3章コインロッカーの妖精1
親の反対を押し切って、ミュージシャンを目指して田舎から出てきたのは良かったものの、ろくに活動することすらできずにいた。
キチンと準備をしてからでてくるべきだったなと反省をする毎日だ。
資金もないため、ゼロゼロ物件と呼ばれる、敷金も礼金も掛からない格安のアパートに入居した。
隣に住んでいる歯のないおっちゃんから、『一日でも家賃が遅れたらろくに説明もないままつまみ出されるよ。お兄ちゃんの前の住民もそうだったな。グフフフ』と言われてから、住居を失う恐怖と音楽活動をできない恐怖を天秤にかけて、アルバイトに勤しむ日々が続いている。
きっと、いや、絶対に俺には音楽の才能がある。
そう自負はしているのだけど、こっちに来てからはギターを握る事もかなり少なくなっていた。
川崎から毎朝、工場に連れて行かれるバスに揺られ、帰って来るの8時頃。
それを週五日で繰り返す。
土曜、日曜は疲れて泥のように眠る。
そんな生活も半年になろうとしていた。
「やっぱりこのままじゃあいけないよな」
誰に話しているわけでもない。壁に向かって無意識に語りかけていた。
それとなしにスマホを開いて見ると、すでに時刻は九時。
明日は五時起きだから、もう寝なければいけない時間だ。
一つため息をついてから、万年床になっているせんべい布団にゴロリと転がった。
そのうち秋がやってきて寒くなってくる。布団も買い替えないといけないよな。
しかし、今の給料ではそこまで手は回らない。
朝起きた時に身体中が痛いのも問題だ。ああ、実家のベッドが恋しいな。
そんな事を考えながら、瞼を閉じた─────
外から聞こえてくる騒音に、ハッと目が覚めた。窓の外はまだ暗い。
俺の住んでいる地域はあまり治安がよくないらしく、酒を飲んで、騒いでいる輩がよく出没する。
注意をする勇気もないし、ぐっと怒りをおさえて、テーブルの上に置きっぱなしになっていたペットボトルの水をがぶ飲みした。
スマホを開いて時刻を確認してみると、まだ三時前だった。
もう眠れるような気はしない。
最悪だ。
寝不足で、ウトウトしてライン作業を停めてしまったらクビになってしまうかもしれない。
実際、目の前でライン作業を停めて、クビになった人を見たことがあったから他人事ではなかった。
とりあえず、眠れなくても良いから目だけ瞑っておこうと、もう一度せんべい布団に横になってみるも、やはり眠気がやってくる気配はなかった。
しばらくそうしていたが、外の喧騒に勝てるはずもなく目を閉じているのすら苦痛になってきた。
仕方がない。今日はエナドリを極めてなんとか乗り切るしかないな。
俺は覚悟を決めて、今度こそ起きた。
時刻は三時半過ぎだ。
まだ起きる予定の時間までは一時間半あるが、特に出来ることはない。
ギターを触ろうにも時間が時間だ。
外が煩いから構わないだろうと、ギターに手を伸ばしたら同じ穴のムジナだ。
仕方がない。時間までスマホで時間を潰すか。
SNSを開いて、ああ、あいつら結婚したんだ。とか出世したのかとか、田舎の友人達の動向を探っていると、ある投稿を見つけた。
友人が投稿したものではない。
なぜ表示されているのかもよくわからない投稿。
『アルバイト募集。荷物の受け渡しをするだけの簡単なお仕事です。一件一万円より。募集要項はダイレクトメールください』
荷物の受け渡しね。いったい何をするものなのだろうか。
それにしても一件一万円って。
どんな危ない物を運ぶんだ……
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いやまて、これはチャンスなのではないだろうか。
神様がくれた千載一遇のチャンス。
今の生活を続けて居ても上がり目はない。
このまま今の生活を続けていたら、待っている未来は隣の歯のないおっちゃんと大差のない人生。
特に何を成し遂げる事もなく、これと行ってやりたい事もなく、ダラダラとすごす毎日。
俺はそんなのは嫌だ。
音楽をやるために、都会に出てきたんだ。
このチャンスを絶対にものにする!
そう思った瞬間に、俺は怪しいアカウントのダイレクトメールをクリックして、『求人見ました』と送信した。