#38 エル・ベソ・デ・ラ・ヴィダ
慟哭とも悲鳴ともつかない少年の声が響き渡る。
まるでそれに誘われるように、巨大な蜘蛛の骸の中で、現・女王が動き始めた。
パゴタの涙がレインの白い肌の上に落ちて、パタ……と頼りない音がする。
それでも少女は動かない。
目覚めない。
生前の時を封じ込めたように、今にも目覚めて「おはようパゴタ!」と明るい声を発しそうな唇。
パゴタの涙はレインの頬を伝い、そんな唇に触れた。
「諦めるもんか……絶対に君を死なせない……」
そんなパゴタの想いを嘲笑うかのように、ずるずると糸を伸ばして巨大な蜘蛛――ヒドゥヴェンの末裔が降りてくる。
それは地に足を付けると、鋭く強大な前足に自身の牙から滲む毒液を擦り付け始めた。
豪華なディナーを前にフォークとナイフを打ち鳴らす子どものように無垢で、滲みだす邪悪を隠そうともしない。
パゴタは残りの魔力を振り絞り、女王蜘蛛を睨みつける。
「冥撃魔法〝黒狗の化身〟」
パゴタの持つ固有の魔法、武器創生と冥界の黒紅色の雷が融け合った。
武器が骨格に、黒紅雷が血肉となって、禍々しい黒狗が出現する。
「グリム、時間を稼げ……!」
パゴタの命令で死の不吉が解き放たれた。
大きさこそ遥かに小さいものの、冥雷の犬は凄まじい速さでヒドゥヴェンの末裔に襲い掛かる。
毒蜘蛛の女王は不気味な悲鳴をあげながら鎌のような前足を振り回して応戦した。
激しい戦闘でドームが揺れる。
ガラガラと音を立てて天井のタイルが崩れ落ちる。
地獄のような蜘蛛の根城の中、パゴタは腕の中で眠り続けるレインに視線を落とした。
「お願いだレイン……目を覚まして……」
そう言ってパゴタは小瓶の中身を口に含む。
血の味がする重たい薬液を含んだまま、パゴタはそっとレインの唇に唇を重ねた。
荒廃した闇に光る世にも美しい口づけ。
もし神々が名を付けたなら、それは〝生命の口づけ〟そう呼ばれるだろう。
ゆっくりと、少しずつ、パゴタは薬をレインの口に流し込んでいく。
願いを込めながら、自分の命すら差し出す想いで。
零れ出さないように、唇を重ねていると、こくり……とレインの喉を薬が通る音がした。
同時に背後では冥犬グリムが断末魔の悲鳴を上げて砕け散る。
それでもパゴタは振り向かない。
少しでも……少しでも多く飲ませなければ……
体温が移って生暖かくなった薬をさらにレインの口に送る。
また音がして、レインがそれを飲んだ手応えを感じたその時、ヒドゥヴェンの末裔が放つ殺気が背筋を撫ぜた。
毒牙と鎌がパゴタに忍び寄る。
その時、グリムは最後の足掻きを見せた。
パゴタの優しい想いに呼応し主人を守ろうとした為か、殺戮を諦めない冥撃の性か、それは分からない。
とにかくグリムは首だけの状態で、ドームの天井を穿った。
骨格の武器が砕け散り、雷は昏い花火に変わる。
激しい爆発は天井を砕き、瓦礫の雨を降らせた。
パゴタはレインをきつく抱きしめ、ヒドゥヴェンの末裔はキィキィと叫び声をあげながら後ろに跳んだ。
全ては瓦礫と土煙に呑み込まれて見えなくなった。




