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第10話「過去、現在、そして未来へ」(最終話)

登場人物紹介


■リオン

若き研究者。

未来リープ・シミュレータの開発指針を任されるが、未来からの通信で現れた女性オフェリアに心を揺さぶられる。

科学者としての冷静さと、人間としての感情との狭間で苦悩する。


■オフェリア

リオンの「三十年後の未来」と通信で繋がった謎の女性。

科学省の研究者でありながら、どこか妖艶な気配を纏う。

未来の真実を語り、やがてリオンの心を捉えていく。

銀髪と、青と緑が交じる瞳が印象的。


みお

リオンの同僚であり友人。

Affecticsを駆使してオフェリアの真偽を確かめる協力者となる。

リオンの苦悩や弱さを目の当たりにし、新たな絆を感じ始める。


■タカコ

カフェの店主。

穏やかな笑みと気さくな物腰で、リオンや澪を支える存在。

ホットサンドは彼女の店の名物であり、リオンの「記憶の味」となる。


■ユナ

澪の友人。

セレスティア・ジュニア・アカデミーでヴァルガード語を教えている。

密かにリオンへの想いを抱いている。


■ノナカ博士

科学技術省の重鎮。

リオンに未来リープ・シミュレータの開発指針を依頼する。

「理論は正しいだけでは駄目だ。人を惹きつけ、未来を想像させるものでなければならない」――その言葉がリオンを導く。

オフェリアと別れてから、いくつかの朝と夜が通り過ぎた。

胸を刺す痛みは、鋭さを失って皮膚の下に沈んだ棘のようになった。

だが、ふとした拍子にそれに触れるとまだチクりと痛む。

――忘れない。たぶん一生。

それでも、前を向いて歩く術は少しずつ、体が思い出してくれている。


澪は、そんなリオンの変化に気づいていた。

タカコのカフェで資料を広げ、コーヒーを飲む。いつもの仕草に戻っている。笑う時の目尻の皺も、少しずつ戻ってきた。

あの日見た、壊れそうな横顔。その脆さを知ってしまった分だけ、澪の胸の奥には新しい結び目ができた。

(大丈夫。あなたは戻ってくる、きっと前より強くなって)


その日の昼、カウンターには香ばしい香りが漂っていた。

「ホットサンド、出来たわよ」

包みを受け取りに来たリオンは、タカコに軽く会釈をして店を出る。

笑顔はまだ少し固いが、体の動きは以前のリズムに近い。


カウンターに座っていたユナが、カップを両手で包んだまま、ぽつりと訊いた。

「リオンさんって、よくホットサンドをテイクアウトしてますよね。よほど好きなんですね」

タカコは布巾でカウンターを磨きながら、微笑む。

「食べ物の味ってね、記憶を呼び戻すのよ。楽しい記憶も、切ない記憶も。……そうね、音楽と一緒かな。ユナ、あなたもあるでしょう?」

ユナは視線を落として、ストローの袋を指先で丸めた。

「はぁ……まぁ。じゃあ、リオンさんもホットサンドに、何か特別な思いがあるんですか?」

「さぁ、そこまでは知らないわ」

タカコは肩をすくめておどけてみせる。

ユナは窓の外に目を向け、その目は小さくなっていくリオンの背中を追っていた。


海底トンネルのゲートへ続く坂道は、潮の匂いをまとっていた。

青い空は薄いガラスみたいに澄み、海面の光は砕けた銀片になって揺れている。

公園のタイルは相変わらずカラフルで、噴水の音が風に混じって耳に届いた。大きな松の木の下、定位置のベンチへ腰を下ろす。


包みを開く。焼き目のついたパンの香りが立つ。

紙コップのフタを外し、コーヒーを一口。舌の奥がじんわりと温かくなる。

潮風とコーヒー、パンの香りがあの日の記憶を蘇らせる。

画面越しの笑顔、潮風でほどける銀の髪、いたずらっぽい視線。

リオンはベンチの横にタブレットを置いた。もう呼び出し音は鳴らない。それでも、そこに置くべき場所のように感じた。


噛むたびに、パンの端が小さく鳴る。

人の話し声、遠くのクラクション、カモメの甲高い声。世界は変わらず、続いている。

(オフェリア。君も三十年後の、今この時間に、このベンチに座っているのだろうか……)


背後で、小さな足音が軽やかに跳ねた。

リオンは後ろを振り返る。

小さな女の子が、ぱたぱた――リズムを刻みながらこちらに向かって走ってくる。

その小さな女の子はリオンが座っているベンチまでくると、ためらいもなく彼の隣へちょこんと座った。

三歳くらいだろうか。小さな靴のつま先がベンチからはみ出して、ぶらぶらと揺れている。

女の子は目を細めて港を眺めている。


「オフェリアー!」

呼ぶ声に振り返ると、母親らしき女性が速足で近づいてくる。

しゃがみ込んだ母親が、子どもの肩に手を置いた。

「オフェリア、だめでしょう、勝手に駆けだしちゃ」

女の子は港を見たまま、口を尖らせる。

「だって、ワタシここの景色好きなんだもん」

「さぁ、行くわよ。お父さんが待ってる」


女の子はベンチからぴょんと降り、リオンの方に体を向けた。

その銀髪が、風にきらりと揺れる。

そして、青と緑の瞳が愛らしくリオンに微笑んだ。


リオンは自然に笑みを返していた。

声はかけない。ただ、その微笑みを受け取り、返す。

女の子は満足そうに頷き、リオンに手を振ると、母親の手を取って歩き出す。

小さな足取りが、タイルの上でリズムを刻んで遠ざかっていく。

最後にもう一度だけ振り向いた彼女の顔に風がいたずらして、まるでリオンに手を振るようにその銀の髪をなびかせた。


リオンは立ち上がり、二人の背中を見送るように見つめている。

そして、二人の背中は角を曲がって見えなくなった。

ベンチに座りなおすと、残されたベンチの板にそっと手を置く。

さっきまで女の子が座っていた場所――わずかな温度の名残が掌に触れる。


ノナカ博士の声が、海風の中から立ちのぼる。

――理論は正しいだけでは駄目だ。人を惹きつけ、未来を想像させるものでなければならない。


リオンは小さく頷く、そして空を見上げた。

潮風が、リオンの頬を通り過ぎる。

パンの焦げた香りと、海の匂い。

そしてほんの一瞬、銀の髪が笑った気配を感じると、風の粒に混じって消えた。


リオンは歩き出す。

彼の歩調は、もう以前のリズムだった。

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