『魔王さま』と『勇者』の身辺整理。
死のうと思った。
こんな始まり方の小説を読んだ事がある。
この一文を最初に決めた作家は、どういう思いだったのだろう。
自己嫌悪から来るものなのか、あるいは、自分に置かれている環境に対しての絶望や、憤懣からくるものなのか。
いずれにせよ、この歯切れのいい一文は、僕の深い共感と、本来であれば共感しなくてはいけない魔王さまの反感を買うには十分すぎる言葉だ。
魔王さまは今、深く傷ついている。主に心が。傷心しすぎて、その感情を上手く扱い切れていないのか、扱う気なんてさらさらないのか、その負の感情を僕に向けるぐらい傷ついている。
何故、他者に自身の問題を包括させようとするのだろうか。そして、なぜその矛先を僕に向けるのか、疑問を挟む余地は、腐るほどあるが、ともあれ、魔王さまは今心を痛め、痛めた末に僕が非情に困る状況に陥っていた。
魔王さまが心を痛めている理由は簡単で、魔王さまが遮二無二愛している勇者が、魔王さまの視界にいないからだ。
「おいっ」
魔王さまがドスのきいた声を僕に発した。
「なんですか、魔王さま?」
僕はおざなりに返事をした。
「なんで、あの子が私の視界にいないんだ」
「そりゃあ」
僕は目の前を指さした。魔王さまと僕の前には、渓谷とでもいえばいいのだろうか、山と山に囲まれた雄大な川が続いていた。左右の山に青々と木々が茂り、時折ふく風は爽やかで、そこにいるだけで自然と一体になったような気分にさせてくれる。
「そりゃあ……なんだ。言ってみろ」
「ここには大自然以外、何もないからじゃないですか?」
正確には、魔王さまと僕ら以外、だが。
「お前、私をなめているのか?」
「魔王さまをなめる存在なんていませんよ」
僕はありのままの事実を口にする。魔王さまをなめる存在などいない。魔王さまの機嫌を損ねた者は、もれなく魔王さまの手により、死への往復切符が渡される。
厄介なのが、『片道切符』ではなく『往復切符』だという点だ。魔王さまの怒りを買い殺されたとしても、魔王さまの気分が晴れると、魔王さまが所有する『回復薬』で半ば強制的に蘇生させられる。
死という概念が希薄なこの世界ではあるが、魔王さまほど死から遠い存在はいない。
その魔王さまの夢というか、願望が、『人間に生まれ変わって勇者と結ばれる』という物理法則を無視したものなのだから、始末が悪い。
魔王さまも自分の事をもう少し、ご自身を客観視できれば、三歳児でもすぐに理解して諦める途方もない野望を抱かずに済むのに。
そして、その願いに僕が付き合わされる事もないのに。
これなら、この世界の全てを手中をおさめる、という野望の方がまだ可愛げと現実味がある。
「じゃあ。なんで私の前方にあの子がいない? 言葉には気をつけろよ。私は今、虫の居所が悪い」
「おおっ」僕は思わず小さく拍手した。「魔王さまが、魔王らしい事を言った。いつもは望遠鏡で勇者を視姦して涎を垂れ流しているだけなのに」
「死にたいのか? お前やっぱり、私の事をなめてるだろう?」
「なめてませんよ」僕はそう断言する。心の奥底で馬鹿にしているだけだ。「とにかく、勇者が今この場にいない理由は、物理的にいないからでしょ」
「だから、なんで物理的にいないんだ?」魔王さまは頬を膨らませた。「なんで、私の前方に、あの子がいない」
「色々と順序だって説明するとですね。主に魔王さまのせいですよ」
「私? なんで私のせいなんだ」
「はあ……」僕はこれ見よがしに、重い息をついた。「この人? のせいですよ。この人」
僕は、ここ数日僕から離れない人物を指さし答える。
僕の隣には、先日、魔王さまの暴挙により暴走した木の精霊いた。
全体的に緑色で、長い髪は木の蔓のように長く、その髪で体を包み込んでいる妖艶な美女だった。
「その緑がどうかしたのか? というか、さっさと拾った所に捨ててこい」
「犬猫じゃないんだから……」
僕は呟きながら、この状況に至るまでの事を思い出す。
数日前、魔王さまが勇者に「手料理を食べさせたい」といつも通り身の程知らずな我が儘を言い始めた事があった。
魔王さまに逆らう事は、息を吸うよりも簡単だ。単純に、魔王さまの怒りを買い殺されればいい。しかし殺されても蘇生させられるし、何より、死ぬのは怖くないが第一希望ではない。
そんな消極的な理由で、僕は魔王さまに料理を教えた。
それが魔王さまと僕の落ち度だった。魔王さまは、簡単な火起こしすらろくに出来ず、底知れぬポンコツさを僕に見せつけた。
仕方がないので、火種を確保しようと、なんとか魔王さまの魔法でも灰にならずに済みそうな大木に、魔王さまの雷の魔法をぶちかました。
その結果、火種の確保には成功したが、この判断が僕のミスだった。
一応の結果としては、魔王さまに料理を作らせる事には成功したが、払った犠牲も大きかった。悪いことは、雪だるま式に大きくなるもので、魔王さまが雷で真っ二つにした大木は、近隣の村では森と村を守る神として祭られていた神樹だった。
そして、当然のように神樹は怒り暴走した。当たり前の権利だ。なんの落ち度もないのに、いきなり雷で身を引き裂かれたら、どんな聖人君子だって怒る。
僕はアニミズム的な考えは、肯定も否定もしないが、魔王さまの軽はずみな魔法のせいで、神樹が怒り暴走したのは、状況証拠が揃いすぎていた。
そして、神樹の怒りの矛先は、不条理にも勇者達御一行と村にいった。
さすがに、勇者達御一行と村を壊滅させる訳にはいかないので、僕と、魔王さまのストーカーである紅い女性、そして、僕のストーカーである金髪の少女達で協力し、神樹を『回復薬』で完全回復させ、神樹の怒りを鎮める事ができた。
ここまでが、魔王さまと僕のやらかしだ。
「それにしても、お前、その緑に随分なつかれてるな」魔王さまが不服そうに言う。「少し、距離が近いだろ。ほとんどゼロ距離じゃないか」
「だから、それも魔王さまのせいでしょうに。魔王さまが、料理をしたいなんて事を言わなければ、こうはならなかった」
「随分と他責だな」
「一応、この神樹さんの中では、僕は、自分の命を救い怒りを鎮めてくれた恩人みたいな立ち位置になっちゃったみたいなんですよ」
「いや。極論。私の『回復薬』がなければ、この緑は死んでいたかもしれないだろう。懐くなら、私に懐くのが道理だ」
「あのねえ。自分の体に雷打ち込んで殺しにかかってきた相手に普通懐きますか?」
「○すな」魔王さまは平然と言ってのける。
「○さないで下さい。なんです? 一か百みたいな考え。なにかないんですかもう少し柔らかな着地点。○すじゃなく許すとか」
「冗談じゃないぞ。私のあの子を襲った奴だぞ。○すのが妥当な判断だ」
「その直接の原因を作ったのは魔王さまです。というか、魔王さまは、この子……神樹さんに○される立場であって許す立場ですらないでしょう。僕と会話をしてくれる気はありますか?」
僕は、もう説明するのもうんざりだ、という気分になる。なぜ一から十まで説明せねばならぬのか、そして、勇者が関わると、魔王さまの知能指数は劇的に低下する。
「まあ、緑の話は一度保留にして。なんでその緑と、私の視界にあの子がいない事が繋がる?」
「だから魔王さまのせいですってば。いいですか。今、あの村では勇者は森の神樹の怒りを鎮めた『聖女』としてあがめられているんです」
「ふ。さすがはあの子だな。私も鼻が高い。聖女か。ますます愛おしいな。可愛いな」
誰かこの馬鹿の鼻っ柱を折ってくれないだろうか、と僕は半ば真剣に考える。
「レベル1の聖女なんて言葉、聞いた事なんてないんですよっ。なんだよレベル1の聖女って、子猫にだって殺されますよ」
「何をそんなに怒っているんだ? 腹ぺこか?」
「全部に怒ってるんだ。なんでこう、毎度毎度、僕の不利に働くイベントばかりが起きるんですかっ。村じゃあ勇者は聖女としてあがめられ、今やお祭り騒ぎの乱痴気騒ぎ。そのせいで、村での物資補給が頓挫したんです」
「? 村に寄ればよかったじゃないか」
「それができればやってましたよ。でもあのお祭り騒ぎの村は今や、来る者拒まずのお祝いムードですよっ。そこに僕らみたいなよそ者が行ったらどうなります?」
「むっ」ここで魔王さまが眉間に皺を寄せる。「テンション上がるな」
「上がるなっ。問答無用で歓迎されますよ」
「良いことじゃないか。この状況よりずっと」
「そ、そうですね」僕は、自分の理性を振る動員して答える。「僕だってそうしたかったですよ。でも、村に歓迎されるって事は、ほぼ百パーセントの確率で、魔王さまと勇者が直接会うって事です。魔王さまにそんな大それた事できますか? 勇者と手を繋いでダンスとか」
「あはは?」魔王さまは目に手をやり笑った。「逆に問うが、私にそんな破廉恥なこと出来ると思うか?」
「……破廉恥かどうかは置いておくとして、できませんよね。まあ、勇者を遠くから盗み見てるのが限界の魔王さまに」
「盗み見るんとは人聞きの悪い。見守っているんだ」
「ストーキングと見守るは類語じゃないですよ」
「……じゃあ、あの子との外堀を埋めている、は?」魔王さまが上目遣いで聞いてくる。
「それも類語じゃありません。というか、その積極的な行為の裏にある引っ込み思案な性格のせいで、魔王さまと僕達はあの村を迂回して、勇者が次通りそうなこの渓谷にいるわけです」
「あの子がここを通るまで、あとどのくらいだ?」
「さあ」僕は肩をすくめる。「村のお祭りのほとぼりが冷めるまで無理でしょうね。数日か……あるいは、もっとか……」
そして村の人間には悪いが、お前達が、これ以上ないぐらい讃えている勇者はただのレベル1の人間だ。そして村人達があげ奉っている神樹は、村にも森にもいない。
なにせ、僕の隣にいるのだから。
なんなのだ、この訳の分からない状況は?
「ちょっと待てっ」と魔王さまが、ようやく何かに気づいたのか声を上げた。「つまり、あの村からあの子が解放されない限り、私はあの子を見守る事は……」
「難しいでしょうね」僕は恬淡と事実を述べる。「村に引き返したところで、勇者達は村人という肉の壁に阻まれて覗くことはできません。かと言って、村の祭りに参加したら、さっきも言った通り、魔王さまと勇者は間違いなくカチ合います」
「そんなあ……」魔王さまが泣き出しそうな声を出した。しばらくの沈黙の後「あの村、燃やすか」と物騒な台詞を口にする。
「燃やすなっ」
魔王としては正しい判断かもしれないが、生きとし生けるものとしては誤った判断だ。というか、この魔王さまに良心の呵責というものはないのか。
村から神樹という心のよりどころを拉致してきた張本人だぞ?
「じゃあ。どうすればいい?」
「どうもこうも、何もしないで下さい。魔王さまが動くと状況は暗転します。僕は地雷原を耕す趣味はないんです。そもそも、この神樹さんをつれて村に行ってらそれはそれで、大問題ですよ」
「大問題? なぜだ」
「考えても見て下さい。村と森を守っているという神樹が、魔王さまと僕と一緒に現れてたら、村のお祭りムードが一変して殺戮ムードになりますよ。『村の神を連れ去った』とか言って、魔王さまと僕らの命を狙ってきます。魔王さまの掴みかねているお怒りの原因はそこですよ。分かって頂けましたか」
自分で言いながら悲しくなるが、本来であれば、その関係こそ『魔王』と『人間』の正しい形なんだろうな、と普通に思う。
この世界が異常なのだ。形だけの『人外』と『人間』。普通だったらもっと対立するだろ。誰だよこんな混沌とした世界を作った奴は。
「ううむ。となると、だ」
僕の思考を阻害するように、魔王さまは唸り、すぐさま、手をポンと叩いた。どうせ、下らない光明を見いだしたのだろう。
「嫌な予感しかしませんが、一応、訊かせて下さい」
「今後の憂いを絶つ為にも、やはり、そこの緑は○か?」
「○なっ。なんだってそんな直情的な結論しか出ないんですか」
「いや。あの子と私の恋路を邪魔している原因は、この緑だろ?」
「魔王さまですっ。え? 僕の話聞いてましたか? かなりかみ砕いて当てこすったつもりだったんですけど」
「ちゃんと理解したさ。つまるところ、そこの緑がいなくなれば、村が祭りをする必要もなくなる訳だ。簡単な話じゃないか」
思考が突飛すぎる。
「その最たる原因とここまでに至る線路を引いたのは魔王さまですよ。原因と過程をすっとばして、全ての責任をこの子……神樹さんに押し付けないで下さい」
「お前っ…………」魔王さまの顔が、みるみる赤くなってくるのが赤くなってくるのが分かる。「やけに、緑の肩をもつな……お前は私の部下だろう」
「部下ですが、ブレーキでもあり、最後に残された良心でもありますよ」
とここで僕は違和感を覚えた。最初からあった違和感だが、いや、これが魔王さまが魔王である正しい姿ではありそうだが、いつもと風情というかなんというか、何かが違う。
普段であれば、魔王さまの怒りの先は一つだが、今回は、複数あるような。少なくとも、自身の抱える怒りを周囲に当たり散らすような真似はしない方だ。
猪突猛進を地で行く魔王さまらしくない。
となると、やはり原因はこの子、神樹さんか?
いよいよもって、状況が混迷しはじめた。
「……おい。緑」魔王さまが地獄の底から響いてくるような声を出した。「さっきから私の部下にベタベタベタベタと変態かお前は」
たぶん、神樹さも言葉を話せたら、同じ台詞を返していると思う。
「とにかく色々整理しましょうよ。魔王さま」僕は魔王さまをなだめる。「色々なカードが出過ぎて、僕でも混乱してきました」
「では、まずそのカードの一枚である緑を削り落とそう」
魔王さまは、あくまでも緑を手にかける所存らしい。
「でも、どうするんです」
「なにがだぁ」
「ここで神樹さんがいなくなったら、いよいよ、村の人間達は勇者を手放しませんよ。状況を整理して最適解を導き出しましょう」
「最適解なんてすでに出ているだろう」
だーめだこれ。僕は両手を挙げ降参のポーズを取る。僕が犬畜生だったら、泣きながらお腹を見せて降参と服従を示している筈だ。
僕は自分がまだ理性的な動物であることに、この世界でながらく不在の神に深く感謝する。
とりあえず、自分が今置かれている状況を因数分解しろ。
今僕の周りにあるカードは何だ。
筆頭は魔王さまだ。最も強力でもっとも厄介な主人。そして、次に厄介なのは、どういうつもりなのかは知らないが僕に懐いた神樹さんだ。この子は一筋縄ではいかない厄介さがある。
あとはいつも通りに厄介な、紅い女性と金髪の少女だ。どうせあの二人は、今も魔王さまと僕の後をつけてきているに決まっている。
不確定要素なのは、最近よく出会う、屋台の万屋だ。神出鬼没という点では、これはこれで厄介だ。
さらに海で出会った、海を縄張りにしている人外も厄介だ。奴が海水だけではなく、淡水でも活動できるならサプライズで現れる可能性はゼロではない。
これもまた厄介だ。
あとは勇者だな。こいつが絡むと、僕の歩く道はどんどんと先細りになっていく。
「どいつもこいつも、厄介な奴しかいないじゃないかっ」
僕はその場で地団駄を踏んだ。
なんだこのハズレだけで楽しむクジ引きは? 僕の味方はどこにもいないのか。
「どうした? 何をそんなに悩んでいる。答えは決まっているだろ」
魔王さまがニヤリと邪悪な笑顔を見せた。
死のうと思った。
そんな出だしの小説を読んだ事がある。
誰の小説家は知らないが、その歯切れのいい一文には、共感ではなく好感すらもてた。
しかし、こちらだって納得のいく死に方と、納得のいかない死に方がある。
というかどうせ蘇生させられるのだから、このプライドに意味はない。
だが、今回に限り事情が違うようだ。魔王さまの機嫌から察するに、神樹さんの巻き添えをくって僕が死んでも、僕は『回復薬』で蘇生させられるだろう。しかしながら、神樹さんが魔王さまの蘇生の対象にならなかったら。
その展開が一番の問題だ。それこそ、この世界に生まれ変わりなる概念があるなら、神樹さんは別の形で生まれ変わる事になる。
いや、と僕は頭を振る。
すでに温泉の主とその恋人の時を超えた邂逅を目の当たりにしているので、僕は、無意識下で生まれ変わりという概念を認めている。
それがどういう形であれ、だ。
違う違う違う、と僕は混乱する自分を叱咤した。
自分でも本当に思考が壊乱する兵隊のように、ぐちゃぐちゃになっていると自覚する。
今は生まれ変わりどうこうではなく、この場をどう穏便に着地させるかだ。
とにかく、僕の至上命題は『魔王さまをいつもの変質者に軌道修正する事』だ。
こんな情緒不安定な魔王さまを相手にしていては、物理的な死ではなく精神的な死を迎えてしまう。
もう、どんなハズレくじだってかまわないから、この場に集められる人達は集めよう。
「あのお。魔王さま?」
「なんだ?」
「ここは一つ理性的になりませんか」
「怒ったり静かになったり、忙しい奴だなお前も」
誰のせいで、こんな事になっているんだ、という罵声が喉元までせり上がってくるが、僕は堪える。
「僕は魔王さまの部下です」
「ん? まあ、そうだな」
「今まで、魔王さまの命令には従ってきました」
もう、どう誘導していいのか分からないが、思いつくままに言葉を出すしかない。とりあえず、登場できる人物をおびき出すように撒き餌をばらまく。
「そうだな。お前には世話になってると思う」
来た。僕はその言葉をというか、言葉の隙を待っていた。
徐々に僕の方に会話の流れが向いてきた。ちまちました小賢しいやり方だが、力も論理も通用しない相手に、真っ向勝負を挑む馬鹿などいない。
「それに、長らく魔王さまと僕は一緒に衣食住を共にしてきたという思うのですが」
「それは当たり前だろ。私とお前の仲なのだから」
「じゃあ、現状ただいま、勇者を除き魔王さまと一番親しいのは、僕だと思うんですが」
「ふ、ふん」魔王さまはまんざらでもない様子で鼻を鳴らす。「当然だ。お前と私は、共にあの子を見守ってきた竹馬の友なのだからな」
魔王さまが、そう言った時だった。空中から凜とした女性の声が、魔王さまと僕の頭に落ちてくる。
「あはは。馬鹿め。お前が主さまと一番親しいとは片腹が痛いわ!」
空から颯爽と現れたのは、背中に紅い羽を生やし、紅い髪を風になびかせる魔王さまのストーカー筆頭の紅い女性だった。
「出たな。紅い下郎」魔王さまが忌々気に口元をゆがめる。
魔王さまの言葉を無視して、紅い女性は僕を睨み付けてきた。
「お前が、我が主と一番親しいだと。調子に乗るなよ。信頼というのは共に過ごした時間ではない。どれだけ相手の気持ちを慮って尊重できるかだ。そう考えると、どうだこの俺は。俺は静かに我が主の背中の後ろで控えている。これが我が主に対する正しい姿勢というやつだ」
ストーカーの戯れ言としては悪くはない、やり直しを要求したいが、その戯れ言を聞きたかったので問題はない。
「それに、魔王さま。この子……神樹さん、さっきからずっと魔王さまに怯えていますよ。すこしぐらい温情があっても……」
「ううむ」
紅い女性の登場に、狂っていた調子を更に狂わされたのか、魔王さまの態度がやや軟化してきた。
安定の魔王さまの思考力の低さに安堵しながら僕は、「もうしばらく、神樹さんの面倒を僕に任せてくれませんか」と言語的に追撃した。
「お、王子さま。だ、騙されないでっ!」
悲痛な叫びと共に、渓谷の岩に隠れていた金髪の少女が姿を現す。
来た来た来た来た来た。
金髪の少女の登場に僕は、心の中で快哉を叫んだ。最後の一人が現れた。
金髪の少女は、血の涙を流しながら、神樹さんに鋭い眼光を向け「こ、この売女!」と下品な言葉を口にする。
「次は金色の下郎か……」魔王さまは頭痛に耐えるようにこめかみに手をやる。
「お、王子様。こ、こんな緑色の美人に、だ、騙されてはいけません」
「騙す」僕は演技力皆無な棒読みで、金髪の少女に訊ねる。「騙すって?」
「こ、この緑の人は、お、王子さまの関心を買おうとして、演技で怖がってるだけです! お、王子さまの優しさを利用して、お、王子さまと、あんな事や、こ、こんな事をしようとしている品性下等な売女です」
「おどおどと、恐ろしい言葉を連発するね」僕は金髪の少女に驚嘆する。「じゃあ。この神樹さんをどうしろっていうんだい?」
僕の問いかけにその場の全員が同時に口を開く。
「「○ろすべき」」
「「生かすべき」」
前者を選んだのは、魔王さまと金髪の少女だ。
後者を選んだのは、僕と紅い女性だった。
僕は内心で、なんとか泥仕合にもつれ込ませることが出来た、とこの話の展開に前向きな苦笑いを浮かべる。
魔王さまを、元の勇者のストーカーに戻す術はこれぐらいしか、思いつかなかった。
イカれた者同士をぶつけ合い、お互いの異常性に気づかせ思考を相殺し、元のイカれた者に戻す。
僕の願いが報われる可能性は低いが、これぐらいしが、現状を打破できる案はなかった。
「おい」魔王さまが僕を睨み付けてくる。「これはどういう事だ?」
「どういう事と言いましても」僕は空とぼけた。「これは偶発的に発生した民主的な会議です」
「もっと、分かりやすく言え。お前は、私に残された最後の良心なんだろうが」
目ざといというか耳ざといというか。魔王さまは、上手くこちらの思惑から脱出した。しかし、僕だって長年、魔王さまと同じ釜尾の飯を食べていない。
あしらい方は熟知している。
「簡単に言いますとね」僕は今の状況を分かりやすく説明する。「ここにいる皆さんが、自分の意見に投票したって事です」
「「「自分の意見に投票」」」
「はい。魔王さまは、この子……神樹さんを○したい」
「ああ。秒で○したい」
「それで、紅い女性は神樹さんを○させたくない、と」
「我が主の隣にいて良いのは俺だからな。お前とそこの緑色の奴が一緒にいて、我が主が俺の元に来てくれるなら万々歳だ」
「おいっ。紅い下郎。私を裏切るのか」
「これも、我が主と俺の将来の為です」
紅い女性は、あっけらかんと言い放った。魔王さまとお前の間には、僕ではなく勇者という乗り越えがたい壁があることに気づいてないらしい。
紅い女性が馬鹿で助かった。
「話を進めますよ。それで、君は」と僕は金髪の少女を見つめる。「君は、この子……神樹さんには亡き者になって貰いたいという事だね」
「は、はい」金髪の少女は首肯する。「こ、こんなぽっと出の樹なのか人なのか分からない存在には、退場して貰いたいです」
「うん。清々しいほどシンプルな理由だね」
「お、王子様が、わ、私を褒めてくれるなんて」
「ミリも褒めてないね」
僕はこの場にいる三人の意見を聞いてから、手をパンと鳴らした。乾いた音が渓谷の空気を震わせる。
魔王さまと、二人のストーカーの表情を見て、僕は少しだけ安心した。
ようやく、自分たちの醜悪さを自覚できてきたらしい。
「それで」魔王さまが、まだ毒気の抜け切れていない様子で言ってくる。「お前は、どうしたいんだ。結局意見は半々ではないか」
「そうですね」僕は相好を崩す。「このままじゃあ、埒があきません。議長のいない会議みたいなものです。でも」
「「「でも?」」」三人の言葉が唱和する。
「ここにもう一人いるじゃないですか。五人目の投票権を持っているこの問題の渦中の人が」
僕は、自分の影に隠れて震えている神樹さんに目を流す。
「「「はあ!?」」」再び、三人の声が重なった。
「おい。ちょっとおかしいだろ。なんで裁かれる立場の緑にも投票権があるんだっ」
「いや。それはしょうがないですよ」
まさしくしょうがないし、魔王さまの意見はお門違いだ。神樹さんにも生き残る権利はある。意見という重りをのせた天秤が拮抗した以上、最後に物を言うのは、神樹さんの意思だ。
「だいたいから言ってですよ。今回の一番の被害者はこの子……神樹さんなんですから、神樹さんにも投票権があって当たり前です。不服でしたら、もう一度、審議をし直しましょう。でも、その場合は、僕が中立に回らせて貰います。神樹さん。それでいいよね?」
僕の問いかけに神樹さんは、弱々しく、コクコクと頷く。
「おまっ。何を勝手に。それじゃあ、また偶数での裁決になるだろうが」
至極真っ当な魔王さまの抗議に僕は頷く。だが、それでいい。これは、魔王さまの目を覚まさせる為の会議だからだ。
「じゃあ。もう一度、投票します。神樹さんの命を奪う事に賛成の意思がある人は挙手願います」
挙手したのは二人だ。
当然、魔王さまと金髪の少女だ。
「それじゃあ、神樹さんを命を奪わない事に賛成の意思がある人は挙手願います。
ここで挙手したのは、当然二人だ。
紅い女性と、当事者である神樹さんだ。
おそらく、ここからが僕が見たくもない醜い修羅場が始まるはずだ。
最初に声を出したのは、紅い女性だった。
「おいっ、金髪。俺の邪魔してんじゃねえよ。お前もこっち側につけ。でないと、俺が主様の近くにいられる絶好の機会を逃すだろうが」
「い、いやです。あなたこそ、わ、私の邪魔をしないで下さい。あ、あの売女をなんとかしなきゃ、わ、私が王子様と結ばれないじゃないですかっ」
「んなもん知るか。来世に期待しろ」
「あ、あなたこそ、来世に期待したらど、どうですかっ。ま、まあ、見込みはなさそうでうけど」
ぎゃあぎゃあと口汚く罵り合う二人を見て、魔王さまは口を小さく、あ、とあけて傍観している。
僕はそんな魔王さまの肩にそっと手を当てた。
「魔王さま。見て下さい。あの醜い争いを。あれは、先ほどまで、魔王さまが自分でやってきた事の鏡うつしですよ」
「あ、あれが私か? あんな下郎と同じと申すか」
「はい。残念ですけど。あれは魔王さまのドッペルゲンガーです」
僕の言葉を受け、魔王さまは顔色を青くした。そのあと、なにかしらの羞恥心を抱いたのか、顔を真っ赤にして体を小刻みに震わせる。
魔王さまの震えが激しくなるにしたがい、先ほどまで雄大さを誇っていた渓谷の空気が萎縮するようになりを潜め始める。
「……ない」魔王さまが霞む声を出す。
「はい?」
「あんな下郎と私が一緒だと」
「まあ、そうですね」
事実そうなのだから仕方がない。が、この場合、これでいい。
「認めてないぞっ。認めてなんかやるもんかっ」
魔王さまの殺気を感じ取ったのか、紅い女性と金髪の少女の動きがぴたりと止まり、ぎこちない動きで、有り体に表現するなら、壊れた玩具のように関節をならしながら、魔王さまを見た。
「貴様ら下郎らなど」
魔王さまは、二人に向かい両手の平を向けた。手の平からは僕も見たことがない、形容しようがない色の光がまがまがしく灯っている。
「え、ちょ。主様。それってっ。多分、駄目なやつ」
「わ、わ、私は、か、関係ないじゃないですか」
「問答無用。しばらくの間、私の前から消え去れいっ。『ギルティ・インパクト』」
「おお」僕はどうでもいい感嘆の声を出した。「久しぶりに、魔王さまの口からまともな技名的なものが出たなあ」
魔王さまの手の平から、強力な衝撃波と炎が二人を襲う。二人は衝撃波で吹き飛ばされながら、灼熱の炎に飲み込まれていった。
魔王さまはすかさず、懐から『回復薬』を二つ取り出すと、二人が消え去った方向に投げた。
これであの二人は、死んでもまた蘇生されるだろう。
いつも通りの光景だ。
魔王さまは肩で息をしながら、自分を落ちつかせるように深呼吸をすると、僕と神樹さんを見た。
魔王さまの視線には、もう、神樹さんに対する殺意はないようだった。
「ま、魔王さま」僕はおずおずと訊ねる。「結局、この子……神樹さんはどうするんですか」
「ふんっ。どうもせん。どうせ、また会議をしても意見が拮抗するだけだろ。私は魔王だ。部下のミスは上司のである私のミスだ。責任は私がとる」
「はあ」
僕は、ほっと胸をなで下ろす。良かった。いつもの爛れた魔王さまが戻ってきた。
「ただし、だ」
魔王さまは、神樹さんの元までやってくると、神樹さんを羽交い締めにした。そして、怯える神樹さんを自由意志を無視して僕から、距離を取らせる。
僕から、おおよそ三歩ぐらいだろうか。
「魔王さま。どうしたんですか?」
「ここまでが緑とお前の接近して許容範囲だ」
「いまいち、意図が分かりませんが」
「お前ら近すぎ。すっごい近いからなその距離感。私とあの子の距離感を見習え」
「何が一体どうして……」
「お前の位置はここだ」魔王さまは、自分の隣を指指す。「そして、緑の位置はそこだ」と神樹さんが立っている位置を見やる。
「その心は?」
「ここで、私達の序列を決めるぞ」魔王さまは腰に手を当て胸を張る。「当然、魔王である私が一番偉い。そして二番目は部下であるお前だ。そして、三番目は、緑、お前だ。だから、その位置までならこいつに近づく事を許してやる」
魔王さまの言葉に、神樹さんは小首を傾げる。よく意味が分かっていないらしい。僕だって分からないのだから無理もない。
「え?」僕は素っ頓狂な声を出した。「じゃあ、あの紅い女性と金髪の少女はどうなるんです」
「あんなの放っておいても勝手に、ずかずかと私の領域に入ってくるだろうが。序列も糞もない」
「……あはは」
「何がおかしい?」
「いや。ようやく、僕達の身辺整理ができたなって」
「ふん」
魔王さまは、気まずそうにそっぽを向き、渓谷の川沿いに歩き出した。
「どこに行くんです」
「この渓谷の山を登るぞ。愛しのあの子を観察できるスポットが見つかるかもしれない」
「魔王さまらしいですねえ。じゃあ、いくよ神樹さん」
僕は神樹さんに声をかけ、勇み足で渓谷を上る道を探る魔王さまの背中を見る。
結局、問題は何一つ解決しなかった。
でも、まあ、今回は魔王さまが我慢という技術を覚えただけでいいとしよう。
死のうと思った。
僕は何故かその小説の最後の一文だけ思い出す。
死ぬのは止めようと思った。




