#32 何者でもない者
戦闘の音が聞こえる。
羽音が聞こえる。
蟲どもの悲鳴が聞こえる。
ハァハァと荒い、息遣いが聞こえる。
僕は……
僕は⁉
パゴタはガバリと起き上がり、口の中に入った何かを吐き出した。
どろりとしたエメラルド色のナニカに害意は感じない。
見上げると、傷だらけのサンドラが自分を庇って蟲達と戦っていた。
王者に似つかわしくない鮮血の赤を纏い、荒い息を吐き出しながら、未熟な翼閃を放ち、かぎ爪で切り裂き、嘴で穿つ。
けれど多勢に無勢。
数の暴力は確実にサンドラの命を削っていた。
「サンドラ……!」
パゴタは立ち上がり手足を確認する。
「大丈夫だ……どういうわけか毒が消えてる……!」
パゴタは両手に魔力を籠めて弓と矢を創生した。
三本の矢を指に挟み、弓につがえて目を見開く。
「冥撃魔法 〝冥弓の乱反射〟」
放たれた三本の紅い雷が壁や蟲にぶつかって砕け散りながら乱反射する。
紅い黒い花火の舞い散る中、パゴタはサンドラの方へ駆け寄った。
ぐったりとするサンドラを抱きかかえてパゴタは思わず涙を流す。
「サンドラ! しっかりするんだ……こんなになるまで……どうしよう……毒消しの魔法や回復の魔法が僕には使えない……優しい魔法が僕には使えない……」
気がつくとこぼれ落ちた大粒の涙がサンドラを濡らしていた。
しかしサンドラはまるで慰めるような優しい瞳でパゴタを見つめて頬擦りしながらきゅう……と弱々しい声を出す。
それすらもが「大丈夫」と諭しているように聞こえて、パゴタはますます激しく泣いた。
レインもいなくなった。
サンドラも、僕を庇って死に……
嫌だ……嫌だ……そんなの絶対ダメだ……‼
パゴタは固有の創生魔法で鎖を生み出し、それでサンドラを自分の背中にくくりつける。
「痛いだろうけど……辛抱しておくれ……」
武器しか作れない固有魔法。
滅びしか産まない冥撃魔法と、高度な戦闘魔法の数々。
それしか自分は持ち合わせていない。
魔族というアイデンティティが憎らしい。
あの蟲達と変わらない。
「生きるために、他者を喰らうことしか出来ない、あの蟲達と僕は何一つ変わらない……‼ 汚らわしい化け物でしかない。僕なんかが来たせいで、僕が大見栄を切ったせいで、みんな不幸になっていく……みんな死んでしまう……僕は、最低の、呪われた……」
「魔族だ……」
懺悔するように、あるいは自らの運命と世界を呪うように、独り吐露していたパゴタの背後で声がした。
一気に臨戦態勢に入ったパゴタが振り返ると、そこには全身を汚れた包帯でぐるぐる巻きにしたやせ細った男が立っていた。
手には緑の光を放つランプが握られている。
「だ、誰だ……⁉」
パゴタが叫ぶと男は人差し指を口にあてて「シィー」と音を出した。
「大きい声を出すな。蟲が集まってくる。私はアノニー〝何者でもない者〟背負っているそれは霜降り鷲の幼生だね? まだ息がある。ついて来なさい」
そう言って男は横穴に入っていった。
パゴタは激しく動揺していた。
信じるのが怖い。
罠の可能性のほうが遥かに高い。
こんな場所に住んでいる得体の知れない男がまともなわけがない。
それでも、サンドラを救うには、男の言葉を信じるほかない。
「行こう!」
ふいにレインの声が聞こえた気がしてパゴタは振り返る。
しかしそこにレインの姿はなかった。
レインなら……きっと……
パゴタは覚悟を決めて前を向くと、男の消えていった横穴に歩みを進めた。




