『魔王さま』と『勇者』の関係
「でゅふふふふふ」
不気味で不快な笑い声が、僕の隣から聞こえてくる。
その包み隠さない一切の恥を排した行動に辟易するが、僕はあえて声の主に言葉をかけた。
「楽しそうですね」
「ああ」声の主は僕を見やりもせずに応じた。「楽しいさ。今日もあの子は可愛いなあ。お前もそう思うだろう?」
「分かりかねます」
真実だった。何せ、僕が話しかけた人物は平原でうつ伏せになり、ある人物を遠くから望遠鏡で見守っていたからだ。
非の打ち所のない変態である。
平原に爽やかな風がふき僕の耳をくすぐる。
その優しい風は、僕の心を少しだけ僕の気分を高揚させてくれる。
なんてことはまるでなく、隣の「でゅふふふふ」という笑い声のせいで気分は劇的な勢いで落ちこんでいく。
僕の隣にいるのは『人間』の言うところの『魔族』だった。僕もその魔族に分類されている。
僕としては『人間』も『魔族』も違いが分からないが、この世界でそういう区分で分けられるらしい。
そして、厄介なのは僕の隣で「デュフフ」と草原の風が奏でる美しい風の詩を見事な不協和音におとしめているのが『魔王』と呼ばれる存在だということだ。
更に厄介なのはその魔王が現在進行形でストーキングしているのが、『人間』で言うところの『勇者』だという事だ。
更に更に厄介なのが僕たち魔族と人間族は、特筆すべき敵対関係にない。
元も子もない表現を使えば、ただそこにいるだけの存在、だ。
目的もなければ使命などない。おそらく辞書のどこを引いても『使命』なる言葉は出てこないだろう。
人間と魔族、双方とも争う気がない。そういう無意義な世界なのだ。
風の噂では、人間と魔族が土地やら世界の派閥やらを奪い合う世界もあるらしい。しかし、この世界ではそんなものはない。
だからこそ、この失われしアイデンティティーの果てに、僕たちは『人間』と『魔族』という線引きを引いた。
だがそれも何ら意味をなさない。
両陣営とも争いを望んでいないからだ。
人間が「我こそは勇者なり」と声を高くして宣言しても誰も耳を貸さない。誰も見向きもしない。宣言は空しく虚空に響くだけだ。あるいは明るい反応があるとすれば「好きにすれば」と一蹴されるだけだ。
逆説的に言えば魔族の誰かが「人間共を滅ぼしてやる」と息巻いても、全人類から総スカンをくらい『子猫が咆哮しているぞ』と笑いものになるだけだ。
僕たちはそういう優しい世界で生きている。
「はあ」僕は嘆息する。「誰の言葉ですかね。『隙の反対は無関心です』なんて厄介な名言を生み出した天才は」
僕は独りごちる。
「ん? 何か言ったか」
魔王さまがようやく僕を見て訊ねる。
腰まで伸びたブロンドの髪が草原の風にゆれ、紅い瞳が僕を見る。
外見は美しいのに、これが魔王で勇者のストーカーとは、内面は腐っている、と僕は辟易とする。
「いや、何も」
「いや嘘だな」魔王さまが断じる。
「いや、なんでも」僕も断じた。「何も、考えてませんよ」
物事を複雑に考えていては脳みそが破裂する。
「それも嘘だな」魔王さまは僕を見透かす。「何も考えない存在なんてこの夜に存在しないぞ。私を見ろ。常にあの子の事を考えている」
「ちっ」
僕は霞むような声で舌打ちをした。やはり現役のストーカー相手では抗弁するには分が悪い。
何故、この世に舌打ちの比較級がないのか、と信じてもいない神を呪う。
僕は、自分の心の声を無視して勇者を見た。遠目なので分からないがどこかの馬鹿に付き合わされ結果
あえて遠目に見なくとも瞼の裏に裏に勇者の外見など思い浮かぶ。
魔王さまと違って烏のぬれた羽のように美しい黒髪に、黒い瞳。
僕には判断はつかないが、魔王様さまとタイマンをはれるレベルで整った顔立ちの女性だ。
あと、数名の仲間がいるが、どちらにせよ僕には興味はない。
「僕のことは置いておいて」僕は魔王さまにそう切り出した。出来れば永遠に置き去りにしてほしい。「勇者は今、どういう感じなんですか」
「なんだ。お前には見えないのかあの愛らしい少女が」
「そりゃ、見えませんよ。望遠鏡を持ってるのは魔王さまだけじゃないですか」
「しかり」
もうこの人の従者やめようかな、と僕は半ば真剣に考える。
「で、どういう様子なんです」
「うぅむ」
ここで魔王さまが表情を濁す。
「どうしたんです? お腹でも痛いんですか」
「失礼な。不敬であるぞ」
「前へ前進みたいな言葉を使わないで下さい」僕は魔王さまにジト目を向ける。「あえて繰り替えますが勇者がどうしたんですか?」
「それがなあ、ここからじゃ聞こえないがどうやらパーティーと揉めているらしい」
「良い事じゃないですか」僕は即座に返す。「一応は魔王を倒そうとしている勇者たちが仲間割れしてるんですから」
事実だった。もはや形骸化しているとはいえ、魔王さまを討伐しようとしている連中が仲違いをしているのだ。これほど両者にとって良いことはない。
そもそもパーティーなんてものは小さな家族のようなものだ。
小さい集合体だからこそ争いがおきる。
なにせ数名が集まるだけで蟠りが起きる。
僕にとっては魔王さまがその蟠りの一大発生源なのだ。僕と魔王さまが上手くいっているのは僕が耐え難きを耐えいるからに他ならない。
主従関係のない集団、しかも少数ともなると、やることは喧嘩か恋愛ごっこぐらいだろう。
「何が良いことかっ」魔王さまが叱責してくる。「私の可愛い勇者が仲間割れというか一方的に叱責されているのだぞ」
「ほう。それはそれは」
「可愛そうだろうがっ!」
「どこが!?」
「お前っ」魔王さまが奥歯を噛みしめる。「一方的に仲間から可憐な勇者が糾弾されているんだぞ、可愛そうだろう」
「だからどこがっ!?」
「お前っ。魔王に向かって。感情をどこに置いてきたっ!」
「馬鹿とボケとカスと死ねの交差点だよっ」
僕は偽らざる本音を口にする。
それと同時に魔王さまが何かを口にし始めた。
魔法の発動キー。所謂『詠唱』だ。
平和を絵に描いたようなこの世界には無用なものだ。
その場の空気がよどみ、ただでさえ爽やかだった草原の空気が霧散する。
「おまっ。何を」
僕はもはや敬語を使う気も無くつっこむ。魔王さまが使おうとしているのは容赦のない魔法だった。
少なくともこの世界で使う必要がないほどの威力の、だ。
「知れたこと! 私のあの子をいじめる奴には鉄拳制裁だ」
「駄目だこりゃ」
「くらえっ! 『魔王の制裁』」
魔王さまが訳の分からぬ技名を口にした瞬間、空から紅い稲妻だかなんだか分からない光が勇者の仲間を襲う。
間違いなく勇者の仲間達は即死だろう。
馬鹿に生半可な力を持たせるとろくな目がでない好例だろう。
その証拠に勇者の仲間達は灰になっていた。
「あっちゃー」僕は目の前の惨状を見て額を押させる。「どうするんですか。勇者を除いたパーティー全員が灰になっちゃいましたよ」
「ふんっ」魔王さまは鼻を鳴らす。不機嫌からくるものなのかあるいは得意気からくるものなのか、僕には判断がつかない。「私の勇者を怖がらせるからだ」
「まあ、魔王らしい発言ですこと」
「そう褒めるな」
「ただの嫌みですよ」僕は履き捨て「見て下さい勇者を。今の魔王さまの攻撃で勇者が腰をぬかしてますよ。遠目だから分からないですが、たぶん膝もガクガクと震えてます。可愛そうじゃないですか」
「ふふ。安心しろ」魔王さまは胸を張る。「我々にはこれがある」
魔王さまは得意満面の笑みで胸元から瓶を取り出した。中には土留め色の液体が入っている。
「回復薬ですね」
「ああ。これさえあれば、あの勇者の取り巻きも蘇る」
「はあ」僕は嘆息する。「こういう便利なアイテムがあるからこの世界は平和なんでしょうね」
この世界には『回復薬』なるものが存在する。これを使えば死人も生き返ることが可能だ。
だからこの世界での争い無意味で無意義なのだ。なにせ、不慮の事故や殺人にあっても近くに『回復薬』を使ってくれる存在がいれば死ぬことは無い。
まあ、『回復薬』を使ってもらえなければ、もれなく死ぬのだけど。
とはいえ極端な話、この世界にある『死』は寿命ぐらいのものだ。
「まったく優しい世界だな」
「人間を殺しておいてよくもまあ」僕は呆れ口調で言う。「まあ、お好きにどうぞ」
「それではお言葉に甘えて、とぅわ!」
魔王さまはあらん限りの力で、勇者たちの仲間だった灰の上に『回復薬』を投げる。そしてどういう力を使ったのか勇者の仲間達の頭上で『回復薬』の入った瓶が割れ、勇者の仲間達だった灰の上に『回復薬』が降りかかる。
そこからの展開は瞠目に値する。
灰だった勇者の仲間が淡い光に包まれ、魔王さまが制裁する前の姿となって蘇る。
「首尾はどうです?」僕は魔王さまに訊ねる。
「無論、元通りだ」魔王さまは得意気だ。「ん?」と怪訝そうな言葉も続ける。
「どうしたんです?」
「いやな。勇者達の仲間が蘇った途端、仲間共とあの子がハグをしている」
「よかったじゃないですか。仲直りできたんですから」
「ふざけるなっ!」
魔王さまはそう叫び僕を殴ろうとする。
「あぶっ。何するんだよ」
「あの下郎ら。せっかく生き返らせてやったのにっ」魔王さまは口角が千切れんばかりに怒鳴る。「なのになんで、私のあの子と抱き合っているんだ」
「そりゃあ、理由も分からないまま死んだ仲間が理由の分からないまま蘇生したんですから、喜んで当然でしょうよ」
「ふざけるなっ。あの子と抱き合う立ち位置は私だろうが」
「いや、違うでしょう。感情のまま勇者の仲間を殺害して気の赴くまま生き返えらせただけでしょう。因果応報といいうか信賞必罰というか、そういう感じじゃないですか? あと勇者は魔王さまのものではありません」
「くぅう」魔王さまは心底悔しそうだ。
「そういえば、かねてからの疑問なのですが」僕はおずおずと切り出す。「なんで魔王さまはあの勇者にご執心なんですか?」
「愚問だな」
「はあ。申し訳ございません」
「一目惚れに決まっているだろう」
「この世のものとも知れぬ返答をどうも」
「はあ。どうしたらあの子と結ばれるのだろう」
「まあ、魔王さまが魔族で相手が人間では永遠に無理でしょうね」
全てに対して平等だ。
魔王さまは勇者に首ったけ「ああっ」と魔王さまは天を仰ぐ。「もし、生まれ変わったら『人間さん』になってあの子と色々とめくるめく桃色行為をしたい」
神様はよく見ている、と僕は頷くかん。
で勇者のストーカーだ。勇者はその事を露とも知らない。
魔王さまは生まれ変わって人間になり、勇者と結ばれたい。勇者はその事は知らない。
「『生まれ変わって人間になりたいストーカー魔王』に『無知な勇者』か……これが二人の関係なのだろうなあ。良い距離感だ」
僕はそんな言葉を独りごちる。
これがこの世界の『魔王』と『勇者』の関係だ。