『魔王さま』の下僕と『勇者』への不満
僕たちは今、火山に来ている。
勿論、活火山だ。
活動的なのは勇者をストーキングしている魔王さまだけにして頂きたい。そして、この火山には抜け道があり、勇者御一行様は、火山内の抜け道を進んでいた。
かなり細い道で、両脇にはマグマが煮えたぎっている。
もし足を踏み外し落ちればさすがの『回復薬』でも、蘇生は困難のように思われた。
僕は、どんなアクシデントでもいいからマグマに落ちてくれという願いと、気をつけろという願いの狭間で悶々としていた。
気をつけろ、というのはマグマの事ではなく魔王さまの事だ。
これだけ細い道だと隠れる所はない。魔王さまに出来るストーキングタクティクスは『遠く背後から勇者の後をつける』ぐらいだ。
魔王さまは今日も望遠鏡でもって勇者を覗いている。
額には滝のような汗が流れており、口からは獲物を視認した猛獣のように涎を垂れ流している。もはや、魔王としての威厳も何もない。
まあ、元々、威厳から遠くかけ離れた存在なのだが。
僕はというと、魔王さまと同じようにマグマの熱気で汗だくだった。
この汗はマグマによる熱気からくる物なのか、あるいは、魔王さまいつ何時起きるか分からない発作的挙動に対する冷や汗なのか、あるいはその両方が合併した結果なのか、その答えを神に訊きたいが残念ながら、ここのところ神は不在だ。たぶん永遠に不在だろう。
「あの魔王さま熱くありません。すごい汗ですよ」
「問題ない」魔王さまがこちらを見ずに言ってくる。
「問題大ありですよ。こんな熱いところとっとと離れましょう」
「お前は馬鹿か。あまりにも白痴すぎる」
お前がな、と僕は心の中で言い返す。
「僕が馬鹿でも白痴でも浅い考えでもいいですが、問題ない、とは?」
「ふふん。この姿を見ろ」
「はあ。ご自身の体内の水分だけで、汗だらけですね」あと涎もな、と内心でつなげ「それが?」と続けた。
「そして、あの子はどうなっている?」
「この場の空気を悪くしたい中あえて訊きます。分かるわけ無いじゃないですか。こんな遠くからじゃ。想像だけで答えさせて貰うと勇者も汗だくじゃないんですか?」
「その通りっ!」魔王さまは喜々として答える。「私は汗だくだ。そしてあの子もな」
「だから?」
「まったくお前は無知だな」
「お前もな」僕は霞む声を出す。
「何か言ったか?」
「いや、何も?」僕は明言する。「で?」
「お前は汗をかいたら何をする」
「それりゃあ。家に帰ってシャワーを浴びますね」
「その通り。だがあの子にはすぐに汗を流せる家など無い」
「まあねぇ」
魔王さまの言葉を耳に入れ、僕の背中に冷たい物が流れる。これはマグマの熱気の汗では無い。余計な事ばかり思いつきやがって、と魔王さまを面罵したい衝動も同時に抱く。
「つまり、だ。この火山道を抜ければ涼しい森に出る。そこには水場もあるはずだ」
「気まずい空気の中あえて敬語を使いませんが、まさかのまさかか?」
「そう。そのまさかだ。あの子は必ず水浴びをするはずだ。私も遠くから水浴びをする。そうしたらどうなる?」
「その望遠鏡もいらずに、勇者の裸体を拝めるってわけね」
「ああ。近くで生あの子の絹のような肌を拝めるって事だっ」
そう言って、魔王さまは鼻血を流した。どれだけ、自分の中の水分を失いたいのか。
「まあ、僕から助言があるとすれば……」
「なんだ?」
「その腐った考えを改めろよっ! 言っている事が逐一気持ち悪いんだよ。ありましたよね。そういう童話みたいな話。駄目な方向に想像力を磨くなら、現実的な思考をできる頭を磨けっ」
「ふふ。私は常に現実的だ」
「どこがっ」
「あ、お前はこの火山道を抜けたら帰っていいから、あの子の裸を見て良いのは私だけだ」
「喜んで帰るわっ!」
「早くあの子、この火山道を抜けないかなあ」
僕を無視して独り言のように、魔王さまが呟いた時だった。魔王さま僕の頭に「そんな事させるかよ」という内に針を含んだような怒声が落ちてきた。
反射的に、魔王さまと僕は頭上を見る。そこには、宙に浮かぶ人物がいた。背中に紅い羽が生えており、深紅の髪を方まで伸ばしている。着ている服も特徴的で、大きな布を体に巻き付けているような服だ。胸の起伏から見るに性別はおそらく女性だろう。
「魔王さま。下がって下さい」僕は魔王さまを庇うように手を広げた。「誰ですか。見たところ『魔族』みたいですが。
魔王さま僕のように『人間』と姿形が同じような者が多いが、目の前の女性のように、『人間』との姿が少し違う容姿をしている『魔族』もいる。
とはいえ、両種族はそのあたりの差別などなく、仲良く暮らしている。
こんなに他者に対して敵意をむき出しにしている奴など初めての経験だった。
紅い女性はゆったりとした動作で、僕の前に降りてきた。
「俺か?」紅い女性は「俺は」と魔王さまを見やり「この火山の管理者にして魔王さまの一番の配下だっ!」と言い放った。
一種の沈黙ともてれる時間が流れる。
紅い女性はこちらの空気も読まずに得意気に胸を張っている。
「あ、あの。魔王さま」
「なんだ?」
「こんな奴、知ってます?」
「いや、全然。初めて見た」
魔王さまの言葉を聞き、紅い女性は膝からくずおれた。
「ちょっと魔王さま。こいつ、初対面開始数秒でこの世の地獄を全て見てきたみたいな顔になってますけど? 本当に知らないんですか」
「知らん」魔王さまはぺっと唾をマグマに吐き捨てた。「私にはあの子しか見えんし、本当に知らん。そもそもこの世界に土地の管理者なんているのか?」
「いや。この世界じゃあそういう存在は言った者勝ちというかなんというか」
「じゃあ、じゃあやはり知らんなこんな下郎」
「身も蓋もないなあ」僕は頭をかく。「せめてもうちょっと言葉を選びましょうよ」
「そんな……」紅い女性は立ち上がり何故か僕を睨め付けてきた。「全部、お前せいなんだよ!」
「はあっ!?」僕は唖然とする。「何が僕のせいなんだ。状況が分からない」
「お前が、魔王さまの金魚の糞をしているせいで、俺の立ち位置がなくなったんだ。本来であればお前のいる場所は俺だったのに」
すごいデジャブを感じる。この支離滅裂な思考回路はまさに魔王さまと同じだ。
僕は、とりあえずパズルを解く感覚で紅い女性に問いかける。
「もう僕が悪いって事で良いけどさ。なんで、君は魔王さまの一番の配下なんて自称してるのさ?」
「そんなの決まっているだろ。その理由は」
「理由は?」
「俺が、魔王さまに一目惚れしたからだ!」
紅い女性は息を吸うように馬鹿げた理由を口にした。
「や、ぱ、り、な! んなこったろう思ったよ」
僕はその場で地団駄を踏んだ。やっぱり、この女、魔王さまと同種だ。
とりあえずの所、この女が僕の理解の埒外あることは判明した。
あとはパズルを組み立てるだけだ。
「ふん。お前も同じだろう?」
「たぶん違うと思うけど、訊かせてくれ」
「お前だって、魔王さまを慕っているんだろう?」
やはりこう来たか。
「ああ。慕っているさ。心の遙か奥底でな」
まずは一つ目のパズル。
「はっ。お前の魔王さまへの愛はその程度か」
「うん。下手をうてば、君が考えていいる以上かもしれないが」
「私は、それ以上に魔王さまを愛している」
「そうか」僕は冷淡な口調で言う。「それはよかった。それで僕に敵意を?」
「その通りだ」
二つ目のパズルが揃った。
「お前を殺せば、お前の魔王さまの位置は俺だ」
「少し疑問なんだけどさ。質問いい?」
「認めてやるよ」
「そいつはどうも。でさ、お前が現れた時、魔王さまが勇者の裸を見るって言った時。その瞬間にその綺麗な面を見せてくれた。勇者達の足を止めたいなら、まず、勇者達を狙うべきじゃないのか」
「馬鹿か。まずは魔王さまの前に俺が現れるだろ。その上でお前を殺し、お前の立ち位置を俺が頂く。そしたらどうだ。魔王さまは俺だけを見て下さる」
「その親和性は魔王さまと同じだな。でも、魔王さまは勇者しか見てないぞ?」
僕は親指を立て魔王さまに向ける。魔王さまは僕たちに興味を失ったのか、いつもの望遠鏡で勇者を見ていた。
三つ目のパズルが揃った。思わず、笑いがこぼれた。やはりこの紅い女性は、直線的で直情的。魔王さまと同じだ。そして魔王さまの言葉を借りるなら白痴的なミスをおかしている。
「何がおかしいんだ?」紅い女性が怪訝そうに眉をよせる。
「いや。僕を殺しても魔王さまは、君を見ないよ。断言できる」
「それは自分に対する自信か、あるいは欺瞞か?」
「いや。そうじゃなくて。僕を殺してその後はどうするの?」
「当然、魔王さまの為に、勇者達を排除する。そうすれば、魔王さまと二人きりだ」
「ふふ」僕は含み笑いをする。「僕は君のことが好きだよ鬱陶しいって意味で。まるで魔王さまの陰を見てるみたいだ。君は魔王さま事を分かっていない」
「どういう意味だ?」
「順番を間違えたって意味だよ。本来であれば『勇者達を始末して、僕を処理すべき』だった。そうすれば君の目的は万が一だけど達成できたんだ。それは知らないで魔王さまの地雷を踏み抜いたんだ」
「だからどういう意味だ」
魔王さまの言葉を借りるなら、この度における彼女の台詞がそれが最後だった。
魔王さまの殺意が、凄まじい勢いで紅い女性に向かった。
「誰が誰を始末するってぇ」
「あ、駄目だこりゃ」僕は諦観する。
このあとの展開は早かった。
魔王さまは、紅い女性の腹を蹴り上げると、その流れのまま紅い女性にかかと落としを喰らわした。
紅い女性は、あ、とも、う、とも言う間もなくマグマの中に沈んでいく。
「マジかよおい」僕は素直に感心した。「魔王さまって魔法だけじゃなく、格闘もすごいんですね。でも、大丈夫ですかねあの女性」
「知るかっ」
「とりあえず例の『回復薬』を彼女の落ちた場所にかけて上げて下さい」
自分で第四のパズルのピース。すなわち引導渡しておきながら心苦しい。
「ちっ まあいい」
魔王さまはマグマの中に『回復薬』を放り投げた。
「ま、あの人なら間違いなく蘇生するでしょうね」
「次はないぞ。お前の頼みだからきいてやったんだ。さ。あの子の護衛を続けるぞ」
はいはい。と僕は首肯する。
あの紅い女性は必ず蘇って魔王さまの前に現れる。
ほとんど魔王さまと似たような奴なのだから。
魔王さまが、人間に生まれ変われない理由もたぶんここにある。