#18 花冠を戴く女神の為に
下界より遥かに近くに見える太陽の光が燦々と煌めくバーベリアの高原。
風の精霊がいたずらっぽく吹き抜けると、花達がくすぐったそうに笑い声をあげる。
思わずパゴタが目をやると、レインもまるで花たちと同じように笑っていた。
自分の鼻がくすぐったいのは、きっと突然太陽に照らされたせいに違いない。
闇の中で孤独に過ごしてきたパゴタにとって、バーベリアの景色は何もかもが眩しかった。
そしてそこに住まうレインと家族の暮らしは、傷付き凍りついたパゴタの心を、陽だまりのように溶かし、また癒していく。
「やっと来たな?」
その声で慌てて前を向くと、シルファとジークが白い布を広げて待っていた。
「まだ始めてないよね!?」
レインがそう言うとシルファが目配せした。
それを見てレインは安堵のため息を漏らし、パゴタを布の一端に連れて行く。
「ここをしっかり持っててね?」
「わかったけど、一体今から何を?」
「すぐにわかるよ!」
そう言ってレインは自分の持ち場に駆けていった。
サンダース一家の四人が、大きな白い布の四隅をそれぞれ握って立っている。
一際強い風が吹いて、布が気球のように膨らんだ時、ジークは優しく低い声で朗々と祈りの歌を歌い始めた。
『春風が花弁を運んでいく。千里を越え、海を亘り、遥かなる君のもとへ香りを届けよう。花冠を戴く女神の為に。我らは春を謳わん。過ぎ去りし清潔な冬を想いながら、我らは春を謳わん。若草が萌えるのは雪銀羊達のため。花蜜の妙薬は群蜂と我らの分け前。巡る季節に恵みをもたらすは、遥か神々の情けなれば、我らはそれに応えてこの地を健やかに治むるを誓わん』
歌い終えると同時に、地面に咲いた花々が淡い光を放ち始めた。
それは光の雫のように浮かび上がって気球のようになった布の中を満たしていく。
パゴタがレインに目をやると、レインは深く頷いてから一歩前に出た。
シルファとジークも前に出たので、パゴタもそれに倣って前に出る。
一歩一歩家族は前に進み出て、やがて四人の手が触れあう距離にまで近づいた頃には、光の雫は気球の内側に閉じ込められてぶつかり合いながら大きな光の珠に変わっていた。
「今年は豊作だ! こんなにたくさんのブルメン・ネーブルが採れたのは初めてじゃないか?」
ジークがやや興奮気味に言うと、シルファはパゴタの方に親指を向けて笑った。
「当然だよ! なんたって家族が一人増えたんだからね! 花冠を戴く女神様はちゃあんと必要な分の恵みを下さるのさ」
「パゴタのおかげだね。ありがとう! パゴタ」
レインが微笑むとパゴタは慌てて空いている方の手を振った。
「ぼ、僕はただ皆の真似をしただけだよ!? ありがとうだなんてそんな……」
「パゴタ、私たちが願うだけではこの関係は成り立たないんだ。パゴタが私たちと同じように、ここにいることを望んでくれて初めて関係は成立するんだよ? だから、ありがとう」
ジークの力強い手がパゴタの頭を撫でる。
それだけで泣き出しそうになるパゴタだったが、何とか涙を堪えて不格好な笑顔を浮かべて見せた。
「ぷっ! パゴタってば変な顔ー!」
レインはそう言うとお腹を抱えて駆け出した。
「なっ!? 待ってよレイン! 失敬だぞ!」
そう言ってレインを追いかけるパゴタを見ながら、シルファとジークは集めたブルメン・ネーブルを抱えて小屋の方へと歩き出す。
全てが調和して見えた。
まさしく光に満ちた楽園の光景に等しかった。
しかしそのずっと地下深くで影が胎動を始めている。
光が強ければ強いほど、影もまた重く深くなることを、この時はまだ誰もが忘れ去っていた。




