第1話「タイムリープと未来の人」
登場人物紹介
■リオン
若き研究者。
未来リープ・シミュレータの開発指針を任されるが、未来からの通信で現れた女性オフェリアに心を揺さぶられる。
科学者としての冷静さと、人間としての感情との狭間で苦悩する。
■オフェリア
リオンの「三十年後の未来」と通信で繋がった謎の女性。
科学省の研究者でありながら、どこか妖艶な気配を纏う。
未来の真実を語り、やがてリオンの心を捉えていく。
銀髪と、青と緑が交じる瞳が印象的。
■澪
リオンの同僚であり友人。
Affecticsを駆使してオフェリアの真偽を確かめる協力者となる。
リオンの苦悩や弱さを目の当たりにし、新たな絆を感じ始める。
■タカコ
カフェの店主。
穏やかな笑みと気さくな物腰で、リオンや澪を支える存在。
ホットサンドは彼女の店の名物であり、リオンの「記憶の味」となる。
■ユナ
澪の友人。
セレスティア・ジュニア・アカデミーでヴァルガード語を教えている。
密かにリオンへの想いを抱いている。
■ノナカ博士
科学技術省の重鎮。
リオンに未来リープ・シミュレータの開発指針を依頼する。
「理論は正しいだけでは駄目だ。人を惹きつけ、未来を想像させるものでなければならない」――その言葉がリオンを導く。
セレスティア王立科学技術省、ノナカ博士の研究室。
薄暗い照明の下で、壁面に投影されたホログラム・ディスプレイが淡く光っていた。
リオンは小さく仕切られた応接ブースのソファに座っている。
ノナカ博士が、コーヒー・ジャーとカップを2つ乗せたトレイを持ってやって来た。
「忙しいとこと済まないね」
「とんでもございません」
リオンは緊張して応えた。
ノナカ博士は直属の上司だが、多忙ゆえに直接会うことはほとんどない。
「何を聞かされるのか」胸の奥がざわついていた。
ノナカ博士がカップにコーヒーを注ぎ、差し出す。
「どうぞ」
「いただきます」
リオンは両手でカップを受け取り、一口すすった。
「ん? この香り……ひょっとして」
「分かるかね? タカコさんのカフェのコーヒーだよ」
「博士も、あのカフェに行かれるんですか?」
「あそこのコーヒーの大ファンでね。毎朝、出勤途中に寄って、このジャーに淹れてもらってるんだ」
それを聞いて、リオンの肩の力が少し抜けた。
「実はね、リオン、君に頼みたいことがある」
博士が背もたれから身を起こす。
「EIDOSに――タイムリープ・シミュレーションを実装してほしい」
リオンは眉をひそめた。
「……未来リープ、ですか?」
「そうだ。過去には軍事的なメリットはない。未来リープだ」
「社会実験としてはもちろん、外交・経済の予測にも役立つ。人類の意思決定を先取りできるかもしれん」
「お言葉ですが、予測精度の保証はどうするんです。Affecticsですら矛盾した未来を示している」
「だからこそ、君が必要なんだよ。EIDOSに『未来を疑似体験させる』。その実装ができるのは、君しかいない」
雲を掴むような話だ。
「分かりました」――そう答えることはできなかった。
「今すぐ確実な返事が欲しいわけではない」博士は続けた。
「簡単なことじゃないのは分かっている。そうだな...一ヶ月後、どういったアプローチで臨むべきか、実現可能性も含めて君の意見を聞かせて欲しい」
「……美味しいコーヒー、ご馳走様でした」
リオンは重苦しい気分のまま、研究室を後にした。
ラボに戻ったリオンは、タイムリープ・シミュレーションの構想を考え始めていた。
(いっそ、無理です、と言ってしまうか...)
端末が不意に着信音を鳴らした。
「……誰だ?」
画面に浮かぶ発信者名は、意味をなさない文字の羅列。
ネットワークアドレスも、化けた記号の連なりにすぎない。
無視して切った。
数分後、また着信。
「しつこいな……」
舌打ちしながら、〈Accept〉をタップした。
モニターに現れたのは、見知らぬ女の顔だった。
銀色の長い髪。彫りの深い顔立ち。左右で異なる色の瞳――青と緑。
「誰?」女が言った。
「……は?」
リオンは思わず声を荒げた。
「誰って、そっちがかけてきたんだろ! ふざけるな!」
端末を握る手に力がこもる。机を指でリズムもなく叩きながら、切断ボタンへ指を伸ばした。
「待って! 切らないで!」
女の瞳が、不思議な真剣さで彼を射抜いた。
「信じないかもしれないけど……私はあなたの時代の三十年先から通信してる」
リオンは鼻で笑った。
「くだらない。馬鹿馬鹿しい」
即座に通話を切った。
画面が暗転しても、胸の奥にざらついた違和感が残った。
まるで、さっきの女の瞳がまだ目の前に浮かんでいるかのように。
リオンは立ち上がり、窓際に歩み寄った。
遠くに湾曲する地平線が霞んで見える。
「EIDOSの未来リープの話といい、未来からの発信なんてほざく女といい……今日は一体何なんだ」
数日後。
再び着信が入った。
ネットアドレスが文字化けしている。
(またあの女だ)
今度はトラッキングをオンにした。
画面に現れた女は、待ちかねたように微笑んだ。
「もう出てくれないかと思った」
「……ああ。もし本当なら、三十年後の未来の話でも聞かせてもらおうかと思ってな」
「下手な嘘ね。時間稼ぎでしょ。トラッキングなんて無駄よ」
リオンはモニターを確認する。
だが、女から発信されるパケットはどの中継機も経由せず、ノード0のアドレスすら文字化けしていた。
「……ありえない」リオンが低く呟く。
「言ったでしょ? 無駄だって」
「ヘッダーをジャミングしてるんだろう」
「違う。あなたの時代の技術でもパケットのエンベロープはランダムに暗号化されてるでしょう? 私の時代でも、リアルタイムで潰すなんて不可能」
リオンがキャプチャしたデータを覗くと、ヘッダー部分だけが文字化けしている。追跡は不可能だった。
「少しは信じた? 私が未来から発信してるって」
「信じるわけがない」
リオンは苛立ちを隠さず、机を指先で叩いた。
女はいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「じゃあ、いいこと教えてあげる。明日、ヴァルガードのディトロン火山が噴火する。二百五十年ぶりの大噴火よ」
そう言って通話は途切れた。
翌日、リオンのラボ。
ヴァルガードのディトロン火山噴火を報じるニュースが世界を駆け巡っていた。
リオンは端末のモニターを見入ったまま、言葉を失っていた――。