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厄災令嬢、龍神の番になります  作者: 猫塚ルイ


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第10話

天を衝くような咆哮が、隠れ里の全域に轟き渡った。


それはかつて村人が恐れた「怒れる龍」の叫びではなく


千年の孤独を打ち破る、歓喜と慈愛に満ちた神の産声。


蒼様の背後に顕現したのは、月光を反射して白銀に輝く、巨大な龍の幻影だった。


その圧倒的な威容は、見る者の魂を震わせ、ひれ伏させるほどの神々しさを放っている。


それはもはや、呪いによって地に堕ちた破壊神の姿ではなく


この地を永劫に渡り守り抜く「真の守護神」としての復活であった。


「……バ、バカな! 自ら逆鱗を砕き、不浄の毒に染まったはずの龍が……なぜこれほどの神気を取り戻せる!? 私の術は完璧だったはずだ!」


呪術師が、震える手で醜い髑髏の錫杖をがむしゃらに振り回す。


必死に黒い術を編み上げようとするが、蒼様がただ一歩、静かに地面を踏みしめただけで


周囲に張り巡らされていた禍々しい結界は、まるで脆いガラス細工のように音を立てて粉々に砕け散った。


「……貴様は、龍の逆鱗が何のためにあるか、その本質を何一つ知らぬようだな」


蒼様の声は、低く、しかし凛とした響きを持って広場全体を支配した。


彼は、震える私の腰を折れそうなほど強く引き寄せ


宝物を慈しむようにその逞しい腕の中に囲い込む。


彼の体温が、私の冷え切った心を芯から溶かしていくのが分かった。


「逆鱗とは、ただの弱点ではない。……ただ一人、命を懸けて守るべき『番』に捧げるための、魂の器だ。小春の涙が俺の傷を癒し、その祈りが俺の誇りとなった。魂を繋いだ今の俺に、貴様のごとき汚らわしい呪いなど、塵一つも触れられぬわ」


蒼様が、天に向けてしなやかな片手をかざした。


その瞬間


村を重苦しく覆っていたどす黒い雲が真っ二つに割れ、そこから清らかな光を帯びた雨が降り注いだ。


それはこれまでの渇きを癒すだけの雨ではなかった。


村の家々にこびりついた悪意の泥を洗い流し


枯れ果てた大地に再び生命を宿し、そして


狂乱していた村人たちの瞳から「呪い」を解いていく慈愛の浄化。


「ぎ、ぎゃあああああああ!」


不浄の力と人間の悪意を糧にしていた呪術師は、その清らかな雨に打たれ


断末魔の叫びと共にどす黒い煙となって霧散した。


彼が築こうとした偽りの王国は、真実の愛がもたらした光の前で、跡形もなく消え去ったのだ。


後に残されたのは、降り止まぬ雨に打たれ、泥にまみれて呆然と立ち尽くす村人たち。


そして、広場の隅で私を捨てた父と継母が、震えながらこちらを見上げていた。


「……こ、小春…お前は、本当に、あの龍神を……」


父が、掠れた声で私の名を呼ぶ。


その瞳には、かつてないほどの色濃い後悔と、神を味方につけた娘への畏怖が混じり合っていた。


隣の継母は、腰を抜かしたまま言葉も出せない様子だ。


けれど、私はもう、その声に心が揺らぐことはなかった。


私の小指から伸びる黄金の糸は、真っ直ぐに蒼様の指へと繋がっている。


彼の腕の温もりこそが、私が八年間の孤独の末にようやく辿り着いた、本当の「居場所」なのだから。


「……さようなら。お父様、お母様。私は、龍神様の番として、この山で生きていくんです……私を捨てた、蒼様を傷つけた村には…二度と帰りません」


それは冷たく突き放す言葉ではなく、自らの足で新たな人生を歩むという決意の表明だった。


私は私の幸せを選び、彼は私の手を取ってくれた。


蒼様は何も言わず、ただ優しく私の肩を抱き寄せると、巨大な翼が風を切るような音と共に


夜空の彼方、私たちの社へと舞い上がった。



◆◇◆◇


それから、数ヶ月後。


山の奥深く、人智の及ばぬ禁域に建つ社には


以前にはなかった「生活の音」が絶えることなく響いていた。


「蒼様! また勝手につまみ食いしましたね!?それ、お夕飯のメインになる大事な煮物なんですから!」


「……味見だと言っているだろう。少し味が薄いように感じたから、俺が『気』を入れて味を調えてやっただけだ」


「もう、言い訳ばっかり……もう一口だけですよ?ほら、あーんしてください」


ぷりぷりと頬を膨らませる私に、蒼様は少しだけきまり悪そうに目を逸らし


けれど隠しきれないほど嬉しそうに口を開ける。

 

かつて孤独の闇に沈み、ただ時をやり過ごしていた龍神の面影は、今の彼には微塵もなかった。


今の彼は、私の作る料理を世界で一番の御馳走だと褒めてくれ


私が風邪を引けば山一つを揺るがすほど狼狽する


少しわがままで、とびきり過保護な私の旦那様だ。


食事を終え、夜風が心地よい縁側で二人並んで満月を眺める。


私の右手の小指と、蒼様の左手の小指を結ぶ「赤い糸」は


今も変わらず黄金の輝きを放ち、二人の魂を固く、永遠に結びつけていた。


「……小春」


「はい、蒼様?」


ふいに、彼が大きな掌で私の髪を優しく掬い上げた。


その淡いピンク色の毛先に、慈しむようにゆっくりと唇を寄せる。


「……村では厄災の象徴だなんだと言われていたようだが、俺にとって、この色は春を呼ぶ桃の花よりも、深海の宝玉よりも美しい」


「……お前が、生贄として俺の元へ捨てられたあの日。俺は生まれて初めて、人間に、そして運命に感謝した」


「……蒼様……」


「今は愛している、小春。……この世の理が、死が二人を分かつその時まで。いや、魂が輪廻を巡り、姿形が変わろうとも、俺はお前を二度と離しはしない」


重なり合う、二人の唇。


冴えざえとした月の光が、寄り添う二人を祝福するように優しく包み込む。

 

厄災と呼ばれた私が、最強の神様に溺愛され、運命を切り拓いた。


それは、終わることのない幸福な日常として


色鮮やかな季節と共に、これからも永劫に続いていくのだった。

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