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魔女の子

 はっと目が覚めれば、格天井が静かに見下ろしている。カンナは自分が今どこで世話になっているのか思い出す。ただ、どうして布団の中にいるのかわからない。眠る前にある記憶はシヅキたち神官と話をしていたはずだ。たった今見ていた夢見の悪さに目を両手で覆った。目が覚めた瞬間に夢は忘れてしまった。ただ、嫌な感情だけが残滓となってこびりついている。泣きたいような、怒りたいような、気だるい体を起こす。

 人影が障子の向こうに見えた。障子の向こうに誰かがいる。カンナは痣を手で隠す。部屋の中にはカンナしかいない。そんなに気にすることも慌てる必要もない。それでもだ。障子の向こうの誰かが急に部屋に入ってくるかもしれない。朝のタツキのように部屋の前で待っていてくれる人ばかりではないはずだ。

 物音を立てないようにとカンナは気を遣いながら眼帯を探す。探すまでもなく、側に置かれた乱れ箱に羽織と一緒に入っていた。


「タツキ。彼女のこと、話さないでくれたありがとう」


 聞こえてきたシヅキの声にカンナの手が止まる。

 部屋の外にいる相手が、カンナの痣を知るシヅキだとわかっただけでも安心感があった。何度も彼には痣を見られているし、この痣に嫌悪を見せることもない。むしろ心配し気遣ってくれるくらいだ。


「お前のことだってオレは話していない。それに礼を言われるようなことじゃない」

「それでもだ。俺とは違ってカンナは普通の子だ」

「普通? あんな力があるのにか?」

「普通だろ? 俺のように昔のことを覚えているわけじゃない」

「昔って……なにが普通だ。事と次第によってはオレは治癒の力のことを話すぞ」

「ああ。それは……だけど、出来れば言わないで欲しい」

「ふんっ……ところでカンナは、お前の」

「多分。だけど、彼女は昔のことも、俺のことをわからないみたいだし、俺もいつと違う感じがする」

「そうか。大変だな。昔を覚えているってのは」


 聞こえてくる二人の会話を盗み聞こうと思っていなくても、耳に入ってきてしまう。出会い頭に刀を振り回し、応戦するにしては心安い会話。ただ気になるのはカンナがシヅキのことを知っているかもしれないということ。

 村を出たことがなかったカンナの知り合いといえば同じ村の人だけだった。たまに近隣の村人と顔を合わせもしたが、言葉を交わすことなんて殆どなかった。忘れていることがあるだろうかと頭を捻るが、同じような年頃の男の子に蝶の痣を持つ男の子なんていなかったはずだ。心当たりが全く浮かばない。

 いつまでも二人の会話を盗み聞くわけにはいかないと、そっと障子を開いた。目があったシヅキはカンナに安心したような笑顔を向けた。


「もう、大丈夫? 気持ち悪いとかない?」


 頷き返す。今聞いてしまった話がなんだか申し訳ない。昔会ったことかあったかもしれないというのに、カンナはなにも覚えていない。旅の間シヅキはこれでもかとカンナを気遣ってくれていたというのに。今もだ。


「慣れない旅に、疲れが出たのだろう」

「お前のその力で回復出来たりしないのか?」


 怪我を治したカンナの力だ。誰でも病気や疲れにもと思うものだ。カンナだってなんでも治せればいいのにと思う。だけど、それは無理な話。カンナは首を横に振った。試したことがないわけじゃない。ちょっとした風邪をひいた母に、疲れ切っていた父に。全くといって蝶は顕現せず、治癒の力が働くことはなかった。


「怪我だけしか治せません」


 どんな力も万能ではない。治癒の力なんてものもそうだ。この力にだって代償はあるが、カンナはそれを話してはいない。代償といっても小さなもの。大事にするようなものではない。今回カンナが倒れたのもそれが原因だろう。疲労が溜り、抜けにくい。慣れない旅の中でそれは致命的なものだ。カンナがそれを話していれば倒れるようなこもなかったかもしれない。疲れるだけなんて、ただ歩いているだけでも疲れるのだから、代償といえるようなものではないかもしれない。


「案外役に立たねぇな」


 カンナは苦笑いを返す。タツキの感想はもっともなものだ。仕方がない。


「本当に体はもう大丈夫なのか? あの村を出るのは初めてなのだろう。たかが二、三日の旅でも疲労で昏倒する人はいくらでもいるから」


 シヅキに手を取られてカンナは距離の近さに目を白黒させている。当たり前のように脈を測っているが、彼の距離感にカンナは戸惑うばかりだ。目の前にいるシヅキがカンナを気にしているように見えないことが余計にカンナを戸惑わせる。手を振り解けばきっと余計に煩わせてしまうと、思えばカンナはなされるままにするしかない。

 シヅキの肩をタツキがグイっと引いた。


「それは、母上のことか?」


 タツキから剣呑な雰囲気が立ち込める。


「え? ちがっ……」


 シヅキの返答を待たずしてタツキが刀を横に払い、それをシヅキが魔法で牽制した。それだけでシヅキへの攻撃が止むことはなく、次々と刃が振るわれた。カンナは黙って縮こまるしかできない。怖いと体が動かないといった方が正しい。止めようと思っても、なんと声を掛ければいいのか見当もつかなければ、身動き一つで大事になりそうだ。


「シヅキのせいで、……っ!」

「俺のせいじゃない!」


 ずっと魔法で牽制していたシヅキが刀を抜いた。タツキからの剣を受け止めては弾いて、シヅキからは攻撃を仕掛けない。合間に打ち込む魔法でタツキとの距離を取ってはすぐに詰められる。


「シヅキ! タツキ!」


 ウリュウの声に二人は条件反射のように止まった。はらはらと見ているだけだったカンナは胸を撫で下ろす。


「お前たち市でも騒ぎを起こしただろう。原因はやっぱり……」


 タツキがキッとシヅキを睨んだ。まるで悪いのはシヅキだというようだ。ウリュウは呆れたように息に吐く。


「タツキ、何度も話をしただろう。あの件にシヅキは関係なしい、むしろ被害者だと。シヅキを責めるのはお門違いだ」

「ふざけるな! あれは全部シヅキが企てた。シヅキが父上を誑かしたんだ!」


 タツキの大声にカンナは委縮する。何の話かわからないが、誑かすなんてカンナにしてみれば別の世界の話だ。それを同じような年頃のシヅキがしたなんて、驚きだ。人から離れるようにして暮らしてきたカンナだから余計に驚きが大きいのかもしれない。


「ウリュウ様もウリュウ様だ。どうしてシヅキを、魔女の子なんかを庇うんだ!?」


 キッと睨む目は充血し、タツキの握った刀の切っ先が小刻みに震えている。


「タツキ、お前までがシヅキを魔女の子と呼ぶのか」


 シヅキが首巻きを上に引き上げ、口元まで覆う。


「まったく……タツキ。そこで俺がいいと言うまで座禅しろ」


 タツキは目を見開き、何かを言おうとして飲み込む。刀を鞘に納めそのまま前に置き、座禅を組む。視線は始終ウリュウから離さない。その顔は納得がいかないと言っているようだ。


「シヅキは、マツヨシ様がお呼びだ」


 シヅキは視線をタツキに向け、首巻きから離した手を再び首巻へ戻した。


「……タツキも一緒にいいですかね?」

「それは……まぁ、いいか。騒動を起こすなよ。タツキ」


 タツキは顔を思いっきり背ける。その顔を覗き込むようにシヅキが手を差し出し、その手を跳ね除けた。小さな子供の駄々のようにも見えた。


「カンナ。少し話がしたいのだけど、大丈夫か?」


 返事が上擦り、カンナは顔を赤くする。自分に用があると思っていなかったせいで何も用意していなかった。返事に用意もなにもないが、不意を突かれ咄嗟だった。注目されているような気がし、恥ずかしくなり下を向いてしまう。


「カンナ。なにも怒ろうってわけじゃない。少し歩こうか」


 シヅキとタツキに向けていものは違う柔らかな顔だ。その表情にカンナは本の少し気を和らげるが、緊張は残っていた。改まって話があると言われれは誰でも緊張するだろう。だけど、カンナにはタツキの言葉の中にあった「魔女の子」という言葉が引っかかっていた。「魔女の子」なんて初めて聞く言葉だ。それがシヅキを貶める言葉だということは話の流れの中でわかった。それだけじゃない。黒死蝶が魔女の化身とされるだけあって、魔女というだけで嫌な気分にさせられる。

 シヅキにはカンナと同じような蝶な痣がある。彼との共通点だ。まさか自分も魔女の子なのだろうかと、薄っすらと怖い。両親は今も健在だし、母は魔女ではない。だけど、魔女となれば常識では測れないものかもしれない。魔女の子なんて言われたら怖い。


「ウリュウ様」


 先を歩くウリュウにカンナは緊張を隠せないまま声を掛けた。歩みを止めずにウリュウは顔だけをカンナに向けた。


「あの、魔女の子って何ですか?」


 ウリュウは天を仰ぎ、前に向き直った。


「カンナのその痣は、突然出来たんだっけ?」


 カンナの左目を覆う蝶の痣は二年ほど前に突然現れた。はじめは小さく薄かったが、次第にはっきりと濃くなり、左目を覆うまでになった。原因なんてわからない。医者に掛かろうにも小さな貧村だ。宮司すらもいない村に医者が常駐しているはずもなく、痣で医者に掛かるなんて発想が出てくるような暮らしではなかった。人目を忍ぶくらいしか対処のしようがなかった。


「シヅキに対する悪口だよ。あの子は赤子の時から蝶の痣があったからね」


 黒死蝶によく似た痣だ。ただの悪口で済むわけがないと、カンナにだって想像はつく。痣の形が蝶だとはっきりしてきた頃、両親が必死にカンナに対する態度を変えまいとしていた。実の子に対してだって気持ちが悪いと感じるくらい、この蝶の痣は気味が悪い。今も昔も両親がカンナにそんなことを言うことはなかった。それでも、彼らから感じ取ってしまうくらい嫌悪の強いものだ。

 どれだけシヅキは辛い思いをしたのだろう。


「魔女の子ってのは痣だけのせいじゃないけどね。カンナと同じでシヅキも神霊契約をって、カンナにはわからないな」


 神霊契約がなにかは言葉だけしか知らない。カンナには初めて知ることが多い。どれだけ今まで何も知らなかったのか。何も知らないカンナの問いにウリュウたちは嫌な顔一つせず答え、教えてくれた。


「神官の使う奇跡の力を使えるようになるためには儀式が必要なんだ。指先一つ光らせるにもね」


 シヅキはその儀式を行うことなく魔法が使えるという。ウリュウが知る限りの魔法は一通り。もしかしたらシヅキにか使えない魔法があるかもしれないと。

 カンナも治癒の力を使えるようになるための儀式なんかしていない。そんなものが必要だということも今知ったばかりだ。知らずのうちに儀式めいたことでもしてしまったかと思うが、全く心当たりが浮かばない。


「魔女の子なんて馬鹿げている。魔女が何者かはっきりとしていなければ、存在しないという説もあるくらいだ。それよりも」


 ウリュウが再び顔をカンナに向けた。


「カンナはこれからどうしたい?」


 突然の問いにカンナの足が止まる。これからのことを考えたことはある。あるが、流されるままウリュウたちに付いてきたカンナにこれからのことをまともに考えられるはずもない。


「カンナは今、俺という権力者に囲われている状態だ」


 ここショウジ大社はそれなりに大きな神社だ。無知なカンナでも知っているくらいには名前が知れている。そこを任されている宮司のマツヨシと対等に話を出来るくらいには大きな権力を有していた。


「俺は面倒事ってものが嫌いだ。それなのに、シヅキなんて面倒事を押し付けれている状態で、カンナを拾った」


 面倒だと直と言われてもカンナはどうすることもできない。


「このままマツヨシ様に預けた方が俺は楽だ。だが、僧兵を束ねているマツヨシ様はきっとカンナをを戦いの最前線に置くだろう」


 治癒の力なんて戦いの場にあってこそその真価がはっきりするものだろう。怪我一つせずに戦場を去れるなんて奇跡のようなもの。大ないり小なり怪我は付き物だ。 

 カンナは自分の顔が青ざめていると自覚する。戦場なんて恐怖でしかない。それも最前線だ。


「怖いか? だが、俺はご両親と約束をした。カンナを勝手に放り出したりはしないよ。このままフジの本殿まで一緒に行けば俺より上の権力者に預けることになるだろう。そこで神官になるも巫女になるもカンナの好きにしたらいい」


 幾分か恐怖は引いた。戦場に行かなくてはいけないかもしれないというのは想像しただけでも恐ろしかった。


「ああ、神官にも巫女にもならないっていうのもありだ。その場合はどこか嫁ぎ先を見つけなくてはいけないが」


 どの未来もカンナには降って湧いたようなものだった。現実感がないというものだろう。ウリュウたち神官についていくということを深く考えていなかった。

 神官や巫女になって神仏に仕えるなんて今まで一度も考えたことがない。結婚は考えたことがあっても今すぐじゃない。相手だって想像できない。

 参拝に訪れた人々がカンナたちの脇を抜けていく。

 今初めて考えたカンナの悩みなんて誰も知らない。蝶の眼帯に一瞬視線をカンナに向けてはそのまま通り過ぎていく。

 少し離れたところで白振袖の側にいた人が転んだ。

 ウリュウがカンナに断りを入れて、その人のところへ向かう。どうやら鼻緒が切れてしまったらしく、ウリュウは慣れた手つきで鼻緒を挿げる。その人は白振袖の人のお付きの人らしい。白振袖の人も一緒にウリュウに頭を下げているからだ。しつこいくらいに頭を下げる相手にウリュウの方が恐縮しているようにも見える。

 その様子を眺めているカンナは自分が神官や巫女になった姿を想像が出来ない。だからといって、気味の悪い蝶の痣がある自分が花嫁衣裳を着られるとも思えなかった。

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