『魔王さま』と『勇者』のストーカー数珠つなぎ
こんな夢を見た。
そんな言葉から始まる小説を読んだ事がある。
たしか十編の短編からなる小説だ。
これは白日夢だろうか、と僕は自覚する。
遠くには勇者御一行様がおり、となりでは卑猥な目で勇者を覗き見る魔王さまがいる。ストーカーの優等生だ。もう少し生産性のある行動はできないのか。小人閑居して不善をなすを地で行く方だ。
そこで僕はふと気づく。背後を見やると紅い二つの燐光がこちらを見ていた。
より細かく表現するなら、魔王さまをなめ回すような視線だ。その視線の性質は魔王さまと同じと言えるだろう。
「あれは……」
なんとなく僕はその目の主を知っている気がする。
そして、その更に後ろにもう一つの視線があった。
魔王さまとその後ろの視線の違うのは、僕が気づいた視線が僕に向けられている事だった。
僕は他者に見つめられるほど目立つ者あないし、そんな者にもなりたくない。
だが、その視線、もとい視線を放つ瞳はこちらの願望を無視してどんどんと接近してくる。その瞳は僕の眼前に迫るとニヤリと半月状に形を変えた。
「どわぁぁ!」
僕は情けない悲鳴を上げる。僕の悲鳴に呼応するように「うるさいぞっ!」と声と共に僕の顔に鈍痛が走る。痛みで目の間に星がちらつく。
そこに来て、僕は魔王さまに投げ飛ばされ、木に顔面から激突した事に気づいた。
「痛ったい! 何をするんですかっ!?」
「お前こそ何をしているんだっ。いきなり大声出して。あの子に見つかったらどうする? 私とあの子の仲を引き裂きたいのか?」
魔王さまが僕に苦情を言ってくる。勇者としてのストーカーとしては立派な苦情だが、通常の存在からすれば不条理この上ない。
ストーカーとその被害者の仲など引き裂かれた方が世のためだ。
僕は自分の意見を押し殺す。一度でもこちらが謝罪すれば、魔王さまは『ならばもっと不条理になってもいい』という間違った認識を新たにするだけだ。
「この距離で大声だしても、勇者には小鳥のさえずりにしか聞こえませんよ。その手にある望遠鏡は玩具か何かですか?」
「私の武器だ」
「どこに矛先を向けた武器なんですか。だいたい仮にですよ……。発言いいですか?」
「どうした? 嫌味以外ならいいぞ」
「僕が大声を出して勇者達に 気づかれても、その瞬間に魔王さまだけ隠れればいいんじゃないんですか? そうしたら勇者達に狙われるのは僕だけなので、そのまま僕が勇者達にやられればいいのでは?」
まあ、レベル1の勇者には殺される僕ではないが、とりあえずそういう提案をしてみる。
僕だって魔王さま程ではないが、そこそこ戦闘力がある気がする。
「そ、それは困る」魔王さまは露骨に狼狽する。
「何故です?」
「それでは私とお前。お前があの子と私より先に接触する事になるだろう」
「わお」僕は思わず拍手をした。「さすがは、勇者の保護者を自称するだけはありますね」
発想の方向性が僕ごときでは及ばない領域の思考だ。
「それよりも」と珍しく望遠鏡から目を離し僕を見た。「お前が大声を上げるなんて珍しいな。目を開けたまま眠っていたのか?」
「あっ」僕ははたと声を出す。「そうだった。僕は白昼夢を見て……」
「マジか。どんな夢だったんだ?」
「ううんと」僕は顎を上に向けた。「何だったかな。魔王さまに殴られたおかげで忘れました」
「ふむ。つまり私のおかげで悪夢から目覚められたと。私に感謝しろ」
「言葉の魔法ですね」
「そう言うな。お前のせいで見逃したあの子の裸の罪を見逃したんだ。感謝しろ」
そうだったと僕は思い出す。火山道で汗をかいて水浴びをしようとする勇者の裸体を覗く計画は、嬉しいことに頓挫した。
だが、それは僕のせいではない。火山道で僕に絡んできた紅い女性のせいだ。そのせいで魔王さまは一瞬勇者から目を離した隙に勇者達は火山道を抜けた。
そういう訳で、今、魔王さまと僕は火山道を抜けた森で勇者をストーキングを継続している。
ようやく混濁していた記憶が霧が晴れるように明るくなってくる。
このねっとりとした視線は。
「魔王さま。気づいてますよね」
「当たり前だ」魔王さまが言い切る。「あいつだな」
「ええ。でもいつから」
魔王さまに不意打ちの暴力を頂くまでは、そんな気配はなかった。
「お前が目を覚ますちょっと前からだな」魔王さまは腕を組む。「あいつめやはり『回復薬』で蘇生しおったか。他者を執拗に監視するなど執念深い下郎めっ」
「それ、鏡に向かって言ってます?」
「お前、何か言ったか?」
「いえ。何も。それにしてもあの状況から蘇生したんですね」
「まあ、根性は買うがな。マグマに落ちてから蘇生できるとは執念深い奴め」
「言葉の天丼はやめて下さい」
自分がまいた種とはいえ、魔王さまのストーカーが出現した。
本当にこの世界の女性は自身の正義を貫く事しか知らないのか。その事実を伝えても、どうせこの世界の男は見るべき物が何も無い心のせまい男だ、と蔑まされるだけだ。
それにしても、と僕は紅い女性を見た。ストーキングの達人である魔王さまに付き合っていて分かった事がある。
まだまだストーキング相手に気取られるあたり、変態的技術はお粗末だ。
木の木陰から魔王さまを尾行するなど拙すぎる。
もう一度、生まれ変わってから我々を尾行して貰いたい。
「しかしまあ。他者の迷惑を顧みないとは見下げ果てた奴だな」
「そうですね。どっかの誰かと同じだ」
「何か言ったか?」
「いや何でも」
「それにしても、あいつをどうするか、だ。本当であれば即座に始末したいところだが。私はあの子の護衛で忙しい。お前、殺ってみるか? お前なら瞬殺だろうよ」
「嫌ですよ。なんで僕があんなフレッシュなストーカーの相手をしなきゃいけないんですか。そもそも、標的は魔王さまなんですからご自身で何とかしてくださいよ」
「ふん。まあいい」魔王さまはふんぞり返る。「あんな雑魚いつでも始末できるしな」
なんだろう。これも同族嫌悪の類いなのかな、と僕は考える。
どうせ魔王さまだから、紅い女性を始末してもすぐに『回復薬』で蘇生させるのだから悲しいイタチごっこだ。優しい世界なのか、あるいは残酷な世界なのか。
魔王さまはブツブツと文句を言いながら、望遠鏡で勇者観察を続行した。
あくまでも紅い女性は無視する所存らしい。
僕は紅い女性に憐憫の情すら覚えた。
隣には魔王さまというストーカー後ろには紅い女性というストーカー。この世の終わりじゃないのか。
思いは叶えば現実となるが、率先してやってくるのはやってきて欲しくない方の現実だ。
僕の耳に「きゃあああっ」という時ならぬ悲鳴が子超えてくる。悲鳴の方を見やると、大型のイノシシに見える猛獣に一人の少女が襲われていた。年の頃は十五、六歳あたりか。まだあどけなさを残す少女は、長い金髪を猛獣の恐怖で揺らしながら腰を抜かしていた。
あれはやばくないか。内なる僕が警笛を鳴らしてくる。すぐに助けないと、という僕らしくもない使命感も覚えた。
「ちょっと。魔王さま」
「今度はなんだ騒々しい」
「今、女の子がイノシシの猛獣に襲われてるんですけど」
「だからどうした」
「あんたは鬼かっ。助けてあげないと」
「ああ。分かった分かった」魔王さまは面倒くさそうに手をヒラヒラとふった。「お前なら簡単だろう。もしもの事があったらこれを使え。まあ、ないとは思うけどな」
魔王様は僕に『回復薬』を投げてくる。僕はそれを受け取り「面倒くさがりな魔王だなあ」とぼやきながら足に力を込め地面を蹴った。土がめり込む音が足の裏に伝わってくる。
僕は跳躍し、木々の枝をバネのように利用してイノシシの間合いに入った。そのままの反動でもって、イノシシの後頭部に蹴りを放った。イノシシは大きなうめき声を上げ、横向きに倒れる。しばらくの痙攣のあと完全に動かなくなった。上手く仕留められたようだ。
「ふう。まあ何とかなったな」
僕はその場にへたり込む金髪の少女に手を差し出した。
「え、あ、う」金髪の少女はおどおどと混乱している。「わ、私生きてる?」
「うん」僕は相好を崩す。「その代わり君を殺そうとしたイノシシはそこで死んでるけどね」
僕は親指をたて退治したイノシシを指さした。イノシシ肉って食べられたっけ、とそんな下らない事を考える。
金髪の少女は僕の手を取り立ち上がった。
「あ、ありがとうございました」
「うん。君が無事で良かったよ。家は近く? なんだったら送るけど」
「だ、大丈夫です。一人で帰れます」
金髪の少女はキラキラとした瞳で僕を見つめてくる。頬はやや桃色にのぼせているようにも思われた。
「? どうしたのやっぱりどこか怪我でもしたの」僕は首を傾いだ。見たところ外傷はない。「そうだ。僕『回復薬を持ってるんだけど使う?」
僕の質問に金髪の少女の返答は無い。ただ、無視をしている訳でもなく、一直線に僕を見ていた。
「お」金髪の少女が声を漏らす。
「お?」
「王子様がいる」
僕は状況を整理した。何かこの瞳には見覚えがあるような。
いや、気のせいだ。
そういう事にしよう。
僕が自分を言い聞かせようとしていると「あはははっ」という殺意のある笑い声が聞こえ、紅い女性が僕に襲いかかってくる。
「俺は見たぞ聞いたぞ。お前の浮気現場を。この場でお前を葬れば魔王さまは私のもの……」
「なるか馬鹿がっ」
僕は紅い女性の思いっきり蹴りつける。紅い女性は「ぐふっ」と唸り、背後にある木に激突してあっけなく絶命した。
空を飛べる者が何故空から奇襲しないのか、僕には分からない。
というか、魔王さまをストーカーしたいなら上空からの方がまだ効率がいいのではとすら思う。
「あ、あのこの方は一体?」
「うん。大丈夫。こいつはただの馬鹿だから。まさかこんな奴に『回復薬』を使うとは」
僕は毒づきながら、紅い女性の死骸に『回復薬』をかける。
そしてすぐに金髪の少女を見て「じゃあ僕急いでるんでこれで」と跳躍した。
背後から金髪の少女の「お、王子様」という声が聞こえてくるが聞こえないことにする。
こんな夢を見た。
そんな言葉から始まる小説を読んだ事がある。
たしか十編の短編からなる小説だ。
これは白日夢だろうか、と僕は自覚する。
遠くには勇者御一行様がおり、となりでは胃卑猥な目で勇者を覗き見る魔王さまがいる。ストーカーの優等生だ。もう少し生産性のある行動はできないのか。小人閑居して不善をなすを地で行く方だ。
そこで僕はふと気づく。背後を見やると紅い二つの燐光がこちらを見ていた。
より細かく表現するなら、魔王さまをなめ回すような視線だ。その視線の性質は魔王さまと同じと言えるだろう。
「あれは……」
なんとなく僕はその目の主を知っている気がする。
そして、その更に後ろにもう一つの視線があった。
魔王さまとその後ろの視線の違うのは、僕が気づいた視線が僕に向けられている事だった。
僕は他者に見つめられるほど目立つ者あないし、そんな者にもなりたくない。
だが、その視線、もとい視線を放つ瞳はこちらの願望を無視してどんどんと接近してくる。その瞳は僕の眼前に迫るとニヤリと半月状に形を変えた。
あ、やっぱりこの視線は知っている、と思い直す。
「おいおいおい」
魔王さまの声で僕は目を覚ます。
「魔王さま。どうしたんですか」
「お前がどうしたんだ。また私にはっ倒されたいのか。人間を助けに行って帰ってきたと思ったら、またすぐにぼんやりしおって」
「今のは夢じゃない」
「何を訳の分からん事を言っている。早くあの子を追うぞ」
魔王さまはずんずんとしかしながら静かに勇者の後をおった。
僕も魔王さまに続く。
そして激しい悪寒が走った。
「魔王さま」僕は小声で魔王さまに話しかける。「気づいてますか」
「ああ」魔王さまは望遠鏡で勇者を除きながら頷く。「私達をぴったりとついて来ているな。一つは私を追い回し始めた紅い下郎にもう一つはぁ」
「まさか」
「うむ。お前が助けた人間の下郎のものだな。よかったじゃないか。随分と好かれているらしい」
魔王さまは白い歯を見せた。それがどういう感情なのは分からない。
ただ一つ言える事は。
魔王さまは勇者をストーキングしており、その魔王さまをストーキングしている紅い女性がおり、そして新たに僕をストーキングする金髪の少女が増えたという事だ。
まるでストーカーの数珠つなぎだ。
そのストーカーの渦の中から誰か僕を助けてくれないだろうか。ねえ。
魔王さまは「ようこそ。こちら側の世界へ」と再度白い歯を見せた。
なんだか僕も生まれ変わって別人になりたい、と心から願ってしまう。