『魔王さま』と『勇者』のレベルアップ
「海だっ!」
魔王さまが、はしゃいだ声を出した。たしかに、魔王さまの目の前には、エメラルドグリーンの海が広がっていた。穏やかなさざ波の音は、科学的根拠不明なリラクゼーション効果が期待できるし、一足ごとに沈む、砂浜の砂がこすれ合う音も、ささくれだった僕の気持ちを柔らかくしてくれる。
太陽は中点にあり、魔王さまと僕の頭部を刺激してくる。
「嬉しそうですね。魔王さま」
「しっ。静かにしろ」魔王さまが僕の言葉を遮った。
「海だぞ」
「海ですね」
「夏だぞ?」
「残念ながら、この世界に『季節』の概念はありません」
「なら、あの子がする事は一つだろうが」
「ならってなんですか? ならって」
奥はげんなりと答える。
どういう理屈が働いたのか、魔王さま「海と言えば海水浴だろ?」と来た。
「それが当然、という風に言われましても」
「いや。海水浴だ。普段、過酷な旅路で疲弊しているんだぞ、あの子は。だったらこの広い海原で、疲れを癒やしたいとは思うはずだ」
「僕は思いませんが。魔王さまの欲しい答えなら言えますよ」
「許す。忌憚なき意見を言え」
「この暑さで汗だくになった勇者は、汗を流すために海水浴をする。そのためには裸になる必要性があるから、遠くから勇者の裸を拝める、とか?」
だいたいこんな感じだろう。と僕は当たりをつけて答えた。はっきり言って、勇者が裸になろうがなるまいが、僕には驚くほど他人事だ。
他人の裸を除くなんて狂態は魔王さま一人でやって頂きたい。できれば、僕の目が届かない所で、だ。
「? 何か問題でもあるのか」
「問題は山積みですが、一言いうなら魔王さまは徹底的に、ぶれることなくぶれつづけてますね」
「そう褒めてくれるな」魔王さまが胸を張る。
「ただの当てこすりですよ」僕は肩をすくめる。「それで、いいんですか?」
「何がだ?」
「もし、仮に。勇者が海水浴をするとして、仲間の三人はどうするんですかね」
「仲間?」魔王さまの眉がピクリと動く。
「まあ、男二人は見張りをするだろうから問題ないとして」実はこれが一番の大問題なのだが「もう一人の仲間……『魔法使い』ですかね。あの人は女性だから当然、勇者と海水浴するって事ですよね」と僕は続けた。
「……全員○か?」
「○なっ」
ちょっと考えたら分かることだろう。
「しかし、このままでは絹のようなあの子の肌が、あの魔法使いとかいう醜女の目に映ることに……」
「いちいち。発想が気持ち悪いんだよ。だいたいから、勇者とあの魔法使いはずっと一緒に旅をしていたんですよ。一緒に大衆浴場に入る事だってあるでしょうよ」
「……そういう事になるな。気づかなんだ」
「天が僕らに知性を与えている間に、あんたはどこに行っていたんだよ。その目は何の為についてるんです」
「無論、あの子を愛でるたためだ」魔王さまは得意気に胸を張る。「私の目には、あの子以外、映っていいない」
「仕上げてきてるんじゃねえよ。もう、その目が馬鹿になってるんだ。勇者以外は全部モザイクかドット絵で映ってるんだろうな」
「まあ、そういうな」魔王さまは僕をたしなめてくる。「かろうじて、お前は見えているぞ」
「嬉しくないですよ。とにかく、魔王さまは、聴覚、嗅覚、触覚、味覚は正常に機能しているのに、視覚だけはバグりにバクリ倒しているんですよ。魔王さまの五感はいつ完成するんですか?」
「私はすでに完全体だ」
「そりゃよかった」僕は返事をするのも億劫だと思いながら、義務的に返事をする。「それで、どうします? もちろん、勇者の仲間達を○さない方向で」
「ううん。今まで力業であの子を守って来たのだがなあ。それもマンネリかあ」魔王さまは、今更真実に気づいたかのように、間の延びた声を出した。「どうしたものかあなあ」
存分にその辺に落ちている石のように、カチコチに固まった頭で考えておけばいい。僕は僕で、それなりの策を考えるから。
「どうしたもんですかねえ」
魔王さまの事だから、どうせ、その小さな脳みそからひねり出される案など、見るべきものは何もないとは分かっている。分かっているが、なまじ、安直で直情的な分、馬鹿みたいな案が乱発される可能性が高い。
僕はそれをすべて却下する必要がある。別段、勇者とその仲間御一行がどうなろうが、知った事では無いが。塵も積もれば山となる訳で、魔王さまのゴミのような案の中に、僕にとって、目も当てられない案が潜んでいる可能性もある。
そういえば、僕は妙な記憶を遡った。たしか、何の才能もない少年が主人公の話で、彼は常にテストでゼロ点を叩きだしていた。そこで少年は少年が先生と呼ぶ人間に「なんで貴様はいつもゼロ点なんだ」と叱責されていた。
その至極真っ当な問いに、少年は「先生がくれないからです」と何の臆面もなく堂々と答えていた。
あの台詞は何かしらのレトリックなのか本心からくるものなのか、僕には判然としなかったが、馬鹿者の返しにしては悪くなかった。
「あれは、何の本だったっけ」僕は独りごちる。
「ん? どうした。難しい顔をして」
「いや。なんでも」僕は即座に応じ、意識を魔王さまに向ける。
馬鹿と天才は紙一重というのだから、馬鹿で天才な魔王さまはさらに質が悪い。
さて。どうしたものか。
僕が悶々としていると、先に口火を切ったのは魔王さまだ。
「よし。じゃあ、あの子が海水浴している間は、あの子の仲間達には氷漬けになってもらおう。これなら、あの下郎達の視界に入らないだろう」
「却下です。どこの世界に仲間が氷付けになってる隣で、一人で海水浴をする馬鹿がいるんですか」
「じゃあ。私の事を付け狙っているストーカー共をけしかけて、あの子と下郎を分担させるか?」
「方法は違えど、結果は同じですね。僕の目の前に二匹の動物が映っていますがなんだか分かります」
「その心は?」
「馬と鹿が映ってます」
「あはは」魔王さまが僕を嘲笑するように笑う。
嘲笑されているのは誰なのか、それすら理解できていないが、その物わかりの悪さはありがたい。
「ふふ」僕はくすりと笑った。
「何がおかしい?」
「いえなんでも」
「まあ、お前の目に映っていいいのは、私だけだろ?」
魔王さまが間の抜けた声を出した。僕の返答の真意すら分かっていない。
「魔王さまにしては、僕の同情を買うには効果的だな、と」
「目に入らない……か。そうだ。凍らせても分担させても駄目なら、灰燼にして海にかえせばいいんじゃないのか? 母なる海とか言うだろ?」
「このサイコがっ。さっきから魔王さまが提言してくる案は、過程が違っても結果は同じなんだよ」
「いやな。海に帰れば『生まれ変わり』という奇跡が起きるかもしれんだろう?」
「だから仕上げてくるんじゃ無い。だったら、魔王さまが一回死んで、生まれ変わればいいじゃないか。そもそも。望んだ形で、生まれ変われるかどうかさえ確認する術が無いんですよ」
魔王さまの奇天烈な精神には瞠目に値する。
「そ、それは。その。もし死んであの子の側に生まれ変われなければどうする?」
「ちぃぃ」僕は露骨に舌打ちをした。「永遠の駄々っ子めっ。一応は、温泉街で『形はどうあれ約束さえあれば生まれ変わりはある』かもしれない可能性の片鱗は見えたでしょうに」
「でもでも。確信が無ければ自害はいやだ。別の形で生まれ変わったらさすがの私の『回復薬』では無意味だ」
「その為なら、他の者が犠牲になっても?」
「ま、まあ。有り体にいえば?」
「サイコ科学者がっ」僕は吐き捨てるように言う。「初めてだよ。魔王らしい言葉を聞いたのは」
安堵なのか軽蔑なのか、あるいはその両者が合併した結果なのか、僕はなぜか安心していた。
さすがはアホの魔王さまだ、と。
「じゃあ、どうするかなあ」
「しっ」
僕は、魔王さまの発言を止める。耳を澄まし、海のさざ波に集中した。そのさざ波を乱すように、何かが勇者達に近づいてくる。
なんたる暁光。僕としてはどのような形であれ、魔王さまの姦計ともいえぬ愚策を妨害してくれるアクシデントさえあればいい。
「どうした?」
「もう少し様子を見ましょう」
「様子ならいつも見てるぞ」
「大事な息を無駄にしないで下さい。ほら、勇者たちの向こうから、何かが来ます。一瞬で良いですからその心のモザイクを取って下さい」
僕はどんな駄犬でも聞き入れそうな指示を魔王さまに出した。この願いが聞き入れられないなら、もはや魔法さまに手の施しようが無いのは間違いない。
現実逃避をしている間にも、心地いい響くさざ波の音を乱すノイズは、容赦なく勇者達御一行に近づいてくる。
海面が巨人の呼吸のように隆起し、ゆっくりと正体を現した。
「なんだ?」魔王さまが慌てる風でもなく言う。
「さあて。どうせ藪蛇だろうけど、せめて僕の為に働いてくれよぉ」
僕の願いが通じたのか通じたのか分からないが、勇者達御一行の前に、現れたのは意外な見てくれの存在だった。
青い肌に、スカイブルーの瞳。体は流線でかたどった人間のようだ。
だが、人間ではない。
人間ではないと言うことは、魔族か、あるいは、魔獣かの二択だが、出来れば人語を解して頂ける存在である事を願う。
「なんだあの青い奴は?」魔王さまが僕に訊ねてくる。
「知りませんよ。でも様子は見ましょう」
少しでも時間を稼ぎたい気持ちからの言葉だった。あの、青い奴の出方次第では、使い道がある。
「何かあの子に語りかけてないか?」
「さあ。とりあえず聞き耳を欹ててみますか」僕は目を閉じ青い奴の言葉を盗み聞く。
「お前、そんな事出来たのか?」
「誰かさんのおかげでね」
「人の話を盗み聞くなんて、趣味の悪い奴だな」
「僕の脳みそに前頭葉が無かったら、五百回は魔王さまを殺してます」
「じゃあ、一生無理だな」
「ああ。残念な事にね」
ぶつくさ文句を言いながら、青い奴が勇者達に発している言葉を復唱した。
「何々。『お前達、ここは僕の縄張りだぞ。とっとと出て行け』か」
「おいっ。あの子が怯えているぞ。あの青い下郎はなんて言っているんだ?」
「今、僕が言った通りですよ。どうやら、この海はあの青い奴の縄張りらしいです」
勇者専用の望遠鏡を覗き込みながら、魔王さまが奥歯を噛む。すでに臨戦態勢というか、青い奴への粛正体勢が整っているのだから、その行動力には敬意すら覚える。
「待ってください。あの青い奴、別に勇者達とすぐにドンパチするつもりはないようです。もう少し、様子を見ましょう」
判断はギリギリまで引きのばしたいというのが、僕の目的だった。というかただの時間稼ぎだ。魔王さまにはこれ以上、余計な真似はされたくない。
「ちっ。で、あの青い下郎はなんて言っている?」
「ええと」僕は再度、耳に神経を集中させる。「『あなたは?』これは勇者の言葉です。『僕はこの海の支配者だ』これはあの青い奴の言葉です」
「海の支配者?」魔王さまは眉をひそめる。「そんなのいるのか?」
「さあねえ。この世界じゃあ、称号というかそういうのは、言った者勝ちみたいなもんですからね」
そんな無秩序な世界で、僕達は暮らしているのだから笑うに笑えない。
そういえば、魔王さまの本名も僕は知らなかった。
しかし、この圧倒的に狭いソーシャルでは、固有名詞などあってないようなものだろう。
固有名詞なんてものは、親が子供に贈る愛情以外のなにものでもない。逆に、本当の名前を知られたら、知られた者に強制的に服従しなくてはいけない、なんて眉唾な伝承が残っている集落があるぐらいだ。
なんともチープだ、と僕は苦笑する。
「とりあえず、人語は解するということだな」
「ええ。人間じゃなくて、こちら側の生物ですけどね。魔獣ではありません」
ここまでが話題を引き延ばす限界だった。これ以上会話を伸ばすと、どこの誰とも知れぬ青い奴が、魔王さまの手で死に至る。
どうする。どうする。と内なる自分が問いかけてくる。せめて、勇者達がもう少し使いものになれば、状況は好転はせずとも暗転もしないのに。
だが、勇者達御一行は絵に描いたように弱い。
当たり前だ。常に魔王さまが、勇者の前に立ち塞がる猛獣や魔獣を先回りをして灰にしているのだから。
勇者が弱い理由がそこにある。
「ん? 弱い」
そこに来て、僕は独りごちる。
「どうした? 私はいつでもあの青い下郎を○する準備は出来ているぞ」
「ちょっと待って下さいっ」
その場しのぎではあるが、天啓なのか何なのか知らないが、妙案が僕の頭の中に浮かぶ。
「? 何か良い案があるのか」
「ええ」僕は首肯する。「あの青い奴の強さは分かりますか?」
「ううんと」魔王さまが双眼鏡を少しずらし、青い奴を見る。「だいたい、レベル40程度じゃないか? そもそも、我々にレベルなんて概念を当てはめる意味はあるのか?」
無論、意味は無い。この世界にある概念は『強い』か『弱い』かのどちらかだ。
だが、以前、勇者のレベルを調べた時はレベルは1ぐらいだった。
つまりは、あの青い奴は勇者の四十倍は強い事になる。
これなら、僕の負担は最小限に、勇者御一行は最大限の効用が見込める。
「魔王さま。あの勇者達にあの青い奴を倒させましょう」
僕は、ぐっと力拳を握った。
「? どういう事だ。そんな事なら、私が一撃であの青い下郎を○せばいいだけじゃないのか」
「違いますよ。魔王さま。育成という言葉は知ってますか?」
「いくせい?」魔王さまは小首を傾げる。
「魔王さまの頭が正常なら辞書の上の方に載っているはずです」僕はやわらかな嫌味を言いながら「育てるって意味ですよ」と続けた。
「育てる? 私がか? 誰を」
「勇者を強く育てるんです」
「なんで?」
鬱陶しい質問ばかりしやがって、と僕は内心で舌打ちしながらも、話を進める。
「魔王さまは、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、という言葉を知っていますか」
「なんだ。弱い者いじめか?」
「愛おしい者に苦難を強いて成長を促すという意味です」
「ふうん」魔王さまは興味なげだ。「それとあの子とどういう関係がある」
「考えて下さい」ここからの会話は慎重に進める必要があると、僕は身を引き締める。「魔王さまと勇者の力の差はどのぐらいありますか?」
「それは、天と地ほどの差があるな」
「それですよ。正直な話。魔王さまと勇者の力は超えがたい壁がある」
「……たしかに」
「仮にですよ。魔王さまが、勇者とお近づきになれたとして、自分に近づいてくる相手が、自分よりはるか格上の存在だと分かったらどうします?」
「天変地異の類いおこってもそれはないが。私なら警戒するな」
「それですっ!」
僕は、魔王さまに人差し指を向けた。
「だから、なにが言いたい?」
「あの勇者にあの青い奴をやっつけさせましょう。そうすれば、わずかばかりは強くなります。少なくとも勇者は自分に自信を持ちます」
「それがどうした」
一から十まで説明せねばならぬのか、と僕は辟易とする。
「つまり、今は物理的な距離では絶望的な勇者との距離ですが、勇者のレベル? が上がれば少しは魔王さまと勇者の何かしらの距離が近づくんじゃないんですか? 得はしても損はしません」
自分でも何を言っているのか分からないが、僕は、三歳児でも論破されそうな論理を展開する。
「お、お前」
魔王さまの重い言葉に、僕は目を瞑る。
鉄拳制裁でもくるか、と身構えるが、案に相違して魔王さまの口から出たのは予想外なものだった。
「偉いぞっ! お前」
「ふぇ」
「そうか。可愛い子には旅をさせよ、と言うしな。あの子の旅を続けさせるには、あの子に自信を
持たせるのが大切だと」
「ちっ。どうでもいい諺に変換しやがって。いや。まあ。都合はいいか」
「何か言ったか?」
「いや。なんでも」
とりあえずのところの方針は固まった事に、僕は胸をなで下ろす。
「では、もう少しあの子に近づくか。あの子にもしもの事があったら大変だしな」魔王さまが揚々と足を踏み出した。
「そうですね」僕は魔王さまに続く。おそらくこの状況なら、どれほど勇者に近づいても気づかれまい。
「あの子なら、あんな青い下郎なぞ一発だろ」
「そ、そうだといいですね」
レベル1がレベル40越えの魔族になんて、逆立ちしても勝てるわけが無い。蟻が象に戦いを挑むようなものだ。
「よし。ここいらで良いだろう」
魔王さまは、海岸にある岩の陰に身を隠した。僕もその脇に控える。
さて。どうしたものか。今のところ、これ以上マシな案が出てこない。。
「それにしても、こんな所にあんな強い奴が現れたんでしょうね」
「私が知るわけないだろ」
「ですよねえ。この当たりの魔獣やら魔族はそこまで強い奴なんていないし……」
「そうだな。それにあの子が誰かに恨まれたり、喧嘩をふっかけられたりするわけないだろ?」
「ばっちりストーカキングはされていますけどね」
「だまらっしゃいっ」魔王さまが鋭い声を向けてきた。「おっ。ここなら、あの青い下郎の声が私にも聞こえるぞ」
この距離であれば、青い奴と勇者の会話は聞こえるらしい。
なんで勇者の言葉は読心術で手に取るように分かるのに、それ以外の存在には、その特殊技能が発揮されないのか甚だ疑問でしかない。
「ええと。あなたが『この海の支配者』ですか?」
先手を取ったのは勇者だ。勇者はおどおどとした小動物のように怯えている。
「そうだ。ここいら一帯の海は全部、僕の支配下だぞっ」
「そうなのか?」魔王さまが言ってくる。
「知りませんよ。そんなもん言った奴勝ちなんですから。そろそろ、『僕は海の王』とか言い出しそうですね」
「ごめんなさい。そんな事知らなかったんです」
勇者は、仲間達の背後に隠れるように肩をふるわせていた。
「仲間の陰に隠れる勇者ってすごいシュールですね」
「ああん。可愛いなあ」
「あえがないで下さい。気持ちの悪い。とにかく勇者の行く末を見守りましょう」
僕は魔王さまに提言して、視線を勇者と青い奴に戻す。
青い奴は勇者を指さして「嘘をつくなっ」と怒鳴った。「お前が『勇者』だって、僕は知ってるんだぞ」
「「はあ!?」」魔王さまと僕の声が唱和する。
「どういう事ですか?」
勇者が身に覚えのない罪状を突きつけられたように、目を丸くした。
そこは肯定しておけよ、と僕は心の中で勇者に悪態をついた。少なくとも自称 『勇者』だろう。
「この辺じゃあ、お前は有名だからな。『魔獣や猛獣を○し回っている奴がいる』ってな。それがお前だろっ」
「ち、違いますよ」勇者がぶんぶんとあらん限りの力をもって首を横に振った。「私たち、ほとんど殺生なんてしてません。たまに川で魚とか、ウサギとかはとりますけど。それは生きるためであって……」
「うるさいっ。噂じゃ、お前達の通った後には生き物の死骸と、焼けた大地しか残らないと魔族達の中では有名な話だぞ」
そう来たか、と僕は額を押させた。その勇者と噂されている人物は、ただいま現在、魔王として僕の隣にいる。
「さすがあの子だな」魔王さまはどこか自慢気だ。「私の知らぬ間にそこまで有名なっているとは。私も鼻が高い」
「そうかですか」僕は平坦な声で応じた。「それはよかった」
「お前はゆくゆく僕達魔族を全員○して、魔王を討伐するつもりだろう。魔族達はみんなそう言っているぞ」
「そんなつもりはありません。それに今更、勇者だなんてやってませんよ」
ああ、そうだ。と僕は勇者に同意する。君の旅の目的であるお母さんは病から快復したし、魔王さまを討伐するという意味では、すでに実現済みだ。
「おい。あの青い下郎は何を言っているんだ。私が分かるように伝えろ」
「難しいですね。簡単にいえば勇者は勇者ではないと自主卒業している。その事を知らない、青い奴は、魔王さまを倒す為に旅をしていて、その道中で我々魔族を○していくつもりだと、勘違いしているという事らしいです」
僕の拙い語彙では、これ以上、わかりやすい説明をするのが困難だ、と苦笑する。
「あの子が勇者を辞める?」
「ええ。そりゃ、そうでしょう。そもそも初めから勇者じゃないわけですし、旅の目的も魔王さまが叶えてしまった。他の三人の仲間はどうかしりませんが、簡単に言えば、あの四人は『四人仲良くピクニックをしている人間』という事ですね」
懇切丁寧に説明しなくても初めから分かっていた事だろう。
はなから勇者に魔王さまを討伐する必要性などないのだから。
それが、何の因果か、勇者じゃない少女は不本意ながら魔族達界隈では『勇者』となった訳だ。まさに嘘から出た誠だ。
意味が分からない。
勇者の前には勘違いを明後日の方向にこじらした青い奴。背後には、魔王さまのストーカーの紅い女性
と僕のストーカーである金髪の少女。
なんなのだ、この地獄絵図は。
僕が愕然としていると、青い奴が口を開いた。
「他の同胞が犠牲になる前に、僕がお前を海の藻屑にしてやるぞ」
そう言うと、青い奴は何か呪文のような言葉を唱え始めた。それと同時に、地響きがおき、僕は体勢を崩す。その地響きを合図にするように、魔王さまと僕の視界から太陽が消えた。
正確に描写するなら、消えたではなく、大きな波が魔王さまと僕の視界を遮り、陽光を遮断した。
「へえ。本当に勇者を○するつもりなんだ。それにしても大きな津波ですねえ」
僕は感嘆とも呆れともつかない細い声を出す。
「おい。あの子は大丈夫なんだろうな?」魔王さまが僕を睨み付けてくる。
「さあねえ。普通に考えれば無理ですね。人間だろうが魔族だろうが、自然の力には為す術なしです」
「じゃあ。私はどうすればいい?」
「息でも吸っていればいいんじゃないんですか。これも親心です」
「くぅ。お前のせいだぞ」
「なんでですか?」
「お前が、獅子は谷やら何やらと意味の分からない事を言うからこうなったんだ」
「いや。あの青い奴が現れたのは僕のせいではないでしょう」
こればかりは嘘偽りのない言葉だ。魔王さまが勇者を甘やかして、勇者の前に立ち塞がる壁を粉砕しまくったからこういう事になったのだから。
その集大成が、今、眼前に広がる大津波だ。
勇者達は、大津波を目の当たりにし、壊乱する兵のように右往左往している。
まあ、ここで勇者達御一行がいなくなってくれれば、僕は魔王さまのお守りから解放されるのだからいいのだけど。ある意味、事態は僕にとって、好転しているとも言える。
「ふんっ!」勝ち誇った顔で鼻を鳴らしたのは青い奴だ。「とっとと波にのまれて消えてしまえばいんだぞ。このちんくしゃっ」
青い奴の最後の言葉が、どうやら落ち度だったらしい。
隣から、岩と岩がぶつかり合うような無機質な音が気負えた。
無機質だが、力強い音だ。
恐る恐る、音の所在を見てみると、魔王さまが隠れている岩を素手で握りつぶしていた。手の甲には筋が立ち、その表情は般若のそれだった。
「ま、魔王さま?」
「あの青い下郎、今、あの子のことをなんと言った?」
「さ、さあ」僕は空とぼける。
「なんて言った!」
「えと、その」僕はしどろもどろになりながら「ち、ちんくしゃって言っていたよな」と続けた。
「ち、ん、く、しゃ! だと」大声を張り上げる。「私のあの子をっ」
「魔王さまの物ではない」
「そんな事些末事だっ。とにかく、あの愛くるしい妖精のような子を、言葉の暴力で汚しておってからに」
「無理を承知で訊ねますが、今から冷静になる事は?」
「出来るかっ」魔王さまは吐き捨てる。「天誅をくらわせてやる」
「ちょっとっ。魔王さまの目的はお忘れですか」もはや説得は無駄だと達観しながら言う。
「なんだっ!?」
「今日は、勇者が成長する所を見る為に見守るんでしょう」
「だからどうした!」
「そこが話の根幹なんだよ」
「お前言ったよな? 千尋の谷とかなんとか」
「言いましたけど」
「だったら、あの津波を見ろ。これはあの子がすでに谷の底にいるって事でいいんだよな?」
「もう、意味がわかんない」
「つまりだ。ここがあの津波より上の位置にいれば、あの子は千尋の谷の上に行ったという事になるのだな」
あ、これもう駄目だ。僕の理解の範疇を超えている。そもそも、獅子は我が子を千尋の谷に落とす、という言葉の意味をはき違えている。
物理的な意味じゃねえよ。
偉大なる先人が残した言葉を曲解するなと、どこかの法典に書いてはいないのか?
僕の絶望をよそに、魔王さまは、何かしらの魔法を使ったようだった。突然、砂浜が隆起し、青い奴の作った大津波の倍はある砂の津波が出来上がる。
そして、その砂で出来た津波は情け容赦なく、青い奴を大津波と共に飲み込み海の底へと引きづりこんでいった。
「くそっ。なんなんだぞこれ。こんな事、わからん。筋道がたたないぞ。勇者めっ。なんて卑劣な事をするんだぞ。ああ、沈んでしまう『海の王』である僕が海に沈むなんて」
「ようやく『海の支配者』から『海の王』にレベルアップしましたね」
「ふんっ。私は魔王だ」魔王さまは腕を組む。「見て見ろ、あの青い下郎どんどんと海中の中に消えていくぞ」
「勇者め。今度こそその首を奪ってやるからな」
なんとも情けない言葉を残し、青い奴は、海の底へと消えて言った。そして、小さな渦となり、この場に静寂が戻る。
「うむ。これで、元の鞘に戻ったな」
「元の木阿弥になっただけだよ」
僕はげんなりとする。勇者が勇者じゃないと証明すれば、魔王さまのお守りから解放されるはずだったのに。
僕は、勇者達御一行を見やる。勇者はぽかんと口を開けて消えゆく渦を眺めていた。
「それじゃあ。引き続き守護者として、あの子を見守るぞ」
多分事はそれほど単純じゃないぞ、と僕は身構えた。
勇者達御一行が倒したのは、魔獣でも猛獣でもなく魔族なのだから、今より状況が好転する事はない。
それに青い奴が最後に言っていた台詞からするに、今後ともあの青い奴は、勇者を付け狙うだろう。
それはつまり、勇者のストーカーがもう一人増えた事に他ならない。
「よし。あの子達も崖を登れたことだし、いつも通り、あの子を観察するぞ」
「はいはい」
僕は力なく返事をする。
「それで、あの子のレベルはどのくらい上がったんだ? 海が砂浜より低くなったということは、崖を登ったと言うことだろ?」
「レベルなんて上がるわけないでしょ。だいたい、あの青い奴を倒したのは魔王さまなんですから……」
僕の力ない言葉が、さざ波の音にかき消されていく。




