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『魔王さま』と『勇者』のウインドショッピング

 最近、平和だ。

 空は見上げると雲一つない晴天だった。空はどこまでも高く、太陽は中天にあり、魔王さまと僕を温かい光で包んでくれている。

 実に清々しい気分だった。天気の機嫌で一喜一憂するなんて暢気なものだと、僕を嘲笑する者もいるかもしれないが、すこし、考えて欲しい。僕は普段から魔王さまの機嫌で一喜一憂しなければならないのだ。

 どこかの誰かが言っていたが、古池にカエルが飛び込む水の音を、静寂と動きとの対比にして、自然の一瞬の変化の儚さを無責任にも表現した言葉があったはずだ。

 僕にとっての静寂とは、今、この瞬間がそれだ。問題のなのは静寂と動きの対比の動きの方だ。カエルが古池に飛び込むくらいならば、風情のある言葉にも聞こえるが、僕にとっての動きとは、魔王さまの機嫌に他ならない。

 魔王さまが動き出したら、この一時の平穏も蹴散らかされるだけだ。そこには風情もなければ儚さもない。

 この平和は、コレまでの厄介事を先取りした一時のご褒美のものだと解釈していた。

 さすがにこれまで、勇者をストーキングするだけなのに色々な事がありすぎた。ありすぎて思い出せないぐらいだが、思い出したくもないので記憶の奥底に封印する所存だ。

 僕は、魔王さまをちらと見やる。魔王さまは相変わらずに勇者の視界に入らない所から、気色悪く恍惚とさせた顔で、勇者を観察なのか視姦なのか分からない行動に余念なく務めている。

 魔王さまの醜悪さにはこの際目を瞑るとして、後ろ向きな意味でこの時が永遠に続けばいいのに、と本気で思う。思うが、あまり身の程知らずの願えば願うほど、その願いは実現しないというパラドックスが発生するのだから気は抜けない。

 この状況を維持するには、超短期的にタイムスリップを繰り返し続け、擬似的に現状維持を作りあげるか、魔王さまが自分の罪に気づく事に期待する意外に道はないが、その二つとも叶わないのは僕が一番よく知っている。

「なあ。お前?」

 ほら来た、と僕は身構える。

「なんですか? 魔王さま」

「なんか。あの子、奇妙な街に入って行くぞ」

「変な街? また僕の心が腐乱しそうな言葉を」

「添加物で固めろ」

「的確な判断ができそうになくなるので止めておきます。とにかく、その勇者専用望遠鏡を貸して下さい」

「ん」

 魔王さまは素直に僕に望遠鏡を渡してくる。僕は魔王さまから望遠鏡を受け取り、勇者達の姿を探す。勇者達御一行が入って行く街を見て僕は「ほうっ」と言葉を漏らす。

 勇者達御一行が入って言ったのは、随分とご立派な造りの街だった。街全体を石造りの壁で固め、その中にある街の建物も全て石材で作られた瀟洒なものだった。格子状に街を作っているのか、街の道は分かりやすく、街に住む人々だけでなく、旅人にも配慮されているようにも思える。

 更に水路もきっちりと整備されているのも好印象だった。

 今までの旅というか、勇者のストーキング生活では通過した村だか街だか廃墟群だか分からないものとは、雲泥の差がある。

 今更、驚くには値しないが、久しぶりに人間の営みというものを見れた事には感慨深いものがある。

「すごいですね。この世界にまともな文明が存在するなんて」

 僕は、魔王さまに望遠鏡を返却して感想を零す。

「どこだろうが、生き物が集まれば文明が出来るものだろう」

「魔王さま? すこしおでこを見せて頂いてもよろしいですか」

「ん?」

 魔王さまは自分の前髪を上げ、僕に見せてくる。魔王さまの額を見た僕は安堵の息をついた。

「よかった」

「何がだ」魔王さまが僕にジト目を向けてくる。

「いや。魔王さまのおでこに『馬鹿』って書いてないかなって」

「貴様、はっ倒すぞ」

 はっ倒してもらうのは大いに結構だが、生き物が集まれば文明が出来るという発想には恐れいる。ならばその辺の猛獣が集まれば文明ができるのか。理性的で自分の本能的欲求を抑え込み、相互扶助する動物達の集まりから文明が生まれるのだ。

 実際に、僕達はどうだ。魔王さまを含め、誰もが自分の動物的欲求を抑える事もつもりもない、大所帯だ。 

 このストーカー集団を見て「わあ、なんてストーカーの技術を発達させた人達なのでしょう。さぞかし、ストーカについて目を見張る文明をお持ちのお国の出の方々だわ」なんて、狂気じみた感想を抱く者はいまい。

 というかなんだ? ストーカー技術が発達した国って、そんな国があるなら、真っ先に滅びるべきだ。

 僕がどうでも良いことを考えていると、魔王さまが僕の肩に手をのせ「よしっ、行くぞ」と言ってくる。

 魔王さまの言葉を耳に入れ、「いいんですか?」と確認する。「せっかく勇者を観察するのに絶好な高台にいるというのに」

「お前も見ただろ。あの街の賑わいを。あれだけ、人が多ければ、こんな望遠鏡がなくても、あの子に気づかれずに、あの子との距離を縮められる」

「物理的な距離を詰めても、心の距離はどうにもなりませんけどね。ほら、よく言うじゃないですか。女性に振られた男性が、その男性の友達に『大丈夫、女なんて星の数ほどいる』とか言って慰める話」

「それがどうした? というか文脈的に意味が分からん」

「魔王さまは、それよりも絶望的な状況だって事です。その女性に振られた男は、少なくとも一度は、振られた女性と付き合っています。でも魔王さまの場合、その、振られる以前の問題なんですよ。せめて勇者に振られてくれたら僕だって、薄っぺらい慰めの言葉を魔王さまにおかけできますよ」

「お前だったら、どうやって私を慰める?」

「ううんと」僕は顎に手を当て考える。「僕だったら『他に女性は星の数ほどいますよ。でも、星には手は届きませんけどね』とか?」

 僕の幼稚な当てこすりは、功を奏したようだ。僕がその言葉を言い終わるかどうかのタイミングで、魔王さまの拳が僕の下顎に見事に命中した。目の前に星が散り、その場に膝からくずおれる。

 さすがに下顎の直撃は人外の僕でもこたえた。視界が霞み、思考が霧がかかったように不明瞭になる。

「お前、本当に私の事を慰める気あるのか?」魔王さまが怒気の孕んだ声を僕の頭に落としてくる。「今のは、どう考えても慰めではなく、喧嘩を売っている、だろうが」

「ちょっ。ちょっとした冗談ですよ」

 勿論、冗談ではなく本気だ。

「そもそも、あの子をその辺にいる路傍の石のような表現をするな。あの子は、私にとっての『一番星』なんだぞ。余人を持って代えがたい存在なんだ」

 ならばいっそう、手が届かないだろう。魔王さまには、今一度、ご自身の発した言葉を文字に起こして頂きたい。おかしいところだらけだから。

「と、とにかく。あの街に行くんですね? 知りませんよ。後戻りの出来ない切符を使っても、時を戻す術はありませんからね」

 僕は一応確認する。すでに後に退けない魔王の皮を被ったストーカーまで身を落としているのだが、形式上本人の意思は尊重すべきだ。

「心配ない。私は常に前進あるのみだ。行くぞガキ」

 魔王さま、以前、荒くれ者のつくった村で救った子供の手を取ると、勇み足で歩き出す。

 子供も、早く魔王さまがどれだけ厄介で手のつけられない存在なのか気づいて貰いたいものだが、年端もいかぬ幼女にそれを望むのは酷な話だろう。

「はあ。なんで、僕は魔王さまの部下をやっているんだろ。神樹さん。僕達も魔王さまの後を追いますよ」

 僕は、自分の背後に控える美女に声をかけた。森の神樹で、まあ、不本意な形で懐かれた連れと言った存在だった。

 神樹団は無言で頷くと、僕の後をついてくる。

「ふふん」魔王さまが機嫌良く、鼻をならす。「久しぶりのまともな街だ。宿も食べ物も酒も美味いに決まってる。街の人間も上品そうな奴らばかりだしな」

 悪貨は良貨を駆逐する、という言葉を知らないらしい。あるいは腐ったみかんとか。

 あの街において、まず間違いなく場違いなのは魔王さまと僕達なのは明白だ。

 しかし。腐ったみかんなんて言葉、どの本に載っていたのだっけか。

「さあ。行くぞ。あの子の元へ。見つからないギリギリの距離までな。誰も私の歩みは止められん」

 威風堂々と進む魔王さまの言葉が、僕の中にある疑問を霧散させた。

 僕の疑問を覆い被さるように、多分、魔王さまの足は街に着いた瞬間止まるな、とも予言染みた考えが頭の中を過ったからだ。

 空を見上げると、先ほどまでは気持ちの良いほど晴天だったのに、今は、清々しいまでの曇天模様に変わっていた。

 未来は見えたな、と僕は思う。

 未来は過程を経て結果になったな、と僕は思う。

 街に入った瞬間、いや、その前から予兆はあったのだが、魔王さまの足が止まった。豪華絢爛な街並みを見て「なんだこれは?」と唖然としている。

 悪く言えば豪奢とも言える石造りの建物に、道を行き交う人々は、申し合わせたかのように煌びやかな装飾品を身につけている。

 この世界に階級なるものが存在するなら、この街の住人はその階級の上に位置する人達なのだろう。

 魔王さまは、街中にある全ての物に目移りをしていた。まあ、女性としては当てあり前か、と僕は納得する。

 街にあるいずれの建物も清潔で絢爛としている。それが、食材屋であろうと、武器防具屋であろうと、家具屋であろうと、扱っている品々はおそららく一級品だということが見て取れる。

 目を見張るのは、装飾品店の多さだった。視界に収まる範囲でも、十数店舗が装飾品店のようだ。板ガラス越しに、サファイヤ、エメラルド、などの宝石に加工を施された品々がならんでいる。

「すごいな。こんな絶望しかない世界で、こんな先進的な街があるなんて」僕は素直に洗練された街並を褒め「まあ、それもそうだわな」と続ける。

「どういう意味だ?」

「いや普通に考えて、こういう石材に特化した街がない事の方が、おかしいんですって。よくよく考えて見て下さい。魔王さまが、誰とも知れぬ努力の末に作りあげた成果を踏みにじるように、破壊して使いまくっている『回復薬』を保存しているのも硝子ですよ。と言うことは少なくとも硝子を作る技術が、この世界にはあるんです。当たり前ですけど」

「そういえば。そうだな」

「それに、魔王さまが首から提げてるネックレスの宝石や、緻密な装飾が施されている金の指輪だって、制作者のたやまぬ努力の結果から生じる一品ですよ」

 魔王さまは、ふむ、と頷くと自分のまとっているドレスを確認するように、体をひねり「よしっ」と頷いた。

「魔王さまの会話には参加したくないですが、何が、よし、なんですか?」

「私はこの街で、自分の美貌に磨きをかけるっ」

 魔王さまは握りしめた拳を胸に当て、高らかに宣言する。

 そう来たか、と僕は暗澹たる思いを抱いた。

「あのぉ」僕は小さく手を挙げた。

「何だっ」

「別に、魔王さまはそれ以上、ご自身を着飾る必要はないのかと」

 なぜ、これ以上目立つ装いをしてどうするつもりなのか、と疑問を覚える。目立つ存在になる、と誰にも気取られずストーキングする、とは対極に位置するような気がしてならない。

「なぜそんな事を言う? 私が美しくなればなるほど、いざ、あの子と直接会えた時に与える印象は青天井に良くなるだろう」

 その、いざという時が来るのかは別にして、これ以上魔王さまが、この街の魅入られるのは、こちらとしては底なしに困る。

 より具体的に言うなら……。

「よし。お前。私の買い物に付き合えっ」

 こうなるからだ。

「魔王さまは、着飾らなくても十分にお美しいので、買い物の必要はないのでは?」

「はっ!?」魔王さまの顔が高揚した。「お前、もしや私の事を」

「あ、それはないので大丈夫です」僕は喰い気味に否定した。「ではなく、魔王さまがいくら着飾ろう意味がないんですよ。良いんですか。こんな所で油売っていても。せっかく勇者達と物理的とは言え接近できチャンスなんですから、勇者を間近で見られるチャンスですよ」

「ふふ」魔王さまが不適な笑みを浮かべる。「だから、お前は浅いというのだ」

 そう言って、魔王さまはある店を指指した。僕が魔王さまの指先を追うように、見やると、勇者とその仲間の魔王使いの女性が、爛々とした目で、硝子越しに展示してある装飾類を眺めていた。

「くそったれがっ」

 僕はその場で、足の裏に力を入れる。ここが粗暴で粗雑な街でなければ、地団駄を踏んで、地面に唾を吐き捨てているところだ。

 なんだって、女性というのは、宝石やら何やら、貴金属に目を惹かれるのだ。 

 野生の動物の気高さを見ろ。自分の強さを誇示する為に精一杯背伸びをし両手を広げ、なけなしの威厳を他者へ示しているんだぞ。

 美しいからといって、誰もが着飾った者たちを崇拝するわけではないんだ。残念なのは、その誰もが、というのが、具体的に誰か、という絶望的かつ致命的な問題は孕んでいる点ではあるけども。

「はあ。魔王さまだって。静かにしてれば、異性から引く手あまたなのにねえ」

 僕はうんざりする気分で呟く。

「何か言ったか?」

「いえ。何も」

「そうか。ともかく。あの子はしばらくこの街に滞在するだろう。その間。私は自分磨きをするんだ」

「頭を磨くんですか?」

「貴様、○すぞ」

「冗談です」

「では」と魔王さまは、こほん、と咳払いをし「現れろ。二人の下郎たちっ」と仲間を呼んだ。

 むろん。魔王さまが召喚したのは、紅い女性と、金髪の女性だ。

 二人はもはや気配を隠す気もないらしく、魔王さまの前に堂々と現れる。

「お呼びですか? 主様」

「え、えと。なんの用でしょう?」

「今日は、ショッピングをするぞ。それぞれ好きな装飾品を選び着飾るがよい」

「俺が、着飾る。ですか。魔王さまと一緒にお買い物をっ」紅い女性は感極まるように涙ぐむ。

「わ、私は、いいです。お金もそんなにないですし」金髪の少女はおどおどと言う。

「私が許すっ。今日は、全員で自分たちの魅力を最大限に引き立つ服やアクセサリーを買うぞ。金に関しては気にするな。すべての料金は私がもつっ」

「「やったー」」二人の声が唱和する。

 最悪の展開が来たと僕は予測を確信に変え、こそこそと、ドブネズミよろしく逃げ出す準備をする。

 真っ先に僕の不審な挙動に気づいたのは魔王さまだ。

 魔王さまは、僕の肩に手を置き「おい。どこへ行く?」と到底笑みとはいえない技巧的な笑顔を僕に向けてきた。

「えと。僕は不参加という事で。ほら。こういうのは、女性達だけで楽しむべきものかと」

 もはや徒労に終わると分かっている文言を、僕は口にする。

「お前も似てようなものだろうがっ。お前は私達の買い物に付き合え。

 そりゃ、そうなるわな、と僕は沈黙でもって肯定した。ここで逆らった所で、いい目は出ない。頃合いを見て、この地獄から脱出するしかない。

 僕はそうほぞを固め、肩で風を切るストーカー集団の後を追う。 

 当然の結果だが、最初に根を上げた、すなわち、魔王さま達の買い物からドロップアウトをしたのは僕だった。

 予測はしていたが、魔王さまの購買意欲は止みがたいものがあった。三歩歩いては一度その足をとめ、展示されている装飾類を見ては、僕に対して「これはどうだ? 私に似合うと思うか?」と訊ねられる。

 選択肢が一択ならまだいいほうで、いや、よくはないのだが「お似合いなのでは?」と返事をすると、「お前のそれは、熟慮した返答ではない」と叱責される。

 厄介のなのは、複数の選択がある場合だ。「こっちとこっち。どっちが私に似合うと思う」という質問をされると、もはや死刑宣告に近かった。

 右と左、どちらが正しいと問われ、沈黙でこたえれば「誠意ない」と罵倒され。勇気を振り絞って「こっちの方が似合うと思う」とこたえると「お前の目は節穴だ」と僕の美的センスの尊厳を否定される。

 何をどう創意工夫を尽くして答えても、最終的には自己人格否定なのだから、新手の拷問としか思えない。

 それが、魔王さま、紅い女性、金髪の少女の三方からの包囲網での攻撃だ。

 まだ、地雷原をスキップで歩く方が心の負担は軽い。

 そういう事情も、というか、そういう事情で、僕は、魔王さま達からの目を盗み、あの買い物地獄から逃亡した。

 適当に歩いてきたので、今、何処を歩いているのかは見当もつかない。周囲を見渡す限り、遊歩道のようだ。美しい新緑を讃える木が曇天模様の空に挑戦するように等間隔で並んでおり、歩道も石畳で綺麗に整備されている。行き交う人々は、親子連れや夫婦など、街の住人と思しき人々が穏やかに行き交っている。

 まったくもって、何故、女性というのは買い物となると、普段の欲深さに拍車をかけるのか。足るを知るという言葉を知らないのだろう。

 不幸なストーカー共め。

 僕が心の中で毒づきながらキョロキョロと遊歩道を見渡すと、露店が目に入った。一瞬、万屋か、とも身構えるがどうやら、真っ当な屋台らしい。

 立てかけられている看板には、露店で売られているメニューがのっている。

 軽食にジュース。

 まあ、散歩しながら食べるには無難なメニューだ。

 僕、光に吸い寄せられる羽虫のように、露店に近づいて行く。露店の店主の前に立つと、店主の女性が「いらっしゃい」と景気よく声をかけてきた。「何にしますか?」

 僕はうつろな目で、メニューを見る。過度のストレスで朦朧とする意識の中「これは?」と店主の女性に訊ねる。

 僕の目に映ったのは、大きな硝子のコップに注がれた金色の飲み物だった。透明なコップに金色の液体が入って、その上に真綿のような泡が浮いている。

「これって……」

「はいっ」店主は首を少し傾けながら笑顔を浮かべる。「麦酒です」

 よしっ。僕は心中で握りこぶしを作る。

「それをこのお店にある一番大きなコップに入れて下さいっ」

「は、はあ」店主の女性は困惑気味だ。「豪快ですね。お昼からお酒とは」

「現実逃避です」

「あはは……。でしたら、おつまみに『岩塩で焼いた魚の串焼き』などはいかがでしょうか」

「それも下さいっ」

「は、はい」店主の女性は気圧されるように苦笑して、特大の硝子のコップに麦酒注ぎ、大きな植物の葉でつくった簡易的な器に、魚の串焼きをのせ、僕に手渡してくる。

 店主の女性に代金を払い、商品を受け取る。どこかで食べられる場所はないか、と周囲を見渡すと

ちょうど遊歩道に設置されたベンチが目に入る。

 都合良く木陰にもなっており、気持ちを落ち着かさせるにはちょうどいい。

 僕はベンチに吸い寄せられるように、足を進め。ベンチに腰を下ろした。木製のベンチの冷たさが尻に伝わってくる。

 まずは麦酒を一口飲み、大きく息をついた。

 この一口だけで、今までの地獄が嘘だったように思える。

「はあ」僕は魔王さまとこの街でまた出会わなければいけない未来に、暗澹たる気持ちになる。

「ここいいか?」

「いいですか?」

 声色の違う二つの声が項垂れて地面を見ている僕の頭に落ちてくる。

 いいですかも何も、ここは公共の施設だ。僕の許可などいらないだろう。

 僕は、声の主を確認することなく「……どうぞ」と返事をした。

「それじゃあ、失礼して」

「私も失礼します」

 顔も知らない声の主が、僕の隣に座った。声から察するに二人とも男性らしい。俯きながら、僕の隣に座った二人をちらと見やると、二人とも、僕と同じ大型の麦酒を持っている。

 この二人も相当、精神的に参っているのだろうな、と二人に同調するような気分になる。

「「「はあ……」」」

 神の悪戯か何か知らないが、僕達の声が唱和した。

 首をひねって、同じ類いのため息を吐いたと思われる二人を見やった僕は、目を見開いた。

 僕の隣には、見知った二人が座っていた。正確に描写するなら、僕が一方的に見知った人間だ。

 僕の隣には。

 勇者と旅をしている男2名が座っていた。普段は魔王さまのせいで、勇者の陰に潜めているが間違いない。二人とも見事に鍛え上げられた体躯で、勇者の仲間にはもったいないほど頼りがいがありそうだ。一人は剣を携え、もう一人は大きな盾を背中に担いでいる。

 二人とも屈強な男な筈なのに、今は腰を曲げて麦酒を握っている。

 名前は知らないので、とりあえず、剣士と盾の人と名付けることにした。

「あのよ」剣士が唐突に語りかけてくる。

「な、なに?」

「なんで、こんな曇天模様の下で酒を片手にベンチに座ってるんだ?」剣士が訊ねてくる。

「おおよその想定で言うけど、お二人と同じ理由だと思う」

「奇遇ですね」盾の人が僕に続く。

「せっかくだし、その理由を同時に言ってみるか」と剣士。

「いいですね」

「未来は見えているけど、やりますか」

「いいですね。口に出した方が、ストレス解消にもなります。では、せーの、でいきますか」盾の人が音頭をとった。「せーのっ」

「「「女の買い物」」」

 僕は、この瞬間、この二人と与しやすく、非常に好感の持てる存在だと悟った。

「おま……ああ。もう、お前でいいよな。名前を聞くのは無粋だ。お前も冒険者か?」剣士が言ってくる。

「そんなもんだよ」

「で、この街に辿り着いたと……」盾の人が言う。

「ああ。その結果がこれだよ」

「気持ちは分かるが、あんまりだろ。久しぶりにまともというか豪華な街に来れたらと思ったら、この状況だ」剣士は麦酒を一口飲んだ。「最近訳の分からん事ばかりだ」

「訳の分からない?」僕はおざなりに訊いてみる。

「あんまり、他の方にはいいたくないんですけど、ここ最近、私達の周りでおかしな事が起きすぎてまして」

 盾の人が、無警戒に口を開く。

「おかしなこと?」

「そうなんだよ。俺達が旅をしていた目的は、俺達のリーダー(仮)のお袋さんの病気を治す薬を手に入れる為の金を集める為のものだったんだ」

 それは知っている。勇者の一番の命題がそれだからだ。

「それがですね」と盾の人。「私達が久しぶりにリーダーというか私達の故郷に帰ったら、目を離した隙に、リーダーのお母様の病気が完治なされて」

 うん。それも魔王さまのせいだ。

「そんで。これでも旅も終わりだな、って思ってたたらリーダーの奴、なんて言ったと思う?」

「ううんと。『もう少し旅を続ける』とか?」

 僕は答えが分かっている問題に解答する。

「そうなんだよ。どうなってんだよ。うちのリーダーは。母親の病気が治ったならそのまま故郷で暮らせばいいだろ」

「冒険続行は反対しなかったのかい?」

「しましたよ」盾の人がどんよりとした表情で言う。「多数決もとりました。このまま冒険を続けるか、どうか」

「でも、君達は三人組でしょ。多数決なら君達が有利なんじゃ」

 僕は、かまをかける気持ちで質問をぶつけた。

 リーダーもとい勇者達が構成しているパーティーの人数は、勇者、魔法使い、剣士に盾の人の4名だ。

 これだと票が分かれる可能性があるが、おそらく、この世界の神はそんな甘い考えは許さない。

「いやそれがですね。私達四人で旅をしてまして。女性二人、男性二人の構成でしてね。それで多数決ではどうにも」盾の人は半ば泣きそうだった。「平等に多数決をとっても、結局の話、女性二人の意思の方が強くて。そしてそこを理路整然と説得しても、理路騒然とした感情論でたたき伏せられたわけで」

「それで、冒険続行、と」

「そういう事だよ」剣士が麦酒をあおる。「この世界には神様はいないってのはよくわかった。いや、ある意味いたんだろうな。男尊女卑って言葉をどこで改訂して女尊男卑にすげ替えたんだ」

「はあ……。痛いほど気落ちは分かるよ」僕は心の底から二人に同情する。

「しかも、そこからが大変というか、怪奇現象まがいの旅が再スタートされたんだから笑えねえ」

「どうしたの?」

 僕は今後、この二人から発せられる言葉を予期しながら、話を促す。

「色々ありましたねえ。砂漠で死にかけた時には、食料が私達のテントの前に置かれていたり」

 ああ。それは魔王さまのせいだ。

「それに、海に行った時のリーダーは、毎晩のように正体不明の瓶に、手紙をしたためて、それを海に投げ込む奇行にも走ってたな」

「森の中では、正体不明の屋台の上にこれ見よがしに、調理された料理が乗せられていた事もありましたしね」

「極めつけは、立ち寄った村で、大樹の化け物に襲われた事もあった」

 はい、それも全部、魔王さまのせいです。

「しかも、どういう理屈が働いたのか村の人達からは、リーダーが大樹の化け物を鎮めた『聖女』だと持ち上げられて、数日間、昼夜問わずの乱痴気騒ぎにも巻き込まれました。何者かが私達の意思を無視して、あの子を『聖女』にしたとしか思えません」

 何者か、というより、主な原因は魔王さまだ。

「でも、よく二人とも今まで無事だったね」

「聞いてくれよ兄ちゃん」

 剣士はおもむろに腰に差していた剣を抜いた。綺麗に磨かれた刀身がキラキラと光る。

「綺麗な剣だね」

「私の盾も見て下さい」

 盾の人も自身が背負っていた盾をおろし、僕に見せてくる。鉄枠で補強された木製の盾だ。傷一つなく補強や修復された痕跡すらない。

「ピカピカだね」

「だろう」剣士はうんざりするように、陰鬱な声を地面に落とす。「なんで、俺たちの武器や防具が無傷なのか分かるか?」

「それは……」僕は返答に困りながら「二人の力や戦闘技術が凄いからじゃ?」と言う。

「「違う」」剣士と盾の人は同時に頭を振った。

「違うってどういう事?」答えは分かりきっているが、僕は疑問を飛ばす。

「俺達は、この旅で猛獣らしい猛獣に出会ってないんだ。どんなに危険な猛獣が出ると噂されている場所を通っても、だ」

「本当に、そうですよ。いや、それはありがたい事なんですが、逆に不気味で。私達の行く先々で危険と言われている猛獣が炭になっているんです。異常ですよ。誰かが我々を先回りして、危険な猛獣を排除しているようにしか思えない。だから、我々の武器防具は傷一つないんです」

 はい、お二人とも大正解です。と僕は心の中で拍手をする。勇者達の前に立ち塞がる猛獣や危険な生物を取り除いているのは、魔王さまです。

「まあ。運が良かっただけじゃないかな」

「運が良いだけじゃ片づかない事だらけなんだよ。俺達はそれをよく理解しているつもりだ。問題なのは、リーダーと魔道士の女子二人だ。自分たちの置かれている異常な状況をまったく理解してねえ」

「それどころか『やったあ。ラッキー!』みたいな薄っぺらい感情しか抱かない始末ですよ。僕と彼の予想では、ここまで来るまでに数十回は死んでいるはずです」

 男は人外だろうが人間だろうが、現実的に物事を俯瞰できる生き物なのだな、と僕は二人に同情する。

「まあ、気持ちは分かるよ。女の人って自分の持っている考えを絶対的真理だと思ってるから。そこに男の客観的視点を挟み込む余地はないし、中途半端に正論をかざしても『男なんて見るべき者が何もない無学な生き物だ』っていう厄介な結論に落ち着くだけだしねえ」

 僕は、言いながら麦酒を飲む。なんだか、この二人の話を聞いていて、憐憫の情よりも親近感を抱いてきた。

「そうなんだよなあ……。しかも、気色の悪い墓地を抜けた先がこの煌びやかな街だろ。連れの女子二人は宝石以上に目を輝かせていたぜ。瞳は純粋無垢な輝きなのに、纏っている雰囲気は野獣のそれだ」

「その買い物に付き合わされる私達の身にもなって貰いたいですよ。とりあえず、買い物に付き合うのは、やんわりと『あなた達の宿を確保します』という理由で逃げ出して来ましたけど」

「僕も似たようなもんだよ」

「俺の兄貴も剣士だったんだけどさ」剣士が唐突に口を開く。「女の買い物に付き合うのは、強力な猛獣十体を相手にするよりも、精神的なストレスがかかるって」

「私の父も言ってましたよ。『家庭を外部から守るより、自分を家庭から守る方がはるかに困難』だって」

 本当に涙ぐましい本音の発露だな、と僕は涙腺が緩む感覚を覚える。

「僕も同じようなものだよ」

「「「はあ」」」僕らは同時にため息をつく。

 膝の上にを見ると、先ほど露店で買った魚の塩焼きが目に入った。酒のあてに買ったものだ。小さな魚の塩焼きが三串ある。

 一口で食べられそうな貧相なサイズを見ると、どうにも、他人事とは思えない。そして、なぜか僕と剣士と盾の人を投影してしまっている自分がいる。

「あの」思い切って剣士と盾の人に声をかけたのは僕だ。「これ、ちょうど三匹あるんで、みんなで分けない?」

「いいのか?」

「いいんですか?」

「うん。不幸は三等分した方が気が楽になる」

「お前、良い奴だな」剣士が涙ぐむ。

「あなたの爪の垢を煎じて、あの女子二人に飲ませてやりたいです」と盾の人。

 僕は、二人に魚の串焼きを渡すと「それじゃあ」と言った。

「ああ。それじゃあ」

「ええ。それじゃあ」

「僕達の先細りの未来に乾杯っ」

「「「乾杯っ」」」

 僕らが声を揃えて、麦酒の入った硝子杯をぶつけた時だった。

 僕達が麦酒で喉を鳴らすのとタイミングを同じくして「……あの」というか細い声が、僕らの鼓膜を振動させた。

 僕らは同時に声の主を見る。そこには、見窄らしい少女が立っていた。何度も縫い直されたと思しき煤を塗ったようなフーとを纏っている。手には木の皮をなめし、縫い合わせたような籠を持っている。

 フードからわずかに見える顔は、頬がこけており、明らかに栄養不全だ。

 吹けば飛ぶとはこの事だ、と僕はこの少女にそんな感想を抱いた。

 そんな少女が、この街に不釣り合いな僕達、いや、少女も十分不釣り合いな身なりなのだけど、ともあれ、僕達に何の用だ。

 物乞いか?

「ど、どうしたの?」

 僕はできる限り優しい声色をつくり少女に訊ねる。

「そ、その」少女は物怖じしながら持っている籠を僕達に突き出す。「石を買ってくれませんか?」

「石?」剣士が少女が持っている籠の中を覗く。「確かに石だな」

「確かに、石ですね」盾の人も続く。「この石がどうしたんですか?」

 少女は肩を震わせながら「きっと。何かの役に立つとおもうんです」と応じた。

 僕も少女の持つ籠の中に入った石を見る。どれも小粒で、形もいびつだ。でもこれは……。

「この石にどうやったら値段がつくんだ? 俺にはよく分からん」

「見たところ、普通の石……というか、何かの結晶かが混じった鉱石ですか?」

 盾の人は、少女の石の正体に気づいたようだ。

「はい……。質は悪いですけど、石の中には貴重な鉱石が混じってます。サファイアやダイヤや石英とか」

「だったら、その辺の加工屋に持っていけばいいんじゃねえの」

「それは、その」少女は言いよどむ。

「誰も、買ってくれないからじゃないかな」

「どういう事です?」盾の人が訊ねてくる。

「たしかに、この石のどれもが希少な鉱石を含んでるね。でも、割合が酷いんだよ」

「割合ってなんだよ」

「簡単に言えば、希少な鉱石を取り出す手間とか効率とかを考えれば、この石に価値はないんだ」

「で、でも。綺麗な石ですし」少女が食い下がってくる。

 この少女の必死さは何だ。どういう感情がこの少女を必死にさせる。

「でもなあ。俺達、もう宝石だとか硝子とかにはうんざりしてるんだ」

「そ、そうですよね。ごめんなさい」

 少女が技巧的な笑みでもって、謝罪をしてくる。

「ねえ。なんで、君はこの石を売りたいの? お母さんとお父さんは?」 

 僕は無意識に口をついていた。こんな少女が、こんな不審者三人に声をかけるなど正気を疑う。

「お父さんは、ダイヤの掘削作業中の事故で足を怪我して。母は私が生まれた時に……」

「それは悪いこと聞いたね」

「でもよ」と口を挟んで来たのは剣士だ。「父親がダイヤやら鉱石やらを採掘しているってことは、それなりの貯蓄があるんじゃねえの」

「私も、その辺りは事情は明るくないですが、ダイヤや鉱石ってかなり高価なのでは」

 ダイヤの原石とはよく言ってくれる、と僕は苦笑する。

「二人ともいいかい。ダイヤは原石が採掘されて、それを加工人に売る。加工にはダイヤを加工してそれを顧客に売る。そして、ちなみに、ダイヤに限らず宝石系は、採掘した人間が一番安く買い叩かれて、加工主が顧客に最大値の値段で売る。そして顧客が買ったダイヤは一気に価値が下がる。なにせ顧客が購入した時点でそれは、新品のダイヤじゃなく中古のダイヤになるからね」

「つまりは、こういうことですか」盾の人が何かを考えるように曇天に目を向ける。「ダイヤは採掘主が一番安く買われて、加工主が一番高く売り、顧客が売ろうとすると買った時よりも安くなる、と」

「まあ、そんな感じ」僕は肩をすくめる。「もっと単純に言えば、採掘者の事情を度外すれば、ダイヤは買う時はもっとも高い値段がつくけど、売る時は見事に値段が下がるってこと。だいたい、分かったかい?」

「分かったけどよ。なら、この嬢ちゃんが売っている石って二束三文にもならないってことか?」

「まあね。重量はありそうだから、投石で鳥を落とすぐらいには使い道はある」

「それで、君は今日、何個その石を売ることができたんですか?」

「……」少女は数瞬だまり込み「今日は一つも」と続けた。

「「「い」」」」僕ら三人の声がユニゾンする。

「い?」少女はぽかんと口を開けた。

「「「いたたたたた」」」

 僕達は再度声を合わせ、涙を拭った。

「どうすんだよ?」真っ先に口を開いたのは剣士だ。

「どうしてくれるんですか?」盾の人もそれに続く。

「お前が、余計な情報を教えたせいで、俺達が良心を持っていない極悪人みたいになったじゃねえか」

「そうですよ」盾の人も剣士に同意する。

「僕のせいじゃないだろ。僕は真実を言っただけだよ」

「……あはは」少女の乾いた笑い声が聞こえてくる。「ごめんなさい。突然、私もう行きますね」

 少女は僕らに背を向け、ただでさえ小さな体を丸めて去ろうとする。

「「「まてまてまてまて!」」」

 僕らは少女を制止した。

 少女は、弱々しく、僕達に振り向く。

「えと。なんですか」

「その石一個、いくらだよ?」剣士が投げやりに言った。

「ええと。値段とかはなくて、お客さんのいい値で買って貰ってます」

「もう少し、商売上手になった方がいいですよ。私達の連れのように。無欲は善ですが、君のやっている事はただの苦行です」

「僕もそう思う」

「ええと……。それってどういう……」

「その石ころを買うって言ってんだよ」剣士はもはや開き直っている。

「私も買いますよ」盾の人も続く。

「僕も買うよ」

「あ、ありがとうございます!」

 少女は華やいだ笑みを浮かべ、籠を僕らに差し出す。

「なんで売る人間が売って貰う人間にありがとうなんて言ってんだ」

「そうですよ。子供は大人に甘えるべきです。大人に甘えて、お父様と支え合って生きていくべきですよ」

「それで、どの石にしますか……。どれも綺麗なんですけど。それほどお値段はつかないかと」

「だーかーらー! 子供が遠慮なんてするなって。全部買ってやるよ。全部」

 剣士の言葉に、少女は目を丸くする。

「全部ですかっ!」

「ああ。どうせ二束三文なんだろ。全部買ってやるよ」

 剣士はそう言うと、盾の人の首に腕を回し、少女に聞こえない声で「お前、いくら持ってる?」と訊ねている。盾の人は「私はこれぐらいしか、でも、これだけあれば半年分ぐらいの食費にはなるかと」と答えていた。

 剣士と盾の人は、各々、胸元から革袋を取り出すと少女に手渡した。

「これだけあればいいだろ?」

 二人から手渡された革袋の中を見た少女は、驚愕の眼差しを革袋の中に向ける。

「こんなに受け取れませんよ」

「その反応を見て安心しました。まだあなたは欲望に取り憑かれていない」

 二人は、自分たちの持っている鞄に使用用途不明の石を入れていく。

 少女の持つ籠の中身が三分の一ほどになったあたりで、剣士が僕にお鉢を回してきた。

「それ兄ちゃんは、この石をいくらで買い取るんだ?」

「ううん」僕は逡巡する。「久しぶりにこの世界での通貨を見て驚きを隠せないんだけど、物々交換じゃだめかな」

「お金は支払わないと?」盾の人が棘のある言葉を僕に向けてくる。

「まあ。そうなるんだけど。今、この子に一番必要なのはコレかなって」僕は鞄から『回復薬』を取り出す。「これなら君のお父さんの怪我も治るでしょ?」

「で、あ、へ」少女は言葉にならない声を出す。

「ちょっと待って下さい」盾の人が驚愕の声を上げた。「それっていかなる病気や死をなかったことにする『回復薬』ですよね。なんでそんな高価な物をあなたが?」

「僕の連れが、○したい相手を○した時に使う裏技的な道具です。多分免罪符感覚で使ってるんでしょうけど、かなり高価なものだと思うよ。あ、偽物だと思うなら予備がありますから、僕を○してからでも」

「分かった分かった分かった」剣士が額に手を当てて僕の言葉を遮る。「別に疑わねえよ。というか、お前がそれを常備しなくちゃいけない連れと旅をしている事に同情するぜ」

「私も」

「それじゃあ、交渉成立で」

 僕は少女に『回復薬』を渡す。

 少女の持っている籠の中には『回復薬』と剣士と盾の人がわたしたそれなりの金額の入った革袋が二つあるばかりだ。

 そのタイミングを見計らってか、少女のお腹が、ぐう、と鳴った。

 どうやら空腹らしい。

 僕達三人はベンチに座りながら顔を見合わせる。手に持っているのは特大の麦酒と、あてにする予定の魚の塩焼きだ。

 僕らは一つため息をついて、そのあと、頷き合うと大きな木のはで作られた葉の器に戻し、それを少女の籠の中に入れた。

「これは?」

「おまけだよおまけ。嬢ちゃんと親父さんで食べたな」

「オマケは売る立場の言葉でしょう。それに、その魚は元々はお兄さんのものですからね」盾の人がくつくつと笑う。

「僕はどうでもいいよ」

 少女の目にかすかに滲んだ涙を僕は見逃さない。この石ころの代金としては十分だ。

「ありがとう。お兄ちゃんたち」少女は白い歯をみせ「お兄ちゃん達、少しだけかがんで」と続けた。

 僕達が少女の言うとおりに、腰を曲げ少女の目線に合わせると、思わぬ感触が僕達の頬に伝わってきた。温かく柔らかい感触だ。自分の頬に口づけされたと気づく頃には、少女は、ぱたぱた、と小さな足音を鳴らして、僕らから遠ざかり、、一度足を止めて僕らに振り返る。

「じゃあね。お兄ちゃん達。私絶対、皆に恩返しするから」

 少女はそう言って、遊歩道を走っていく。

「今のはなあ」剣士がキスされた頬をさすり呟く。

「今のはねえ」盾の人も同じだ。

「今のは、ずるいよね。完全なる不意打ちだ」

 僕達がぼんやりとベンチの背もたれに体を預けていると、遠くから「おいっ。お前。どこをほっつき歩いていた! 誰がこの荷物を持つと思っているのだ」という魔王さまの声が聞こえてくる。

「あの声の主が兄ちゃんの連れか?」

「残念な事にね」

 僕がそう返事をすると、別の方角から「もうっ。どこに行ってたんですか。ちゃんと宿の手配はできているんでしょうね」という声が聞こえてくる。

 もちろん、勇者の声だ。

「そっちは君達の連れかい?」

「ああ。不幸な事にな」

 僕達は、息を合わせるわけでもなく、同時にベンチから腰を上げた。

「私達の暗い未来は決定されたみたいですね」

「そうだねえ」

「ああ。そうだな。もしこの世界に神様がいるなら、あの嬢ちゃんには、真っ当な精神を持って育ってもらいたいものだな」

 僕らは同時に頷く。

 そして手に持った麦酒が入った杯を掲げた。

「僕達の暗澹たる未来に乾杯っ」

「「乾杯っ」」

「そして」僕は大きく息を吸い二人に目をやり同時に口を開く。

「「「どうか、あの子に幸あらんことを」」」

 杯を打ち鳴らし同時に背を向け歩き出す。

 曇天模様の雲の隙間から一筋の太陽光が僕の目を刺激した。 

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