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『魔王さま』と『勇者』の聖女様への進化

「なあ、お前」 

 魔王さまが、長年連れ添った夫婦のような落ち着き払った声色で言ってくる。

「なんですか?」 

 僕は、長年相対している敵を前にしているよう警戒しながら返事をする。

 魔王さまが口を開けば、物事が好転することはない。これは、短くない期間魔王さまに付き合わされてきた僕の自信だった。

 そして、魔王さまが沈黙をしていれば、なおのこと物事は好転せず、坂道を転がる岩のように事態は暗転する。これは、短くない期間、魔王さまの従者をしている僕の確信だった。

 どう例えればいいのだろう、と僕は青い空を見ながら思いをはせる。なんというか、愚者のギャンブル、という単語が頭に浮かんだ。

 外れクジしかないクジ引きをしているようなものだ。どの選択肢を選んでも、運命の不細工な女神が僕に微笑む事はないのだろう。

 よって、僕は一切の希望を排して、魔王さまの言葉を待つ。

「お前ってさあ。私との付き合い、長いよな」

「はい」

 足の裏から草を踏む音が伝わってくる。そのたびに、草木の香りが広がり僕の鼻孔に届き、ささくれだった僕の精神を鎮めてくれる。

「お前って。私の役に立った事があったか?」

「はあぁ!」

 僕は爆竹の爆ぜるような声を上げた。この魔王さま、なんて言った? この世界に生まれて幾年、初めて感じた衝撃だった。

 これまで、この勇者のストーカーたる魔王さまの無理難題を、かいがいしくこなしてきた。結果を見れば七割方悪い結果へ着地したが、それでも僕がいなかったら、打率十割で暗澹たる結果になっていたはずだ。

 その僕に対して、ねぎらいの一つもなく、むしろないがしろにするような一言を放つとは、魔王さまの情緒はどこへ言っている。信賞必罰という言葉はどこまで家出すれば気がすむんだ。

「どうした?」魔王さまが、きょとんとした舞う抜け面で小首を傾いだ。

「いえ。時間の無駄ですが自由に話して下さい」

「そうか。ならば話すが、どうにもお前は私の役に立ってくれていない気がする」

 殺すぞ、と僕は出来もしない願望を抱く。

「そうですか?」

「ああ。ここ最近、お前に何かを命令すると余計な奴らが召喚されている気がする」

「招待だっ」僕は思わずつっこむ。「魔王さまのね」

 事実だった。魔王さまが僕に命令を下すごとに厄介な者達が加速度的に増えていく。

「何か言ったか?」

「いや。何も」僕は空とぼける。

「いやな。お前に何かを頼むと、余計な下郎が増えていく気がしてな。紅い下郎に金色の下郎、海では青い下郎とか」 

「気のせいでは?」

 僕は自分の理性を試されている気持ちで必死に、堪える。

「それに、一向に愛しのあの子とお近づきになれないぞ?」

「気まずい空気の中、あえて言わせて頂きますが、それは、魔王さまが勇者とある一定の距離以上接近できない奇癖のせいでは」

「なっ」ここで、魔王さまがやや狼狽する。「それは私が、慎ましい性格だからだ」

 慎ましいと、粘着質とは、意味合いが天と地ほど違う。

「それで、この話はそれで終わりですか?」

「いやな。私の気のせいかもしれんが、お前、私よりあの子と精神的距離感が近くないか? 文通とかもしてたし」

「それは、魔王さまの命令でしょ。文通だって、僕が魔王さまに代わって代筆してるだけですし」

「しかも、結局、だ」魔王さまは細く繊細な指先を僕に向ける。「この間も、お前に習った炒飯はあの子に食べて貰えなかったぞ」

「それは僕のせいじゃないでしょ。勇者が食べるのが勿体ないとか言って、自由意志で食べなかったんですから」 

 魔王さまの言っている炒飯は、先日、僕が教えたものだ。魔王さまが「勇者の胃を掴むものが作りたい」と駄々をこねたので、森の木やそこに生息する動物たちの多大なる犠牲のもと、つくったものだった。

 結果は、魔王さまの言うとおり失敗に終わり、後ろのストーカー二人と森のはかない命を奪う結果となっただが、それは、さすがに僕のせいではない。 

 しかも、温泉街での老人と恋人との約束の成就や、病気を患う勇者の母親を治癒させた功績は、どこにいった?

 僕はどこにそれらの功績を落とししてきたのだ。誰か拾ったのか?

「それで、思ったんだ?」

「何をです?」

「お前の頑張りは美徳だと思う」

「はあ。どうも」

「しかし、努力の方向が斜め上を行っているような気がするんだ。たとえば、その屋台を作ったりとか」

「おらっ!」

 僕は、魔王さまが指指した屋台を蹴り飛ばし破壊する。

 屋台はけたたましい音を立てて、粉砕された。

「どうした?」

「たしか、僕の記憶が確かならあの屋台を作れといったのは、魔王さまですよね」

「そうだが?」

「文脈を考えろっ。僕の行動のどこが斜め上を行っているんですか?」

「そうカリカリするな。せっかく作った屋台なのに。それに、こんな所で大きな音を立てたら、周りに迷惑がかかるだろう?」

 いけしゃしゃあと、何を言っているのだこの魔王さまは、僕は真剣に魔王さまの正気を疑う。

「こんな森の中で、どんなどんな音を立てても、誰の迷惑にも……」

 僕がそこまで言った時だった。森の出口から妙な喧噪が聞こえてきた。

 確かに、何か聞こえる。怒号や罵声など、いくつもの声が重なって聞こえてくる。

「な? お前がたてた音で森の妖精が怒っているんだ」

「いや」

 僕は魔王さまの言葉を前向きに否定した。そして、耳を研ぎ澄ませて怒声や罵声を詳しく聞き取る。

 罵声のだいたいの内容はこうだ。「お前達のせいで森の精が怒っている」だの「お前達が森神様を殺したからだ」だの、僕の予想に反して魔王さまの言っている事はあながち間違いではなかった。

 たしかに、魔王さまと僕はこの森を随分と派手に荒らした。

 問題なのは、その怒りの矛先が僕らに向いていないという事だ。

 じゃあ誰に? そんなもの決まっている。僕らというか魔王さまは勇者をストーキングしており、その都合上、この森を先に出るのは「勇者達だ」と舌打ちしながら独りごちた。

「どうした?」

「たぶん、勇者達がこの森を抜けた先にある集落で絡まれてます。村かもしれませんが」

「は?」

「お得意の望遠鏡で、森の出口を見て下さいよ」

 魔王さまは、いそいそと望遠鏡を目に当て、森の出口を見た。「たしかに、人垣が見えるが、あの子の姿は見えないな」

「そら、人垣のせいでしょうよ」僕は当然のことを指摘する。「それで、僕の目では分かりませんが、森の出口でたむろしている人間達はどんな様子ですか?」

「怒ってるな。一秒で地獄を三回ほど経験したかのように。何かの瘴気にでも当てられたのか」

「つまり勇者達はピンチって事ですよね?」

「なぜそう言い切れる?」魔王さまは突拍子もない事を言い放って来た。「表情が怖いからって、あの子が何の理由もなしに村人か集落かは知らんが、人間に拒絶される訳がないだろう」

「その理由があるから、勇者達は……村人としておきましょう。村の人間に囲まれているんでしょう」

「ふざけるなっ」魔王さまは何故か義憤にかられたようだった。「あの子が何をした」

「何もしてませんね。あえていえば、魔王さまが何かしたんだ」

「何を言っている?」

「ヒントは森の生態系を崩した、です」もはや、答えを言っているに等しい。

「私がか? あはは。そんな馬鹿な」

「馬鹿は魔王さまです。炒飯をつくるだけなのに、あれだけ自然を破壊したんですから」

 正直、その責任の一端は僕にもあるが、リスクは分散すれば小さくなるの精神で、魔王さまに言い聞かせる。

「私だけのせいじゃないだろう?」

「いえ。九割九分魔王さまのせいです」

「とにかくだ」魔王さまは話をはぐらかすように、僕から目線をそむけ「あの子が困っているのは間違いないのだな」と確認してくる。

「ええ。魔王さまのせいでね」

「そうか……」魔王さまは低く唸るり「村人全員○るか」と感情の見えない声を出した。

「○るなっ」僕は魔王さまに怒気の孕んだ声を出す。「なんでもかんでも○せばリセットされる訳じゃないんですよ。それに。勇者達を視認できなかったら、あの人垣の全員が死にますよ。魔王さまに、勇者だけを避けて攻撃なんて器用な真似できますか?」

 出来る訳がない。こんな火起こし一つできない不器用な人に、視認もできていない勇者だけを避けて攻撃ができる可能性など絶望的と言ってよかった。

「できないな」

「ですよね。たとえ出来たとしてもあの人数分の『回復薬』を持ってますか? 持ってなかったら、おそらく、この世界で初めての虐殺になりますよ。ある意味、『魔王』らしいですが」

「ううむ」

 魔王さまは、何かを考えるように唸る。どうせ頭の中では、大した事を考えていないのは明白だが、あえて「どうするんです?」と訊ねる。

「私は魔王だ」

「ほとんどの存在が認知してませんがね」

「魔王は、基本的に能動的には動かないと思う」

「能動的に勇者をストーキングしてますがね」

「ならば、方策は一つだな」

「なんです?」

 きっとこうなる運命だったんだと、僕は魔王さまの次の言葉を待った。人間も魔族も、酔っ払った状態で頭を鈍器で殴られれば、ある程度の無慈悲は耐えられる。

「この騒動の鎮圧はお前に委ねる」

「分かってましたけど、こうも堂々と言われると、逆に清々しいですね」

「そう褒めるな」

「嫌味ですよ」

「知っている。お前と私の中じゃないか」

 くそったれめっ、と僕は心中で毒づく、親しき仲にも礼儀あり、という言葉を知らないのか。人間も魔族も、親しくなるにつれ迷惑になってくる。

 人類愛を掲げるのは容易だが隣人を愛するのは難しい、という文豪の言葉を知らないのか。

「ん? なんで、僕はこんな言葉を知ってるんだ」

 僕が、ぼそりと呟いていると魔王さまが「どうした?」と僕の顔を覗いてくる。

「なんでもありません」

「何。そんなに不安がるな、お前には力強い手下をつけてやる」

「手下? いやいいです」僕は手を横に振った。「どうせ、背後のあの人達でしょう?」

 僕はこの後の展開を予見するように、拒否の姿勢をとる。しかし、人の言うことは一切受け付けない魔王さまは、その手下とやらを呼びつけた。

「来いっ。紅い下郎に金色の下郎よ!」

 なんだろうか。名前があまり必要のないこの世界でも、その呼び方は素直に酷いとおもう。

 魔王さまの呼びかけに呼応するように、背後にある茂みから二つの影が現れた。

 一人は魔王さまのストーカー筆頭の紅い女性だ。もう一人は、僕のストーカー筆頭の金髪の少女だった。

「ああっ。主様が俺を名指しでご指名してくださるとは」

 感極まってる所、申し訳ないが、『紅い下郎』は名前ではなく蔑称だ。

「あ、あの。わ、私に何かご用ですか?」

 金髪の少女はもじもじと気恥ずかしそうに言ってくる。

「お前達は、こいつと一緒に森の出口で起きている騒動を、穏便に鎮圧してこい」

 穏便と鎮圧は、けっして同居していい言葉ではない、と僕は思うがあえて口にしない。

「主様の仰せとあらば、気に食わないですが、こいつの手伝いをしてやりましょう」

「わ、私も。お、王子様のお手伝いが出来るなら」

 自ら罰ゲームに身を投じるのは、勇気ではなく蛮勇だ、と考えるところはあるが、人手はあった方がありがたい気もしなくもない。

 どうせ地獄に落ちるなら一人より三人の方がマシだ。

「では行けい、二人の下郎共。見事に私とこいつの役に立ってみせろ」

「御意」

「は、はい頑張ります」

「ああ、とりあえずコレを持って行け」

 魔王さまは、おもむろに胸元から『回復薬』を四つほど取り出し、僕と二人に手渡す。

「人が死ぬ前提の段階で、あの村人達との交渉は捨てている気がする」

「とにかくお前も行っていけ。武運を祈る」

「言葉がもう……」僕は額に手を当てながら「とりあえず、森の出口へ言って様子を窺おう」と二人に声をかける。

 さて、どう作戦をたてるか。僕はそんな事を考えながら、仲間という名の不良債権を二名連れて、森の出口に向かっていた。

 だいたいの事情は分かっている。魔王さまのせいで、森の何かの怒りを買い、その怒りのせいで、村人の怒りを買った。いや魔王さまの言葉を借りるなら、村人は森の瘴気に当てられ理性的ではなくなった。それに勇者達が巻き込まれた。

 以上だ。

 不思議に思ったのは、村人達の怒りだった。『森の精』とか『森神様』という単語を使った点だ。

 魔王さまが森を破壊した事に対して怒るのは、当然の権利だ。森からとれる作物や動物を失う事になるからだ。しかし、そこに『森神様』なる単語が挟まる事に違和感を覚える。

 アニミズムとでもいうのだろうか。この世界では滅多に見ない考え方だ。もしくは、本当に『森神様』や『森の精』なるものが本当に存在するのだろうか。

 となれば、これはこの世界において滅多に起きない『人間』と『魔族』の不可侵を破った事を意味する。お互いがお互いを尊重し、種族の線引きなどなく、仲良く共存している世界で起きた希有な例だ。

 どうする。どう転んでも転ぶことには変わりはないが、転んで膝を擦りむくのと骨折するとでは、こちらの度合いが違い過ぎる。

 まずは、問題の詳細を探るべきだ。

 その為には、まず金髪の少女に村人から、聞き取り調査をお願いするのが妥当だろう。

 僕はともかくとして、紅い女性は背中から魔族丸出しの翼が生えているし、僕だって男だから村人の警戒を受けかねない。

 であれば、内面は無視して、外面だけは人畜無害な金髪の少女が適任だろう。

 そのあとはどうする、と僕は熟考するが、そう簡単には妙案など思いつくはずがありません。

 僕を含めた外れカードでどれだけ善戦できるか、それが肝要だった。

 僕は身体能力以外は役に立たない。いざという時の為に、金髪の少女を守る事はできる。

「問題はこいつなんだよなあ」

 僕は紅い女性に目をくれる。僕の視線に気づいたのか、紅い女性は「どうした? 俺に魔王さまの隣を譲り気になったのか」とまったく空気を読めない発言をかましてくる。

「いや、なんでも」

 僕ははぐらかすように言い、金髪の少女を見やった。

「ねえ」

「は、はい」金髪の少女は、おどおどと反応する。「な、なんでしょう」

「そのぉ。君が人見知りなのは重々承知でお願いがあるんだけど」

「な、なんでしょう?」

「申し訳ないんだけど、森の出口でたむろしている村人に、この騒動について訊いてきて欲しいんだけど」

「わ、私がですか」金髪の少女は及び腰に反応する。「で、でも。私なんかに出来ますか?」

「成功率が一番高いのは人間である君だからね。大丈夫。もし君に何かありそうなら僕が守るから」

 瞬間、どんよりと曇っていた金髪の少女の表情が明るくなった。

「わ、分かりました。王子様の為なら、が、頑張ります」

「うん。無理しなくてもいいからね」

「は、はい! 王子様に助けて貰えるように頑張ります」金髪の少女は両手の拳を胸の前で構える。

「うん。僕が助けなくてもいいような方向性で頑張ってね。僕らはすぐ近くに控えているから」

「は、はい。ご、ごめんなさい」

「俺は何をすればいい?」紅い女性が訊いてくる。

「息でも吸ってろ」

 とりあえず、僕と紅い女性は、金髪の少女から近からず遠からずの位置につく。金髪の少女は強ばあった所作で、半ば暴徒と化した村人に近づいて行く。

 金髪の少女は村人の一人を捕まえると、一言二言会話をして、小走りでこちらに帰って来た。

「どうだった?」僕は青ざめた表情の金髪の少女に訪ねる。「すでに答えは出ている気もするけど」

「や、やばいです」

「? やばい。どういう事だ金髪」紅い女性が金髪の少女に詳細を訊ねる。

「こ、このままじゃ勇者達が『森を破壊した罪』で、こ、○されちゃいます」

「「はあ」」僕と紅い女性の声が唱和する。

「そ、それが。勇者さん達が森を破壊いして、破壊した『森の主』っていうのが暴れてて。ゆ、勇者さん達を○そうとしています。む、村人も、そ、それに同調しちゃって」

「まずいっ」

 僕は声を荒げた。金髪の少女が言う『森の主』というのは例の『森神様』の事だろう。

 つまるところ森神様も魔族だ。残念な事実だが、レベル一の人間がその『森神様』に抵抗できるとは到底思えなかった。

 さらにやばいのは、その森神様に村人が同調してしまっている点だ。集団パニックにでもなっているのか、人垣をつくている村人達も勇者達を敵として認識してしまっている。

 これも森が破壊され発生した瘴気というやつか。

「その『森の主』とやらは、あの人垣の向こうにいるの?」

「は、はい。そ、そうみたいです。まっすぐに勇者達へ向かっています。で、でも。村人が邪魔で逃げられないみたいです」

「いよっしゃっ」紅い女性がガッツポーズを決める。

「おい。なんでお前だけ嬉しそうなんだ」

「喜ぶに決まっているだろう。このまま上手く事がすすめば『勇者はその森の主とやらに始末』されるのだろう。つまり、我が主の恋も今日で終了という事だ」

「ゲスめっ」僕は汚物を見るような視線を紅い女性に向ける。「そんなんだから、友達の一人もいないんだぞ」

「ふんっ。それがどうした。俺には主様がいればそれでいい。それに、あいつらは仮にも『勇者』を名

のっているんだ。暴走した魔族に○ろされるなら本望だろう。潔く逝けばいい」

「ちぃぃ。敵の敵は味方ではなく敵だったか」僕は奥歯を噛む。

 親指の爪を噛み、どうしたもんか、と考える。金髪の少女は僕の味方だ。紅い女性と『森神様』、そして村人達はもれなく敵だ。

 考えをまとめるのに、これほど時間が必要なのか、と僕は自分に辟易とする。

 辺りに視線を這わせ、何か使える者あるいは者はいないか探す。そう簡単に起死回生の一打となるものなど見つかるはずがないか、と諦め抱えたその時、目の端に何かがたなびく物が見えた。近すぎて意識の外に追いやっていたが、どこかで見たことがある旗がたなびき、その脇には屋台があった。

 たなびいているのは旗で『山の家』と書かれている。屋台にも、その屋台中にいる店主にも見覚えがあった。

 海で出会い『文通用の青い瓶』を購入した『海の家』だった。

 海の家の次は山か、と傷む頭をおさえるが、待てよ、と一筋の光明が見てきた気がした。

 僕の持っているカードはなんだ? 金髪の少女に己が欲望忠実な紅い女性、そして『山の家』の屋台。

 最後は魔王さまから預かった『回復薬』が数個。

 それぞれの特性の吟味に、つなげていく。

「あれ」僕はぽつりと口を動かした。「これもしかして、いけんじゃね?」

 僕の想像通りだとすれば、この騒動は以外と簡単に解決できる。

 頭の中で計画を練り、成功率を計算する。紅い女性という一時的な戦力外の犠牲と『山の家』という不確定要素が組み合わされば、この場を納める事が出来るはずだ。

 そう決めるが早いか、僕は急いで『山の家』へ向かった。つい先日、会ったばかりなので久しぶりとは言いがたいが、「やあ。久しぶりだね」と『海の家の』の店主に声をかけた。

「え?」店主は僕の声に反応し「あらあらあら」相好を崩した。

「僕の事は覚えてますか?」

「勿論、覚えてるんで」店主はクスクスと笑った。

「君はどこでも商売をするんだね」

「スペースがあればどこでも店を開くんで」

「こんな騒ぎの中商売ができるなあ」

「あらかあら。そうで。喧嘩と祭りは何かの粋で」

 商魂すごいなあ、と僕は素直に店主を褒め称えたくなる。

「あれはあるか?」

「あれ、で?」

「海の家で君から買った『文通の小瓶』はまだある?」

「あらあら。そうなんで。在庫はあるんで。でもそれが?」

「至急売ってくれ」

「別にいいんで。でも、海とか川とかの水がある場所でないと意味がないんで」

 いいながら、店主はカウンターの下に潜り、ごそごそと荷物を探り始める。

「それでいいよ。もはやあれは僕にとって『文通の道具』じゃなくて『身分詐称の道具』として存分に、活躍してくれてるから」

「そうなんで? あらあら、あったあったんで」そう言って店主はカウンターの下からを顔を覗かせた。「これで最後の十個なんで」と『文通の小瓶』の入った袋を取り出す。

「全部売ってくれ。お金は後で払うから」

「つけは、五割増しになるんで。今、買わなければ手に入らないんで」

 こんなところで商売根性を見せるなよ、と僕は苦笑するが、それこそ、今はのっぴきならない状況だ。店主の甘言に負けるしかない。

「分かった。その値段でいい」

 僕は店主から『文通の小瓶』を受け取ると、手持ちの紙とペンでメッセージを書き、小瓶につける。

 急いで、紅い女性の元に行き「おいっ」と紅い女性に話しかけた。

「断る」

「喰い気味で断るな」

「どうせ、あの『勇者達』を助けるのに協力しろとか言うのだろ? 俺はごめんだね」

「なんで? 魔王さまにも命令されたろ」

「まず第一に、よくよく考えれば、勇者達が死ねば主様が旅をする必要もなくなる。それに、心もお痛みになられるだろう。その心の隙間に、俺が入り込む余地ができる。第二に、俺が勇者を助ける義理はない。俺は主様だけのために動きたい。しかい主様も独占したい」

「論理は破綻してると言えるが態度は一環しているなあ。お前の理屈は置いておくとして、これはお前にもメリットのある話だぞ?」

「どういうことだよ?」

「そもそも、勇者は死なない。この世界では『死』の概念が無きに等しい。それに僕達が任務に失敗したとしても、魔王さまからの評価が下がるだけで、勇者は死なない。仮に村人に勇者が○されても、かならず魔王さまは勇者を蘇らせるからな」

「っ。なんでそんな事言い切れる」

「お前の目は石ころで出来ているのか? いいか、魔王さまが僕達に二個も三個も四個も『回復薬』を預けた理由を考えろ」

「それは、主様にとって俺達が大切な存在だからだろ?」

「そこまで頭が悪いと逆に羨ましいよ。いいか? 魔王さまの行動原理はほとんど勇者にある。だから、僕らに『回復薬』を渡したんだ。勇者を死なせない為に。ちょっとは察しろよ」

「そ、そんな」紅い女性は地面にくずおれる。「我が主がそんな?」

「諦めろ」僕は紅い女性に吐き捨てる。「魔王さまは、僕達の事を鉄砲玉ぐらいにしか見ていない」

「……死のう」

「死ぬのは勝手だけど、考え方によればお前にも利になるぞ。この状況。簡単にいえば、お前の働きいかんによれば、お前は、魔王さまからの株を上げる事ができる」

「その話をもっと聞かせろ」紅い女性は前のめりに詰め寄ってくる。

「例えば、お前の協力で勇者を無血で助けられたとする。すると、すくなからず、魔王さまはお前に感謝はするだろうな」雀の涙ほどに、と僕は内心で付け加える。「そうすれば、もう少しは魔王さまとお近づきになれるかもしれん」

「どうすればいい?」

 紅い女性の思考力が皆無でよかったと、僕は神に深く感謝する。

「君、飛べただろ?」

「飛べるが?」

「だから、あの人垣の中の様子を空から偵察して欲しい。これはお前にしかできない仕事だ」

「そんな事でいいのか?」

「それが重要なんだよ。できるだけ急いで人垣の中の様子を見てきて欲しい。そして報告して欲しい。出来るか?」

「俺をなめるなよ。そのぐらい余裕だよ」

「じゃあ。行ってきてくれ。君の情報次第では色々と作戦が変わるかもしれないし」

「なんでお前の為に俺が動かねばならないんだ?」

「魔王さまの為だ」

「すぐ行ってくる」

 紅い女性はそう言うと、翼を広げ羽ばたいた。足が地面から離れ、翼から発生する風が、僕を煽ってくる。

「じゃあ。任せたよ」

「ああ」 

 紅い女性は返事をすると、垂直に上昇し瞬く間に小さくなり、人垣の中心の上空まで飛翔する。

「ふう。あいつの扱い方が分かってきた。さて。僕の方はこっちの準備をしないと」

 金髪の少女の報告が正しければ、人垣の中心部、すなわち、勇者達は孤立無援になっているはずだ。

 魔王さまから貰った『回復薬』と屋台の店主から購入した『文通の小瓶』を取り出し「おおい」と金髪の女性を呼ぶ。

 金髪の女性は「は、はい」と消え入るような声で答え、僕の元までやって来る。

「な、なんでしょうか? 王子様」

「君って、高い所は得意かな?」

「ま、まあ。それなりには」

「そうか。それはよかったよ」

「ど、どういう意味なんです?」

「君にはある仕事を任せたいんだよ。僕の予想では君にしかできない仕事だ」

「ど、どういう事です?」

「もうすぐ分かるよ」

 言っている間にも、紅い女性が帰還した。地面に降り立ち、土気色の顔で今にも吐きそうだ。

「どうだった?」僕は紅い女性に訪ねる。

「目」

「「目?」」僕と金髪の少女の声が唱和した。

「目が腐るかと思った。おえっ」紅い女性は口元を押さえて吐き気を耐えているようだった。

「具体的に言ってくれ?」

「お前は鬼か?」

「魔王さまの為だぞ」

「ちっ。勇者達は村人達に囲まれていた。それで、体が半分割れて燃えている木の化け物が、勇者達を襲っているっていう感じだ。村人達はその木の化け物の放つ毒気に当てられて、理性のくびきから解き放たれているって雰囲気だった」

「だいたいは想像通りか」

 やはり『森神様』が怒り狂っているのは、自分の体を雷で真っ二つにした人物で、それすなわち、魔王さまだ。勇者達が、襲われるいわれもなければ、村人達に糾弾される責もない。

 僕は顎に手を当てて考える。このまま行けば、自分の手を汚さずに事は収まるが、自分の手を汚さないというのは、まるで、魔王さまと思考回路が同じであり、それは、理性ある生き物として恥ずべき行為のように思われた。

 僕が唯一できるのは……。

「これぐらいかあ」

 僕は覚悟を決め、「ねえ。ちょっと僕に背中を向けてくれる?」と金髪の少女に語りかける。

「は、はい」金髪のは言われるがまま、僕に背中を向けた。

 僕は荷物から紐を取り出すと、金髪の少女の目に巻いた。金髪の少女は「へ、へ? 王子様? これって」と狼狽する。

 ねえ、両手の平を上に向けてくれるかな。僕はできうる限り、金髪の少女を混乱させないように、静かに言う。僕の言うとおりに、両手の平を上に向けた金髪の少女の手に、屋台の店主から購入した『文通の小瓶』と魔王さまが何の策もなく渡してきた『回復薬』をのせた。

「どうするつもりだ? 主様の金魚のフン」

「これを勇者達に渡して来てくれ」

「は?」紅い女性は無権に皺を寄せる。「どういう訳だ」

「お前には、この子を勇者の元に連れていって貰いたい」

「ふざけるなよ。またあの気色の悪い化け物の元に行けというのか」

「え、、え。も、もしかして私もですか?」

「うん。君には怖い思いをさせると思うけど、大丈夫だよ。この紅い人が無事に勇者の元へ連れて行ってくれるから、今、手渡した二つの物を勇者に渡して欲しいんだ。渡してくれるだけでいい。怖い奴はその目隠しで見えないし、すぐに、上空に離脱するから」

「おい。ふざけるな」異を唱えたのは紅い女性は「もう一度訊くぞ。また、あの場所に向かうのか?」

「そう言ったつもりだけど」

「いいかげんにしろよ。俺の目は二つしかないんだぞ。あんなおぞましい物を二回もみたら、いよいよ目が腐る」

「お前なら大丈夫だよ。すでに心が腐ってるから」

「それに、この作戦はお前だけなんの危険もないじゃないか、納得できん」

 この紅い女性は、僕が思っていたよりかは馬鹿ではないらしい。

「僕だって、命をかけるよ」

「命?」

「い、命? ですか」

「ああ。魔王さまに渡された『回復薬』は残り三つ。いざとなれば、僕は、この『回復薬』を紅いお前と、金髪の君、そして勇者に使う」

「お前は、どうするんだよ」

「まあ、下手を打てば死ぬな」

「お前が俺たちに薬を使う保証はないだろ?」

「考えて見てよ」僕は重い息をつく。「この作戦が失敗したら、勇者は死ぬ。まあ、そこまで切羽詰まってないとはいえ、君たちも危ないかもしれない。だから『回復薬』は君たちに使う。そうしたら、君達不達と勇者は助かる。君は空を飛べるんだから、二人ぐらいなんとかなるだろ」

「勇者の仲間達はどうするんだ」

「無視でいいだろ。どうせ、魔王さまの目には勇者しか映ってない。それで、僕が死んだら紅いお前が得をする。なにせ魔王さまの隣の枠が空くわけだからな。これなら協力しがいがあるだろ? あとは、魔王さまが、村人全員と『森神様』を全滅させれば、とりあえずのところ解決だ」

「え、えと。王子さま。死んじゃうんですか?」

「運が悪ければ、の話だよ。簡単にいえば、僕は責任をきっちり取る役回りだ」

「そ、そんな」

「よっしっ」紅い女性が快哉を叫んだ。「とりあえず、この作戦が上手くいってもいかなくても、俺に損はないって事だな」

「ああ。ただし」僕は釘を刺すようにように紅い女性に言葉を発する。「いいか。僕がもし『お前がわざと作戦を失敗させて僕や、金髪の子を亡き者にしようとした場合、僕は、お前は助けない』からな、最悪お前もろとも自滅してやる。

「ちぃ」紅い女性は表情を歪ませた。「さすがの俺もそこまでしない」

「じゃあ、最初の舌打ちは何なんだ? ちっ、って聞いたからな」

「あ、あの。王子さま。ほ、本当に大丈夫でしょうか?」

「大丈夫。大丈夫」僕は明るく務める。「絶対に、大丈夫だよ」

 これは本音だった。この世界はなぜか『死』に対して優しいきらいがある。事実、僕は魔王さまとの旅でほとんど『死』なる現象を目の当たりにしていない。

 どうにも、この世界は『死』そのものを嫌がっているというか、唾棄しようとしているようにしか思えない。

 偶然、魔王さま、紅い女性、金髪の少女、冤罪を着せられた勇者が揃うか?

 揃うはずがないのだ。

 だから、この作戦はきっと上手くいく。

「わ、私。頑張ります」金髪の少女は勇気を振り絞ったようだった。

 もう少し、気楽に構えれば良いのにと苦笑する。

「じゃあ紅いの、この子をたのんだぞ」

「へいへい。おい、金髪、両腕を挙げろ」

「は、はい」

 金髪の少女は紅い女性に身を任せ、ふわりと宙を浮いた。

「じゃあ、よろしくね」

 僕は紅い女性と金髪の少女に言葉をおくると、それを合図にするように紅い女性達は人垣の中心へと飛んでいく。

「はあ」僕は頭をかきながら嘆息し、すぐに、自分の胸にちくりと小さな針が刺さったような痛みを覚えた。「いくら詭弁で誤魔化せていても、僕のやってることってくそ野郎のそれなんだよなあ」

 本当に自分が嫌になってくる。僕がやっている事は、他人を利用した無血開城に近い。

 力業であれば、魔王さまほどではないにしろ、村人を制圧し、勇者達を助け出す事も可能だった。

 しかし、それでは絶対に人死にが出る。そして、魔王さまがストックしている『回復薬』の数も分からない以上、村人達に多数の死者を強いることになる。

 僕は、勇者達と村人、そして暴走する『森神様』を天秤にかけなかった。

 ご都合主義もいいところだ。

「やだやだ。自己嫌悪に浸る暇があるなら、少しでも紅い奴と金髪の子の様子を探れっての」

 僕は独りごち、耳に意識を集中し、紅い女性の位置を探る。風の切る音が聞こえ、ちょうど、その音は人垣の中心部で止まった。

 どうやら、紅い女性と金髪の女性は、勇者達の頭上に到着したらしい。僕がさらに耳に意識を集中させると、金髪の少女の「あ、あの。これ、ある人からのお届け物です」と緊張した声が聞こえてきた。

「あなたは」これは、勇者の声だ。

「いいから、これを受け取れ。俺の手を煩わせるな。詳細は瓶の中に入っている紙に書いてある。

「この瓶って……」

「行くぞ金髪」紅い女性は手短に言い切る。「とっとと、こんなとこずらかるぞ」

「は、はい」

「ちょっと待って。あなた達は?」

「ああ、もう五月蠅い奴だな。その小瓶の持ち主の仲間だよ。あとは知らん。その小瓶の中にある手紙通りに動くか、そのまま、目を腐らせる化け物に殺されるかは自由にしろ。俺達は逃げる。じゃあな」

 紅い女性が飛翔する音が聞こえ、数秒の後、僕の元に戻ってくる。

 とりあえずは、上手くいったらしい。

 僕が安堵していると、地面に下りてきた紅い女性が、静かに流麗にしとやかに、吐瀉物を吐き出した。

「おろろろろっ」

「大丈夫じゃないと思うけど大丈夫かい?」

「大丈夫じゃないから吐いてるんだろ?」

「あ、あの」金髪の少女が目隠しを外しながら、僕を見つめてくる。「わ、私。上手くできましたか?」

「うん。ありがとう。この作戦は人間の更に女の子じゃないと失敗していたかもしれないからね」

「じゃあ。俺はどうなるんだよ」紅い女性が、口元に付着した吐瀉物を拭いながら、文句を言う。「俺はどこに出しても恥ずかしくない魔族だぞ」

「たぶん。お前の姿は勇者には映ってないよ。それぐらい魔王さまの『回復薬』と『文通の小瓶』の誘因性は高い。

「そ、それで。あの小瓶にはどういう手紙が書いてあったんですか?」

「それは俺も気になる。作戦というかお前の姦計の詳細を聞く時間はなかったからな」

「たぶん。見てれば分かるよ」

 僕がそう言って、人垣の中央の空を見上げた。すると、人垣の中心から明るい光が広がり、すぐに消える。それと同時に、村人達の毒気も消えていくのが分かった。

「ん? どういう事だ?」紅い女性が訝しげに訊いてくる。

「まあ、お前の言う化け物が正気を取り戻したって事だろ」

「詳しく説明しろ」

「わ、私も、し、知りたいです」

「あの小瓶は魔王さまと勇者の文通アイテムだったんだ」

「はあ!? そんな事、初めて訊いたぞ」

「まあ、初めて言ったからね」実はその文通相手は僕なのだ、と言えば話が余計にややこしくなるので、黙っておく事にする。「僕があの小瓶に入れた手紙に書いた内容は『もう一つの丸い瓶を、目の前の怪物にぶつけろ。そうすれば万事が上手く解決する』って文言だけだ」

「な、なんで、そんな手紙を?」

「いや、確信があったんだ。紅い奴の言う『体が半分に割れている木の化け物』ってたぶん、魔王さまが森で破壊した、森で一番大きい大木なんじゃないかって。しかもかろうじて人型を取っていたって事は、僕たちと同じ魔族で、と言う事は、魔王さまの『回復薬』でも快復できるんじゃないかって。正解で良かった。あとは……」と僕は人垣を見やりながら、「村人が正気に戻ってればいいんだけど」

 僕と紅い女性と金髪の少女が、村人達を見ていると、村人達はどうやら興奮状態から落ち着きを取り戻したようだった。

 口々に「あれ、私達って」だとか「何をしてたんだっけ」だとか「変な夢でも見ていたみたい」だとか、こちらの苦労も知らずに口走っている。

 そして、数瞬の間を置き「え、あれって『森神様』じゃあ」やら「『森神様』が村に下りて来てくれた。今年も森は豊作だ」などと歓喜の声が広がる。

 村人達は森の入り口に道をつくるように、人垣を二つに割った。

 まるで海が割れるみたいだな、と僕は何の気なしに思う。

 すぐに、あれ、海が割れる話をどこかで読んだ気がするが、と僕は思うが、デジャヴの類いだろう、と首を振る。

 人垣から姿を現した存在を見て、僕は唾を飲み込んだ。そこには、淡い緑色の光に覆われた絶世の美女が佇んでいた。長き髪のように見えるのは気のツタかなにかだろうか。たしかに『森神様』と言われて然るべき神秘的なオーラーをまとっていた。

「そおい。どういう事だ?」苦言を呈したのは紅い女性だ。「あの無闇に神々しい美人が森神様だと。さっきまで、おどろおどろしいクリーチャーじゃなかったじゃないか」

「そ、そうなんですか」

「らしいね」僕は何のひねりもない感想を口にする。「さすがは魔王さまのご都合主義の塊『回復薬』だ。効果は抜群だったみたいだね」

 おや、と思ったのは『森神様』進行方向だ。森神様は一直線に勇者に向かうと、何の前触れもなく勇者の頬にキスをした。

 虚を突かれたのか、勇者はその場で膝から崩れる。

 ぼんやりと『森神様』を見上げる勇者。その刹那、村人達のやんやの喝采がその場に響き渡った。

「な、なんだ!?」

 僕の疑問に答えたのは、村人だった。誰に対してでもなく『森神様』が少女にキスをなさった。『女神様』の誕生だ。これでこの村と森の繁栄は約束されたもの。今日は祝杯だ」と盛り上がっている。

 先ほどまで、勇者達御一行様を、親の敵のように見ていた人間の所業とは思えない盛り上がりぶりに、僕の理解は追いつかないでいた。

 どうやら、そこが僕の落ち度だったらしい。『森神様』は瞬くする間もなく、僕の正面に現れた。現れたというより、出現したと言った方がただしい。

 僕が、「あ」とも「う」とも口を開く間もなく、『森神様』は勇者にしたそれと同じように僕の頬にキスをした。

「「ばっ」」という声にならない紅い女性と金髪の少女の声が重なる。

 村人達も思わぬ伏兵に脇腹を刺されたかのように、口をあんぐりと開けている。

 僕が餌を求める魚のように口をパクパクとしていると、「あはははっ」と紅い女性が面白い玩具を得た子供のように笑った。「言ってやろっ。言ってやろ。我が主に言ってやろ!」

「そ、そんな。王子さまが他の女に」

 なんなのだ、この状況は。勇者は『勇者』から『聖女』になった。

 では僕は、何になったのだ。

 とにかくやるべき事はやった。複雑な事を考えていないで、僕がとる行動は一つ。

 この場からの雲隠れだ。

 僕は、紅い女性と、金髪の少女の手を取ると、「とにかく撤退だ」と言い、二人を引きづるように森の中に戻る。

 とにもかくにも、この後、魔王さまに報告すべきことは一つだけだ。

 勇者が『勇者』から「聖女」に成長した。

 無論、『勇者』のレベルは1のままだ。

 


 

 


 

 

 


 

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