一つの組織。幾つもの裏社会の組織や企業を傘下に落とし込んだ、謎の強大な組織だ。未だにその全貌は裏社会の闇に溶け込んでいる。
その闇を祓うのが、彼ら『特殊警備隊』の現状の目的。
「近々面白いことになるでしょっと」
ブルースはそう言って背もたれから体を離すと、パソコンの画面に開いた資料をスクロールした。




