『魔王さま』と『勇者』の食事
イノシシの身をスライスし片栗粉と酒を塩を少々。そのあと水で洗い流せば臭みが消える。その後、もう一度軽く塩をふり、下味をつけイノシシの肉を焼き上げる。それを皿に盛って森で採取した果実を搾りオリーブオイルで味を調え、香草を彩りに乗せれば完成だ。
「魔王さま。食事が出来ましたよ」
僕は勇者のストーキングに余念なの無い魔王さまに話しかける。
「まあ、待て」魔王さは望遠鏡を覗きながら僕を制止する。「今、良いところなんだ」
「駄目です」僕は魔王さまから望遠鏡と取り上げた。「料理が冷めます」
「もうっ」魔王さまは頬を膨らませ「分かったよ。せっかくのあの子のオフシーンだったのに」と続ける。
「『勇者』は基本的に常にオフなんだよっ」僕は声を荒げる。「いいから早く食べてください」
僕は真実を口にした。この世界において『勇者』なんてもの職業でも何でも無い。
ただの旅行している人間だ。
息して歩いているだけの存在に何故そこまで執着するのか僕には分からない。
恋は盲目というが、魔王さまのそれは異常だ。
無欲が美徳そされる世の中で、魔王さまの動物的な欲求は道徳的にどうなのだろうか。理性を捨てて動物的欲求に走るのか、あるいは、動物的欲求を捨てて理性的な生き物になるのか、どちらが正解なのか僕には分からない。
「それにしても」魔王さまは僕の料理を咀嚼しながら言う。「お前、料理上手いよな。上手いし美味い」
「そりゃどうも」僕はおざなりにお礼を言う。
「なんでお前はそんなに料理が上手いんだ?」
「いやいやいや」僕は口の前で手を振った。「この世界の奴らが異常なんですよ」
この世界の人達に『料理』という概念はあまり無いように思われた。なまじっか『生』への執着がないのか、もはや『料理』という概念がないのか判断しかねるが、この世界の料理は料理という事すらおこがましいレベルだった。
肉も野菜も焼いて塩をかけて食べる。以上だ。
逆に何故、オリーブオイルや菜種油やその他香辛料が流通しているのか不思議に思う程だ。
農業に至っても趣味の世界でやってるとしか思えないほど、値段が安い。どう考えてもお金を貰って不本意な結果しか生まないような商いにしか僕の目にはうつらないのが不可解だ。
僕の料理にしても、誰かに教わった訳ではない。誰も料理を教えてくれないので自助努力で身につけたものだった。
「にしても、だ。なんでお前はそんなに料理に詳しいのだ?」魔王さまはが素朴な疑問をぶつけてくる。
「どうしてって……」どうしてだろうと自問するが答えは出ない。「ま、どうせなら美味しい物をたべたいじゃないですか」
「そういうものかねえ」
「たぶん、そういうものですよ」僕は自分の疑問をはぐらかすように答える。「それで、勇者の貴重なオフシーンって何だんったんです?」
「そうっ! それだ!」
魔王さまは何かを思い出したかのように、僕を指さした。
「何ですか。突然」
「ちょうど、あの子も食事中だったんだ」
「で?」僕は眉をひそめる。「で?」と質問を繰り返した。
「それが可愛そうなんだ」魔王さまは瞳を潤ませる。「あの子、何を食べていたと思う?」
知るかよ、と言葉が喉元までせり上がってくるが僕は賢明に堪える。しかし、その言葉は「呼んだ?」とでも意思持っているかのように僕の努力を無視して「知るかよ」と出てきてしまった。
「肉だぞ肉っ!」
「結構な事じゃ無いですか。肉は血となり肉となるんですから」
「ち、が、う」
「何がです?」
「肉を焼いて、塩をふっただけの食事だぞ」
「この世界じゃ当たり前じゃないんですか」
「じゃあ、我々が食べているこれは何だ」
質問というか詰問が多すぎて返事をするのが面倒だ。
「僕が作った料理ですが」
「じゃあ、あの子が食べているものは何だ」
「まあ、肉を加熱処理したものですな。食中毒の心配はないかと存じますが」
「違うっ!」魔王さまは僕の返答を言下に否定した。「あの子が食べているのは、もはや『豚の餌』だ」
僕の直感が、この話題はとっとと切り上げろと告げてくる。というか、僕がいなくてはその『豚の餌」を食べている側の台詞とは思えないのが悲しい現実だった
「で?」
「お前は私の部下だよな?」
「形骸化しているとは言え、そうですね」
「ならば、私に料理を教えろ」
「ええぇ」僕は露骨に嫌な顔をつくる。「理由というか思惑は分かりますけど何で?」
「そこまで答えねばならないとは、お前は浅慮だな」
「魔王さまが言わないで下さい」
「まあいいさ。お前に教えてやろう」魔王さま、ふんぬと鼻を鳴らし得意気にふんぞり返る。「お前が私に料理を教えるだろ」
「はい」
「それで私の作った料理をあの子に届けるわけだ」
「はい」
「するとどうなる。私の料理を食べたあの子は『この料理をつくった人って素敵』と好感度がうなぎ登りになるわけだ」
「はい」
「だから、私に料理を教えろ」
「それはいいですけど」
「では、決まりだ。さっそく『料理』を作るぞ」
「はぁ」僕は嘆息しながら頷く「じゃあ、やりますか」
「やらいでかっ!」
魔王さまは腕まくりをし、やる気をにじませる。
魔王さまは気づいていないが僕は気づいている。この計画には致命的なミスがいくつかある。
魔王さま性格、そして周りの環境を鑑みれば赤ちゃんでも分かる結果だ。
「じゃあ、早速始めますか」
僕は諦観気味に苦笑しながら、魔王さまに『料理』なるものを教えることになる。
これがどうやら僕の落ち度だったようだ。。
魔王さま、いや、この世界の者達は料理に対する基本的な知識を持っていなかった。
まず、根菜などは水からゆでるやら、感覚で良いから塩などは適量を使う必要があるなど、そこからがスタート地点だった。
そして肉の処理の仕方、泉や川でとった魚はうろこや内臓を処理しなくてはいけない事やら、その技術を教えるのにめっぽう時間をくった。
とりあえず、一番簡単なイノシシの肉を作った香草焼きを完成する頃には、日はとっぷりとくれて夜の闇が広がっていた。
「で、出来た」
魔王さまは疲労困憊の様子で、額の汗を拭っている。
「おめでとうございます」
僕はパチパチと手を鳴らした。
ここからが問題だ。と僕は気を引き締める。
「それで。そのイノシシの香草焼きをどうやって勇者に渡すんです?」
「それは決まっているだろう? あの子の行き先にこの皿を置いておけばいいんだ。これなら、あの子はこの肉を食べてくれるはずだ」
「落ちてる物なんでも食べる動物じゃないんだから……」
これが僕の抱える不安材料の一つだ。魔王さまの性格上、勇者に直接自作の料理を渡せるはずが無い。
ここまでは予定調和だ。
そして二つ目の致命傷ともいえるミスの一つは。
「私は、あの子の先に行って、この料理を置いてくる。やはり思い人の気持ちを掴むのは胃からだからな」
魔王さまは勇者の行き先を先回りするように姿を消した、ストーカーがストーキング相手の行き先を食料を置くなど、魔王さまも新たな境地に至ったな。
僕がぼんやりと下らない事を考えていると、すぐに魔王さまが戻ってくる。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「それで勇者の反応はどうでした?」
「そう急ぐな。今、確認する」
魔王さまは望遠鏡を目に当て、勇者の動向を見る。その瞬間僕が予期していた、魔王さまのミスの二つ目だ。
望遠鏡を覗く魔王さまのこめかみに青筋が立つ。そして、こっちが寒気を覚えるほどの殺意が、魔王さまから発せられる。
「ほら、こう来ただろ?」僕は独りごちる。「こうなると思ったよ」
「あの下郎共めっ!」
「結果は僕の予想通りですし、勇者の姿は見えないけど、当てていいですか?」
「ああっ! 行ってみろ」
「勇者は魔王さまの作った料理に気づかず、それよりも先に、魔王さまの料理を狙った紅い女性が食べている、とか?」
「そうだよっ。ついでにお前のストーカーである金髪の下郎と私の作った料理を取り合ってっている」
「へえ。半分ぐらいは正解してた訳だ」
紅い女性は魔王さまのストーカーで金髪の少女は僕のストーカーだった。
これは想像だが、あのイノシシの香草焼きは『魔王さまと僕の合作』だと思ったのだろう。
だから、紅い女性は魔王様の料理を狙い、金髪の少女は僕が魔王さまに教えた僕の料理を狙った。そしてあの料理は永遠に勇者に届くことは無い。
ありとあらゆる事が空回っている。
そしてこれは予定調和のお手本だ。
想定通り、魔王様は怒りに満ち満ちた声で魔法の詠唱を行っている。
「あの下郎共めっ。灰となれい!」
「僕絶対に止めないからね」
「くたばれ。シュヴァインヴァイプ」
訳の分からぬ魔法名とともに、二人のストーカーは炎にまかれ灰となった。
「なんか、なれてきたなあ」
僕は頬をかき、項垂れる。
「はあ、はあ」魔王さまは肩で息をした。「私は二度と『料理』などせん」
「それはよかった。これ以上時間を無駄にしなくてすむ。とりあえず、あのストーカー二人を蘇生させてくるので『回復薬』を下さい」
「ふん。ほら」
魔王さまは僕に『回復薬』を投げてくる。
それを受け取りながら、僕は思う。
早くこの魔王さま生まれ変わってくれないかなあ、と。