#05 音もなく迫る揺らぎ
朝露で濡れる牧草地はシルファの魔力障壁で覆われている。
偉大な母は魔力の扱いにも長けていたが、それは厳しい環境を生き抜くための《《母の嗜み》》ともいえる。
昼間の日差しと夜の寒波から守られてすくすく育った牧草地には、長い首と短い角を有した雪銀羊が幸せそうに草を食んでいた。
レインとパゴタは雪銀羊たちを刺激しないようにゆくっりと近づき、腹の下に潜り込む。
レインの手にはミルクをとるためのホーローのポットが握られていた。
「いいパゴタ?」
そう言って少女は真剣な表情を浮かべる。
「いいけど……本当にこんな方法で大丈夫なのかな?」
「大丈夫よ! これがうまくいけばお乳をとる手間がうんと楽になるんだから!」
15の歳になるまで魔力の使用を禁じられているレインは、パゴタは禁じられていないことに目をつけていた。
その上、パゴタの内包する魔力には目を見張るものがあり、拘束魔法程度ならなんなくこなせると思ったのだ。
そこで思いついたレインの作戦はこうだ。
いつもどおり、お乳が張ってしぼられるのを待っている雪銀羊の下にレインが潜り込み、同時にパゴタが拘束魔法で銀羊の動きを封じる。
銀羊は非常に憶病な生き物で、絞ってほしいと思っている癖に、いざしぼろうとすると嫌がって暴れ回るため、レインはいつも乳しぼりに難儀していた。
これならば……と少女の目に闘志が燃え滾っているのに気づき、パゴタは仕方なく協力することにした。
本当は無茶を止めるように言われているんだけど……
「今よ……!」
銀羊の下から聞こえた合図で、パゴタは手に魔力を籠める。
金色の光が魔法陣を浮かび上がらせ、洗練された魔力が銀羊を包んだ。
「拘束魔法……ゴル・デュシカ……!」
現れた光の金環が縮んで銀羊を捕えたかに見えたその時だった。
ガラスの割れるような甲高い音を響かせ、光の輪が砕け散る。
同時に銀羊はレインの腹と顔の上で必要以上に足踏みしてから、軽やかにその場から逃げ去ってしまった。
「だ、大丈夫……⁉」
慌てて駆け寄ったパゴタの足元には、蹄の跡が無数に残ったレインが伸びている。
「痛い……でも大丈夫……」
「凄い生き物だね……魔法に対するステルス耐性を持ってるなんて……」
「ステルス耐性……?」
レインは内側にめり込んだ顔をさすりながら、パゴタに尋ねた。
「うん。隠匿魔法で自分にかけた魔法を隠すことがあるだろう? それを自然にやってのけてるんだ」
「隠匿魔法なんてわたし知らない! パゴタ魔法に詳しいんだね⁉ 雪銀羊がそんなに凄いってことも、ちっとも知らなかった!」
パゴタは困ったように笑いながら手を差し出す。
「お母さんの言いつけ通り、魔法無しでやるしかないね。きっと魔法禁止には色んな意味があるんだよ」
「ちぇ……早く終わらせてママを驚かせたかったのに」
こうして二人は抵抗する雪銀羊を力で押さえつけながらミルクを集めて回った。
そんな二人の様子をフリークとシルファが小屋の中から見つめている。
「高度な拘束魔法を短縮詠唱で実現するなんて……」
「うん。さすがは魔族の子だ。あの歳であの技量、末恐ろしいものを感じるよ」
「でもうちに来たからには、あの子も15歳までは魔法禁止にしなくちゃ」
「そうだね。それにパゴタ自身も、魔法を使わずにする作業を楽しんでるように見える。すんなりここでの暮らしを受け入れるだろう。気がかりなのは……微かに感じる大気の震えの方だ」
そう言ってフリークは雲海の彼方に向かって目を細めた。
灰色の瞳が何を見据えているのか確認すべく、シルファもまた紺碧の瞳で彼方を見つめる。
五感では知覚できない微細な電子の揺らぎを感じ取るも、それが何なのかまではわからない。
「とにかく私達に出来ることをしよう。穏やかなまま過ぎ去れば、それに越したことはない」
「ええ」
二人は平穏を確かめるように抱き合ってから、それぞれの仕事にへと戻っていった。




