表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第9話「鎮魂へのリープ」

登場人物紹介


■リオン

若き研究者。

未来リープ・シミュレータの開発指針を任されるが、未来からの通信で現れた女性オフェリアに心を揺さぶられる。

科学者としての冷静さと、人間としての感情との狭間で苦悩する。


■オフェリア

リオンの「三十年後の未来」と通信で繋がった謎の女性。

科学省の研究者でありながら、どこか妖艶な気配を纏う。

未来の真実を語り、やがてリオンの心を捉えていく。

銀髪と、青と緑が交じる瞳が印象的。


みお

リオンの同僚であり友人。

Affecticsを駆使してオフェリアの真偽を確かめる協力者となる。

リオンの苦悩や弱さを目の当たりにし、新たな絆を感じ始める。


■タカコ

カフェの店主。

穏やかな笑みと気さくな物腰で、リオンや澪を支える存在。

ホットサンドは彼女の店の名物であり、リオンの「記憶の味」となる。


■ユナ

澪の友人。

セレスティア・ジュニア・アカデミーでヴァルガード語を教えている。

密かにリオンへの想いを抱いている。


■ノナカ博士

科学技術省の重鎮。

リオンに未来リープ・シミュレータの開発指針を依頼する。

「理論は正しいだけでは駄目だ。人を惹きつけ、未来を想像させるものでなければならない」――その言葉がリオンを導く。


ここ数日、リオンはほぼ徹夜状態で未来リープ・シミュレーションの数式と格闘していた。

いや、正確には、数式の合間に入り込んでくるオフェリアの幻影と格闘していた。


ーー会いたい、話したい、彼女の顔が見たい


オフェリアからのCallはここ数日ない。

だが、リオンからはCall出来ない。

もう時空の重なりは消滅してしまったのだろうか…

そう思うと、何もかも投げ出したい衝動に駆られる。


ラボの空気が、冷ややかな機器音とともにわずかに震えた。

――着信。


(オフェリア!?)


画面に走るのは、白い雪のようなノイズと、裂け目のような縦筋。音声も、遠雷に潰されたラジオみたいに歪む。


「……リオン、聞こえる?」

ちぎれた音の隙間から、彼女の声が滲み出る。


「聞こえる。オフェリア――」


映った顔は、モザイクの破片を貼り合わせたみたいに不安定だった。青と緑の瞳だけが、ときどき正しい位置で輝いて、すぐに崩れる。

画面の端に赤い文字が滲む。〈同期逸脱/Δt拡大中〉〈パケットロス 68%〉


「もう……時空の“重なり”、ほとんど消えかけてるの」

「これが、最後の……通・信になるかもしれない」


リオンは無意識にモニターへ手を伸ばす。

冷たいガラスに指腹を当て、ノイズの奥の彼女の輪郭を、壊さないように、そっとなぞった。


「行かないでくれ……」


「リオン……」

その呼び方だけは、ノイズにも潰されず届く。

オフェリアの唇が震え、ピクセルの狭間で涙が零れ落ちる――と見えた瞬間、画面が砂嵐に飲まれて消えた。

また浮かぶ。泣き顔の断片。

〈遅延 410ms〉〈再送回数 上限〉


「最後かどうかなんて、まだ分からないだろ?」

彼は必死に笑おうとする。喉が焼ける。

「またあの公園で一緒にランチしよう。ほら、松の木の下のベンチで。……君に、ホットサンドのカフェの話がしたいんだ。ずっと、したかった」


「うれ、し……」

声が切れる。復帰する。

「――ワタシも、話、聞きたい。あなたの“いつも”の匂い……」

銀の髪が風にほどける錯覚。だが次の瞬間、顔の半分が黒い帯にさらわれた。


「待ってくれ。まだだ、行くな!」

リオンは設定ウィンドウを開いて、意味のない調整を矢継ぎ早に叩き込む。

圧縮率、音声帯域、エラー訂正のフラグ――どれも、現実には届かない。

〈重なり領域 面積→0.03〉〈閾値未満〉


「リ……オ……ン」

彼女の声は、壊れたフィルムの継ぎ目みたいにぶつ切りだ。

それでも、たしかに彼の名を呼ぶ。

その一音一音が、胸の中の何かを確実に裂いてゆく。


ノイズが飽和する。

画面は深海のように暗く、音は遠ざかって――


「……す」

「……き」

「……よ」


三つの欠片が、静かに、真っ直ぐに、彼の鼓膜に落ちた。


次の瞬間、通信は途絶えた。

警告音も出ない。ただ、世界からひとつ色が抜け落ちた。


リオンは椅子を蹴るように立ち上がった。

胸の奥から込み上げた衝動が、腕に火を点ける。

デスクの上のキーボード、ノート、資料――両手で一気に払う。

固いものが床に当たって跳ねる音、紙が空気を裂いて舞い落ちる音。

ラボに散らばった白い紙片が、しばらく雪のように降り続いた。


彼は立ったまま机に両手をつき、深く首を垂れる。

呼吸が壊れたメトロノームみたいに乱れ、喉の奥で小さな音が千切れていく。

ぽたり――

木目に丸い跡がひとつ、またひとつ。

涙の粒が落ちて広がり、輪を作り、重なって、にじむ。


「……オフェリア」


呼んだ声は、誰にも届かないほど小さかった。

それでも彼は、指先で机を握りしめ、崩れないようにただ立っていた。



床に散らばったノートと資料を拾い集めたのは、数時間後だった。

涙の跡が乾いた机に、ノートと資料を戻し、リオンは新しい数式を書き始めていた。


(もう...忘れるんだ)


オフェリアの声がもう二度と届かないと分かってしまった今、彼に残されたのは「理論」しかなかった。


「未来リープ・シミュレータ……」

震えるペン先を押さえ込み、数式と仮説を書き連ねる。

それは彼にとって、鎮魂の作業でもあった。


それから数日間、リオンは何かに取り憑かれた様にノートにペンを走らせる。

クシャクシャに丸められた紙のページが、リオンの椅子の周りに散乱し始めた頃、今度は絶え間ないキーボードの打鍵音が鳴り続けた。

澪はたまにリオンの様子を見に来ていたが、ついに声を掛けられずじまいだった。



澪は、タカコのカフェのカウンターでコーヒーを口にしながら、リオンの様子をタカコに話していた。

「とても声をかけられる状況じゃないわね、あれは」

タカコは静かに頷き、カップを拭きながら言った。

「きっと忘れようとしているのよ、オフェリアの事。仕事にでも集中しないと、やってられないのだと思うわ」


そこに、ユナが店に入ってきた。

澪とタカコは目配せを交わす。

二人はユナがリオンに想いを寄せている事を知っていた。


「ユナ、いらっしゃい」

タカコはカウンターの奥に戻る。


ユナは澪の隣に座った。

「タカコさん、コーヒーお願いします。 二人で何の話をしていたんですか?」


「...うん、ちょっと私の同僚の話をね...」

「ふ~ん、そう言えばリオンさん、元気ですか?暫く顔を見てないなぁ」

「何だか忙しそうよ。私もここ暫くまともに話していないの」

「そうなんですか...じゃあ、ランチにここのホットサンドでも持って陣中見舞いにでも行こうかな」


澪は口に含んだコーヒーを吹き出しそうになる。


「い、今は止めといた方がいいかなぁ〜、ほら、リオンって集中しだすと周りが見えなくなるって言うか、聞こえなくなるっていうか...」


タカコも慌ててフォローする。


「そ、そうよ。リオンの仕事が落ち着いてからのほうがいいと思うわ。リオンが来たら、ユナが心配してた、って伝えておくわ」


ユナは、眉を歪めて澪とタカコを交互に見ながら、コーヒーをすすった。


(ユナ、もう少し待ってあげて、いつものリオンに戻るまで)



数日後。

リオンはノナカ博士の研究室に立っていた。

博士に依頼されてからほぼ一ヶ月が経っていた。

リオンはワイドモニターに作成した資料を呼び出す。


「では……報告させていただきます」

リオンの声はかすれていたが、眼差しは真剣だった。


「未来は単一ではなく、多数の位相が並行して存在します。

一定時間後の同一事象には複数の発生パターンがあり、それぞれの発生確率を確率測度で算出することが可能です。

これらの位相は確率空間において総和が1.0となり、その空間上で論理演算を行うことで“未来の加重モデル”を導出できます。


たとえば、戦争や災害といった事象はシナリオパラメータとして入力可能です。

その結果、シミュレータは『もし災害が発生した場合』『もし外交が失敗した場合』といった複数の未来を生成し、加重平均をもって“もっとも現実的な未来”を提示する。

これが、私の考える未来リープ・シミュレータの骨格です」


リオンはモニターをタップして次ページの数式を表示した。


「未来モデル を、確率空間上で定義します。

各シナリオ に対し、その発生確率を 、その結果としての未来位相を とすれば、


M(t) = \sum_{i=1}^n P(s_i) \cdot F(s_i, t)


と表すことができます。


ここで、


:シナリオ(例:紛争、災害、外交成功)


:各シナリオの発生確率、


:シナリオ における時間 の未来位相



これにより、複数の未来を単純な分岐としてではなく、確率的に加重された“未来分布”として扱えるわけです」


博士は静かに聞いていた。

長い沈黙のあと、立ち上がり、ゆっくりとリオンに歩み寄った。


「面白いね、リオン」

「面白い...?」

「実は君以外の何人かにも同じ依頼をしておったんだよ。だが、君の理論は単純明快で、清々しいほどだ」

「は、はい...」

「理論は正しいだけでは駄目だ。人を惹きつけ、未来を想像させるものでなければならない。これは私の持論だ。……よくやった、リオン」


博士は笑みを浮かべ、リオンに右手を差し出した。

リオンは驚いたようにその手を見つめ、次いで力強く握り返した。

博士の掌の温もりが、リオンのずっと冷え切っていた心を温める。


(終わった...)


リオンは、心の何処かが、何かの型で抜かれた様な脱力感を感じていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ