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初めての買い物

 倒れたと聞いた荷馬車に近づくにつれて、人々は足早にそこから離れているようだ。やっぱり黒死蝶のせいだろう。

 あの気味の悪い蝶を見かけただけで人は嫌な気分になる。鼻緒が切れた。黒猫が横切った。夜に蜘蛛が家にいた。そんな程度の気分の悪さだ。

 だが、黒死蝶に触れた。鱗粉がかかったとなれば別だ。嫌な気分だと一蹴するには気持ちが悪い。なにがと聞かれても説明が出来るものではないが、黒死蝶のせいだと言えば大抵がそうかと頷いてしまう。

 その黒死蝶のせいで死人が出ることも珍しくはない。

 カンナの母が危うく焼き殺されそうになったこともそうだ。今荷馬車の下で動かなくなっている老人と少女はまさに、その黒死蝶のせいだ。


「シヅキ! 早く助けてあげないと」


 走り寄ろうとするカンナの手をシヅキは掴み、止める。荷馬車の側にはまだ黒死蝶の群れがいた。黒死蝶自体が毒を持っているわけでもない。近づき、触れても本当は害なんてものはない。ただただ、黒死蝶が群れていればなおのこと気味が悪い。


「シヅキ?」


 シヅキは悔しそうに唇を噛み締め、憎々し気に荷馬車に視線を向けていた。


「もう、……手遅れだ」


 シヅキから言われた言葉を否定するようにカンナは手を振り解いた。手遅れだと、見ただけで判断するには早い。遠目からただ眺めただけで何がわかるのか。手遅れだとしても、馬車の下敷きにされたままでいいはずがない。

 どうして誰も助けに入らなかったのかと、責め立てる気持ちと同じように黒死蝶じゃ仕方がないとも思う。カンナだって今までなら目を背け見なかったことにしていたはずだ。黒死蝶を見ることだってましてや、触れることなんて考えただけでもおぞましい。人助けが当たり前なんてただの綺麗事だとカンナは知っている。顔を隠し、人目を忍ぶようになってそれを嫌というほど知ったからだ。優しいと思っていた村人たちのカンナへの対応はまさにそれ。どうして顔を隠しているのと声を掛け心配してくれた人は誰だったか、最後には誰も彼もがカンナから距離を取っていた。それに、カンナも痣を隠すために。

 駆け寄れば荷馬車の下から少女の手が這い出されたまま動かない。老人の方は下半身が挟まれ、頭から血を流し辛うじて息があった。シヅキが止める声が聞こえないのか、カンナは迷うことなく二人へ手を伸ばした。

 赤い蝶は老人にだけ群がった。老人が急に赤い色に包まれた様子に人々は足を止める。荷馬車が横転した様子を伺い留まっていた人も目を見開いていた。

 慌てているのはシヅキだけ。カンナを止めようとしてもこれだけの人に目撃されたとなれば今更だ。

 周囲を気にすることなく、カンナはその力を惜しみなく使う。ただただ助かって欲しい。怪我に痛むことなく、苦しまないで欲しい。それだけを想っている。

 次第に蝶は赤から紫へと変わっていく。そのまま荷馬車の下敷きとなっていてはいくらカンナが治癒の力を使ったとしても無駄となる。荷馬車をどうにかしなくてはいけない。幸いなことにここには人が多い。だけど、悪いことに、黒死蝶も舞っていた。人助けに手を貸すよりも、黒死蝶の気味悪さの方が勝っていた。それに治癒の力が見せる蝶。シヅキが、声を掛けても誰も手を出さない。神官の奇跡の力があるだろうと、他人事のように人々は見ているだけだった。


「シヅキ!」


 咎めるような声はウリュウだ。荷馬車が横転した。ただそれだけだったはずだ。カンナが治癒の力を使い、人の注目を集めている。事態が悪化していた。目元が険しくなって当然だ。


「おい……なんだアレは?」


 タツキの呆けたような声を無視してウリュウは指示を出す。力仕事を得意とするタツキを荷馬車へ向け、シヅキの魔法で黒死蝶を蹴散らし、倒れた荷馬車を人の好さそうな人々を使って持ち上げる。引き出された老人と少女のもとへ助けを求めた少年が駆け寄った。

 蝶は紫から青へと変わっていく。少年は蝶の変化へ気味悪そうにしながらも、側に侍る。心配そうに見ている少年へカンナは大丈夫だという意味を込めて笑う。去来する悲しい痛みを見ない振りできたのはここまでだった。


「姉ちゃん! 姉ちゃん!」


 全く動かない少女を少年が揺さぶり始めたからだ。すでに先へ旅立った少女が動くはずもない。カンナとシヅキが着いた時にはもう旅路へと向かった後だった。カンナの治癒の蝶が少女には群がらなかった。少年の悲痛な声にカンナは目をぎゅっと瞑った。目の前の悲しみを見たくはない。老人を助けられたって、それだけだ。助けられなかったことが大きく胸の内を占める。

 次第に消えていく蝶。シヅキがカンナの肩に手を置いた。

 子供が亡くなったしまうことは珍しいことじゃない。事故であれ、病気であろうともそれは事も無げに簡単に。カンナの村でもそうだった。昨日今日遊んだ子供が翌日に旅立つなんてこともある。そんなことがある度にカンナは悲しみ、神社へ参り少しでも彼らの旅路が良いものになればと祈っていた。

 蝶が全て消え、老人が目を開けた。その時にはすでに人々の注目は薄れ、街道はいつもの喧騒を取り戻しつつあった。倒れた荷馬車に神官が祈りの言葉を紡いでいれば手を軽く合わせただけで人は去っていく。死者への餞のために手を合わせる。挨拶のようなものだ。

 カンナは老人へよかったと微笑み、目を伏せた。それだけしかカンナにはできなかった。心から助けられたと喜べなかった。仕方がないとわかっていてもだ。

 散らばった荷を簡単に纏め片づけたタツキがシヅキとカンナの背後に立つ。事の子細がわからないままタツキはこの場を手伝った。子細が明かされないことなど、神官をしていればままにあること。大事に騒ぐようなものじゃない。ただ訳知り顔のシヅキが気に食わない。シヅキへ非難を込めた言葉をする前に、カンナが振り向いた。

 蝶の型をした眼帯を着けた娘というものにタツキの目が見開かれた。そんな小さな表情の変化にカンナは寂しそうに笑みを作る。自己防衛のための反射。カンナも意図していない。だけど、蝶の痣を隠すように俯いてしまうのはわざとだ。わざとでもそうしないと、怖いのだ。いつこの隠している蝶の痣を糾弾されるかもと不安は拭えない。


「おい、その女はなんだ?」


 乱暴なタツキの物言いにカンナの肩がびくりと、縮こまる。先ほどの立ち回りを見ているせいもあり、タツキに対して若干の恐怖感があった。人から隠れるように生活してきたカンナにタツキの粗暴な仕草は怖く感じられてしまう。


「カンナだ」


 シヅキはタツキの神経を逆なでるような答えを返す。彼がカンナの名前を知りたいわけではないということくらい、わかるはずだ。苛立ち始めたタツキにカンナは委縮する。


「あ? そんなことを聞いているんじゃねえ」

「俺が世話になった娘さんだ」

「は? で、なんだ?」

「一緒にフジの本殿へ向かっている」

「そういうことじゃねぇよ!」


 吊り上がった目尻にカンナはますます委縮し縮こまる。初対面の相手に恐怖するなんて失礼なことだと思っても怖いものは怖い。


「その女、さっきの蝶はなんだ? なんでその爺さんは……っ!」


 シヅキはタツキの言葉を隠すように彼の襟首を捻り上げ口を押える。急に押さえつけられたタツキの目元はシヅキを睨み、非難を滲ませていた。

 またあの立ち回りが始まるのではないかと、カンナはおろおろと二人を見ていた。目の前で起こった喧嘩。喧嘩といってもいいのかわからないが、村では見ることのなかったもの。

 案の定押さえつけられているばかりでいられるはずのないタツキはシヅキに向かって頭突きを咬ます。不意の攻撃にシヅキはタツキから離れ、膝を付く。額を押さえてシヅキを見下ろすタツキはカンナに指先を向けた。


「この女、ま……」

「タツキ!」


 ウリュウの芯の通った声がタツキの言葉を遮った。


「それをここで話せると思うか?」


 タツキはバツが悪そうに視線を逸らし、手をおろした。騒ぎにならなくてよかったと、治癒の力を暴かれなくて助かったと、カンナは胸を撫で下ろすように長い息を吐いた。神官でも巫女でもないカンナが奇跡の力を使ったとなれば騒動になる。と、ウリュウから言われていた。

 言われていたにも関わらず、シヅキが止めるものも気にせずに使った。騒動になっていれば余計な迷惑を掛けていたかもしれないと、今にって体の芯が冷えてくる。自分勝手なことをしたと後悔しても遅い。老人一人でも助けられたからよかったものの、助けられなかったらどうなっていたのだろうか。気味の悪い蝶を呼び出したと、黒死蝶を操ったとでも下手に勘ぐられたかもしれない。

 俯いているカンナの頭をシヅキが子供をあやす様に優しくはたく。見上げて見えれば、初めて出会った時のように気遣わし気に優しい眼差しをカンナに向けていた。


「キミがいてよかったよ」


 シヅキのその一言にカンナはふわりと温かいものに包まれたようだ。

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