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『魔王さま』と『勇者』の心霊現象

 しんしんと冷え込む空気が、僕の肌を切り裂くように刺激してくる。吐く息は白くなり、雲のように空中に広がり霧散した。

「寒いな」魔王さまが全身を震わせながら言う。「なんだこの天気は」

「かじかむその手でも望遠鏡を手放さないのはご立派です」

 僕は、おざなりに魔王さまにお世辞を言った。

 魔王さまと僕は雪道を歩いていた。空からは雪が滝のように降り注ぎ、地面を白銀の世界に変えている。本当に春でもないのに桜が咲いたり、雪が降ったり、生まれたばかりの子供のように表情をコロコロと変えるなこの世界は。四季折々の情緒が無い。

 まるで、倫理観と常識を母親のお腹の中に忘れてきた魔王さまのようだ、と辟易とする。

「雪ごときでは私の至上命題の前では些末事だからな」

「心に響かない返事をどうも」僕は技巧的な笑みを浮かべ「それで、勇者達はどんな仕上がりで」

「すんごい震えてるな。何かしらの儀式でもしているのか?」

「体の筋肉を震わせて体温を体温を上げているんでしょう。なんでしたっけ……ドラミング……ん?」

「おい、お前。愛しのあの子の事をゴリラと比喩するのか」

「ああ、思い出した。シバリングって言いましたっけ。とにかく体温が下がった時に起きる現象ですよ」

「ああ。可愛そうに」魔王さまは慈愛に満ちた瞳を勇者に向けた。「今すぐ、あの子を抱きしめて暖めてあげたい」

「そんな根性ないくせに」

「ぐぅ。そんな事はない」

「そんな事があるから、こんな事になってんだよっ!」

 魔王さまと僕は頭に雪を積もらせながら言い切る。くそっ、と僕は脳内で舌打ちをした。そもそも論だが、勇者の生誕地である村で、勇者の母親の病を治して勇者の冒険をやめさせるとういう僕の願望という名の計画は見事に頓挫した。

 結果は予想通りではあったが、まさか勇者が雪山を抜けようとするのは予想外だった。

 結果、たいした防寒具もなく、長年の風雪を耐え忍んだ動物も根を上げそうな雪道を歩く羽目になった。

「そもそも。なんでも僕らはともかく、勇者達も震えてるんですか」

 そこが問題だった。魔王さまが愛しの勇者をストーキングしている都合上、どうしても勇者達の後手に回るしかない。

 つまるところ、次、勇者がどこへ向かうかは、勇者達の装備や方角で判断するしかない。方角に至っては四季があってないようなこの世界において、北に向かおうが南に向かおうが、その情報は当てにならない。

 結論、勇者達の装備で判断する他ないのだ。

 その、僕らを先行している勇者達が何故、極寒の中で震えているのか意味が分からない。

 どう良心的に受け取っても、魔王さと僕を道連れに凍死しようとしてるとしか思えない愚行だ。

 せめて道連れにするなら魔王さまだけにして頂きたい。あと、できれば魔王さまと僕をストーキングしている背後の二人も道連れにしてくれ。

 そうなれば、僕にとって理になって利にもなる。

「そう、カリカリするな。短気は損気だぞ。それに前向きに考えてみろ」

「前向き?」僕は眉ねを寄せる。

「この寒さも、あの子と同じ寒さを共有してると思えば、それはそれで愉悦の極みだろ?」

「それはあんただけだっ」

「何をそうカリカリしている?」魔王さまが空とぼけにも似た疑問を投げかけてきた。「腹ぺこか?」

「諸悪の根源がヌケヌケと。とにかく、このいかれた状況を楽しんでいるのは魔王さまだけですよ」

「何を言っている。お前もあの子と同じ環境に身を置いているんだ。幸せ度合いでは私と五分五分だよ」

「どこがだよ。五分五分の意味を理解してます? この状況で幸せを見いだせるのは魔王さまだけです」

 僕がそう言った直後だった。背後から魔王さまのストーカーをしている紅い女性の「ああ、これが魔王さまと同じ空気を吸うということか。魔王さまの白い息が俺の中に入ってくる」という気色の悪い声と、「こ、この白い息が王子様の息ですか」という僕のストーカーたる金髪の少女の声も聞こえてきた。

「あいつら僕らを尾行している自覚ないですね」

「ふむ」魔王さまは腕を組み「殺やるか」と肩をくるくると回した。

「何度も言ってますけど、無闇に殺らないで下さい」

「大丈夫だ」魔王さまは自信満々だ。「私にはこれがある」

 魔王さまは胸元から小瓶を取り出した。案の定『回復薬』だ。

「出たよ。またそれですか。というか最後の一個を勇者の母親に使ったばかりでしょう?」

「大丈夫だ」

「だから何が」

「あの後、大量に仕入れておいた」

「いつの間に」僕は酩酊の幻でも見ているのか、と目を疑った。

「何事も段取り八分というからな。その辺りはぬかりはない」

「ぬかれよっ。ぬかって勇者観察をやめて下さいよ」

「私に息をするなと?」

「もうどうでも良いですけど、あまり無闇に殺らないで下さい。そろそろ、死んでも生き返させられる者の魂に呪われますよ。ぶっちゃけた話、生き返った人間の魂がその人の魂という限りではありませんからね。誰も証明できない訳ですし」

「哲学的な事を言うなあ」

「感心しないで下さい」

 そこまで言い。僕は、はてな、と思う。雪山と魂。なにかそういう童話を読んだ事があるような。

 僕は下らない思考を鼻で笑い払拭する。

「お前は、魂というものを信じるのか?」

「信じるか信じないかは分かりませんけど」ここで僕は言いよどむ。「魔王さまは信じた方がいいと思いますよ」

「? なぜだ」

「信じなけりゃ、魔王様の『生まれ変わって勇者と結ばれる』という基本的な願望が叶わなくなります。魂の否定はそれすなわち、輪廻転生の思想の放棄に他なりませんよ」

「魂はあるっ! 絶対にだ」

「げんきんな人ですね」

 もはや漫然と勇者を尾行する魔王さまと一緒に道を歩いていると、雪山の麓が見えてくる。そこより先は、もはや踏破困難な登山を覚悟しなくてはいけない。

 僕が暗い未来に思いをはせていると、魔王さまが突然足を止めた。

「今日の冒険はここまでだな」魔王さまがぽつりとこぼす。

「なんでです。ようやく自分の行っている業に気づいたんですか?」

 真実に目覚めるのに年齢は関係ない。間違いに気づいて自分の生を軌道修正すればいい。と本音を言いたいが、魔王さまにそんな是正案を言う余地もなければ勇気も無い。

「ち、が、う」魔王さまは、はっきりと否定する。「本日のあの子が夜を明かすのは、山道の入り口らしい」

「たしかに、もう随分と日も暮れてますしね。賢明な判断です」

 すでに日はとっぷりと暮れ夜の闇が広がっている。あのレベル1の勇者御一行様が夜の雪山に入ったら、間違いなく遭難するだろう。

「では私達は、ここで、あの子達が寝静まるまで待機だな」

「マジですか。ここで?」

「ここで」

「この雪の中で?」

「この雪の中で」

「テントもはらずにですか?」

「テントもはらずにだ」

「はぁ」

 僕はこれ見よがしにため息をついた。冗談じゃない。こんな所で頭に雪を積もらせ、路傍の地蔵のように誰からもうやまれる事もなく、立ち尽くせというのか。

 魔王さまの正気を疑うぞ。

 不幸中の幸いなのは、背後にいるストーカー二人も僕と同じ苦しみを共有できる事ぐらいだ。

 どいつもこいつも大自然の驚異に苦しめばいい。

 僕が、自分のかさぶたを自分で剥がすような自虐的な願望を抱いていると、魔王さまが「よしっ」と声を出した。

「どうしたんです」

「あの子のテントが完成して、各々がテントの中に入って行った」

「そりゃ、テントが完成したら、中に入るでしょうよ」

「行くぞ」

「どこに」

「山の中だ」

「なんでだよっ」僕は、ちょっと待ってくれと言わんばかりに手の平を魔王さまに向けた。「状況が因数分解できない」

「今回は趣向を変えようと思ってな」

「どういう事です?」

「今日はあの子を先回りする」

「あぁ」僕は額に手をやる。「ストーカーの高等テクニックだ」

 ここまでストーカー気質をこじらせるとはあっぱれと言えばいいのか、あるいは、頭がアッパラパーなのか。

「何か、失礼な事を考えてないか?」

「いや。何も」僕は空とぼけ「でも先回りって、あの雪山に今から突入するって事ですか?」と続ける。

「やらいでかっ」

 魔王さまは拳を胸元で握りしめる。

「もう反対も反抗もしませんが、行くなら早く行きましょう。僕らの気配を気取られたら、元も子もない」

「そうだな」 

 魔王さまと僕は、気配を消して、勇者達が休んでいるテントの脇を通る。

「じゃあ、山道に入りますよ」

 僕が魔王さまを誘導するようにぬるりと山道に入る。

 山道に足を踏み入れた瞬間、悪寒が走った。この雪山の気温のせいではない。何か、背筋をなめられるような、ねっとりとした悪寒だ。

「ねえ。魔王さま」

「なんだ?」

「やっぱり、この山道に入るのやめません?」僕はおどおどと進言した。「嫌な予感がします」

「無理だな。もう随分と歩いてしまった。私の辞書に後退という文字は無い」

 逆に問いたいが、お前の辞書にどういう言葉が載っているのか、と思うが抗弁する気力も無いので、魔王さまに従う方向でいくことにした。

 せめて魔王さまの辞書に『後は野となれ山となれ』という言葉が入っている事を望む。

 雪山に入り、数十分が経過したが、やはり、あのねっとりとした悪寒が和らぐ兆候は無い。

「魔王さま。気づいてますか」

「? 背後にいる二人の下郎の事か」

「いや。そうじゃなくて、何か気持ち悪いというかなんというか。まあ、あの二人の視線ももれなく気持ち悪いんですが……。もう一つ視線があるんですよ」

「そうか?」

 魔王さまはあっけらかんと言う。

「それに、この雪山に人の気配がない。どうやらこの山に雪が降ってから初めて入山したのは僕らが最初らしい」

「良いことじゃないか。何事も一番が一番いい」

 初雪、一番、入山。この三つの単語を聞き、やはり何かしらの見落としがあるような気がする、と僕の中で警笛を鳴らす自分がいる。

 やっぱり、このシチュエーションは何かの童話で読んだような。

「もうこの辺りでいいんじゃないですか。勇者達からも随分と離れましたし」

「む……。たしかにそうだな。この辺りで野営しようか」

 珍しく聞き分けのいい魔王さまに関心しながら、僕はテントの設営の準備をする。

 山道から少し離れた位置を選び、テントを広げる。テントを支えるくびきをさし、支柱を立てればテントは完成だ。

 お粗末だが、雨風がしのげればそれでいい。というか、魔王さま以外の余計なお荷物を背負うのは勘弁だ。

「じゃあ、とっとと寝ますか。ストーカーの朝は早いんでしょ?」

「守護者の間違いだろ」魔王さまの目尻が上がる。「まあいいさ。とにかく寝よう」

「じゃあ、僕は外で見張りをしてますから休んで下さい」

「? 何を言っている。お前も休むんだよ」

「いやでも。見張りはいるでしょ」

「私を相手取って勝てる奴がいるとでも? どんな下郎でも瞬殺だ」

 まあ、たしかに、と僕は納得する。

「たしかにねえ。魔王さまを相手取れるのは人外ぐらいのものでしょう。幽霊とか……ん。幽霊」

 やはり何かが引っかかる。しかし、何が引っかかっているのかが分からない。

「じゃあ。寝るぞ」

「はいはい」

 魔王さまと僕は寝袋を持ってテントに入り、横になる。

「私が魅力的だからって魔が差して襲ったりするなよ」

「安心してください。絶対にそれはない」

「貴様、張っ倒すぞ」

「はいはい」僕は魔王さまを軽くいなす。「とにかく寝ましょう。寝れなくても、目を閉じてるだけで、睡眠の八割ぐらいの疲労回復効果があるらしいですし」

「お前、無意味に変な知識だけは持ってるな」

「意味の無い知識なんてありませんよ」僕は勇者以外のな、と心の中で付け足し「さあ。寝ましょ」と魔王さまを促す。

「それじゃあ。おやすみなさい」

「ああ。お休み」

 そう言って、僕らは目を閉じる。

 しばらく目を閉じていた僕は、困惑していた。

 眠れないのだ。

 とくだん、魔王さまを意識しているわけでは無い。というか意識する必要がないし、必然性も無い。

「魔王さま。起きてます?」

 僕は魔王さまに疑問を投げかける。

「ああ。確実に近づいてきているな」

 どうやら魔王さまも気づいているようだ。

 さきほどから、このテントに向かってくる足音がなっていた。忍び足とでも言うのか、必死に気配を消すような涙ぐましい努力が垣間見える音だ。

 それでも、魔王さまと僕の耳は欺けない。とくに、究極のストーカーキングの魔王さまを惑わすことは出来る訳がない。

 熟練度が違いすぎる。

「どっちだと思います?」僕はどうでもいい質問をする。

「順番的には紅い下郎だな」

「順番とかあるんですね。というかあの紅い女性、空を飛べるんだからわざわざ地面を歩く必要なんてないと思うのですが」

「そこまで頭が回らないんだろう。どれ、ちょっと見てくる」

 魔王さまは、寝袋をかぶったままテントから出て行った。ぴょんぴょんとウサギのように歩く姿は、愛玩動物のようだが、一皮むけば悪魔がいるのだからたちが悪い。

 僕はテントの中で、耳をそばだてていると「魔王さまっ。なんて愛くるしい格好なんだ。寒いなら俺が抱きしめて御身を温めてさしあげましょう」という紅い女性の声が聞こえ、すぐに夜の静けさが戻ってくる。

 紅い女性は予定調和のように、魔王さまに粛正されたようだ。

「ただいま」

 魔王様が清々しい顔で帰って来る。

「お帰りなさい」

「では、今度こそ寝るか」

「はい」

 どうせ、二度あることは三度あるのだろう、と確信を強め目を閉じる。 

 数分後、やはり足音が聞こえてきた。正体は分かっているので驚きも奇抜性もない。

「おい。聞こえるか?」

「はい。聞こえますね」

「今度はお前が行け」

「なんで僕が」

「あの金色の下郎はお前のストーカーだろ? なぜ私が出張らなくてはいけないんだ」

「はあ。面倒くさいなあ」 

 僕は嘆息しながら寝袋から出る。紅い女性と金髪の少女が一緒くたに来てくれれば、魔王さまがまとめて一蹴してくれていたのに、これでは二度手間だ。

 仕方が無い体で、テントから出る。目の前には当たり前のように金髪の少女がいた。

「あ、あの。お、王子さま」金髪の少女がたどたどしく口を開く。

「やあ。久しぶりだね」 

 嘘だった。君の存在は毎日背後から突き刺さる視線で気づいている。視界にはほとんど入れていないが、常に行動を共にしているようなものだ。

「さ、寒くないですか?」

「まあ、こんな雪山だからねえ。テントがなければ凍え死ぬ」

「こ、これ。体が温まりますから。薬草を煎じたお茶です」

 金髪の少女が竹筒に入ったお茶を差し出してくる。

 僕は訝しげに金髪の少女の手の中にあるお茶を見た。しばらく、観察し、確信に至る。

 こいつお茶に何か危ない薬をもってるな。

「これ本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫です。ぐっすり眠れます。それでも眠れないなら、わ、私の体温で暖めます。人を暖めるときは人と同じ体温が、と、とても効率がいいって言いますし」

「多分、大丈夫じゃないパターンだね」

「さ、ささ。ぐいっとこのお茶を飲んで下さい」

 おどおどとしているのに無駄に押しが強い。このお茶を飲んだら僕は終わりだ。かといって金髪の少女に手をあげる訳にもいかない。 

 八方塞がりだ。

「だぁぁ! まどろっこしい」

 その声と共にテントから拳が飛んできた。その拳は金髪の少女の腹に入り、その勢いのまま、金髪の少女は空の彼方へと消えていく。

「おお。随分と飛んだなあ」僕は呆れとも感嘆ともつかない台詞をくちにした。すぐに我に返り「いや、ちょっと」と魔王さまを見る。

「どうした?」

「あれ、確実に死にましたよね。さすがにうざいとはいえ、殺っちゃだめでしょ」

「大丈夫だ」

「なにが?」

「普通の生物はあんな勢いでぶっ飛ばされたら死にますよ」

「そこは安心しろ。殴ると同時にあの金髪の下郎にはヒビをいれた『回復薬』を付けておいた。墜落して死んでもちょうど『回復薬』が入った容器が割れて自動的に生き返るようにしてある。間違っても死なない」

「訳の分からん配慮ばかり覚えやがってからに」

 何なんだ、その無駄に磨かれた技術は。そんな技術を磨くなら、まずは脳みそを磨けよ。

「さあ。今度こそ寝るぞ。朝は絶対にやってくるのだからな」

「了解」 

 魔王さまと僕は、今度こそテントに入り目を閉じる。

 そして、二度あることは三度ある。さらに三度目のなにかしら、だ。

 目を閉じて数分後の事だ。

「おい。気づいたか?」

「ええ。勿論」

「あの気配。いきなり無から生じたぞ」

 そのとおりだ。僕は魔王さまに同意する。

 魔王さまには劣るが僕にも他者の気配を探る事はできる。

 紅い女性と金髪の女性が良い例だ。

 どんなに気配を消しても、絶対にその者特有の存在感は出る。

 しかし、今、魔王さまと僕に近づいてきている足音は、魔王さまの言うとおり無から生じた。

「待て待て待て」

 僕は誰ともなしに呟く。

 ようやく思い出した。初雪、雪山、登山、そして幽霊。これってまさか。ようやく思い出した。

 これって、もしかしたら、もしかするぞ。

「どうした……む」

 僕は慌てて、魔王さまの口に手をあてがう。

「静かにして下さい。これ、やばいやつかもしれません」

「どういう事だ?」

「こんな話があります。初雪の雪山に入ってはいけない童話です」

「だからそれがどうした」

「登山が好きな人がよく言う話なんですが、初雪の山には登ってはいけないんです」

「どうして」

「僕も話半分だと思っていたんですが。初雪の山に登ると出るんですよ。幽霊が」

「は?」

「だから静かにして下さい。雪山で亡くなった幽霊が、道連れ目的なのか何なのかしりませんが、登山者の前に現れるですって」

「ではこの足音は……」

「少なくとも、魔王さまと僕に気づかれずにいきなり現れたんですよ。なんの予兆も無くです」

「つまり、この足音は」

「多分、幽霊です」

「マジよりのマジか?」

「マジです。だから静かにして下さい。様子を見ましょう」

 魔王さまと僕は、寝袋に入りながら外の気配を探る。

 ざくざくと、雪を踏み抜く音が響いてきた。

 問題なのは、魔王さまと僕のテントに近づきはするものの、テントの周りをぐるぐると回っている事だ。その挙動はストーカーのそれではない。

 ガタガタと音が聞こえたのは僕の隣からだ。魔王さまは寝袋をかぶって、生まれたての子鹿のように震えている。

「どうしたんです?」

「何がだっ」

「いや、明らかに震えてるじゃ無いですか。幽霊が怖いんですか」

「んな訳あるかぁぁ!」

「なっ。馬鹿。そんな大声出したら」

「幽霊なんぞ存在せん。私の魔法で消し炭にしてやるっ」

「だから馬鹿。こんなところで大声と魔法のダブルで使ったら……」

 僕の説得は徒労に終わった。魔王さまは訳の分からぬ雷の魔法を使いテントの周囲に、雷をおとした。

 辺り一面に地響きが発生し、す」ぐに、地鳴りが僕の耳に届く。

「はあ、はあ。見たか。幽霊なんぞ事いささかの支障なし」

「あーあ。やっちゃったよ」

「だーかーらーっ。何がだ」

「魔王さまが幽霊が苦手なのは分かりましたが、いや、それ自体、魔王さまのアイデンティティーに関わる案件なですが。それよりも、とっとと避難しますよ」

「?」魔王さまの頭上にクエッションマーク浮かぶ。

「雪崩がくるからですよ!」

「ふふ。そんな馬鹿な」

「馬鹿はあんただ。こんな雪山で大声張り上げて、馬鹿みたいな魔法をぶっ放したら当然の帰結として雪崩だっておきますって」

「どうすればいい?」

「逃げるしかないっつうの! 行きますよ」

 僕は魔王さまの手を取って、テントの外に出る。すると、そこで思いも寄らない物が眼前に浮遊していた。金色に輝く小指程度の小さな光だ。

 その光はくるくると魔王さまと僕の前を飛び、僕らを導くように飛んでいく。

「なんだアレは。虫か?」

「こんな雪山で虫なんて飛んでるわけないでしょう。というかあれは……。蛍火?」

「蛍火とはなんだ」

「簡単に言えば、死者の霊魂ですよ。魂魄ともいいますけど」

 今更だが、この世界の四季はどうなっているのだ、とつくづく思う。

 蛍火は、ゆらゆらと淡い光を灯し、森の中を抜けていく。

 僕の当てにならない直感が僕自身に語りかけてくる。この蛍火について行け、と。

「難しい顔をしてどうした」

「とりあえずあの蛍火を追いかけましょう」

 魔王さまと僕は蛍火を追いかける。

 その直後だ。

 僕の予想通り、轟音が鳴り響き、さきほどまでいたテントが雪に、それこそ、雪崩れ込むようにのまれていく。

 タッチの差だ。あと数秒、避難が遅れていたら魔王さまの巻き添えをくって、死ぬところだった。

「なんだあの雪はっ」

「だから雪崩だってつってんだろっ!」

 この蛍火のおかげで九死に一生を得た。回復薬があっても使ってくれる者がいなければ、宝の持ち腐れだ。 

 蛍火はしばらく漂ったあと、天に昇るようにふわふわと浮かび消えていった。

 なぜ、このような状況になっているのか?。この自問には答えは出ない。

「しかし、こっちの崖の雪崩はそこまでひどくないらしいな」

「え?」

 僕は間の抜けた声をだした。

 蛍火が消えた位置。そこは崖になっていた。もう数歩歩いていれば、崖に落ちていただろうに。

 つまり、あの蛍火は僕たちを崖まで誘導したと言うことか。しかしながら、あの蛍火からは悪意は感じなかった。

 ではなぜ。

 そこまで考え、視線を下に向ける。雪崩で崩れた雪の中。その中の端っこに靴が見えた。その先には細く凍っている足首がある。

 まさか。僕は雪を掻きむしるように、その足下から上に向かって掘り起こす。

 そこには、あった。

 死体だ。

 年の頃は十、八、あたりだろうか。ほんのり赤みのかかった頬をみるあたり、おそらく、この山で凍死したのだろう。

「これは死体だな」

「ええ。多分、あの蛍火の正体です。僕の知っている童話とは違いますが、どうやら僕たちを助けてくれたらしいです」

「そんな事あるのか」

「実際問題あったんですからあるんでようね。それにしても綺麗な亡骸ですね」

「雪山だからな。腐敗は免れたんだろう」

「魔王さま。この子って」

「無理だな」僕の提案を先回りするように魔王さまが拒絶の言を示す。「どうせ『回復薬』で蘇らせる事ができるか、と訊きたいんだろう」

「ええ」

「それは無理よりの無理だ」

「何故です?」

「見た目は綺麗だが、死亡してからかなり時間が経ちすぎている。死亡してすぐなら、灰になろうが『回復薬』で復活できるが。これだけ時間が経過しているとなると」

 さすがの万能薬でも無理のようだ。というか、そんな『回復薬』の特性を熟知しているなら、もう少し熟慮しながら生きて欲しい。

「それでどうします。この子の亡骸。少なくとも魔王さまと僕を助けてくれたのは間違いないですし」

「ふむ。こればかりはどうしようもないが。私達にできる事は一つだけだな」

「そうですね」

「我々で弔ってやろう」

「はい」 

 僕は複雑な笑いを浮かべながら、魔王さまに同意する。

「でゅふふ」

 少女の遺体を弔った次の日の朝、あれだけ吹き荒れていた雪がやみ、雲の隙間からは陽光がさしていた。

「その気色の悪い笑い方どうにかなりませんか?」

「うるさいな。私の勝手だろう。しかし、後ろから見るあの子も憂いが正面から見るあの子もまたまた」

「ぶれないですねえ」

 魔王さまと僕は、樹氷となった木の上から勇者を見ている。

 木の枝から積もった雪が落ち、小さく音を立てる。諸行無常の響きあり、だ。

 昨夜の出来事がまるで夢だったかのようだ。

「しかし、本当はあの子の遺体は遺族に渡したかったのですけどね」

「それは仕方が無いだろ。なにせ、遺体には何処の誰かという情報がなかったのだから」

「まあ。そうですけどね」

「こういうのは感謝の念をもっていればいいんだよ。それ以外に手の打ちようがない」

「そうです……」

 そうですねの『ね』を言い切る直前だった。

 背後から「ありがとう」という、優しい声が聞こえてくる。

 魔王さまと僕は、反射的に背後を見やる。しかしそこには誰もいない。

「聞こえたか?」魔王さまが訊いてくる。

「はい。しかも一切の気配も感じませんでした」

 僕は空を見やった。空には小さな蛍火が天に昇ってくような淡い光があるような気がした。

 たまには、こういう事もあるのだろう、と僕は自分を納得させるように呟く。

 たぶん、霊魂はあるのだろうね、と、確信を深めて。

 魔王さまがまったく気配を気取られずに背後を許した珍しいケースだ。

 そして、魂魄がある以上、魔王さまの生まれ変わり計画に現実味を漂わせるケースだ。

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