夜桜
風が吹き、白い花びらが夜の闇にハラハラと落ちた。
桜吹雪、というにはまだ落ちる花びらの数が少ないが、風に舞う花びらは充分風情がある。
「やあ、久しぶり」
総介は桜の下に立つ青年に声をかけた。
公園の夜桜を楽しむ人々の喧騒から少し離れて、桜並木のはずれに彼は立っていた。
「やあ……」
ぼんやりと彼は振り返った。夜はまだ肌寒い。白の薄いセーターとジーンズを着ていた。彼のお気に入りの格好だ。
「待ったか?悪い仕事が長引いた」
総介は会社からまっすぐきたので灰色のスーツのままだ。花見客に混じると浮くかと思ったが、仕事帰りに寄った人々も多いようで、安心する。
「いや、全然」
「一年振りだな」
「なかなか会えないからね」
「そうだな」
お互い無言で夜闇に浮かぶ桜を見上げた。
総介は途中のコンビニで買った、缶の酎ハイをビニール袋から出した。
「飲むか?」
「おれ、酒は嫌いなんだけど」
「そういうなよ。花見には酒だろ?気が向いたら飲めよ」
総介は彼のそばにあった休憩用のベンチに缶酎ハイを置いた。ベンチにも桜の花びらが散っている。
自分もプルトップを開ける。
プシュ。間の抜けた音が闇に響いた。シュワシュワと炭酸の弾ける音がする。
「なんだその、桜味?あいかわらず珍妙な味に挑戦してるな。酎ハイで桜味ってなんだ?」
こちらの手元を見ながら、ドン引いてる彼のツッコミに薄く笑う。
「久しぶりだな。その反応。最近、ジュースも酒も味のバリエーションがすごいぞ」
「……で?桜味の感想は?」
総介は缶酎ハイをゴクリと飲み干した。
「チェリーの味と風味だな」
「なるほどさくらんぼね」
「酒にすると味がぼんやりするな」
「心惹かれない感想だな。コーヒーは?」
「ある」
あらかじめ買ってあった彼の好物も、ベンチに缶酎ハイと並べて置いた。ガッツリと加糖されたコーヒーが彼は好みだ。
「最近やっと温かくなったな」
「蕾をつけてからが早かったな。ここ数日で、一気に開花したよ」
「そうか」
「見ごたえがあった」
彼はしみじみと、呟いた。
少し離れたところに置かれた、桜のライトアップの照明が、その悲しげな横顔を照らしている。
そしてそっと総介に告げた。
「時間切れだ」
「……早いな」
「もう来年は来なくていい」
「くるさ。毎年」
「義理堅い奴だな」
「違う……わかってるだろ」
「そーすけ。おれのことはいいから。誰かいい人見つけて幸せになれよ」
「オレはお前が!」
最後まで、言う間もなく。彼は消えた。
TVのチャンネルを切り替えるように、彼はいなくなった。
彼が立っていた場所に手を伸ばしたが、ただ空を切るばかりだ。
彼の立っていた近くに、手がつけられなかった酎ハイとコーヒーの缶が所在なげに残っていた。
缶の周りに、桜の花びらがヒラヒラと落ちてくる。
総介の目頭に涙が滲む。
また。
また失ってしまった。
数年前の桜の季節に、はかなくなった恋人。
亡くなった翌年。彼を偲んで、総介は仕事の後に、2人でよく散歩したこの公園まで足を運んだ。夜桜をぼんやり見物していると、恋人が公園の端に生前の姿で立っていたのだ。
歓喜した。
だが、彼とは会話はできるが、触れることはできない。そしてすぐ消える。
それから何度も夜の公園に通ったが、会えるのは命日だけだった。
神の奇跡か、命日の日だけ彼に会うことができる。
七夕の織姫と彦星のように、年に一度の短い邂逅。
――実は少し疑っている。彼は、幽霊ではなくて、ただの幻ではないかと。想いすぎて、バグった自分の脳が作り出した幻覚ではないかと。
でもそれでもいい。一瞬でも会えるならそれで。
「今年もまた、愛してるって言いそびれたな」
総介は残っていた酎ハイを飲み干した。
「せっかちなやつだ」
「待ってろよ。毎年くるから」
そしていつか。
天寿を全うしたら、黄泉の国でまた一緒に暮らそう。
fin.
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総介が飲んだのは、サントリーのほろよい<さくらんぼロゼ>に似た酎ハイです。