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初めての買い物

 両親との別れも終えたカンナは丘陵の上から今まで暮らしていた村の方角を眺めていた。そこから村が見えるわけでもない。小さな集落のような村だ。そこから見えるのは辛うじて田畑が見えるくらいで、大半は木々の集まりや草原といった風景だ。それでも、故郷を離れるのだ。感慨深いものがある。


「カンナ」


 シヅキに呼ばれて振り向く。相変わらずカンナの前髪は長く鬱陶しい。目深にかぶった頭巾だって邪魔そうだ。


「これを作ったんだ。あまりにもその、前髪が邪魔そうで」


 シヅキはそう言って、カンナが止める間もなく頭巾を外し前髪を除けた。左眼に何かを押し付けられ、後頭部を通って左耳の下で紐を結ぶ。


「眼帯か。痣がちょうど隠れて、いいじゃないか……でも」


 ウリュウは何かを言いたげに言いよどみ、カンナが眼帯に触れる。眼帯を付けた顔を見るには鏡か、水辺に赴く必要がある。生憎と男所帯だったこの二人が鏡を持っているはずもなく、村娘のカンナが手鏡なんてものを当然持っていない。眼帯を見る前につけられたのだ。触ってみる以外にどんなものなのか知る方法がない。


「蝶の形はないんじゃないか?」


 シヅキの作った眼帯は蝶の形をしていた。柔らかな明るい茶色の革を使ってはいるが、蝶の形だ。顔に蝶の形をした痣があるカンナに蝶の形をした眼帯。どんな冗談だろう。


「え? だって蝶が悪いわけじゃない。揚羽蝶なんて縁起物もあるのに、黒死蝶じゃなければいいだけだろう」


 シヅキの言い分にカンナは笑ってしまう。ウリュウが言わんとしていることがシヅキに伝わっていない。蝶の痣が原因で家族と離れなければいけなくなったのだ。傷口に塩を塗るようなものだ。


「わたしも、蝶の形は……」


 蝶の形をしたものを顔に乗せるのは痣だけで十分だ。蝶の形をした痣でなければ眼帯の形なんて気にならなかったかもしれない。


「でもでも、眼帯なんて不意に外れてしまうことがないともいいきれないだろう? そんな時にさ、蝶の形は眼帯の痕だと言い張ることも出来ると思うんだ」


 カンナにある蝶の痣を、眼帯の痕だなんて言い張るには無理があるだろうが、一瞬のことであれば通じてしまうかもしれない。

 前髪で痣を隠すのは限界があるとわかっていた。眼帯なんてものを思いつきもしなかった。それどころか、外れてしまった時のことまで考えられているシヅキの優しい心遣いがうれしかった。


「前髪で隠すよりはその眼帯の方がいいだろうが、カンナはどうする? なにせ蝶の形だからな」


 シヅキの心遣いを知らなければカンナも蝶の眼帯は嫌だと突っぱねた。だが、彼の優しい心遣いを突っぱねるなんてことはできない。


「顔を自分で見ることはできないし……痣が隠れるなら」


 痣の代わりに蝶の眼帯。なにが変わったのだろうかと思わなくもない。ただ、左眼を押さえ、隠されている感覚は安心感があった。


「そうか。市につく前にその痣の隠し方をどうにかしなきゃと思っていたんだ」


 前髪で顔を隠す姿はやっぱり異様だ。それに深く被った頭巾。村でもそうだったように悪目立ちするに違いない。市には人攫いなんてものも当然いる。滅多にあることではないが、下手に顔を隠していれば、どこかのやんごとなき方にお忍びだと勘ぐられ、騒ぎに巻き込まれる可能性もある。

 村の外を知らない。言うなればそれは世間知らずだ。いくらでも懸念することはある。カンナが蝶の痣があるただの娘であればそこまで気に掛けない。治癒の力なんてものがなければ神官たちも放っておいただろう。

 蝶とは言わないが、顔に痣があるせいで俗世を離れて巫女になる者もいる。それこそ、怪我や火傷といった後天的なものから生まれつきの先天的なもの。顔に傷などがある女人が生きていくには世知辛い世の中だ。


 初めての市は人の多さに目が回るような場所だった。ただまっすぐに歩くだけでも人にぶつかる。ぶつからないように歩こうと思えば、後退してしまう。立ち止まっても邪魔になる。どうしようもなく、翻弄されるばかりだ。

 カンナのあんまりな狼狽えぶりに、はぐれないようシヅキの袂を掴むように言われててしまうが、それでも迷子になってしまいそうだ。こんな場所で前髪で顔を隠そうとしていれば、その前髪が邪魔で仕方がなかっただろう。眼帯で片目を隠しているのだ。人ごみの中を歩くには少々不便だが、前髪で視界を遮るよりはましだ。シヅキのくれた眼帯があってよかったと実感する。

 キョロキョロと周囲に視線を迷わせているカンナの手をシヅキが掴んだ。

 突然掴まれたものだから、カンナとしては吃驚だ。驚きすぎて声も出ない。


「袂を掴んでいるだけじゃはぐれそうだ」


 幼い子供でもあるまいしと思っても、仕方がない。カンナ自身が浮足立っていると自覚できていた。こんなに賑やかな場所があるなんて知らなかった。人がどれだけこの場所に集まっているのか見当がつかない。あの村以外の全ての人が集まっているのではないかと思えるくらいだ。心配そうなシヅキの視線がなんだか申し訳なかった。


「カンナ。そこの古着屋で着物を買おう」


 ウリュウの指さした場所にはどさりと沢山の着物が置かれていた。カンナは初めて目にする彩とりどりの布地に目を丸くする。

 今カンナが着ている着物は村の誰かが着ていたお下がりだ。継ぎ接ぎも沢山あり、見るからに野良着とわかる。今まで身を飾るような余裕なんてものがなかったせいもある。それに村では綺麗な着物は花嫁が着るものだった。その着物だって、いつから引き継がれいるものかわからない。


「え? そんな贅沢できません」


 着物といっても古着だ。それを買うことを贅沢だと言い切ってしまうカンナにウリュウは笑う。必要だから着物を買う。それだけのこと。カンナに贅沢をさせようというわけではない。


「贅沢って、シヅキでも買えるようなものだ。気にすることはない」


 自分で着物を選んで買うなんてことをカンナはしたことがない。そもそも買い物をしたことがないのだ。必要なものがあれば、カンナの父や村の男衆が市まで買い出しに行く。日々の生活に困れば村の誰かが貸してくれたし、物々交換で事が済んでいた。田舎の小さな村ならどこもそんなかんじだ。


「カンナは、好きなものを選べばいいだけだ。支払いは全部シヅキがするから」


 さすがにシヅキが抗議の声を上げるが、ウリュウには響いていないようだ。旅に必要なものを補充すると言ってウリュウは一人で市の中へ紛れてしまった。残される形になった二人は顔を見合わせた。


「あの、本当に買うの? なんだか申し訳なくて」


 贅沢だと思っているカンナは困惑を隠せなった。シヅキでも買えると言われても、そもそも比較する対象がないのだ。神官がどのくらの財を持つのかだって知らない。村で一番の金持ちの村長だって継ぎ接ぎだらけの着物を着ていた。着物は高いものだという今までの常識がある。常識を簡単に覆すことは難しい。


「買うよ。カンナはどれが…………お姉さん」


 縮こまっているカンナからシヅキは店員へ声を掛けた。カンナに任せて選ばせても、決められそうにないと見限ったのだ。実際その通りで、カンナは着物をどう選んでいいのかわからない。見ているだけも、目移りしてしまう。こんなにも沢山の色があるのかと、正直驚いていた。


「お姉さん、この子に一式選んでくれないか?」


 店員はカンナの蝶にぎょっとした顔をしたが、すぐにそれが眼帯だとわかり商売人らしい笑顔を張り付けた。


「蝶の眼帯とはまた、洒落たお嬢さんだこと。私に任せなさい」


 そう言ってすぐに店員は真っ赤な振袖を取り出した。


「待って。花嫁衣装はいらない。欲しいのは小袖だ。普段着でいいから。旅に耐えられる物を頼むよ」


 シヅキの慌てように店員はがっかりしたような当ての外れたような顔をしていた。神官が年頃の娘を連れて着物を買いにきたのだ。必要なものといえば婚礼衣装で間違いないはずだった。だいたい巫女になるような娘に着物を見繕うなど無駄だ。巫女になりたがるような娘は身を飾るような趣味を持たないし、そんな余裕がない者が多い。逆に道楽が過ぎ寺に入れられるような者が古着で満足するはずもない。


「そうなのかい。お嬢さんの好みは……神官様の好みの方を聞くべきかね?」


 からかうような店員にシヅキは勘弁してくれと頭を振る。戒律に恋愛を禁ずるようなものはない。手を繋いだ年頃の男女でなければ店員の軽口も違ったものだっただろう。二人のやり取りをカンナは見ているだけで、何を話しているのかちんぷんかんぷんだ。

 店員の見立た着物は萩色の着物に桔梗色の羽織を重ねていた。


「どうだい。この羽織は頭巾が縫いついているから訳アリのお嬢さんには丁度いいだろう?」


 眼帯をしている娘は市でも珍しい。時折武士や荒くれ者が眼帯をしていることがあるくらいだ。顔の痣を見ずとも訳アリと言われてしまうのは、それだけ珍しいといこと。だからといって蝶の痣を晒すことは違う。そんなことをする必要はないし、店員も詮索する気はない。

 カンナは自分にと差し出された着物の美しに気後れしてしまう。今まで色も柄もそこまで気にしたこともなかったし、お下がりの着物は男も女も関係なく同じような色に柄だった。継ぎ接ぎを重ねているうちに同じになってしまうだけなのだが、日々の暮らしで精一杯の村人たちには気にかけている余裕もなかった。

 野良着でいかにも田舎娘という風体だったカンナの変わりように、シヅキは言葉なくじっと見つめている。黙ったまま見つめられては気まずい。今までお洒落なんてしたこともなかった。見立ててもらった着物が似合ってないかもしれないと、不安になる。今まで目にしたことのない綺麗な着物。一介の村娘が袖を通すには身分不相応だと。横に除けていた長い前髪でさっと顔を隠す。顔を隠してしまえば、不安と恥ずかしさが半減した。


「なにしているんだい。顔を隠してもったいない」


 店員はカンナの前髪を横にずらす。恥ずかしそうに顔を赤らめどうすることも出来ずに下を向いた。


「神官様が何も言わないからお嬢さんが困っているじゃないか」


 店員に指摘されてシヅキはしどろもどろだ。そんなシヅキの様子を気に掛ける余裕を当然カンナは持ち合わせていない。二人で黙って、顔を紅くしていく様に店員はおろか、周りにいた人も微笑まし気に笑う。そこだけが周囲の喧騒から切り離されて長閑で可愛らしい空間となっていた。


「シヅキぃぃぃ!」


 それを壊すような声がシヅキに向けられた。

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