『魔王さま』と『勇者』の花見
「でゅふふふふふ」
魔王さまが気味の悪い声で笑う。お前には品性という言葉はないのか。ないのであれば魔王さまの辞書の先頭に載せて欲しい。
「何がそんなに嬉しいんですか?」
僕は柔らかい声で訊ねる。こちらが鷹揚な態度で接しなければ、魔王さまからの返答は得られないので厄介極まりない。僕が妥協を重ねると魔王さまは図に乗るのだから、僕に救いは無い。
「あの子には桜が似合うなあ」
魔王さまの言葉を耳入れ僕は周囲を見渡す。
トンネルを抜けるとそこは雪だった。
なんて言葉から始まる小説があるが、魔王さまと僕の場合、森林を抜けるとそこは桜が舞う森だった。だ。
この世界には四季というものがない。うだるような暑さがあっても、雪が吹きすさぶ寒さであろうか、桜が咲くところには桜が咲く。
まるで、自然の摂理を無視した気候だ。
この桜の我が儘っぷりは魔王さまか。
「まあ、桜は綺麗ですけど。それがどうしたんです」
「違う。あの子が綺麗で、桜はあの子の引き立て役に過ぎない」
「もう桜に謝れよ」
「決めたぞっ」
「どうせろくな事じゃないでしょうけど何をです」
「私はあの子と花見をする」
「まあたこの人は無謀を絵に描いたような願望を」僕はげんなりとしながら呟く。「だいたいからして、魔王さまって勇者に近づけないじゃ無いですか。その引っ込み思案が災いして」
「奥ゆかしいと言え奥ゆかしいと」
だったらその奥ゆかしさの1ミリでも僕に向けて欲しい。
「その奥ゆかしい魔王さまがどうやって勇者と花見をするんです」
「何も一緒に同じ釜の飯をつつくのが、花見ではないだろう?」
「同じ釜の飯とか言わないで下さい。なんか下品です」
「つまりだ。私があの子と同じ空間で、あの子を愛でながら花見をすれば、それはもうあの子と合体したことになるのではないか」
「僕の発想の斜め上を行っている」僕はこめかみを押さえる。「先に言っておきますが、そんな夢物語にはなりませんよ」
「何故だ?」
「まったく……まるで脚本を見失った演劇でも見てるみたいです」
「お前の言葉は時々わからない事があるが、私の事を馬鹿にしてないか」
「いや別に。それにしても、魔王さまが女性でよかった。そして僕が男でよかったですね」
「その心は?」
「この後、魔王さまが何を言うのか先回りしていいますけど」僕はここで言葉を句切り「魔王さまが男だったら僕は、これから言う魔王さまの言葉を十中八九断ります」と続ける。
当たり前だ。性別が逆だったら僕が魔王さまに付きそう訳がない。あまりにも力が強く、暴走しがちな魔王さまを制御出来るのは、いや、正確に描写するならば、常にアクセル全開の魔王さまにブレーキを踏めるのは僕ぐらいだ。
魔王さまを完全に制御することなど、陸地の無い氷だけの世界で大陸を見つける以上に困難だ。
自分の信じる刹那な正義に身を任せる奴ほど厄介な存在はいない。
「だがお前は男で私は女だ。つまり男のお前は私の言う願いをきくしかないという事か?」
ほれ見たことか、と僕は自分の予感の鋭さに辟易する。
「で、どんな願いをご所望で?」
「お前、料理が得意だろ」
「まあ、普通以上には」
「だったら菓子も作れるだろう? この桜並木に合う菓子を作ってくれ」
「無理の無理無理です」僕は腕を目の前でクロスさせ拒否する。
「なんでだ!?」
「あんたに料理を教えた時に手持ちの材料を使い切ったからですよ」
先日、魔王さまに料理を教えた事があった。その時に手持ちの食材はほとんど使い切ってしまったのだ。その結果待っていたのは、魔王さまのストーカーと僕のストーカーに魔王さま渾身の料理を奪われた事だ。
失ったのは僕の手持ちの食材と、魔王さまの努力という最悪のパターンを辿った。
「どうにかならないのか?」
「どうにもなりませんよ。無から有は生まれないんです。無い袖は振れない」
「そこをなんとか」
「無理なものは無理ですって。駄々をこねないで下さい」
僕がそこまで苦情を言った時だった。上空から何かがふってきて、僕と魔王さまの間に落ちた。
子細に見てみると、それはリュックだった。そのリュックには紅い髪と金色の髪が結びつけてあった。
当然の帰結というか当然であって欲しくない帰結だが、魔王さまのストーカーたる紅い女性と、僕のストーカーたる金髪の少女のものだ。
「なんだこれは?」魔王さまが首を傾げる。
「リュックですね。おそらく紅い女性と金髪の少女からの救援物資かと」
「ふむ」魔王さまは顎に手をやる。「中には何が入っている? 確かめろ」
「えぇぇ」僕は露骨に嫌な顔をつくる。「僕がですか?」
「お前以外に誰がいる。安心しろ。何かあってもこれがある」
魔王さまは胸元から『回復薬』を取り出した。死者も蘇生できる万能薬だ。
「え? 僕死ぬ前提でリュックを開けなきゃいけないの?」
「大丈夫だ。応援はする」
都合の良い言葉を並び立てやがって。応援の意味を知っているのか。決して傍観という事では無い。
僕は古潭の境地に没入した気分でリュックの蓋を開け中身を確認する。
「ええと。リュックの中には餅粉に白小豆に砂糖が入ってますね。あと茶葉も入ってます」僕はその他の材料の匂いを嗅ぎ「毒物のが食いは入ってませんね」と言った。
しかしこれは……つまるところ、魔王さまの希望が叶ってしまう事を意味する。
「おおっ」魔王さまが弾んだ声を出した。「つまりそれがあれば、菓子を作れると言うことだな」
「残念ながら、ね」
「よしっ。早く菓子を作れ。たまにはあのストーカー下郎達も役に立つな」
「ちぃぃ」
僕は露骨に舌打ちをする。なんでこうストーカーというのは余計な事しかできないのか。微に入り細を穿つというが、もっと他人、主に僕に役立つことはしてくれないのか。
いらん事しいの血を無闇に暴走させやがって。
「どうした。さっさと作るんだ」
「はいはい。仰せのままに」
僕は諦めたように返事をする。
僕はとりあえずストーカー共から貰った白小豆を水を張った手持ちの鍋に入れ、火にかける。数時間ほど白小豆をサラシで包み絞る。すり鉢で白小豆の皮と中身を分け、中身だけに砂糖を加える。そこに餅粉を加えて更に熱を加えて粘り気を与えれば簡易的な『練りきり』という菓子の生地の完成だ。
「いつも思っているが、仕事早いよな。お前」
魔王さまが珍しく褒めてくる。
「嬉しくはないですが、一応お礼を言っておきます。あとは唯一残っている手持ちの豆の甘煮を切ってと。あと食紅もあったな」
「お前、なんでも持ってるな」
「その何でもを何でも消費してくれているのは誰でしょうね」
僕は文句を言いながら、先ほど作った練りきりの生地に赤の食紅を薄く垂らし、桜色に着色する。それを手の平にのばし、豆の甘煮をのせ左手で回転させながら包んでいく。
更に、手持ちの『三角ペラ』で桜の形に成形していく。具体的に言うなら、まず小指で生地を五等分の印をつけ、三角ベラで少し深め目に筋をつけ、親指で五等分につけた筋の間の生地を少しのばす。そこに三角ベラで生地の端っこに少しだけ筋を入れれば『桜の花びら』の完成だ。
そこになんやかんや手を加えれば『桜の菓子』が出来上がる。
「おおっ。上手いものだ。さすがは私のお前」魔王さまが賞賛してくる。「まさしく桜見にふさわしい菓子だな」
「あとはストーカー達がくれた茶葉でお茶を入れれば下品な奴らがくれた上品なお花見セットの完成です。どこで食べます?」
「そうだな。やっぱり桜の木の上だな。そちらの方が情緒がある。それにあの子を愛でるのちょうど良い」
「どっちが本気なんだか。たぶん、両方でしょうけど」
僕がため息交じりに言うと、魔王さまが沈黙した。何かを逡巡しているようにも見えるが、実際はどうなのだろう。
「おい。この菓子はもう少し多く作れるのか?」
「そりゃ、出来ますけど」僕は肯定する。「まさか、また勇者に届けるとでも?」
「いや。私は魔王だ。功績を残した者にはたとえ私とお前を追跡視してくる下郎共にもしかるべき褒美をやらねばと思って」
魔王さまは、不本意とでも言いたげに僕から顔をそむける。それは見た僕は、思わず吹き出しした。
「あはは」
「いや、魔王さまにも勇者以外に優しさを見せるなんて少し面白くて」
これは偽らざる本音だった。魔王さまが勇者以外に関心を払うなど初めて見た気がする。
「お前。私の事を馬鹿にしてないか」
「いや、別に。その逆ですよ」
「訳が分からん」
「とりあえず、背後の二人にもお菓子を作ってあげましょう」
僕は紅い女性と金髪の少女。二人のストーカーの分の『桜の菓子』をつくり、手持ちの皿にのせる。
「いいか。遠くにおいて来いよ。私から離れた位置にだ」
「はいはい」
僕は頷く。前回は勇者の先回りの次は、ストーカー達の足止め染みた先回りだ。
僕がストーカー達の前に菓子を置き、魔王さまの元に戻るとすでに魔王さまは、桜の木の上でお茶と菓子をしばいていた。
当然、片手には望遠鏡があり勇者を覗いている。
僕は魔王さまに続く形で桜の木の上に飛びのる。
「勇者達はどうですか?」僕は魔王さまに菓子を食べながら何の気なしに訊ねる。
「いつも通り可愛いさ。当然のことを訊くな」
魔王さまの返答に僕は苦笑でもって答える。
そして、紅い女性と金髪の少女に作った菓子を見やった。
菓子をのせた皿は、すでに空となっており、皿の上には紅い髪と金色の髪がのせてあった。
さすがはストーカーだ。行動が早い。僕は再度苦笑する。
そして、魔王さまを見やる。僕は思い違いをしていた。ストーカーにも情緒があり良くも悪く成長する伸びしろがあるのか。
魔王さまには、生まれ変わったあかつきには、ぜひとも良い方向で成長して頂きたい。
僕は桜を見ながらそんな事を思う。